第104話 臥薪嘗胆
潘会は奇襲が失敗した後も機会を窺い続けた。
警戒が強まり、次に友軍の攻撃に乗じたとしても巧くいく公算は低かったが、それでも彼は虎視をやめなかった。
おかげで、謳軍本隊から離脱する集団を見逃さずに済んだ。
おそらくそこには謳の幼君と太后がいる。
「乱戦からの万が一を危惧してのものでしょう」
「先の奇襲が効いているやも知れません。頭を狙われる怖さが残っているかと」
「ならば、まだ用心してると思います」
「敵の厳戒と今の兵力差では、余程機を見定めませんと返り討ちにあいます」
近侍の者たちが、それぞれの見解を口にする。
標的は二百ほどの兵に守られている。
潘会には判別できかねたが、かなりの精兵との見立てがされた。
味方は前回、死傷者と馬を失った者が出たことで、動けるのは七十騎程となっていた。
──ままならない、とまでは思うまい。
潘会は不如意さを感じつつも、それを試練のようにとらえ、何か打開策はないかと彼なりに頭に血をまわした。
「油断するとまではゆかずとも、警戒が弱まるとしたら、どんな状況だ・・」
潘会は誰かに問うたわけではない。
思考が自然と洩れただけだったが、近侍たちは、その言に応えようと知恵を絞った。
一人が。
「敵は追っ手を意識し、目は後方を向いているはず。なので前方、後越と謳の国境を越えた所あたりであれば、彼らの緊張もやわらぐのではないでしょうか?」
と言って、聞いた他の者も頷きを見せた。
潘会も、言葉に道理があると感じ、そこから騎馬の一団の次なる作戦は決まった。
──自分ならどうするか。
于鏡が、呼延鼓と喬太后の護衛を任されてから頭にあるのはそれである。
後越、呂の両軍に気付かれずに本隊から離れることには成功した。
さはさりながら、于鏡の脳裏には所属不明の騎馬隊がある。
この際、その正体が何であるかは置いておくとしても、完全に独立して動く部隊の存在は無視できない。
──捕捉されてるな。
自分ならば監視を続け、次なる奇襲を狙う。
于鏡はその観点から、この集団が件の騎馬隊にとって既知であり、標的たり得ていると判断した。
問題はいつ仕掛けてくるかだが。
──おおかた国境付近だろう。
極言、そんなものは地図上の線引きでしかないが、敵国と自国、どちらにいるかは心理面に少なからず影響を与える。
そこに緩みの可能性を考えてもおかしくはない。
于鏡は騎馬隊の行動に予断を持った。
然りとて、休息を取るなら謳国領に入ってからが本則。
深読みの果てに、却って危険を冒すのは愚の骨頂であり、護衛対象にも要らぬ不安を与えかねない。
幼君といえども一国の王と、絶大な影響力を持つ太后。二人が徒に心を乱せば、それは兵にも伝播するかも知れず、そんな事で十全の力が発揮できなくなる事態は避けたかった。
それゆえ于鏡は、あえて通常通りの警戒態勢をとり、後越と謳の国境を越えた所で休止とした。
そのまま日は落ち、辺りは闇に包まれた。
「いくぞ!!」
潘会は気合いの声とともに馬腹を蹴った。彼に続く騎馬隊も速度を上げる。
馬蹄が響くが構ってはいられない。
「中央の天幕だ。中にいる者は全て斬れ」
その指示が正しいのかは不明だが、少なくとも見逃しての為損じはなくなるだろう。
──やはり、このタイミングで正解だ。
謳兵の動きは悪くはないが、全体としては混乱している。潘会は作戦のすべり出しに期待を強くした。
十名ずつの二部隊が波状でぶつかり敵を蹴散らし、間隙を別の二部隊が抜ける。その先で片方が敵に打ち掛かり、もう一方は馬から飛び降り、斬り込み隊として目当ての天幕に突撃した。
「あとに続け!」
潘会は声を張る。
手練れの守兵が何人かいるだろうが、更に追加で攻め込めば討ち取れる。そしてそれは謳国の終わりを意味するだろう。
王と太后を失えば乱が起きることは必定。
自分たちを踏みつけてきた大国が混沌の渦に堕ちる。その未来が、すぐそこまで来ている。
潘会の胸裏には戦闘とは違う高揚が湧き起こった。
だが──。
斬り込み隊に続く者はいなかった。いや、続くことができなかった。
先に突入した後、彼らは天幕から追い立てられてしまった。
なんのことはない。
天幕の中には標的ではなく、敵兵が待ち構えていたのだ。
彼らは斬り込み隊を迎え撃つと、そのまま打って出た。加えて、呼応するように他の謳兵も連携を見せだし、攻守はひっくり返った。
味方が次々に落ちていく状況に潘会は惑乱したが。
「撤退します!」
近侍が言うと、彼は潘会の言葉を待たずに合図を出した。
「ま、まてっ」
「待ちません。作戦は失敗です!」
潘会は近侍たちに強引に牽かれていく形でその場を後にした。
騎馬隊はそこから限界まで駆け続けたが、潘会には、その間の記憶は殆ど残っていなかった。
──撃退した!
于鏡がそう思ったのも束の間。
「于鏡殿!! 于鏡殿!!!」
兵の悲鳴のような叫びが聞こえた。ただごとではない。
于鏡はすぐさま声の方へ走り出して。
──よもや、別働隊がいたか!?
思ったが、そんな気配は微塵もなく、何が起きたか全く想像できずに焦燥が高まった。
──馬鹿な!?
小さな幕舎の周り、それを守護するための兵が倒れている。
近づき、一目で死んでいるのがわかる。
幕舎は襲撃を躱すために用意したものだ。于鏡は気後れする自分を認識しながら、中に入った。
そこにも死体はあった。
中で守護していた二人の兵と、喬太后のものだった。
太后の脇では呼延鼓が近習に支えられるように座り込んでいる。
事の次第を確認しなければならない。
そう思い、于鏡は言葉を発しようとしたが、口の中が乾いていて声が出ない。この僅かな時間のあいだ、唾を飲み込むことも忘れていたようだ。
于鏡はしゃがみ込み、呼延鼓の様子を見定めながら、ゆっくりと唾をのんだ。
「何があった」
問いは近習の者に対してだ。
「兵が、味方の兵が独り入って来て、忽ちに護衛たちを殺し、何事かと思ったときには太后陛下を・・」
声は震えていたが、しっかりとした眼差しで答えた。
「包帯を巻いた、顔が焦げた者だ!」
呼延鼓が張り裂けんばかりの声を上げる。悲痛の音が刺さる。
于鏡は聞くや否や。
「はっ、直ちに対処いたします」
言って頭を下げ、即立ち上がると同時に駆け出した。
「お前たちは陛下をお守りしろ」
于鏡は従っていた者らに命ずると。
「閻炎は何処か! 見た者はいるか!」
怒気を隠さぬ問いを投げかけるが、答えが返ってくる前に──。
ヒィィィーン!!!
馬の甲高い鳴き声、それも複数が聞こえる。
ただの嘶きではない。苦痛や恐怖などで上げる類いのものだ。
「閻炎なら、さっき空馬を引いていきましたが・・」
近くの兵が困惑の表情で応える。
──逃がすか。
急いで馬立に向かう于鏡の視界に駆け去る一騎が映る。
「くそっ、やられた・・」
馬が繋がれたままに傷を負っている。これでは走れそうにない。
「いや、まだだ!」
于鏡は方向を変え走る。
他の馬とは別にいる一頭、于鏡の愛馬だ。彼自身が世話をするため、自分の幕舎の近くに置いていた。
于鏡は素早く騎乗すると、即座に逃亡者を追う。
「先に行く!」
部下たちは皆まで言わずとも兵を編制してあとから来るだろう。
──それまで私が足止めする。
于鏡は気合いを入れて馬を疾駆させる。
名馬の域には届かないが、自慢の良馬だ。追いつけぬはずがない。
闇で姿は判然とせずとも、爪音で行方は明らかだ。
徐々に距離は縮まって来ている。
馬が全速を出せる時間など限られているし、その持続の勝負ならば于鏡の方に分があった。
不意に音が向きを変えた。
左に逸れたかと思ったら元に戻り、今度は右側に・・
──これは・・転回の動きか!
もうはっきりとわかる。相手は、ぐるっと円を描いて馬首をこちらに向けたのだ。
──搗ち合う気か!?
于鏡も剣を抜く。
抜くが、文字通り一寸先は闇である。果たして、音だけで渡り合うことなど可能なのか。
──横薙ぎなら、まぐれ当たりもある。
于鏡はきたる攻撃に備えた。
しかしながら、相手の行動は于鏡の予測を上回った。
二騎が馳せ違う、その刹那、繰り出された攻撃は狙い澄ましたかのような一直線の突きだった。
「がぁ!??」
于鏡は胸を強烈に突かれ、勢いのまま後ろに落馬した。
胸と地面に打ち付けられた衝撃で、息ができない。
──何が? どうやった?
于鏡は腹を意識して、なんとか呼吸をしつつも、自身に起きた事態について答えを探した。
全身に震えのような感覚があり、うまく体が動かなかったが、それでも気合いで身を起こし片膝をつくような格好をとった。
その間に、相手は馬を下り于鏡の側まで来ていた。
「見え・・て、いた・・か・・」
于鏡は掠れそうな声で聞いた。
「ああ・・」
応えたのは閻炎だ。
その顔は確かに閻炎だったが、いつも巻かれている包帯はなかった。
「いったい・・」
「何のためか? まずは顔を隠すためだな、次に隻眼だと思わせておけば、いざというとき使えると思ったな。この展開は流石に考えなかったが、夜目で役立ったのは嬉しい誤算ってやつかな」
閻炎は、なめらかに語る。
「ちがう・・」
「ん? ああ・・太后のことか・・」
閻炎は少し笑うように言ってから。
「俺の名は袁炎だ。馗国袁家の先々代当主袁堅の四男、その袁炎だ」
──!?
「ハハハッ──。悪かったな~面白くもない理由で、がっかりしただろう。至極簡単な話、元々敵だったってだけだな」
袁炎は続ける。
「いや俺も驚いたというか、焦ったぜ。俺を殺しに来た連中の部隊に配属になるんだからな。いやはや、運命の悪戯つーか。宿命だな。俺はそういうの眉唾だったんだが、二番目の兄貴が好きでさ、よく言ってたもんさ。まっ、その兄貴もお前らに殺されたんだが」
冗談でも口にしているかのような軽い音であった。
「国王は、何故・・」
太后だけを殺し、国王は見逃した。その理由を問う。
「殺したら、別の奴が王になるだろ。あの姫さんか、他の奴か知らんが、そいつを中心に纏まるはずだ。幼君という不安定な王の方が、こっちも都合がいい。上手いこといけば内乱になるかも知れんし。さっきの騎馬隊とか、先走ったそっち側の連中じゃないのか?」
袁炎は自慢気だ。
「随分と饒舌なものだ」
于鏡が睨み付けるように言う。
「おっ息が戻って来たな──。まぁこれが俺の地だ。口数が多いと、どこかで下手こく可能性もあるからな。あえてそうしてたのに、隊長なんぞする事になって困ったもんだ」
「ふざけるな」
閻炎、即ち袁炎を呼延吹軍に入れたのも、隊長にしたのも于鏡だ。
彼は眼前の敵のみならず、己に対しても激しい怒りで絶叫を上げたくなったが、いまだ呼吸は完全ではない。
「裏切りの一族が」
于鏡は袁炎が話に飢えてると察し、会話を引き延ばして機会を待つ狙いを持った。
しかし袁炎は。
「お前さ、才気ぶってるけど、お前だけが追ってくるのはわかってたからな。お前の馬を拝借して複数に追われるより、他を潰した方が楽だと判断しただけだ。今も時間稼ぎで味方が来るの待ってんだろ。わかり易くて助かるな」
侮りの音で返し、更に。
「ついでだ。いいこと教えてやる。呼延枹だったか。前の指揮官で、姫さんの兄、でお前の乳兄弟と。馗国に来たとき死んだの覚えてるよな、お前もいたらしいし・・」
袁炎はそこで一呼吸あけて。
「あいつ殺したのは俺だ。お前と同じように突き落としてやったぜ」
言って嗤った。
──!!!
〔 一遂四剣 〕
「あぁぁぁ!!!」
于鏡の怒声を伴った必死の攻撃。それは防御を考えない捨て身でもあった。
だが──。
袁炎は棒を使って、ひょいと後ろにとんでやり過ごす。
そして着地すると一転、弾かれたように前に出て棒を突き出した。
棒は于鏡の頭蓋を強く打ち、彼は死んだ。
「だから、わかり易いんだよ」
言った袁炎だったが、踏み込んだ足の膝上を于鏡に斬られたいた。
「嫌な所を狙いやがって・・」
微かにだが靴音が聞こえる。
于鏡の叫びが兵を呼び寄せたのだろう。
──健気なものだ。
袁炎は、最後まで自分を足止めしようとした于鏡に対して、そんな風に思った。
足を引きずるように馬に乗り、袁炎は独り、闇の中に消えた。




