第101話 齟齬
「無駄だった──、そう思ってるやも知れん。だが違うぞ。無駄ではなかった事を教えてやらねばならん。わしらが応えてやるのだ!」
鍾棋は歩き回りながら兵達に檄を飛ばす。
「彼らの頑張りは、ここにも届いていたと、しっかりと伝えるのだ!」
鍾棋が謂わんとしてるのは、敵本陣に起きた奇襲劇の事だ。
夜明けからしばらくして、それはあった。
闇討ちならば、より効果的だったはずだが、夜間では本陣の位置をはかるのが難しかったのだろう。謳軍が城に向けた明かりの強さが、夜目の利きを悪くし、敵陣の闇を深くしたと推測された。
ともあれ、奇襲は失敗したのか、仕掛け人の百騎は撤退した。
その後、敵本陣は三百ほどが追加で守りを固めたため、再びの攻撃は叶わぬと思えた。
事前に取り決めはなかったが、おそらく呂国の別働隊の仕業であろうと、後越の兵たちは察した。
彼らはしくじった。
だか、後越軍にとってそれは無駄ではなかった。
事実、奇襲があったことで敵の攻撃が散漫になり、今この瞬間も交代で時間を食っている。謳軍の集中力の幾らかが欠落したのだろう。
なにより特筆すべきは、後越の兵に味方がいる事を知らしめた点だ。
奇襲を仕掛けた指揮官に、その意図があったかどうかはわからないが、籠城戦という、ひたすら耐え続ける孤独な戦いの中、味方の存在は後越兵に希望を与えた。
だからこれは、一種の返礼ともいえる。
「鬨を上げよ!!」
鍾棋の声に。
ワァ──!!!
一斉に発せられた喊声が胴州の朝に響いた。
声が彼らに届いたかどうかはわからない。伝わったかもわからない。わからないが、これは気持ちの問題だ。感謝の雄叫びだ。
「さぁ、忙しくなるぞ。おのおの気合いを入れ直せ!」
鍾棋も声を張る。
鬨の声は味方を鼓舞するが、同時に敵も挑発する。
──こちらに釘付けにせねばな。
鍾棋は、まだ本来の作戦が潰えたとは思ってはいないし、城を落とされるつもりもない。
彼もまた希望を得た一人であった。
于鏡たちが奇襲に対処したことで、遊撃隊はそのまま本陣の守備についた。
その上で呼延吹からの報告と状況の整理が行われた。
目下、胴州を落とすべく攻撃を続けているが、後越は驚異的な粘りを見せている。
北からは呂の援軍が向かって来ているが、それを妨害するための二軍は既になく、敵は一切の足止めなく行軍していると推察できる。また、華漢率いる後越軍も相当数が健在である。
そして奇襲を仕掛けてきた謎の百騎。
普通に考えれば敵の別働隊で完結する話だが、国王と喬太后がいる場では別の含みも考えられる。
于鏡や近衛兵の受けた印象から、指揮官は単なる軍人よりも格式を持った者であることを示していて、そこから乱の可能性を感ぜずにはいられないところがあった。
斯様な事態に、昼までに城を落とし出来ぬなら撤退という方針を前倒し、今から撤退に動くべきという意見も出た。
それなりの支持を得て、喬太后も特に何も言うことがなかったため、その主張で話が進むかに思えた。
が、そのとき──。
ワァーと喊声が上がり、一同は再びの奇襲かと、つと慌てた。
「何事か!」
将軍の声に。
「城の後越軍が急に声を上げました。それ以外に異常はありません」
兵が駆け込み状況を報告した。
これは偶然である。それは誰もが理解している。
しかしながら、撤退の話をしているときに敵の鬨の声を聞くというのは、謳国軍人のプライドを大いに傷付けた。あまつさえ奇襲を思い起こし慌てた無様もある。彼らはそれを忸怩として受け入れられなかった。
場は一転、攻めを急ぐ方に流れた。
つまり、予定に変更はないということが決定した。
変わらないといっても指揮官たちの熱量は上がっている。
そのような意気は通常、兵にも伝播し、良い循環を生み出すものだが、今回は少し事情が異なった。
兵達は丸一日以上の戦闘で心身ともに疲れていた。
そんな中、指揮官が急にやる気を漲らせたことに彼らは鼻白んだ。将軍たちが撤退の話をしていたときの状況など、露程も知らぬわけで、軍議のあとの変化をトップダウンの圧力のように感じたのだ。
謳軍では声を張る指揮官たちの指示が、むなしさを持ってこだました。
──騎乗でよかった・・
百鈴は不謹慎の自覚とともに思った。
第三輜重隊は今、遺体を運んでいる。
謳軍との戦闘で、華漢率いる後越軍にも少なくない犠牲が出たが、華漢は彼らを胴州へ連れて帰りたいと言って、第三隊に頭を下げた。
百鈴の見るところ、その姿は一国の王とは思えぬ、みっともない格好で、膝をつき頭を地面に擦らんばかりであった。
尤も、百鈴の知る王族の姿というのは、孟国の雍白ぐらいしかないわけだが──。
とまれ、袁勝は隊員たちに意見を求めたが、特に拒絶する者はなく、華漢の頼みを受ける事にした。
百鈴は自身が騎馬ゆえの楽観もあったが、華漢に共感する所もあり、その行いに吝かではなかった。
輜重隊の荷車に遺体を乗せたが、流石に全ては無理で、かなりの数を残していく事になった。
華漢は遺体を見張る者を置き、物言わぬ躯となった彼らに。
「すまん!」
言って頭を下げていた。
そして第三隊に対して。
「やばそうになったら、いつでも逃げてくれ」
軽やかに言うと、軍勢を引き連れ胴州へ急いだ。
──やっぱ突き抜けてるな、この人。
百鈴は戦場で見た華漢と合わせて、心中でそう評した。
荷車はいつもよりも重そうだったが、後越軍の兵も協力しているため、隊員たちの肉体的負担は幾分ましなように見えた。また、百鈴を含め、隊員たちの中には戦闘の熱がまだ残っていた。
それらが影響したか。
第三隊の足取りは速く、随伴しているだけの後越の負傷兵の集団が、重い荷車の一行から大きく遅れをとるという不思議も起きた。
日が落ちた所で野営となったが、負傷兵たちが追いつくことはなかった。
第三輜重隊では夜間に明かりは付けないし、敵軍がいるかも知れない状況では尚のこと危険だと重々承知しているが、この日は火を焚いたまま寝に就いた。
百鈴としては遺体の近くで眠るのに思うところがあったが、炎の揺らぎを眺めながら睡魔を待った。
しばらくして目を閉じたが、それでも火の気配を感じていた。
──魂が揺れている。
百鈴は、神妙な心持ちのまま夢路に入っていた。
夜明けとともに第三隊は荷車を押す。
やはり荷が荷だけに、どこか戦いの気が隊員たちを包んでいた。
──前線の兵ってこんな感覚かな?
百鈴はかつての憧れを思い出したが、思い出しただけで感慨はなかった。それよりも闘気に馴染んでいる自分たちの変化に関心を持った。
隊員たちも気の高まりを自得したようだ。
袁勝はこういうとき隊員の威勢を抑えたりしない。
結果、第三輜重隊の歩武は昨日に増して速まり、手伝いの後越兵は、ついていくので大変そうであった。
この奇妙な気迫をもった集団が胴州に近づくと、まだ随分と距離があるにもかかわらず、戟塵の気配が空を覆っているのがわかった。
袁勝は移動を止めて第三隊の面面に目をやった。
そして──。
「後越の諸君。悪いが我々はここで一旦離脱させてもらう。ここで待機していれば負傷兵と合流できるだろう。それを待って行動されたし」
言ってから。
「第三輜重隊各員。これより胴州に向けて通常行軍で進む。遭遇戦を覚悟しろ」
「はい!」
馬豹以下、隊員たちが一斉に返事をする。
袁勝はそれに頷くと。
「進発!」
大喝し、第三輜重隊は動き出した。
残された後越兵は、第三隊の意気軒昂な姿を目にして唖然とした表情を浮かべていた。




