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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

姉妹神は今日も退屈

作者: 狸座衛門

「あなたの名前はディスフィア。私の、妹。今日からよろしく」


 お姉様が笑ったのは、これが最初で最後でした。










 壁も天井もない、ねじれた空間。遠くの視界では宇宙や惑星、植物や空の風景、過去や未来の生命の断片、歩くたびに景色は移り変わっていく。まっすぐ歩いて行くと大理石のプラットフォームが浮遊してて、その上に白い玉座があり、そこで頬杖をついて退屈そうにしてる神こそが、私の姉、エリフィアお姉様ほかにならない。


 白く煌びやかに輝く長い髪。純白のドレスを纏い、肩や足がわずかに露わになっている。その素肌もまた白く、美しい。なにより瞳だけが唯一薄暗く、まるでブラックホールのように吸い込まれそうなくらい見る者を惹き付ける。全身が黒の私とはまさに対照的。


「お姉様。今日はいかが?」


 話しかけても反応がない。それどころか私の存在に気付いてないみたいに遠くをジッと見てるだけ。過去か未来か、この世の果てか。もはや現在なんて眼中にないのかもしれない。


 お姉様は毎日退屈そうにしてる。神の権能があるのに、それを滅多に行使しない。曰く、昔には使っていたけれど、結局退屈になったから、と聞いた。そして、私が生まれたのもまた、お姉様の退屈を埋めるため。


「お姉様。今日はどんな遊びしたい?」


「……任せる」


 なんの感情も篭ってない返答。視線も遠いまま。だからといって私がやめることはない。私の目的はお姉様を楽しませることだから。


「地球で生命視点で遊んでみない? 植物になって光合成を楽しむのも面白そうだし、虫になって人間から逃げるのも面白いかも。猫になってダラダラ過ごしてみる?」


「……100兆年前にも同じ遊びした」


「記憶を消して過去と未来を並行すればまた楽しめると思う」


「……遊べて数万年かな」


 地球の生命は寿命が短い。永遠を生きる私達にとっては、こんな遊びでもすぐに枯れ果ててしまう。それでもお姉様の退屈が少しでも埋められるなら。










 今日もお姉様は退屈そうに頬杖をついている。瞬きもせずに黒い瞳が真っすぐ遠いどこかを見つめている。その視線の先に私が立てることはない。それが少し悲しい。


「お姉様。トランプ持って来たよ。一緒に遊ぼ?」


「……うん」


「7並べなんてどう?」


「……なんでも」


「ちゃんとルールに従ってね? 思考透視、概念変化、時間軸操作、多次元領域、その他もろもろ使用禁止だから」


「……そんな退屈なことしてまで勝つ気もない」


 こういう会話もいつも通り。少しでも会話をして退屈を埋めたい。お姉様なら私の意図も考えも全部お見通しだろうけど、それでも会話をするのが大事な気がする。

 だって私はお姉様の退屈を埋めるだけだから。


 那由多なゆた枚のトランプを次元シャッフルして配った。












「1京2000兆2891億5800万10……1京2000兆2891億5800万11……」


 お姉様は数字を数えるのが好きだ。いつも唐突に呟き出して1から順に数えていく。数字を数えてる表情は相変わらず無機質で黒い瞳は暗く濁ったまま。


 けれど私は知っている。お姉様が数字を数える時は大抵耐えきれない痛みを抑えようとしている時。昔、お姉様が誰にも聞こえないくらいの声で「どうして私が神に……」って泣きそうな声で呟いていたのを覚えてる。すごく悲しそうで、何もかもから逃げ出したい様子だった。


 でも私達は逃げられない。だって、神だから。


 そしてそんなお姉様を満たしてあげられない自分の無力さが何よりも憎かった。私はお姉様の退屈を満たすために生まれたはずなのにどうして何もできないのだろう。

 神の権能はあるはずなのに、お姉様にはまるで通用しない。お姉様を笑わせてあげられない。それが何より悔しかった。


 お姉様は今も数字を数え続けている。無量大数になっても、終わりが来たら、また1に戻る。それを繰り返している。それがお姉様にとって唯一の1人遊び。


「お姉様。私も一緒に数えてもいい?」


「……別に」


 相変わらずテンションがすごく低い。でも否定されないなら勝手にする。それが私にできる唯一の慰め。


「1京2000兆2891億5800万28」


「1京2000兆2891億5800万29」


 交互に数字を数える。言葉を挟んだら少しはお姉様の退屈が和らいでくれたらそれでいい。

 風もないのにお姉様の白い髪が少しだけ揺れた。それが何を意味するのか私には分からない。












「お姉様。チェスを作ったよ。やろう」


「……うん」


 お姉様の返答は相変わらず暗い。だからといってその感情の奥底がどうなってるかも分からない。そもそも神に感情があるのだろうか。けれどないならお姉様は退屈に苦しんでないはず。


 ともかく無機質な空間をチェスの盤面に変えた。恒河沙ごうがしゃの駒数があれば暫くはお姉様の退屈を埋められるはず。


「……見たこともない駒が多い」


「それは空間崩壊の駒、これは認知逆転の駒、そっちは並行世界に移動できる駒」


「……全部説明する気?」


「もちろん。あ、私の思考読むのは禁止だから。ちゃんと頭で覚えてね」


「……そう」


 言葉で説明するのにきっと意味がある。たとえ相槌だけであっても、それだけで私は嬉しい。


 ──嬉しい


 時々考える。この感情は本当に私のものかって。私はお姉様の退屈を埋める存在。だったら、この『嬉しい』って気持ちもお姉様に造られたもの?


 お姉様に抱く感情は全て偽物? 私の本当の気持ちはどこにあるんだろう?


「……ディスフィア?」


 お姉様に名前を呼ばれた。いつ振りだろうか。少なくとも数億年は呼ばれてなかった気がする。黒い瞳が私をジッと捉えている。真っすぐ見つめると本当に綺麗だ。そのままお姉様の目に吸い込まれても悔いがないくらい。いっそその中で私の魂が生きられたらどれほど幸せか。でも私の役目はお姉様の退屈を埋めること。私が幸せになることじゃない。


 だから私は何も言い返さずにチェスの駒の説明を続ける。いつも通りの日常を繰り返すために。








 ※エリフィア視点※



 退屈



 ただそれだけだった。神として存在し、神としてあり続ける。それが私の存在意義。なのにどれだけ時が経っても、私は未だに自分が何なのかよく分かっていない。そもそも、時間という概念すらも私にとっては何の意味もない。



 ある時は宇宙を爆発させて、自由意志を持つ生命を生み出した。


 ある時は次元を歪曲させて、多次元構造を分解してみた。


 ある時は過去と未来を分離させて、自分という概念を消滅させようとしてみた。


 結局、それらに意味などない。結果も過程も、ただの通過点にすぎない。

 神の権能なんて、子供の玩具と同じなのだ。


 だからもう何をする気も起きなくなった。最後に私の退屈を埋めてくれる存在を生み出した。期待など何もしていなかった。ただのいつものきまぐれだ。


 ──よろしく、エリフィアお姉様


 あの子が誕生してそう呼ばれた。初めて私の中の何かが揺れた気がした。それが可能性なのか、或いは別の何かなのか確かめるためにディスフィアを観測した。


 けれどそれは杞憂だった。結局私の退屈は何も変わらない。あの子は私の退屈を埋めようともがくけれど、そもそもその行為自体が意味のない結果だ。


 何より、あの子は笑わない。いや、正確には最初の挨拶では笑ってた……気がする。どうして記憶があやふやなのか。私が記憶操作して忘れたのか、或いは時間が経過しすぎたのか。


 どちらにせよ、あの子は私に似ている。そもそも退屈な神から生まれた存在だから同じように退屈を持て余すのは当然だ。あの子は私にゲームを提案するけれど、きっと心の中は私と同じように退屈なのだろう。


 けれどあの子は私に提案をやめられない。なぜなら私が与えた意志があるから。だったらあの子の姉として、そのゲームに乗り続けよう。それが私に与えられた罰。


 本当は、こんなのいらなかった。


 自由意志を持つ生命──人間を見ていると少しだけ、ほんの少しだけ羨ましく思った。どうして彼女達はあんなにも楽しそうなのだろうか。


 なにより、恋をする。


 そもそも、なぜ同性同士で恋をしている? 自由意思を与えたのは確かだ。けれど生存プログラムにそんな規定はなかったはず。なんらかのバグが?


 私の心がそうさせたのか?


 目の前の時空がねじれて過去が映し出される。女の子同士でなぜ……。

 分からない。私が望んだのか?


「お姉様?」


 不意にディスフィアが私の名を呼んだ。視線を向けずとも感じる白い眼差し。黒い瞳を持つ私とは対照的に純白だ。髪も服も黒いがその眼だけが私を捉え、まるで浄化しようとする。


 私はなぜこの子を造った? なぜ? なぜだ?


 恋がしたかったというのか。この私が?


「お姉様、ゲームをしよ」


「……うん」


 答えは出ないのに、その提案だけは断れない。ディスフィアの髪が揺れていた。










 空虚な空間に無機質な時間だけが進む。頭の中で数えた数はもうすぐがいに到達する。


「お姉様、トロッコ問題をしよう」


 珍しくディスフィアがゲームではなく問題を提案している。


「……別に」


 どうせ退屈だから断る理由もないけれど。


「片方の次元には私の存在をもう片方の存在には私の感情と心を投げ込んであるよ。さぁどっちかの次元を閉じて」


 急に空間がねじれてブラックホールみたいのが出来上がってる。この子は一体何をしている? 元々突拍子のない性格とは思っていたけれど、それでも一線を越えることはなかった。存在? 感情? 何の話?


「トロッコ問題はどちらかを選ばないといけない。片方は私の存在が完全消滅する。もう片方は私の存在は残るけど感情も心も失くす。お姉様はどちらを選ぶ?」


「……その問いに何の意味が?」


 仮にどちらを選んだとしても神の権能で存在も感情も全て復元できる。もっと言えばこの選択をする前の時間軸にだって戻せるし、選択そのものをなかったことにだって出来る。


「それを考えるのがトロッコ問題。選択の思考を深めるんだって」


「……それは人間の倫理の話」


 ゆえに神の尺度ではこの問題そのものに価値も意味もない。議論するだけ無駄。


「答えないってことは私の感情を破壊するルートに自動で選ばれるけどそれでいいの?」


 いつになくディスフィアが挑戦的だ。一体この子は何を考えているの?

 神の権能を使えばこの子の思考を読み取れる。けれどそれをしたくなかった。だって、それをしたらただでさえ退屈な時間がさらに退屈になる。


 ──本当にそれだけ?


 頭の誰かが問いかける。そう。それだけだ。深い意味もないし、それ以上でもそれ以下でもない。これは私の意思だ。


「選ばないの? 感情壊れるよ?」


「ディスフィア、いい加減にしなさい!」


 自分で言って自分で驚いた。


 この怒鳴り声は私の声?


 私はなぜ怒ってる?


 どうして玉座から立ち上がってる?


 これも私の意思?


 どうして?


 無意識にこの2択に苛立ちを覚えた?


 違う。私は神。そんな些細なことで動揺はしない。


 何もなかったように玉座に座り直す。ディスフィアはジッとこちらを見ていた。

 その瞳がまるで思考を読み取られてるようだった。


「ごめんなさい、お姉様」


「……別に、いい」


 初めから期待なんてしてない。特に、自分だけは。











 ※ディスフィア視点※



「1982億3809万2246……1982億3809万2247……」


 最近お姉様は数字ばかり数えている。原因は分かっている。私のせいだ。

 私が変な問題を出してお姉様を怒らせてしまったからだ。


 私は自分の衝動を抑えきれなかった。どうしても確かめられずにはいられなかった。

 私という存在が本当にお姉様に必要なのか。私の意思はお姉様に造られたものなのか。


 この気持ちも、この感情も、全て噓偽りなのか。

 これ以上、深い気持ちを抱くのは間違っているのか。


 その結果、私はお姉様を困らせるだけに終わってしまった。退屈を埋めるだけの私がしていい質問ではなかった。私は傲慢な神らしい。やはり私はお姉様の妹には相応しくない。


「お姉様、最後のゲームをしましょう」


 提案したら数字を数えるのをやめて、私の方を見た。そういえば、最近よく見られてる気がする。やっぱり怒っているのだろうか。暗い瞳がどういう感情を示しているのか分からない。


「私の神聖を全て使ってお姉様を永遠に退屈させないゲームを今から作る」


 これでも神の一柱。お姉様に及ばなくてもそれなりの権能は使える。

 ゲーム1つに特化するだけなら、きっと簡単。もっとも、私の神聖なんてたかが知れてるから、私の存在そのものが危うくなるだろうけど。


 でもそれでいい。余計な感情を抱く妹なんて神に相応しくない。

 最初からこうしていればお姉様を退屈させずに済んだんだ。


 なのに私はお姉様に構って欲しいばかりで、自分本意だった。だから、もう終わりにする。


 体が光の粒子に包まれる。まるで記憶の欠片みたいに空間に飛び散る。

 無機質な空間も少しは鮮やかになった気がする。


「……ディスフィア!」


 お姉様が叫んだ。


 まだ怒ってる?


 ごめん。私は不出来な妹だからお姉様が納得できる謝り方が分からない。

 だからどうか、これで許してください。


 ……。


 ……。


 意識が一瞬消えた。


 でもなぜか戻ってた。そして何か体に感触がある。目をゆっくり開けたらお姉様が私を抱きしめてた。


「馬鹿な真似はやめて! どうしてあなたが消えないといけないの!」


「お姉様……?」


 頬に伝った雫は、涙?


 どうして、お姉様は泣いてるの?

 怒ってたはずなのに。最高のゲームを届けようとしたのだから笑ってくれると思ったのに。


 抱きしめられるこの感覚は温もり……?


 そういえばこんな感覚は初めてだった。誰かに抱きしめられるのも、自分の為に泣かれるのも。


 私はずっと誤解をしていたみたい。お姉様はずっと……。


「ごめん、お姉様」


「こんな真似は二度としないで」


「うん、約束する。私、ずっとお姉様に必要とされてないって思ってた」


「私がどうしてあなた以外の存在を造らなかったと思う? あなたじゃないとダメなの。他の誰でもない、同一概念の、ディスフィア、ただあなただけ……」


 そのたった1つの言葉を、私はずっと欲しかった。

 ああ、私も泣いてる。私も、泣けるんだ。













「エリフィアお姉様、ゲームしよ」


「……いいよ」


 今日も退屈な日々。お姉様と一緒に無為な時間を過ごす。

 でも少しだけ変わったことがある。


 お姉様がチラッとこっちを見て微笑む。


 その笑顔があったら、いつまでも一緒にいます。


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