「全ては収まらぬ渇きを潤すため、全ては収まらぬ憤怒を発散するため。」
初投稿です。至らぬ点は沢山あるかもしれませんが、見て頂けると凄く嬉しいです!!
2025/06/16 100PV突破!!
読んでくださった皆様本当にありがとうございます!!!
感想、レビュー励みになります!
──これは遠い昔にあった、滅びた国の王女が血を欲するだけの単なる化け物へと転落するまでの話。
〜〜〜〜〜
冬になるといつも雪が分厚く降り積もる、平和で寒い国。
華やかで高貴な雰囲気を纏った、白くて巨大な城。そこには沢山の召使いと、王族。そしてその家臣が住んでいた。
その城には、人々で賑わう街や遠くの美しい自然がよく見える大きなバルコニーがあった。
そこにはいつも少女が居た。彼女はバルコニーから見える風景を気に入って、毎回紅茶を啜っていた。
─彼女の名前は、アナスタシア。
この国の王女で、薄く黄色がかったミルク色の髪を腰まで伸ばし、シアン色を双眸に宿していた。
傍から見れば美しすぎて近付き難い…そんな印象を抱くが、彼女の柔らかな物言いやふんわりとした雰囲気で、見た目よりも…いや、見た目の美しさと相まって、とても可愛らしい印象を受けた。
そんな完璧とも言える容姿と性格で、皆から愛されていた。
晴れの日の昼過ぎにそこで紅茶と菓子を食べながら、豊かな自然と街を行き交う楽しそうな人々を眺めることが、彼女の毎日の日課であった。
外は寒いが、いつものんびりとした温かい雰囲気が国中に漂っていた。正しく、平穏という言葉が最も似合うだろう。誰もがこの平穏を愛し、いつまでも続いて欲しいと願っていた。
いや…それが当たり前であった故に、何か不幸なことが起こることすら想定していなかっただろう。
変わらない平穏の日々。誰もがいつまでも続くと思っていただろう。
しかし…残念なことに、その平穏はたった一晩で崩壊することになる。
〜〜〜〜〜
「キャァァァァァァ!!」
何処か遠くから聞こえる、誰かの叫び声。もうすぐ眠りに就けそうだったのに…。一体どうしたんだろう?
暖かいベッドから身を起こし、重く開ききらないまぶたを擦る。
またメイドの一人が虫を見たとかお化けを見たとかで騒いでいるのかな…。それにしてはなんだか…悲鳴が大きいしガヤガヤうるさいような…。
ベッドから下り、上手く回らない頭でそんなことを考えていると──
それまで静かだった部屋に、扉が乱暴に開かれる音が響く。扉の方を見ると、メイドが真剣な表情をしながら、ゼェハァと息を切らしていた。
「おう、じょ…さま……………はやく……逃げて…ください……。」
よく見るとそのメイドの頬には引っ掻き傷がついていて、服も血だらけだった。あまりにも突然過ぎて、頭が混乱してしまう。
「え、ど…どうして…?何があったの……?」
「人間に似た…わけも…分からないモノが…城に、侵入してきて……。皆、無残に…やられてしまいました…………。」
メイドは話しているうちにその惨劇を思い出してしまったのか、咄嗟に口を押さえる。
「とに…かく……。王女様だけ、でも…お逃げ」
バタン。
言葉を言い終わる前に倒れてしまったメイドの後ろには、息を荒くした何かが立っていた。逆光でよく見えないが、人間の形をしていて、メイドが流していた血と同じ…深紅を瞳に宿していた。
人間と同じような形をしているが、直感的に人間ではないと気付く。
それは私の存在を認識すると、のそりのそりと近づいてくる。
ヒタ…。
無意識に後ろへ下がっていたのか、手が冷たい壁に触れる。逃げ場は何処にもない。
「い、いや……。」
血で湿った足の裏が、ペタリペタリと床に血の足跡を作っていく。
後退りしようとしても後ろは壁。壊れた玩具のように、無意味に足だけが動く。傍から見れば大層滑稽なことだっただろう。
「助けて…。」
涎を床に垂らしながら、ゆっくりと近づいてくる。そいつが近づくたびに、自らの息が荒くなっていくのを感じる。
「う、うぅぅ……。」
あまりの恐怖に、涙が頬を伝う。私はここで、死ぬの………?
「ヒッ……。」
不気味な赤い目と目が合う。
その瞬間、呼吸の仕方を忘れて不格好な呼吸しかできなくなった。
そいつは握り潰しそうな程の力で、私の左腕を強引に掴み上へと引っ張る。そうして部屋の隅で固まっていた私は、僅かに地面から離れ、宙へと持ち上がった。あぁ、本当に恐ろしく、忌々しく、気持ちの悪いことに…。
そいつは私の首筋へと噛み付いてきた。そのまま肉を食いちぎらんとする勢いで、肉を咀嚼せんとする勢いで。
痛い、痛い、痛い。
噛み付かれたところから、血と涎が混じった液体が垂れてくる。このまま激痛を感じながら、首を食いちぎられて死ぬ……?
いやだ、そんなのいやだ……!まだ死にたくない…!!
首から血が抜けていくのを感じた。そうして激痛と不快感に苛まれながら、私は意識を失った。
〜〜〜〜〜
目覚めるとベッドの上で、首には包帯が巻かれていた。
怪物がいなくなっている代わりに一人のメイドがいて、温かく心地の良い手が私の右手をぎゅっと握ってくれていた。私に逃げろと忠告してくれたメイドだった。
「あぁ…目覚められたのですね……。ご無事で…本当に…本当に良かったです……………。」
メイドは一瞬驚愕と歓喜の混ざった表情を見せたかと思えば、突然大粒の涙を溢れ出させて、私の腕をぎゅっと抱きしめてきた。
良かった…生きていたんだ。深い深い安堵と同時に、妙なものが心と腹の底から湧いてくる。
「あれ……?王女様…目に血が滲んでますよ。目が赤いです…。」
え…?どうして……?
急いでベッドから出て、鏡に映る自分の姿を確認する。彼女の言う通り、私の瞳は赤に…けれども、ただの赤ではなく、あの怪物が宿していたのと同じ深紅色……に、染まっていた。それどころか、鋭い牙も生えている。あの怪物の特徴が、私にも現れているということなの……?
もっと近くで見ようと鏡に少し体重を掛ける。すると鏡が小さく軋むような音を立てて割れ、いくつかの細かな破片が足元に落ちた。少し強く、押しただけなのに。
「王女様………?」
振り向くと、彼女は困惑と不安の混じり合った表情をしていて、胸元でギュッと握りしめていた両手が少し震えていた。
それを見た瞬間、突然めまいと立ち眩みを覚え、バランスを保てずその場にへたり込んでしまう。
「大丈夫ですかっ!!!!?」
視界がぐるぐると回る。急いで駆け寄ってきた彼女の表情はよく見えないが、かなり焦っている声色だったので、きっと表情もそんな感じなのだろう。
落ち着いて、彼女の顔をよく見てみる。
そのとき、目覚めたときから感じていた…今までぼんやりとしていて、訳の分からなかった妙な感覚…。それが一気に押し寄せてきた。それと同時に、この感覚が一体何なのか。ようやく、鮮明に濃くはっきりと分かったような気がした。
「どうしたのですか…?なんだか、様子がおかしいですよ……?もしかして、倒れる前のことでも思い出してしまったのですか?」
今、私は…………………。
「涎が垂れてますよ…………?!しっかりしてください…!!!」
──喉が渇いているんだ。
〜〜〜〜〜
─気づけば私は、無心でメイドの血肉を貪っていた。
先程まで私を心配してくれていた彼女の瞳は、虚ろにただ一点だけを見つめていた。口元は緩んで、だらしなく開かれていた。あんなに温かかった手は、酷く冷たくなっていた。
もう、彼女が生きていた頃の輝きは失われてしまった。とても恐ろしいことだというのに、あまりにも美味しくて…美味しくて…。
あぁ…満たされるってこういうことなんだ。お腹いっぱい食べるってこういうことなんだ。
美味しい、美味しい。全ては欲望のままに、乾きと飢えを潤すために……。
いつの間にか、私よりも大きくて安心感のあったメイドの姿は無残にも…骨と服と、髪だけになっていた。
自らの立場と在るべき姿を忘れて貪る血肉は、あまりにも美味なものだった。私は、皆を愛し皆を幸せにしないといけない立場で、そう在るべきなのに………。
でも、でもこんなに満たされたのは、生まれて初めての感覚で……。
欲望のまま生きていきたい…。
でも、国の王女としての責任から逃げて、醜く人を喰らうだけの怪物になったら……、あまりにも恐ろしいことだ…。想像もしたくない。
でも、こんなに苦しい渇きと飢えを抱えながら、人を食うのを我慢して生きていくのも、あまりにも恐ろしいことだ。
そもそも、既に人を食ってしまったのだ。
一体どうすればここから明るい未来が待っているというのだろう?
これから先…人食いの王女として疎まれ、蔑まれるくらいなら。
王女としての地位も、名誉も、責任も。全て投げ捨てて、忘れて、一心不乱に血肉を貪り食う怪物として生きていく方が、幸せではないだろうか?
………だめだ、考えが纏まらない。
いつもの場所に出れば、少しでも頭がスッキリするんじゃないか。
そんな願望混じりの薄っぺらい希望を抱きながら、かつてお気に入りの場所だったバルコニーに出た。
木でできた、温かみのある手すりを掴む。
やっぱり考えは纏まらない。未だ欲望と理性がゴチャゴチャと混ざっている。
「あぁ…。今なら、前と同じようにここで景色を見ながら紅茶を啜っても…。なんの魅力も感じないでしょう。」
それまで妙に風もなく、なんの音もしなかった夜に強い風が吹き込み、同時に山々の間から煌びやかな朝日が差し込む。
夜明けが来たのだ。
遠くに見える山々の更に奥にある太陽を見つめる。
前までなら綺麗だとか美しいだとか言って感動していたけど。
怪物となってしまった今はなんの魅力も感じない。それどころか、忌々しさすら感じる。
ふと街を見てみると……
街の人達が沢山倒れていて、何人かはもぞもぞピクピク動いていた。まだ辛うじて生きていたみたいだけど…殆どの人間は体のあちこちが食い荒らされていて、とても生きているとは思えなかった。
「…堂々と騒ぎを起こして城に侵入して来たんならそりゃ、街もそうなってるでしょうね。」
はぁ、と小さなため息をつく。こんなの、選択肢はほぼほぼ無いようなものじゃないか。民が大量に惨殺されて居なくなった国の王女など、なんの価値があるのか。何の意味があるのか。
私は深呼吸をして、バルコニーから外へ飛び出した。
〜〜〜〜〜
─我が怪物として生きていくことを決めて、一体どれくらいの年月が経っただろう?
一体どれほどの人間を貪り食っただろう?
色んな人間を貪って、他の怪物と行動を共にしているうちに、わかったことがある。
どうやら我は吸血鬼という種族になったらしい。
吸血鬼になると身体能力が上昇する。
そして、人間の血肉を貪ることで理性と自我を保つことができ、吸血鬼に噛まれた人間は数時間後に眷属…もとい吸血鬼になってしまう。
まるで病が伝染するかのようだ。まぁ、吸血鬼になる前に全ての血肉を食らい尽くしてしまうので、吸血鬼が増えるケースはあまり多くは無いが。
あの忌々しい城を抜け出してからは、何にも縛られることなく、好き勝手に生きてきた。極上の、この上ない幸せであった……。
心の奥底から満ち満ちていて、溢れんばかりの幸せを噛み締めながら、人間共から奪い取った城で暮らし、毎日人間を襲って、腹が膨れるまで食べ尽くす。
─それ故、もう何百年もマトモな飢えと渇きは感じていなかった。
血肉で潤った、変わらない平穏の日々。飢えも渇きも感じることのない日々が、いつまでも続くと思っていた。
はぁ…本当に忌々しい………。
当然のことながら、なんの節制も我慢も無しに欲望のままに振る舞えば、小癪な人間共が討伐しに来る。
そうして驕り高ぶっていた我は、人間の力を侮っていた。個としての力はあまりにも弱く、どれだけ束になってこちらへ向かって来ようとも、哀れな血肉の塊になるだけだと…心の底から、本気で思っていた。
だが…人間にも、強者は居たのだ。
〜〜〜〜〜
静かな玉座の間。玉座には脚を組み頬杖をつきながら、ワイングラスを片手に堂々と構えるアナスタシアの姿があった。
突然、アナスタシアの眷属がかなり焦った様子で、乱暴に扉を開け放つ。
「あ、アナスタシア様……!に、人間が侵入してきました……!!」
「警備はどうした。我の眷属が揃いも揃ってやられてしまったのか?人間如きに?」
「………申し訳─」
その眷属はきまりが悪そうに口をもごもごとさせ、ようやく口を開いたかと思えば、一言すら言う間も与えられずにドサリと倒れてしまった。
「そうだ。お前の眷属は皆倒して来た。」
倒れた眷属の真後ろに立っていたのは、淡い黄緑色の髪をした、双眸に別々の色彩を宿した青年だった。
コツ、コツと静かな部屋に青年の足音が響く。
「おい、我が城に入り込んだネズミ。貴様は何者だ?」
アナスタシアは侵入してきた人間には一瞥もくれず。ワイングラスを少し揺らし、中の赤い液体がワイングラスの中で揺らぎ回る様を見つめている。
「………。」
青年は何も答えない。その代わりに、玉座へと歩を進めている。
「おい、何者かと聞いているだろう。」
アナスタシアが青年を見つめる。
青年は素っ気なく服の裾の埃を払いながらも、一歩一歩玉座に近付いている。
「…お前に教える義理はない。これから死ぬ奴に名前を教えたって、何の意味もないでしょ。」
青年がようやくアナスタシアの顔を見つめ、随分と冷たく興味の無さそうな声色で言い放った。
アナスタシアの深紅の目と、青年のオッドアイの目。二つの目と目がようやく合う。
「…ハッ、我の眷属達を皆倒してここまで来たことは評価してやろう。人間にしては中々の手練れのようだな?だが……」
アナスタシアはキィと目を細め、ワイングラスの液体を一滴残らず飲み干す。
「…我を侮ったことは、全くもって愚かとしか言いようがないな。
我を侮り馬鹿にしてきた奴らは皆、我の血肉の一部になった。
その何処から湧き出てくるのか分からない自信は、我が叩き潰してやろう。」
「ふぅん、奇遇だ。
私を侮って馬鹿にしてきた者達も皆、私の目の前にある血肉の塊になった。」
青年は薄っすらと笑みを浮かべながら啖呵を切った。
「…ほう?それは期待しても良いということか?久し振りに愉しい戦いができそうだ。」
アナスタシアの口角も自然とつり上がる。
アナスタシアが玉座から立ち上がった瞬間、空っぽになった筈のワイングラスから、赤い液体がゴポゴポと湧き出てくる。
それを見た青年も、鞘に収められた剣を抜き取る。
──戦いはお互いが武器を取った瞬間から始まるものだとばかり思っていたが、そうではないらしい。
暫くの間、両者とも眉1つ動かさず、一言も発さず…只々見つめ合うだけだった。
張り詰めた緊張による静寂が、部屋全体を支配して何秒経っただろう。もしかすると、分単位かもしれない。それくらい長い…けれども短い時間だった。
──突然……いや、必然と形容すべきだろうか?少しずつ湧き出てきていた液体がワイングラスから溢れ出て、床へべシャリ、という少し重そうな音を立てて落ちた。
そしてそれが、戦いの合図となった。
先に攻撃を仕掛けたのは青年の方だった。慣れきった手つきで太ももに取り付けていたホルスターから短剣を一本抜き取り、ワイングラス目掛けて正確に投げつけた。
アナスタシアはその攻撃に少しも動じず、何一つ動かなかった。
避けていれば無事だったはずのワイングラスは、派手な音を立てて見事に割れてしまった。
だが、されるがままのアナスタシアではない。割れたワイングラスから溢れ出た液体は瞬時に剣の形へと変形し、アナスタシアの手に納まった。
青年が持っている剣と、殆ど同じ形だった。
青年は一言も発さず、アナスタシアが武器を作り終えると同時に、間合いを詰めてようやく斬り掛かった。まるでハンデを与えてやった、というかのように。
青年の突発的で早く、そして重い攻撃をアナスタシアはすかさず先程作った剣で対抗する。
青年は後ろに少し跳んで、距離をとった。
そしてまた突然間合いを詰めてきて、早くて重い斬撃がアナスタシアに襲い掛かる。
アナスタシアは先程と同じように、剣で対抗する。
そんな単調な攻防が、何回…いや何十回と続いた。
「──威勢が良かった割には攻撃が単調でつまらないな。虚勢を張っていたということか?」
アナスタシアは鼻で笑いながら、青年を小馬鹿にする。
青年ははぁ、と小さく息を吐き─
「…流石は人外と言ったところだ、タフだな。そこら辺の雑魚なら、これを繰り返すだけで簡単に息が上がっていたけど。」
言い終わった瞬間に、また違う構えで突進してきた。
「ッ…!」
何か重いものが剣にぶつかってきたと認識すると、そこには青年が居て、火花が飛び散る激しい剣と剣のぶつかり合いが起こっていた。
先程とは比べ物にならない程に重い。それに、認識できないほどの速さだった。もし剣で防いでいなければ、どうなっていたのだろうか。
このあまりにも重たく人間離れしている攻撃には、流石のアナスタシアも眉を顰める。
先程までの力で押し合いをしていたのなら、そこまで苦戦することなく押し勝てたであろう。
だが……。
「人外と言えど、小さな体ならその程度の力しか出せないか。」
先程とは打って変わって、何か細工をしているのかと疑ってしまうほどの大きな力。ただでさえ押し負けてしまいそうなのに、それに加えて更に力が上乗せされたのだから、流石のアナスタシアも打ち勝つことができなかった。
力の押し合いで負けてしまったアナスタシアは、数m程吹き飛び、思い切り壁に打ち付けられた。
「ガッ…。」
衝撃で剣は手から離れ、再び只の血へと戻ってしまった。作り直そうとするも、多くの血は絨毯に染み込んで取り出せない。
「忌々しい……。」
武器を作れないので仕方なく、素手で戦う為に残った少量の血で真っ赤で鋭利な爪を生やした。
青年はゆっくりと近づいてくる。
それを見たアナスタシアは、前のめりになり爪を立てながら青年の方へ飛びかかる。
今まで防戦一方だったアナスタシアは、自ら攻撃することにしたようだ。
青年は剣一本で対処するのは厳しいと判断したのか、腰に着けていた鞘も手に取り、胸元の前で剣と鞘を斜めに交差させ防御する。
アナスタシアは両手で鞘と剣を片方ずつ、両手で掴む。剣を掴んだ手が切れて血が流れていくのも厭わずに。
「その怪力で剣と鞘を折る気?」
青年はフン、と鼻で笑う。
しかし………。
多大なる信頼とは裏腹に、剣と鞘はバリンと音を立てて折れ、カランと虚しく地面に転がった。
「──なっ…!?」
アナスタシアはニィと笑い、動揺して少しの隙が生まれた青年の首目掛けて爪を突き刺そうと勢いよく腕を伸ばす。
が、すんでのところで防がれてしまった。
無様な姿となってしまった折れた剣で。折れてしまっても、武器としての役目は果たせない訳ではないようだ。
まぁ、本来の機能は殆ど失われてしまっているが。
そうなってしまってはロクに攻めることもできず、絶えず心臓や首といった、急所ばかりを狙ってくるアナスタシアを防ぐばかりになってしまった。
─折れた剣で戦う青年と、血で長く鋭くしただけの爪で半分獣の様な戦い方をするアナスタシアの、両者共にあまりに滑稽で無様な戦い。一言で言えば滑稽な死闘。それは、長く続いた。状況は殆ど変わることがなく、両者共にただただ無駄に時間と気力を消耗するだけだった。
〜〜〜〜〜
──時間が経つ度に、両方の身体中に少しずつ傷が増えていく。
外の景色が見えない為どれほどの時間が経ったかは全く分からないが、軽く…丸一日は経っていそうな気がした。
吸血鬼である故タフなアナスタシアも、丸一日戦い続ければ流石に息が上がってくる。
人間、丸一日も飲まず食わず、不眠な上ずっと戦い続けているともなればいつ倒れてもおかしくないような気がするが、青年は意外にも…いや、驚くべきことに少し息が上がっているだけなのだ。
「…はぁ…そろそろ…決着を……付けたいんだよね…。万が一の為に、これは使いたくなかったけど……。」
何を思ったか、とうとう疲れで頭がおかしくなってしまったのか、青年は良くわからないことを言いながら剣と鞘、そして上着を投げ捨て、素手になった。
「……今更…体術で…立ち向かおうと、言うのか?とうとう、おかしく…なったか。」
アナスタシアがハッ、と鼻で笑うと──先程とは比べ物にならない程のスピードで、アナスタシアの顔面目掛けて殴りかかってきた。
「……!!」
咄嗟の判断で両手をグッと握り、頭の前で交差させ受け止めようとしたものの、受け止めきれず、かなりの速度で吹き飛んでしまった。
アナスタシアは全身に強い衝撃を受けてしまったせいか、そのまま気を失ってしまった。
〜〜〜〜〜
──人外が気を失ったのを確認すると、思わずほっ、と安堵の息が漏れた。
投げ捨てられたままにされていた折れた剣を拾い、そのまま人外に近付いた。
そして、折れた剣の一番鋭い部分を人外の心臓目掛けて勢いよく刺した。
今までと同じ、肉を突き刺す感覚だったが、今までよりも硬い感じがした。
引き抜くとこちらまで血で汚れてしまいそうなほど勢いよく血が噴き出した。
人外であるならば、恐らくこれだけで死に至ることはないだろう。
人外は人間と違って、無駄に頑丈だから。
仕留めるのに一番手っ取り早い方法は何かと考えたとき、最初に思いついたのは頭と胴を離れ離れにすることだった。しかし、折れてしまった剣ではそれは叶わないだろう。
─実際に試してみても矢張り、無意味であった。プツリとほんの少し血が垂れ流れるだけ。
代わりに何度も何度も、身体中が穴だらけで血に染まるまで何度も刺し続けた。
四肢や胴を切断してみようと試みたこともあった。
しかし、生命を途絶えさせた感覚は未だない。
一体、どうしたら良いのだろう?
何度も突き刺したから再生して起きるまでに時間があるだろう。だが、このまま人外が起きてしまえば、きっとまた長い長い戦いがまた始まる。
焦燥がじわじわと身体全体を蝕んでいく感覚がした。
─平静を保とうと、ゆっくりと息を吸い、吐き出す。それを何度か繰り返していると、一つ。思い出したことがあった。
〜〜〜〜〜
────朦朧とする意識の中、何かの音が頭に入ってくる。ふと、瞼を上げてみた。すると何かに横たわっていて、誰かが側に居る。
どうやら、中途半端に蓋が開けられた棺桶に横たわっている様だ。
「──もう起きたんだ。でも、ちょっと遅かったね。もう手遅れだ。」
青年が口角をニッ、と上げる。
その瞬間、今までぼんやりとしていた意識が一気に覚醒する。
「待て…!!貴様────」
閉めさせまいと急いで手を伸ばしたが──
─棺桶の蓋はガタンと音を立てて、目の前は全て暗闇になった。
伸ばした手は外に出ることは無く、棺の蓋に勢い良くぶつかるだけだった。
「ッ……小癪な……!こんなもの……!!」
ありったけの力を拳に込め、棺桶の蓋を殴る。蓋はガタンという音を立てた。
ただ、それだけだった。
音を立てるだけで蓋は全く開く素振りを見せない。
もう一度殴ってみても、結果は変わらない。が、棺桶の上に何か重たいものがのしかかっているような感覚がした。
「ふぅ…。その様子を見るに、どうやら成功したみたいだね。」
あの青年が棺桶に腰掛けて居るのだろうか。
……忌々しい、この我を嘲笑いたいのか?
しかし、そんな事よりも…何故この者が─
「何故侵入者である私が棺桶の位置を知っていて、貴方を封印しているか。きっとそんな疑問が頭に浮かんでいるだろうね。
まぁ、私は疑問を疑問であるまま放っておくなんて意地悪なことはしないよ。何十年も分からない答えを探して考え続けるのは苦しいだろうからね。
ま、私なりの情けか何かだと思っていてくれよ。」
……情けをかけられている?この我が?
そう認識した瞬間、身体が屈辱感と忌々しさで再構成されていくような、とにかく、惨めな気分だった。
「…………チッ…。」
直接この女を殴ることのできない、屈辱的で、忌々しくて、惨めで、どうすることもできない状況……。
「おぉっと、あんまり怒らないでよ。どれだけ棺桶を殴ろうと、体力を消耗するだけだよ。急かさなくとも、ちゃんと説明してあげるからさ。」
〜〜〜〜〜
「─私はね、館を取り返してこいって言われたんだ。元々この館に住んでいた人々に。
だから─」
「─はぁ?ふざけるな、今更何を…!我は何十年も此処を根城として─」
「だからね、館を取り返す為に、と情報をくれたんだ。館の間取り、どんな奴らが住み着いているのか、奴らの対処法…。
そして……倒せなかった時の為の、封印方法と、道具の位置。」
「彼奴等、大人しく逃げていったかと思えばそんなものを──」
「できれば倒して、永遠の眠りに就かせてやりたい…と、思っていたんだけど。
思ったより強かったね。あ、無駄にしぶといだけか。」
「なんだと貴様……!!!我を侮辱しおって…!!!」
「まぁ、永い永い眠りにはなるだろうね?
…じゃあ、おやすみ。
何十年、いや…何百年と外の空気を浴びれないことを願ってるよ。じゃあね。」
青年はそう言い終わると、棺桶を思いっ切り殴った。
棺桶はガタガタ、ギシギシ、グワングワンと大袈裟にグラつき始めた。
始めは我にトドメを刺せなかったことに対する苛つきや悔しさ…そのようなものから来る幼稚な、癇癪のようなものだと思っていた。
だが……。
棺桶のグラつきが収まり始めると、どういうわけか段々と意識が遠のいて行くのを感じた。
意識が途切れる瞬間、青年がフッ、と小さく鼻で笑ったような声が聞こえた気がした。
〜〜〜〜〜
──目覚めると当然、視界は暗闇だった。
あるだけの力を込めて蓋を殴ってみると、ガタンという音がする。
どうせ、その程度ではヒビすら入らない程頑丈な癖に。ほら殴れ、開くかもしれないぞと無駄な期待を煽って来るような、無駄な抵抗をする我を嘲笑っているような…。
我の目の前に在るのは、棺桶…それ以上でもそれ以下でも無い。それ以外のものは無い筈なのに、まるで周りに沢山の人間が居て、我を嘲笑しているように感じる。
棺桶が、我を馬鹿にしているのか?
………不味い。
考えれば考える程、頭がおかしくなりそうだ。この棺桶の中に居れば、不安を煽られて頭がおかしくなってしまうのだろうか?
だとするならば、早急に、こんな忌々しい、窮屈で気分の悪い所から出なければ。
…いや、そうでなくとも出なければなるまい。
両方の拳に力を込め、何度も棺桶の蓋に拳を叩きつける。
それを何度も、何度も、何度も…
背中に汗が滲むまで続けた。
…しかし、残ったのは自らの息切れする声と静寂のみ。
いいや、一つ付け足すとするならば…、無駄な足掻きだったという事実、だろうか。
「忌々しい……。人間ごとき……あのクソアマが………!」
これまで、我がした行動は全て、何かしら結果が返ってきた。
だが…今は、どんな行動を起こしたとしても結果は変わらない。
なんの行動を起こさなかったとしても、変わらない。
全てが無意味ということだ。
「…………忌々しい、忌々しい、忌々しい…!」
どれだけ腹を立てて、力を込めて、殴っても。
「…殺す…殺す、殺してやる…………!」
状況は驚くほど変わらなかった。
〜〜〜〜〜
──棺桶の蓋を殴り続けることを止めて、何時間…いや、何日経っただろうか。
陽の光は好きではないが、こうも暗闇ばかりを見つめていると忌々しいあの陽さえも浴びたくなってくるほどだ。
──こうも無気力に、何もせずに過ごしていると、まるで本当に死人になったかのような気分になる。
…………………。
──あぁ…そろそろ、腹が減ってきたな。
いや、だめだ、考えてはならない、それだけは、それだけは考えてはいけない…!!
あぁもっと、別のことを考えようか?
……だめだ、だめだ、だめだ……。一瞬、考えただけで、頭の中の全てがそれで埋め尽くされてしまう。他のことなど全く考えられない…。
──飢えと渇き。それは吸血鬼が吸血鬼である理由であり、吸血鬼にとっての存在意義であり、吸血鬼が最も苦しめられるもの。
毎日のように人を襲い、貪り食っていた故…。長らくそれを感じていなかった。
…いいや。我は未だに、本当の飢えと渇きというものを味わったことが無い。
ずっと、満足感と潤いで満たされてきた。
しかし…今、本当の飢えと渇きというものが襲ってこようとしている。
それは時間の問題だ。恐らく、逃れられることは無いだろう。逃れられる術も無いだろう。
それ故………。
じわじわと迫りくる飢えと渇きに耐えて、耐えて、耐えて…耐えなければならないのだ。また満足感と潤いで満たすためには、それに耐えて、心を保たなれければならない。
飢えと渇きの苦痛………。それに壊されないように、自らを、保たなければ…………。
これから迫りくるであろう苦痛に身を震わせる。開いていても閉じていても景色が変わらない視界をギュッと閉じ、歯を食いしばった。飢えと渇きとはそういう風にして耐えるものでは無いとは分かっていたが、そうすることで心を少しでも強く保てると思った。
〜〜〜〜〜
───あぁ、苦しい、苦しい……。
早く、ここから出たい。出せ、出して、出してくれ。
何度この無駄に頑丈な体を呪っただろうか。
何度この無駄に頑丈な心を呪っただろうか。もし人間のように脆弱で、たった数日で壊れて、死ねる身体だったのなら。
この永い永い苦痛も、味わわずに済んだのではないだろうか……。
いいや、これも全てあのクソアマのせいだ。
絶え間なく、爪で目の前の木の板を引っ掻き続ける。無心で。爪が擦り減り、肉が抉れても、絶え間なく。痛みなんかはちっとも感じなかった。それよりも苦しいものが喉を絞め付けてくるから。
腹が減って死にそうだ、喉が渇いて死にそうだ……。骨と皮だけになって、干からびて、死んでしまいそうだ…。何の血でも良い、一滴だけでも良い……。だから、血を、血を………。あぁ…………。
──あ。
抉れた指先から滲み出た血が、舌先に触れた瞬間、静かに広がっていった。
刹那、頭頂部から爪先にまで広がる悦び。
口内にオアシスが生まれたような、舌から喉から、腹の底まで行き渡るような…。
ただの偶然か…、神が哀れんで、切実な小さな願いくらいは叶えてやってもいい、という情けをかけてくれたのか…。
兎にも角にも、初めて味わった自らの血の味。あまりにも飢えていたせいか、それは今まで味わったどんなものよりも美味だった。
あぁ、もっと食べたい、もっと沢山食べたい。血を一滴残さず、肉を一欠片も残さず…。あぁ、美味しい、美味しい、美味しい。
───気づけば、自らの手首から上は消えて、代わりに飢えと渇きは、物事を少し考えられる程度には収まっていた。
〜〜〜〜〜
──肉が再生するたび、腹を空かせた獣のように齧り付き、しゃぶり尽くす。
尊厳など、威厳など無くたって良い。無くなったっていい。
これが唯一、自らの腹を満たせるものである故に…零してしまってはならないのだ。
肉を喰らい、喰らい、喰らって、喰らって、喰らい尽くして。
血を飲み、飲み、飲んで、飲んで、飲み干して。
満たして、飢えて、渇いて、満たして、飢えて、渇いて、満たして、飢えて、飢えて、渇いて、満たして、飢えて、飢えて、渇いて、渇いて、満たして、飢えて、飢えて、飢えて、渇いて、渇いて、渇いて、満たして……………
飢えて、渇いて。
〜〜〜〜〜
────どれだけ永い間、耐え忍んでいただろうか。それは突然起こった。
何十年、百何十年と浴びていなかった、念願の、外の、光。
それは目を潰さんとするほどに輝かしく、全身を突き刺さんとするほどに降り注いで来た。とてもとても、温かいものだった。正に救いと言えるだろう。
棺桶の蓋は、開いたのだ。
ようやく、ようやく。自らの血肉を貪る苦痛の日々はようやく終わりを告げた。
口が裂けんとする程の笑みを浮かべ、呟いた。
「全ては収まらぬ渇きを潤すため、全ては収まらぬ憤怒を発散するため……。
全部、全部、喰らい尽くしてやろうじゃないか。」