第6話
浴室でのビデオ通話から二日が経った、木曜日の放課後。
文芸部の部室――。
「司沙ぁぁ……」
「大丈夫だって」
ノートパソコン越しに見える、机にうなだれた夏樹を司沙は苦笑いしながら宥める。
「でもっっ!!」
夏樹は唐突に立ち上がり、机に手を付き前のめりになって――。
「さすがに遅くないっ?」
司沙がモニターの右下を見ると、16時43分を表示していた。
放課後を告げるチャイムから30分。
夏樹が不安になるのも仕方ないか――。
「でも、来るって連絡来てたんでしょ」
「来てたよ。来てたけど……」
「あれだよ、あれ。図書室行ってるとか!」
「ぇ……」
だんだんと夏樹の表情が曇っていく。
――あ、間違えた。
図書室にいるとしたら、約束を放棄してるってことじゃないか――。
気づいた司沙が言い訳するときにはもう、夏樹は意気消沈していた。
/ / /
一方、その頃の伊吹はというと……。
「やばい。遅くなった――」
そう呟きながら、教室を出たところだった。
伊吹はすぐに行くつもりだったのだが、テニス部の緊急ミーティングが15分ほどあって、予定が狂ってしまったのだ。
一応夏樹に送っておいた『ミーティングで少し遅れる』というメッセージに、まだ既読が付いていないことを不安に思いながらも、足早で昨日夏樹に聞いた部室の場所――北棟三階の東側一番奥へと歩いていく。
「いぶきっ」
伊吹が階段を降りていると、上の方から声が聞こえてきた。
振り返ると、そこにいたのは伊吹の親友――菟田葵だった。
「一緒に帰ろ!」
葵が階段を駆け降りてくる。
葵は伊吹と同じテニス部で、二年連続クラスが一緒という縁。
そして何より、入学当初から伊吹と積極的に関わって、一年をかけて親友ポジションまで到達した。
葵曰く、伊吹は真面目で自分に自信があまりなくて、難攻不落だったらしい。
伊吹も、彼女のお陰で学校生活を充実できていると、葵の存在をありがたがっている。
そんな葵の一緒に帰ろうというお誘い。
いつも部活終わりは二人で帰っているし、今日用事がなければ喜んで受け入れたのだが、伊吹は――。
「ごめん、今日はすることがあって……」
「あー、そっか。せっかくの部活オフだけど、忙しいなら仕方ないよ」
「うん。ありがと」
「ちなみに、なにするの?」
「文芸部に、……友達がいるから、そこにお邪魔する」
「へぇ……。良かったじゃんっ!」
葵の顔が一瞬引き攣ったことに、これからに夢中な伊吹は気づかなかった。
「じゃあね、また明日……!」
「元気でね」
ここか……――。
葵との一幕もありつつ、伊吹は『文芸部』と描かれたプレートが掛かっている部屋の前へとやってきた。
コンコン――。
ドアを軽く叩くと「どうぞ中へ」と内側から聞こえた。
伊吹がドアを開けると、机に突っ伏しながら顔だけ上げる夏樹が、驚いた表情でこちらを見つめている。
その隣にいる司沙は、夏樹の背中に手を当てていた。
「伊吹さんですよね!」
司沙は、予想していなかった光景に棒立ちする伊吹に近づいて目をキラキラさせる。
「あぁ、うん――」
「あの、有名な、噂の、伊吹さん!」
「……」
感動する司沙を見て、私は何かのアイドルか女優なのか、と困惑する伊吹。
しかも両手を両手で掴まれて、疑問符を浮かべるしかない。
「……って、去年同じクラスだった伊吹さん?」
「そうだけど――」
「ごめんっ! 私、夏樹にずっと伊吹さんは男子だって言われ続けてたから、存在が一致してなくて……」
「あー……、なるほど……」
「――まぁ。とりあえず、そこの席に座ってくださいっ」
と、司沙は夏樹の隣にあるイスを指差して言う。
司沙の視界には、頰を少し膨らませて焦ったそうにする夏樹が見えた。
その表情は司沙のいじわるな心を刺激してしまった。
「夏樹、嫉妬してたの?」
「いや、してない」
「本当?」
「司沙が伊吹と話してるの聞いて、嫉妬なんてしてないっ」
絶対してたじゃん――。
斜め上に目線を逸らして吐いた見え透いた噓に、司沙が微笑する。
そしてなにより、教室でも部室でも私と二人のときには見せなかった顔と声によって、夏樹が恋路の真っ只中なんだと実感させられた。
「伊吹さん。そうらしいけど?」
夏樹と話していると私まで恥ずかしくなる――と、夏樹のすぐ隣に座る伊吹に話しかけた。
「夏樹が嫉妬してくれてたら、私はすごく嬉しいな……」
斜め下に目線を逸らして照れながら、伊吹が細々と呟く。
なんなの、この二人――!
昨日夏樹から聞いた話では、お風呂で通話したりしたらしいが、面と向かって話すとこうなってしまうのか。
初々しいカップルかよ――。
アオハルかよ――。
てか、付き合ってないんかよ――。
関西の血を受け継いだツッコミが、司沙の頭の中を巡る。
よし、こうなったら徹底的に二人をくっ付けてやる!――と司沙は決心した。
半年前ぐらいに見つけたアレがあったな。
よし、それをしよう――!
が、今すぐにすると私まで羞恥心に駆られる気がするから、とりあえず――。
「伊吹さん、なにか本読む? 好きなの取って良いからね」
「それなら……」
伊吹は一面の本棚から、良さそうな本を探していく。
本棚には漫画からラノベ、純文学まで取り揃えている。
部活の先人たちの献本や図書室の余りもので、こんなに沢山になったという。
「これにします」
「おー、真面目だねぇ」
伊吹がミステリーの純文学を手に持って、自席に座り読み始めた。
ちなみに夏樹は昔に流行ったという文芸小説を読んでいる。
いつもの漫画でないのは、少し真面目になりたいからだろう。
ページをめくり紙が擦れる音とキーボードの打鍵音のみの空間が30分ほど続いたとき――。
「あの、ずっと気になってて……」
という伊吹の声で静寂は切り裂かれた。
「……霜崎さんはパソコンで何してるんです?」
「あぁ、そっか。伊吹さんに言ってなかったよね」
司沙はノートパソコンを180度回して、伊吹と夏樹の方へと向けた。
「私、小説書いてるの」
「ぇ……すごっ!」
伊吹が感嘆を漏らして得意げになる司沙を見て、夏樹は言った。
「司沙はね、小説家目指してて、コンテストとかに応募してるんだ」
「まぁ、受賞なんかはできないんだけどね――」
「それでも充分すごいって……」
「うんうんっ」
なぜか夏樹まで得意げになってしまった。
「夏樹はそういうのしないの?」
「ぁー、わたしは読むの専門だから……、司沙の小説の推敲するぐらいだよ」
「そっか。司沙さんのは勿論読んでみたいけど、でも夏樹の書く小説も読んでみたいな」
「んー、考えとく……」
そろそろ良い頃合いかな――。
司沙はくっ付け大作戦を実行することに決めた。
「そうだ!」
司沙の言葉に二人が注目する。
「そろそろゲームでもしない?」
「ゲーム?」
「そう。実は良いのが部室に眠ってたんだよねー」
部室の一番奥の物置きと化したスペースから、司沙は例のものを取り出して二人に見せた。
「これって」「それって」
「そう、ツウィスターゲーム!」