パーフェクト・デイズ①
はぁっ、はぁっ、はぁー。はぁっ、はぁっ、はぁー。
律動的な息遣いが前からも後ろからも聞こえる。時々何やら悪態をつく声がするが、三年の田崎先輩だろう。無理もない。今は二月。いくら滋賀県といえど寒い。そんな中一年がふざけてスマホを使ってるのがばれてサッカー部全体で罰走なんて先輩が許せるはずもない。青い顔して走ってる一年の背中を見てそう思った。でも。しゃーないよなぁ。そんなつぶやきが自分の口からもれた。練習に身が入らないのは自分も同じだった。こうして走っている間も、意識は今年の春にとんでいた。
四月。二年になった。自分でいうのもあれだが、いわゆる学年の「一軍」である俺にとっては季節が変わろうが関係ない。いつも春。ぽっかぽかの日差しが差し込む春なのだ。友達たくさん。彼女もいる。入っているサッカー部では背番号10でワントップ。勉強は下から数えた方が早いけど、そこはご愛嬌。クラスの奴らにウケてるからオッケー。素晴らしい。自分の才能が怖すぎて震える。…と言ってきたが実は一つ怖いものがある。新しく部活に入ってきた森とかいう奴だ。あの怒ってばっかで下手糞な田崎先輩が、一度森のキックを見ただけでほーっとため息をもらす上手さだ。悔しいが、あの先輩、毎日海外サッカーを見てるだけあって見る目は確かだ。ただ遠くに飛ぶだけじゃ田崎先輩は偉そうに鼻で笑うだけだ。自分もそのタイプなのに。確かに一度見たが、別格。引かれた線の上をまっすぐに進むような、力強く美しい縦回転のスピンがきいたボール。それをいとも簡単に蹴ってくる。うーん…怪物。こんな底辺校には似合わない逸材。くそっと思わず声が出る。俺の学校生活を汚す奴は排除する。この廣村征斗のプライドが許さん。つってもどうすっかな…。やっぱ実力を見せつけるしかないという結論に至るまでそう時間はかからなかった。ある日の練習中、森に話しかけた。
「おい」
「…何すか」
森の声はいつも消え入るような声だ。あの蹴られるボールとはまるで違う。このギャップがまた癪に障る。
「俺と1on1してくんね?」
「…嫌っす」
「は?何?先輩に逆らうの?ちょっと付き合えっていってんの」
「…そこまでいうなら」
ったく。一回でやるって言えばいいのに。全く生意気な奴だ。
じゃんけんにより、俺がオフェンス、森がディフェンスに決まった。確か森が希望しているポジションはトップ下。いわゆる攻撃型ミッドフィルダーだ。同級生の羽田に審判をしてもらい、いざスタート。さっそく森がプレスしてきた。ちょうど手を伸ばして当たるか当たらないかくらいの絶妙な距離。理想的なプレスだ。さてどう崩すか。いかにして森の心をへし折るか…。しかし、一瞬の躊躇が命取りになった。気づいたときにはぐんと距離を縮めていた。やべっと思ったが遅かった。あっという間にボールを奪われた。くそっ。さすがミッドフィルダー。守備もなかなか上手い。
「…ではこれで」
森がさっさと去ろうとしていた。
「待った待った」
「…何すか。勝ったじゃないすか」
森の眉間に若干しわが寄っている。
「まだオフェンスとディフェンス逆にしてやってないっしょ」
まだ何か言いたげだったが、視線で黙らせ第二ゲームスタートだ。さてオフェンスはどうか…。森は脚を大きく振り上げている…。ん?なんで脚をもう振り上げているんだ?ダイレクトだ。そう気づいたときにはもう遅かった。あの鋭いボールが耳をかすめていた。ヒュン、パサ。そんな音とともにボールがネットを突き破っていた。勝てない。そう感じたときには、視界がぐにゃりと歪み、森はすでに背中を向けて歩き去っていた。その背中を膝立ちで見送ることができない自分は、ぐちゃぐちゃした感情に飲み込まれていた。
「おい、大丈夫か?」
無神経にも羽田が駆け寄ってきた。そしてハンカチを差し出してきた。
「…んだよ。別にどっか痛いからしゃがんでんじゃねーよ。」
「いや…唇。血ぃでてんぞ。」
え?と思いハンカチをひったくるようにつかみ唇にあてた。白いハンカチに赤い血がにじんでいた。
「うわ!歯にもすげー血ぃついてるぞ。口ん中切れたか?」
唇を必要以上に嚙み締めていたなんて、かっこ悪くて言えなかった。
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