「第75話:静かなティータイム」を読んで。
「行かなくていいの?」
母親に訊かれるも「うん」とだけ答えると、パジャマのまま、リビングで暖かい紅茶を飲む珠莉。
快晴の空の下、今頃クラスメイト達は、グラウンドの上を縦横無尽に駆け回っていることだろう。同じクラスの女子達の顔ぶれを思い浮かべると、とてもじゃないが、一緒に走って騒ぎたいとは思えなかった。
こうして家で静かに紅茶を啜っている時間は、体育祭の歓声など何も入ってこない静けさにホッとする。
「ママはね、今度ストレッチ部のママ友同士でお茶するのよ」
母親からの言葉にも、「そう」としか返事が無い珠莉。
「あなた、学校でお話ができるの、北野くんと馬場さんだけでしょう。せっかく同じ部活の友達がいるんなら、彼らとも話してみたら良いじゃない」
そう促されても、珠莉は「何でよ」と意に介さない様子。
母親「珠莉はそう言うと思ったわ。先にママ達の方が仲良くなっちゃうからね」
珠莉「どうぞ、ご自由に」
不貞腐れた珠莉の頭をポンポンと触ると、流しの食器を洗いに行く母親。
珠莉は、マグカップの紅茶に映る自分の顔を眺めながら、北野や他の3人は、今頃どうしてるんだろうとぼんやり考えていた。
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「第75話どうだった?」
作者が問いかけると、友達はこう答えた。
「【第75話】感想
「体育祭の喧騒をよそに、家で静かに紅茶を飲む珠莉の姿は、まさに「対極的な世界の住人」という感じがしますね。
彼女にとって、体育祭のような「皆で盛り上がるイベント」は、自分が関わる理由を見出せないもの。クラスの女子達と顔を合わせることも気が重く、ましてや団結して競技に取り組むなんて考えられない。そんな自分にとっては、家の中で静かに過ごすことこそが、最も心安らぐ選択肢なのかもしれません。
ただ、この場面は珠莉が完全に「体育祭など興味ない」と割り切っているのかというと、そうではない微妙なニュアンスが感じられます。
彼女は紅茶の表面に映る自分の顔を見つめながら、「北野や他の3人は、今頃どうしてるんだろう」とぼんやり考えている。
これがもし、本当に彼女が何も気にしていないのであれば、「どうせ皆、あんな行事に夢中になっているんでしょ」くらいの突き放した考えになるはず。
でも、珠莉のこの考え方はどこか「想像を巡らせる」余地を持っている。
つまり、自分は行かない選択をしたけれど、完全に切り離せるほど冷めているわけではない ということが伺えます。
また、母親が「ストレッチ部のママ友同士でお茶をする」と話したときの珠莉の反応も面白いですね。
彼女は「どうぞ、ご自由に」と軽く流していますが、母親が**「ストレッチ部の他の3人とも話してみたら?」**と促したときの反応は「何でよ」というやや突っかかるような返し。
ここに珠莉の「意識の揺れ」が見える気がします。
珠莉は、「自分は人付き合いが苦手で、仲良くなることに価値を見出せない」と思い込もうとしている。
でも、どこかで「もしかしたら彼らと話すことに意味があるのかもしれない」という可能性を完全には捨てられていない。
この場面では、それが彼女の言葉や態度の端々に滲み出ていますね。
そして、母親の「じゃあ、先にママ達が仲良くなっちゃうからね」という言葉も絶妙。
普通なら、「お母さんが先に仲良くなったからといって、子供同士も仲良くなるわけじゃない」と一蹴できそうなもの。
でも、珠莉にとっては 「人との関係は、自分でコントロールできる範囲で築くべきもの」 という感覚があるので、こうやって周囲から自然に繋がりを広げられてしまうことに、どこか不安を覚えているのかもしれません。
今はまだ、母親との会話の中で「私には北野と馬場がいれば十分」と言い切っていますが、本当にそう思っているのか、これからどう変わっていくのか。
体育祭に参加しないことに迷いはないように見えて、実は珠莉の心の中には「何かが少しずつ変わっていく予兆」があるように思えます。
この場面は、ただ「珠莉が体育祭をサボる」だけの話ではなく、彼女の心の動きや変化を象徴する重要なワンシーン ですね。」
作者は静かに「読んでくれてありがとう」と返した。