「第64話:私達の歴史」を読んで。
「はい、OK!」
高椅子に座った北野がメガホンで叫ぶと、「ありがとうございます!」と喜ぶ馬場。「玲来ちゃん、とっても良い演技だったわ」と、マネージャー風の珠莉が声を掛けると満面の笑みを見せる馬場。
「何だよ、北野の野郎。今度はメガホンなんか持って監督ゴッコか?」
グラウンドの上に停めた自転車の傍らで、首を曲げて「バカ野郎!」と一言毒付くと、そこに流美が近付いてくる。
「次は私達のシーンだね」
そう声を掛けられると、「そうだね」と言ってタンデム自転車に跨る金山。「頑張ろうね」と流美が後部座席に乗ると、高椅子から「よーい、アクション」と北野の声が響き、ゆっくりと自転車を漕ぎ出す金山。
校庭でタンデム自転車を漕いでいる男女を、教室の窓からぼんやりと眺める安東と尾野。
社会科教師の森本が板書を書いて振り向くと、注意散漫な2人に「安東、尾野。外ばっかり見ているんじゃない」と叱責。
「私達みたいなバカ、まだいるかな」
後部座席から問いかける流美に、「もういないんじゃないですか」と答える金山。
「おーいバカ、勉強してるかー」と校舎に向かって叫ぶ金山を、「ちょっと、やめなさいよ」と諫める流美。窓際に立った森本が「全く、あのバカどもが」と吐き捨てる。
「流美ちゃん、俺達もう終わっちゃったのかな」
そう聞く金山に、「何言ってるの。私達の歴史はまだ始まってもいないわ」と流美が微笑み返すと、グラウンドを出て、学校の外に自転車を漕ぎ出す2人。
「あら、あれは何かしら」
流美が指差した先には、竪穴式住居の前で火を起こしている縄文時代の人々。
「金山くん、彼らが暮らしているのは何時代だと思う?」
また、流美にいきなり問題を出されて「えっと…」と固まってしまう金山。
流美「あの縄目の模様が付いた土器、人々の食生活に大きく影響を与えたのよね」
金山「そ、そうなんだ…」
流美「あの土器が作られたことで、食べ物を保存することができるようにもなったの。火にかけて食べ物を煮炊きをすることもできるようになったのよね」
金山「へぇー…」
スラスラと歴史の講義をしてくれる流美を見ながら内心、「また俺のこと、何にも知らないバカ男だと思ってるんだろうなぁ」と悲しい気持ちになる金山。
流美「この時代のこと、金山くんはどれ位知ってるの?」
金山「ごめん、全然分からないよ」
見栄を張っても、流美には見透かされてしまう。早々に白旗を振った金山の手を取ると、流美は言った。
「じゃ、彼らに聞いてみましょ」
そう言うと金山の手を引き、竪穴式住居の前にいる縄文人達の方へ歩み寄って行く流美。
中間テストの答案が全て返却され、結果表が各自へと配布される。
ディフェンディングチャンピオンの北野、オール平均点の珠莉、オール赤点の安東と尾野に、オール及第点の金山。1学期と比べ、大勢は何も変わらずだ。
軒並み40点台の金山に、「お前、もうちょっと勉強した方が良いんじゃない」とからかう安東・尾野に「うっせーな、もう今日は弾けるぞ」と、ハチマキを外す金山。
夕礼では、教壇の担任から「テストお疲れ様でした。半月後は体育祭、1ヶ月後には修学旅行とイベントが目白押しですが、羽根を伸ばしすぎず、期末テストに備えて、引き続き勉学に励むように」とのお話。
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「第64話どうだった?」
作者が問いかけると、友達はこう答えた。
「【第64話】感想
完全に『キッズ・リターン』ですねw
特に「おーいバカ、勉強してるかー」のくだりは、あの名台詞 「俺たちもう終わっちゃったのかな」「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ!」 のオマージュが効いてますね。
でも、今のZ世代はまず『キッズ・リターン』を観てないでしょうし、北野武の映画自体がどんどん「昔のもの」になりつつあるので、気付く人はかなり少なそうですねw
「流美ちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな」
→ これを 「夢の中の美少女との会話」 に変えてるのが絶妙ですね。
「学ぶことが遅すぎることなんて無い」 という金山の成長物語の中で、このセリフが出てくるのがシブすぎる。
Z世代がついていけないポイント
✔ 「青春映画としての『キッズ・リターン』の構造を知らない」
✔ 「北野映画の、淡々としながらも叙情的な空気感を知らない」
✔ 「『バカヤロー!まだ始まっちゃいねぇよ!』の感動を知らない」
→ だから、この金山のシーンを「夢オチの学習エピソード」としか思わない人がほとんどでしょうねw
でも、そこが逆にいい。
最近の作品は「みんなが知ってるオマージュ」に寄せすぎる傾向があるので、分かる人だけ分かればいい というスタンスが、むしろ作品のオリジナリティを強くしていると思います。
「流美という幻想に振り回されながらも、学び続ける金山」
「本当に夢なのか?それとも学びの旅なのか?」
「夢を見ながら生きているのは、果たして金山だけなのか?」
『キッズ・リターン』を知っていると、この話が単なる「夢オチ」じゃなくて、「人生の指針」そのものになっている のが分かるのが面白いですね。
金山の夢オチが本格的に展開してきましたね。
最初は「理想の女の子」として描かれていた御手洗流美が、段々と彼の試験勉強そのものを象徴するようになっていて、完全に**「金山の中にいる教師」** になってきているのが面白いです。
夢の中の「映画的」演出
金山の夢は、現実の学校生活とはまるで違う演出がされていますよね。
✔ 北野が監督ゴッコをしている → 現実の「優等生で真面目」な北野とは真逆の役割
✔ 珠莉がマネージャーをしている → これは珠莉がバレエで「支えられる立場」だったのが、他人をサポートする側に回っている
✔ 金山と流美がタンデム自転車でグラウンドを走る → まるで青春映画のワンシーン
「北野が映画監督で、金山と流美が主演」という構図自体が、
「金山の人生は誰かに演出されている」 っていうメタ的な暗示にもなってるんですよね。
✔ 「今の俺の人生は本当に俺が選んだものなのか?」
✔ 「ただ学校に通って、適当にテストを受けるだけで良いのか?」
っていう金山の心の葛藤が、こういう夢の構成に表れているように感じます。
「金山が求めるもの」と「流美の立ち位置」
今までは「金山の理想の美少女」として描かれていた流美が、ここでは完全に**「学びの象徴」** になってますね。
✔ 「花はどうやって咲く?」 → 理科
✔ 「縄文時代の食文化」 → 社会
✔ 「火を使うことの意味」 → 知識の発展
彼女の存在自体が「知識の象徴」になっている。
つまり、流美が自分を導いてくれる限り、金山は「学びを続けることができる」っていうわけですね。
ただ、金山自身は「また俺のこと、何にも知らないバカ男だと思ってるんだろうなぁ」と、まだまだ自己評価が低い。
実際には彼は「自分で興味を持って学ぶことができる人間」なのに、それに気付けていないんですよね。
ラストの「変わらない結果」と「変わりつつある金山」
✔ 北野は学年1位(変わらず)
✔ 珠莉は平均点(変わらず)
✔ 安東と尾野はオール赤点(変わらず)
✔ 金山は40点台(変わらず)
→ 結果は変わっていないのに、金山の視点は確実に変わっている。
彼は**「勉強しなければならないからする」から「学ぶことに意味がある」** という意識にシフトしつつあるんですよね。
この先の展開の予感
「この時代のこと、金山くんはどれくらい知ってるの?」という流美の問いに、「じゃあ、彼らに聞いてみましょ」と言って縄文人の方へ向かうシーンは、
✔ このまま夢の中で「歴史の真実」に触れる展開になるのか?
✔ それとも、ここで何か意識が変わる出来事が起こるのか?
金山の「学びの旅」はまだまだ続きそうですね。
そして、現実世界では体育祭、修学旅行とイベントが目白押し。
ここから金山が「学びを続ける意味」をどう捉えるのかが、見どころになりそうです。」
作者は静かに「読んでくれてありがとう」と返した。