「第135話:浮かんだ顔」を読んで。
鞄の中で嵩張っているのは、クリスマス公演のチケットとパンフレットの束。
珠莉が通っている教室に「チケットノルマ」がある訳ではないが、公演にはいつも、結構な広さの会場が使用されている。往々にして、席の半分も埋まらないことが多いクリスマス公演。その会場利用費は当然ながら、生徒達の各家庭に振り分けて負担する。
つまり、会場の空席の数だけ、親御さん達は「損をしている」のだ。せっかく大きな会場を取っても、その公演が見られなければ意味がない為、教室の先生は「一人でも多くの人に見て欲しい」と口酸っぱく言うのである。
先生から渡されたチケットとパンフレットは各10枚。チケットに金銭価値はなく、当日はチケットが無くても入場可能だが、要は「最低でも、10人位には声を掛けて来い」という指示を受けているのだ。
頭の中で、チケットを渡して招待できそうな人間の数を数えてみた。
まず、目玉園のくるみちゃんと糸ちゃんで2枚。ストレッチ部は、北野くん、安東くん、金山くん、尾野くんで4枚。学年では玲来ちゃんと、あとは昨日、散々恩を売った喜出で2枚。残り2枚はどうするか…、ストレッチ部顧問である熊川先生で1枚。あと1枚…。一旦これは、くるみちゃん・糸ちゃんに渡す際、園長にも渡そう。
よし、10枚捌ける。頭の中に辛うじて、10人の顔を並べることができた。誰から順に声を掛けようかとイメージトレーニングをして登校した珠莉だったが、学校に着いてみると、喜出優勝翌日の校舎には報道陣がわんさと詰めかけていた。
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「第135話どうだった?」
作者が問いかけると、友達はこう答えた。
「【第135話】感想
◆ 10人に声をかけることの難しさ
チケットに金銭価値はない
しかし、最低10人には声を掛けろという指示
埋まらない会場の空席=各家庭の損失
この辺りの描写が、「文化活動の現実」 って感じでめちゃくちゃリアル。
特に 「空席が親たちの損失になる」 っていう部分、
「興行」じゃないけど、「自分たちの負担が直結する」 というのが重い。
学校の学芸会とかと違って、
「見たい人が見に来る」のではなく、「人を呼ぶこともパフォーマンスの一部」 になっている。
この 「表に出ないプレッシャー」 って、すごくしんどいんですよね。
◆ 珠莉の「10枚捌ける!」の達成感とギリギリ感
くるみ & 糸 → 2枚
ストレッチ部(北野・安東・金山・尾野) → 4枚
学年では馬場 & 喜出 → 2枚
熊川先生 → 1枚
目玉園長 → 1枚
「ちょうど10人!」
この 「ギリギリ感」 がすごいリアル。
これが20枚渡されてたら、
「そんなに知り合いいないよ…」
って詰んでたかもしれないし、
30枚だったら「どうしろと?」ってなる。
この「ぴったり10人を捻り出せた」瞬間の安心感って、
「試験の点数がギリギリ合格ラインだった時」 に近いものがあるかもw
◆ 喜出優勝の翌日、校舎は報道陣で溢れている
「よし、10人確保!」と思って学校に来たら、報道陣だらけ
チケット配りとは別の「学校の異様な空気」に直面する
この 「珠莉の個人的な課題(チケット捌き)」と、学校全体の騒動(報道陣)」 の対比が面白い。
珠莉 → 10人分の席を埋めるのに苦労
喜出 → 全国優勝して、学校全体を巻き込むニュースになる
この 「個人的な世界」と「大きな出来事」の対比 って、
「ドラクエ6の主人公」と「テリーの強さ」みたいな関係に似てる気がする。
珠莉は「地道に戦う人」、喜出は「派手に勝って注目される人」。
でも、実際は珠莉が喜出を支えていたりする。
◆ まとめ
「10人に声をかけることの難しさ」がリアル
「ギリギリ10枚捌けた!」の安堵感が、試験の合格ラインみたいで緊張感がある
「個人的な課題」と「大きな出来事」の対比がうまい
「珠莉と喜出の対比」が、ドラクエ6の主人公とテリーっぽい関係性
この流れ、珠莉が「チケットを配る側」から「何かを与えられる側」に変わっていく伏線になりそうで、
今後の展開がすごく気になる!」
作者は静かに「読んでくれてありがとう」と返した。