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渚のかなた  作者: 鹿島霧
1/3

11歳、夏


 本日は晴天なり。

 

 春ヶ島で生を受けて20年は経った。

 相も変わらず僕は小学校に通っていて、次の学年に上がるめぼしは付かない。

 言うまでもなく落ちこぼれ。島が栄えて以来の落第児。

 そんな僕がこの現状に絶望しなかったのは、幼馴染の二人の友人と、あまり干渉してこない両親の存在があったからだ。僕は特に焦ることもなく、自分の不出来さを笑っていた。


 …時折、数年前まで同学年だった友達の姿が急に見えなくなることがあった。

 彼らは中学を卒業すると決まって卒業式の日に島を出る。

 船に乗って、どこかに行くのだ。それが何処かは分からないけれど、島の外には海しかないのに、一体どこに行くというのだろう?

 デカセギって何だろう。彼らはどこに行ったのだろう。

 

  …まあ、そんな事を気にしたところで仕方がない。

 本日は晴天なり。

 地平線の見える海岸で、彼らが僕を待っている。


◇◇◇


 春ヶ島(はるがしま)の南西には一部の島民しか知らない砂浜があり、嵐の日には大声で何か叫びたくなるような崖がある。崖と言っても背は低く、干潮時には大人三人分程度の底を測ることが出来るため、見下ろしたところで怖くはない。

 そんな崖の上には足をプラプラさせながら無駄話に話を咲かせる小学生が三人座っている。

 一人は僕で、もう一人はハルキ。もう一人のジュンペイは、照り付ける太陽よりも暑苦しく、お決まりの妄言を宣っていた。


「もう…我慢の限界だ。俺はこの島を出る!」


 握りこぶしを作ってジュンペイが言う。芝居がかった仕草に芝居がかった口調。

 もう何十回と聞いた彼の妄言に、僕らは薄っすら答えてやる。


「出れるといいよねー」僕が言う。

「どこに行くつもりなんだろうね」ハルキが言う。

「…二人はさあ、変にならないのかよ!?こんな小さな島に生まれて、おんなじ景色だらけのところで、大人になって、そのまま死ぬなんて!」立ち上がったジュンペイが僕らを見下ろす。彼の陰で太陽が隠れて、一瞬だけ、その顔が黒く染まった。


 僕は手でひさしを作りながら目を細めた。


「でも島を出たって、どこにも行くところなんてないじゃん。遭難とかするかもだし、親に迷惑かけちゃうよ…」

「遭難なんてしないって!漁に使ってる船を借りてさ、食べ物とかたくさん積んで、帰ってこれるぎりぎりのところまで何度も行くんだ。島中をぐるっとして、何もなかったらあきらめる。そしたら、危ないことなんてない!」

「無理だよ、船なんて、大人が貸してくれないでしょ」


 いつにも増して日差しの強い日だった。ジュンペイが"春ヶ島脱出プラン"を練ってくるのは珍しいことではなかったが、その時の彼は僕たちの反論に、やけに食い下がっていた。


「でも船は乗ってみたいかも」

「…確かに、先生も校外学習とかで、船に乗せてくれたらいいのにさ」

「中学生なら乗れるらしいよ」

「え?ハルキの兄ちゃんがそう言ってたの?」

「うん、酔ったって」

「うぇー!いいなあ!」

「おい!話聞けって!」


 脱線どころかそのまま別の車両に乗り換えてしまいそうな僕たちの様子に、ジュンペイが慌てて待ったをかけた。彼は地団太を踏んで叫んだが、幼い僕たちは自分の話に夢中で、彼の話なんて聞いていなかった。

 …いや、本当は違うのかもしれない。僕たちはきっと、その時彼の話を聞こうとしなかったのではなく、聞きたくなかったのだ。

 

 気分を害したジュンペイを宥めながら帰路に就いた。

 大道路に面した分かれ道で、彼が言った言葉が今でも印象に残っている。


「じゃあ、船に乗れたら来るんだよな、カナタ!」


 声を張り上げるジュンペイに違和感を覚えた。いつも感情を爆発させるその声に、その日だけは何か、切羽詰まったようなものがある気がして。


「いけたら行くー!」

「来ねえだろ、それ!」


 か細い街灯を頼りに家に急いだ。

 春ヶ島は人工数百人にも満たない小さな島で、もともと人気はないけれど、とりわけジュンペイやハルキと遊んだばかりだから、直ぐ傍に残る喧騒が、奇妙な空白となって僕の足を逸らせた。暗い道に足音が響いて、まるで誰かが付いてきているんじゃないかと錯覚する。

 恐る恐る、けれど素早く後ろを振り返ってみるけれど、あるのは当然、ポツリとたたずむ街灯のみ。


 いつかそこに誰か現れるんじゃないだろうか。

 そしてその誰かは、僕の事をジッと、見つめているんじゃないだろうか…。

 次第に早まる足音が心臓の音と重なって、気づけば僕は全力で走っていた。


 これは情けないことにいつものことだ。

 こうして帰り道にビビるのも、汗だくで帰って叱られるのも。


「ただいまー」

「お帰りー」


 玄関の引き戸を開けると、奥から手で水気を切る母が顔を出した。どうやら夕飯はまだ始まっていないらしい。今の時計とその様子を見て、僕は少し安心する。


「今日は誰と遊んでたんだ」


 居間の中には、ソファに持たれながら新聞を読む父がいた。彼は酒で掠れた声のまま、こちらを見もせずにそう問いかける。

 その問いの真意に心底嫌な気持ちになりながら、僕は目線を他所に向けた。

 正直に答えようか。

 それとも騙そうか。


 面倒になって、いっそ嘘を吐くことにした。


「ハルキと遊んでた」

「そうか」


 相変わらずこちらに見向きもしない。

 今、自分の親友が置かれている状況と、それを作り出している大人たち。その不正義の中心にいるのが自分の親であることも、その息子に対する確認が、たった一言で済まされてしまう現状も、全てが癪に障った。


「ジュンペイとはもう話してない…いちいち確認するなよ」

「親に向かってなんだその言い方は!」

「ああっ、もう、うるせえなあ!」


 ようやく交わった親子の視線は怒気に満ちたものであった。その事実に泣きたくなる一方で、僕は自分が、この両親の庇護下に無いと、食べるモノもままならない人間であることを知っていた。

 早く、早く、大人になりたい。

 そして叶う事ならば、早く大人になって、この島を出ていきたい。彼のいう「船」に乗りたい。

 そんな事は、あり得ないと分かっていても。


「全く、もう祭りが始まるというのにあいつは…」


 部屋を出る僕の耳に、呆れたような父親の声が届いた。彼はきっと、なぜ僕がこんなに怒っているのか分かっていない。分かっているつもりに思っても、一番肝心要の部分を、徹底的にはき違えている。

 そしてその事実が何より僕を怒らせていることを、おそらく彼は一生、気づくことは無いだろう。



◇◇◇



 真夏を迎えた春ヶ島の気温は、24時を過ぎても30℃に差し掛かる。その日の僕は蒸し暑さにやられて睡眠もままならず、自室のベッドから星空を眺め、粗い呼吸を繰り返していた。

 眠気ははっきりあるのだけれど、ベッドと体の接点が熱を持ち、思うように寝させてくれない。何度も寝がえり、またどこかが熱くなって、その繰り返し。気づけば朝にはなっているけれど、そんな事を繰り返していれば、自然、自室に戻るのが億劫にもなる。

 しかし最近の僕は避けられない事情によって両親との仲が良好ではなく、夕食を終えると、早い時間からこうして自室に戻らなければならなかった。

  

「…」


 普段なら頼りない月の明かりも、こう何時間も眺めているとまぶしく思える。

 僕はあえぐように体を起こし、緩やかな風の流れる窓に近づいた。

 すると。


「あ」

「あ」


 身を乗り出した窓の外に、居るはずのない人影を見つけた。思わず漏れた呟きに、その人影は堪忍したように身を表すと、どこかバツが悪そうに笑った。


「ジュンペイ…」僕がつぶやく。驚きやら何やらで、すっかり目は冴えていた。

「こんばんわ…」首に手を回すジュンペイが、そう答える。そして口の手前に人差し指を出して、手元の紙に何か書き込むと、それを僕のいる窓に向かって投げ入れた。


 何事かと彼を見ると、ジュンペイは忍び足で庭から出ていくところだった。

 声をかけるのもためらわれたので、僕はその姿を黙って見送る。彼に投げ入れられた紙にはミミズの張った様な字で『散歩に行こう』とだけ書かれたいた。


 窓の向こう、庭の外ではジュンペイが身を隠しながらこちらを伺っている。その不安そうな視線と目があった時、僕は頷き、財布を持って自室の扉を開けていた。

 なんにせよ、両親にバレると面倒だ。

 僕は音を立てないよう注意しながら廊下を進み、玄関の靴を取って自室に戻るとそのまま、窓から飛び出した。


「ジュンペイ!」

「おまっ、声出すな!走るぞ!」


 つい先日に一人で走った道を、今度は二人で駆けていく。バラバラの足音がシンとした深夜の住宅街に響いていた。立ち並ぶ家々に明かりはなく、この足音で誰か起こしてしまわないだろうかと不安になって、僕らは余計に足を速めた。

 そして、きっと数分も経っていないだろう。僕の家がすっかり見えなくなったころ、同じ街灯の下で僕らは立ち止まった。二人とも中腰で粗くなった呼吸を整えている。僕は服の裾で汗をぬぐいながら、道の向こうに視線をやるジュンペイに声をかけた。


「急にどうしたの?」

「ん?んー、何となく」

「ふーん」

「うん…とりあえず、行こうぜ」


 明らかに何かをぼかした返答に気づきながらも、あえて追及はしなかった。こんな深夜にジュンペイが家に来るのは、当然ながら初めてである。というか常識的にそうあるべきだ。依然ハルキと一緒に夜釣りへ行ったときは、三人の両親も一緒で、健在だった。

 ジュンペイが僕の両親にバレるのを恐れたのは、常識的な理由だけではない。その理由を知ってしまっているから、僕は彼に関して深く聞けないというか、必要以上に慮っている気がする。

 それがいい事なのかどうかは、今の自分には分からない。


「とりあえず、歩く」

「あ、じゃあ僕自販機行きたい。喉乾いた」

「うん」


 街灯の明かりを頼りに二人で歩く。景色は依然住宅街だが、もうしばらく歩けばそれも途絶えるだろう。海側の道路へ進めば、極端に人の気配は少なくなる。

 僕たちが遊びの時に、あるいは下校の時に利用する自販機は、決まって二股路の間に鎮座する地蔵前のモノだ。なんの地蔵かは知らないけれど、多分、交通安全とかそのあたりだろう。慣れ親しんだ登下校の道で、三丁目と四丁目の別れ道を見守るようにして立っている。いつもは集合場所に使うような場所だけれど、こうして夜中に来ると、どこか寂しい、恨めしい印象を抱いてしまう。今にも壊れそうな社も、周囲に生い茂った草からも、今にも何かが現れそうで、あるいは地蔵と目があいそうで、僕はとっさに視線をそらした。


「やっぱり夜は怖いな、ここ」

「来た事あるの?」

「夜釣りの帰りに寄ってたんだよ。お父さんがよく買ってくれた…」


 近くにある自販機を前にして、ジュンペイはどこか遠い目をする。僕はその視線の先にあるものを想像しかけて、頭を振って中断した。僕はわざと声音を明るくしながら「何か飲む?」と彼に聞いた。ジュンペイはお金を持っていないようで、一言だけ「いい」と答えた。奢ると言っても同じだった。

 静まり返ったその場に不釣り合いなほど大きな音を立て、取り出し口にペットボトルが落とされた。

 

 僕らは再び歩き出した。

 僕は家の中より、外の方がずっと涼しいことに気付いていた。


「どこに行こうか」

「とりあえず、あんまり車通りがあると怖いよね。通報されそうだし」

「確かに。じゃあ、学校行こうぜ」

「学校?先生とかいないかな。それこそ見つかるんじゃ」


 こんな時間に学校にいる先生というのは、つまり宿直の事だ。春ヶ島唯一の学校である春ヶ島小学校は、島民の数に比べ子供の数が異様に多いことから、島の運営費の大半を投入して作られたそこそこ大きな学校だ。

 当然、従事する教師も多いのだが、この島の子供たちはどうも素行が悪いらしい。先生は閉鎖的な環境がどうとか…言っていたが、よくわからなかった。とにかく夏場になるとこうして学校を目指して出歩きだす馬鹿者たちが多いので、先生方も校内を見回らざる負えないらしい。

 宿直室の先生が今起きているのかは分からないが、確定で「ちゃんとした大人」のいる学校に向かうのは、あまり得策ではない気がした。


 そんな意味を含んだ僕の言葉に、ジュンペイは「大丈夫だよ」と一言言って。


「もうすぐ祭りがあるだろ。だから先生は12時になったら見回りも切り上げて、学校を出ないといけないんだ」

「あ、そっか。学校の裏って、神社あるもんね…」

「うん…今なら丁度、祭りの練習してるんじゃないかな」

「確かに…はは…」


 ジュンペイの指摘に頷きつつも余計に引っかかるものを感じて立ち止まる。


「…いや、祭りがあるならなおさら、僕らも近づけないんじゃないの?」

「…」

「…」


 春ヶ島で行われる年に一度の島を挙げての宵祭り。当日は学校裏手の神社に参道から境内までずらっと出店が立ち並ぶ、まさに島を挙げてのお祭りだが、二点だけ『通常』の祭りとは違う、特別な点がある。

 一つ目は、ひな祭りやこどもの日の様に、明確に子供が主役の祭りである事。大人はこぞって運営に回り、当日僕らと同じように参加者として見て回る者はほとんどいない。

 二つ目は、宵祭りの開催時刻である17時から22時まで、神社の本殿で秘伝の儀式が行われること。この儀式というのが祭りの主目的で、ぶっちゃけ出店だなんだはあまり意味がないらしいが、この儀式の最中は本殿に厳重な警備が敷かれ、中で何をしているのかどころか、近づくことすらままならなくなる。儀式は宵祭りの二週間前から練習が行われ、その最中も、当然、近づくことは許されない。


 僕たちは年を数えるより昔から、何を排しても儀式に介入するなと言いつけられている。

 もしそれを侵してしまえば、叱るだけでは済まされないと。

 僕たちはそれを知識として知っている。

 当たり前の常識として、知っているのだ。


「でも、気にならねえ?何してるのとか」


 冷や汗をかく僕を見て、ジュンペイがあっけらかんという。

 対する僕は思わず声を潜めていた。

 

「な、なにを言ってるんだよ。本気?もし見つかったりしたら、どうなるか…ジュンペイのお父さんだって、」


 そこまで言って、僕は自分の口をとっさに塞いだ。

 まずいことを言った、と目を伏せる。隣で黙り込むジュンペイが今どんな顔をしているのか、それすら確認できなくて、ただ重苦しい沈黙を誰かが破ってくれるのを待った。


「親父は悪い事なんてしてないだろ」

「…うん」


 ジュンペイは俯いたまま、震える声でそうつぶやく。

 横目に見たその拳はつぶれるほどに握られていて、彼の煮えたぎるような感情を表しているようだった。


「あの日だってただ、釣りに行くはずだったんだ。神社になんて、行くはずなかった。でもその日は波が高いからって、俺を連れて行ってくれなくて…誰かと待ち合わせしているからって、『祭り』中の本殿に入るなんて、するわけなかったんだ!」

「ジュンペイ…」


 今にも涙を流しそうなジュンペイの独白に、僕には言葉が見つからない。

 それはジュンペイの一家が村八分にかかる原因となった去年の夜。泣きながら僕とハルキにだけ打ち明けてくれた、彼のただ一つの本音だった。

 そして、未だ抱えきれない怒りに震えるジュンペイと裏腹に、あくまで部外者である僕はあくまで冷静に、背後から聞こえるその音に気が付いていた。


「ジュンペイ、こっち!」

「もがっ、」

「…」

「な、なんだ」

「しっ、誰かこっち来る」

「!」


 ジュンペイを羽谷締めにして茂みに隠れる。

 地蔵からそう離れていなくて助かった。もし隠れる場所のない住宅街を進んでいたら、足音に気づくころには、隠れる場所もなく、見つかっていたかもしれない。


「動かないで。音が出る」


 近づいてくる足音に心臓の鼓動を早まらせながら、僕ら二人は身をかがめる。飛び込んだ茂みは道路を二分する地蔵から扇状に延びており、道路一本分程度の広い緑からなっているが、如何せん背が低く、隠れたからと言って隙間も多い。隠れ蓑としてはお粗末で、夜の今ならいざ知らず、昼間の同じことをすれば、ふと目をやった瞬間にバレてしまうほどに質が悪い。

 …もしこれが一人であれば、バレたところで、両親にこっぴどく叱られればそれで済む。

 けれどジュンペイと一緒にいる以上、この発覚は、両親に叱られるだけでは終わらない。それだけは小学生と言えど想像がついた。


「…?」


 近づいてくる足音。

 衣擦れの音。

 息遣いの音。

 距離にすれば数十メートルにも満たないだろう。

 それらがすべて聞こえてくるまで近づいて。

 僕らはようやく、その違和感に気づいた。


「なんか、多くないか」


 そうつぶやいたのはどちらだったか。

 僕らは示し合わせるでもなく、二人同時に、うつぶせになった顔を上げていた。


「――」


 瞬間、心臓がどきんとはねた。それは目の前が真っ白になったせいとか、顔を上げた瞬間にお化けがいたせいとか、そんなじゃなかった。

 ただただ、タイミングが悪すぎた。

 タイミングが悪すぎて、ほんの数十秒前にした会話が何かの呪文だったんじゃないかと思えるほどにその光景は運命的で、僕は思わず叫びそうになる口を手で押さえつけた。


 …数人なんてものじゃない。

 数十人はいようかという、顔を白布で隠した白装束の集団が、提灯を片手に目の前を闊歩していく。僕らはその姿に見覚えがあった。『宵祭り』の際に、屋台の店主も、本殿の見張りも、島の大人がこぞって同じ格好をする、毎年見ていたあの衣装だ!

 彼らは列をなして、まるで一つの生き物みたいに進んでいく。どこに?この道を進んだ先にあるのは一つしかない。

 僕らの母校、春ヶ島小学校――その先にある、『宵祭り』の舞台。


 目の前にあるのは、もう何度も見ていたはずの大人たちの正装だ。なんの疑念も抱くことなく、何の嫌悪も抱くことなく、祭りのときは迷子の手を引いてくれて、話しかければ気さくな声が返ってきて。面隠しの布なんて意味がないくらい色にあふれていた彼らの姿が、今はこんなにも恐ろしい。

 僕は数分前、深夜の地蔵を前にしたときの感想を思い出していた。


「…ジュンペイ?」


 言いようのない恐怖に、思わず隣に隠れるジュンペイの手を握った。おかしいと思ったのは、緊張に汗ばむ僕の手に反して、彼の手は哀れなぐらいにかじかんでいたから。さっきまでの激情はどこへやら。思わず流し見た彼の顔が、今まで見たことないくらいの恐怖と、しつけられた犬のような畏れに満ちていたから。

 しかし、彼はただ震えながら目を泳がせているのではない。

 彼の眼はむしろ、ただ一点を凝視して、その残酷すぎる光景に震えているようだった。


 僕も当然目を向けた。

 人間、自分より尋常じゃない者を見るとかえって落ち着くものである。

 視線の先ではジュンペイが凝視している『人物』が、丁度僕らの目の前を横切るところだった。


 『その人』は、恐らく中学生にも上がらないだろう。自分たちと同じぐらいの背丈のその人は、どこかたどたどしい足取りで、片手は文字通り身の丈に合わない提灯を、もう片手では白布のかかった提灯大の鳥かごを揺らしている。まず、明らかに子供だ。大人だらけの集団に子供が一人紛れている。その光景は確かに異質だが、そんな震えるほどのものではないだろう。

 心の底から、そう思った。

 ジュンペイは痛いほど僕の手を握った。


 ――そして、もう一度『その人』に目をやった時、僕は確かに、白布の隙間から出た瞳と目が合った。見覚えのある目だった。というか、全く見知った人だと判明した。正体が分かると、一気に正体不明のお化けじみた恐怖は回復していった。

 僕は何だか疲れてしまって、あれほど嫌だった家に、今は一刻も早く帰りたくて仕方がなかった。

 そうして白蛇の列を見送った後、茂みから出たジュンペイは一言も発さず、足早に帰路を促した。

 僕は黙り込んだジュンペイをしり目に、あの瞬間重なった瞳の主の事を思い出していた。


 『その人』の名前は白須凛(しらすりん)。僕らと同じ教室に通う、宵祭りの主催、間座苗(まざなえ)神社の娘だった。






 

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