初バッターボックス
浅倉が眺めるレフトからの野球場は、不思議な光景だった。
広いグラウンドに転々と立つ人々は、まるでサバンナに立つ木々の様であり、ちょっと遠くで行われているピッチャーとバッターの戦いは、活動写真を見ている様な、そんなそこはかとなく他人事の景色に見えた。
浅倉は、そんな少しだけ現実味の無い空間に両手を広げて、大きく息を吸った。
はぁ~~。それにしても、野球場って広いわね~。この広さなら、鹿鬼十体とも戦えるわよ。
いゃ、それどころか、狙撃の練習も出来るんじゃない?
相変わらず発想が戦闘だ。
しかし、そんな風に楽しんでいられたのも最初の内だけだった。
……暇だわ……。
何この暇な時間は……。
全然ボール飛んで来ないし、熱いし……。これって、もしかして、私には向かない遊び?
守備に着いて、数分で飽きが来る。
体を動かすのが主本の浅倉は、エネルギーがあり余りスクワットを始めるしだいだ。
あのピッチャーってのはいいわよね。ズーと動いてられるし、退屈しなさそうだわ。
要は、思い切りボールを投げればいいんでしょ。私にもやらせてくれないかしらね。
野球のルールを知らないが故の単純な考えだ。ピッチャーの過酷さを軽んじている。
カーン!
だが、そうこうしていると、待ちに待った打球が飛んで来る。しかもかなり良い当たりだ。追い風もあるせいか、スタンド入りもあり得る。
来たわ!
……確かバウンドさせる前に取ればアウトって云っていたわよね。……ならまだ練習段階だけど、行くわよ。
浅倉は鼻から細く息を吸い込むと、丹田に気をためる。
行くわよ……。霞渡瀬流……縛逃水見習い!
浅倉は、足の爪先に力を込めると、地面を一気に蹴りだす。
おおきく上がったポールは、浅倉の頭上をかるく超えて行く為、必死に後退する。
だが、打球は伸びる。このままだとスタンドへ入るのは間違いない。
確か、あのフェンスを越えたらホームランだったはず。
――なら。
浅倉は、身体を沈み混ませると、高く跳躍する。そのままフェンスの壁を三角蹴りの要領で蹴りだすと、大きく宙に舞った。
いっけぇぇえええ!
だが、まだボールには届かない。
浅倉は左手を大きく伸ばす。……とボールはグローブに入らないまでも、弾く事には成功する。グラウンド内へと押し戻されたボールは緩やかな弧をえがく。
……よし、ボールはまだ生きている! ――なら、着地と同時に掴み取る。
浅倉は落下しながら、膝を曲げてスタートダッシュの準備をする。
ザシュ!
地面に着地すると同時に、太ももとふくらはぎの筋肉に、ネジ切れんばかりの負荷をかける。
ロケットスタートを切った身体は、見事にボールに追い付く。
パシィ!
なんと、ホームランになる予定のボールを、浅倉は見事アウトにして見せたのだ。
浅倉は、ボールを手に取ると、大きく手を振った。
「ゲンゲン、私やりましたよ!」
だが藤沢は、浅倉を褒めるわけではなく、何かを叫んでいる?
「え~? 何ですか? 聞こえませんよ?」
「…………げろ!」
「はいぃ?」
「…………投げろ!」
……投げろ?
浅倉が、その言葉を理解している間に、一塁にいたランナーは二塁を蹴っていた。
あっ、そういえば、取ったら投げろって云われていた。
浅倉は慌ててボールを投げるも、ランナーは、三塁を回った。
そして、ボールが届くころには、悠々とホームベースを踏んでいたのだ。
……あぁ、やってしまった。
点を取られてしまった。
浅倉が膝を落とす。
その姿は、さながらホームランを打たれたピッチャーの様だった。
● ● ●
回は進み三回の表となる。
ここで初めて浅倉がバッターボックスに立つ。
……今まで見ているだけでしたけど、要はバットにボールを当てればいいんでしょ。
こんなものは、弾丸を打ち落とせる私に取っては、朝飯前よ。
バットをブンブン振りながら感触を確かめる。
要は、剣道の胴打ち、正確には逆胴を打つ感じでバットを、振れば良いのよね。
かって知ったる動きなら、私に敵無しよ。
何度か素振りを行うと、剣道でいうところの上段の構えに近い形をとる。
さぁ、いらっしゃい。私があなたを討ち取る!
細身のピッチャーが構える。浅倉もバットを握った手を絞る。
素早く振りかぶられた腕からは、白球が真っ直ぐにストライクゾーンへと突き進む。
来た来た来た来た、北千住! ど真ん中!
もらったぁぁぁあああ!
浅倉が、渾身の力で、バットを振る。
ズバーーーン!
浅倉のバットは何もない空間を切り裂いた。
その様子を、川越のキャッチャーは、マスクの下からしかと見る。
「おぃおぃ、二刀流ってのはデマかい?」
マスクをしているので気がつかなかったが、敵のキャッチャーは山崎だった。
「何を云っているのですか、まだ一球ですよ」
「――だな。じゃっ、お手並み拝見といかせてもらうよ」
浅倉は、平常心を取り戻しながら、再び構える。
……それにしても、おかしい。確かに球の芯を捉えたはずなのに、何故私のバットは宙を切る?
首をかしげながらも、再び構える。
ピッチャーの放った球は再びど真ん中へ。
今度こそもらった!
浅倉のバットは、タイミングバッチリで振りかぶられる。
……だが。
なっ、球が外に逃げる……。
ズバーーーン!
再び浅倉のバットは宙をきった。
野球の難しさを体感する。
「ナイス空振り。布団叩きに転職した方がいいぜ! きっと百戦錬磨の布団叩き屋になれるぜ」
山崎の挑発に、髪の毛が逆立つ。
「バカにしないで。次の球は、絶対に打つ!」
「無理だね。お嬢ちゃんには100%打てないぜ」
売られた喧嘩をしっかりと睨みつけて買う。
「ほぅ。では、もし私が打てたらどうする?」
「そりゃ、何でも云うこと聞いてやるぜ。まっ、そんなのは有り得ないがな。ガハハハハ」
濁った笑い声が、マスクから漏れる。
……いいわ、そこまで云うなら打ってあげる。本当はインチキ臭いから使わないでいたけれど、もう、なりふり構ってはいられない。
目を瞑って息を細く吸う。
行くわよ、無我静流駆!
浅倉の感覚が鋭くなる。
なにがなんでも打つ!
ピッチャーが投げたボールはどんどん浅倉に近づく。
むきになっている浅倉は、タイミングを合わせてバットを振る。
たが、ボールは、外角高め!
しまった、打球は読めても、バットが届かない。
これでは、バットにかする事すら叶わない……。
浅倉は、クソボールに手を出した。
「アウト!」
審判の声が浅倉の耳に届く。
……やっ、やられた。完全にはめられた。
浅倉は、再び地面に膝を落とすと、野球の難しさを目の当たりにした。
● ● ●
浅倉はベンチに戻ると、バットからグローブへと持ち物を変える。
ドガッと座り込む姿勢は、苛立ちを露にしており、悔しさも同じくらい滲み出ていた。
「組長、初めてにしては上出来だよ」
藤沢が、浅倉の頭にタオルをかける。
「そうかも知れませんが、私、最後は無我静流駆使ったんですよ……それなのに、カスリもしなかった」
頭に被ったタオルの両端を手で掴むと、顔を覆った。
「まっ、それがゲームの難しさだ。それに、敵は元プロのピッチャーだ。打てなくて当然だ」
藤沢は、袖で額の汗を拭うと、やかんに入った麦茶をラッパ飲みする。
「あのピッチャーは、変化球を使いこなすし、コントロールも抜群ときた。つまり、あのピッチャーからは打てない」
「ってことは、この試合諦めるって事ですか?」
悔しそうな声で答える。
「いゃ、こちらの作戦としては、あのピッチャーを疲れさせる。つまり、ファールで長引かせ、沢山投げさせるってな訳だ」
「……成程。つまり、相手が疲れれば、バンバン打てるって事ですね」
浅倉の目が輝く。
「いゃ、そうはならんだろう。敵は、ピッチャーを交代させるだろうな」
「……それじゃぁ」
輝いた目が一瞬で曇る。
「いゃ、それで良いんだよ。あそこまでのピッチャーは、控えにはいない。つまり、中盤でマウンドから降りてもらえば、我々に勝機はあるってなものだ」
「成る程。確かに、まだ、三回ですからね。この後巻き返しましょう」
浅倉が、作戦を理解すると「スリーアウト、チェンジ」の声が、グラウンドに響いた。
左手にはめられているグローブをパタパタと二回開閉しながら、その動きを見つめる。
……よし、私の仕事は分かった。
取り敢えずは、この回を零点に押さえる。
心にそう決めると、浅倉は勢いよくレフトへと向かった。
さて、野球編です。
この時代ユニホームなんて無いのでは? とか色々疑問はあるかもしれませんが、フィクションです。ですから、ルールなども、現在のものを使わせていただきます。その方が理解しやすいですしね。
そんな訳で、あと2回くらいは、野球編が続くかと思います。
今年も後わずかですが、みなさんもお体に気を付けて、よいお年を迎えましょう。




