ラウンド3
僕は、マイクと概ね3メートルの距離で、対峙していた。
マイクの構えは前回と変わらず、左半身を前に出して構える。つまり、ボクシングのファイティングポーズ取っている。
さて……ここで少し敵の動きを整理してみよう。
僕の得意とする攻撃は、発勁と呼ばれている技だ。発勁とは、相手の力をそのまま相手に返す技を呼ぶ。
分かり易く説明すると、タンスの角に足の小指を当てると、痛い。頭上の戸棚が開いているのに気が付かず、頭をぶつけると痛い。この様に、動く相手の進行方向に、障害物を作り出す事により、ダメージが相手に伝わる。そう考えてもらえれば、分かり易いだろう。
つまり、マイクが突進してきて、そのタイミングに合わせて、打撃を繰り出せれば有効打が与えられる。
しかし、前後の動きを巧みに使用しながら、攻撃を仕掛けて来るボクシングとは非常に相性が悪い。打撃が届く前に、相手が回避行動を取るためだ。
では、どうするか……。
そう、発勁に頼らなければよい。つまり、単純に打撃技で攻撃すればよいのだ。
考えが纏まると、僕は、一気にマイクとの間合いを詰める。
出来るだけ相手との間合いを縮めれば、どんな回避行動を取ろうとも、僕の短い腕とはいえ相手に届く為だ。
そして、まずマイクは、ボクシングの基本、ジャブから仕掛けてくるはずだ。
シュッ!
案の定、左手の牽制攻撃が来る。それを右足に力を込めて、左に跳んで避ける。
相手から見て右側に避ければ、当然マイクは右手を使用した攻撃を繰り出してくる。……では、右からは何の攻撃がくる!?
ブォォオオ!
音だけが左耳に飛び込んでくる。
何かが来る!? が、見えない!? 何だ?
……少しでも情報が欲しい!
僕は、目をスライドさせながら凝らす。
……マイクの右腕は……伸びている?
ヤバイ! 視界の外から右フックが襲って来る!
「くっ!」
しゃがんで避ける!
ブワァァア!!!
頭上を豪快なパンチが通り過ぎる。
……が、そのタイミングで、再び右足に力を込める。
じゃがんだ状態からの、右足のみで跳躍を繰り出す!
ザッ!
ちっ、飛びすぎたか!
……一連の動きに勢いが付いていた為か、相手の右わき腹を通過して、相手の右後方まで回り込んでしまった。
もう一度攻撃を!
僕が急速旋回をし、マイクに攻撃を仕掛けようと足に力を込める。
……だが、相手もまた急旋回して僕と対峙する。
なっ、なんて反応速度だ。……動きが速すぎる。
この男、なんちゃってボクサーなんかじゃ無い。確実にファイトマネーを稼いでいたプロボクサーか、泥臭い地下ボクサーだ。
いずれにせよ、趣味でボクシングをやっていた者の動きでは無いな……。
「……中々動きが速いんですね。僕もビックリですよ」
「けっ……冗談。あんなの早い内に入らないぜ。あまりに遅くてモグラが止まるぜ」
「何を云っているのですか? ……そもそもモグラは、そんなに早く無いでしょう。もしかして、あなた……大アホなんですか?」
「へっ、アホかどうかは、俺に攻撃を食らわしてから云ってくれ」
マイクが地面に唾を吐く。
ベチャリと、唾が地面にへばりついた鈍い音が、耳に届く。その音がゴンクと思わせるかの如く、同時にマイクが距離を詰めて来る。
――来るか!
マイクが右手を振りかぶって、突進してきた。
この構えは――右ストレートが来る!? では、右手を受け流して……。
……ぃゃ!
「ごほっ!」
僕のボディーにマイクのパンチが突き刺さる。
なっ、なんと……左のフックだと? 油断した。
しかも、そこからの右ストレート――はマズい!
――かがんで躱す!
間に合えぇぇええええ!!
どびゅぅぅぅ!
僕の頭上を、一陣の風が通り過ぎる。
それが当たったかと思うとゾッとする。
――だが、ストレートで、伸び切った右肘――もらった!
僕は真上への一撃を炸裂させる。
ミシィ!
関節の軋むいい音だ。
……だが、これ以上ここに居るのはマズい。
僕は、後方に跳んで、間合いを取る。
「けっ……ボーイ、やるじゃないか。ちょっと、右肘が痛いぜ」
「痛くないと、技とは呼べませんからね」
「……技ねぇ。……因みに、今の技に名前とかあるのか?」
「霞渡瀬流気功術、二ノ型、上方突きって云うんですよ」
「成程。覚えておこう。……中々痛い技だったぜ」
「降参するなら、今の内ですよ。まっ、降参しても、許すつもりなんて微塵もありませんけどね」
「……そうか、じゃぁ、降参するのは諦めるとするよ」
マイクはそう言葉をこぼすと、左右の足を入れ替えて構える。
……! ……これは、いったい?
足を入れ替える前と、マイクのオーラが違う。
……もしかして、マイクの本気というか、本来のマイクのスタイルは……。
「右手を痛めたからな。本気で行かせてもらうぜ! まっ、構えを見れば分かるだろうが、俺の本業はサウスポーなんでな……」
――嘘だろう……利き腕でない方で、今まで戦っていたのか。
マズイな……これは気を引き締めないと、殺されるかもしれない……。
僕の背筋に、冷たい汗が流れた。
● ● ●
「さて、ラウンド2だ。ゴングは無いけど、鳴った事にさせてもらうぜ」
「……どうぞ、ご自由に」
キュッキュッと、マイクがステップを踏みながら、距離を詰めて来る。
ボクシング特融の距離の詰め方だ。
確かに早いが、戦ってみて分かった事がある。
やはり、ボクシングには、蹴りが無い。つまり、足元への攻撃、ローキックには弱いはず。
……ただ、忘れてはならないのが、相手の筋力だ。
鬼型鹿鬼に比べると、力こそ弱いが、人間離れしているのは間違いない。
ヘビー級ボクサーと戦っていると考えれば、同じ感じなのだろうか?
ただ、そんな化け物を相手に、僕の蹴りがどこまで効くのかは未知数だ。
この相手に対して、蹴りが打てるのか、また、打てたとしても効くのか。
僕の頭の中には、最適解が生まれて来ない……。
だが、悠長に考えている間も無いほどに、間合いが詰まる。
ビュッ、ビュッ!
マイクは右手でジャブを繰り出す!
マジか、平気で右手を使うのか! ……マイクの右肘に、痛みは無いのだろうか?
マイクのジャブは、僕がガードしている腕の上から、平然と叩き込まれる。
ばごぉぉぉおお!!
ミシッっと骨の軋む音がした。
冗談じゃない。ガードの上からでも、この威力か……。
まともに食らったら、折れるな。
僕は後退しながら、ジャブを避ける。
……だが、多分あまり時間が無い。
戦いを開始して、既に2分が経過したと思われるからだ。
……相手の懐に飛び込みたい……が、なにせ隙がない。
困った……隙がない……。
そうだな…………なければ作るしか無い……か……。
僕は、相手に向かって走り出す。相手が右ジャブを繰り出す瞬間、それを左半身で腰を落としながら左手で打ち上げて、軌道をそらす。
次に、左足をコンパスの針を刺す様に軸として、反時計回りに体を回転させる。
その回転運動を利用して、荷重をかけた右肘を相手の右わき腹に押し込む。
ドゴォォォォオオ!!
決まった! どうだ、身長差のある僕でも、これならしっかりと急所に打撃が入る。
これで、マイクは後方へと吹き飛ぶはず…………筈なのだが…………。
……僕の肘は、確かに相手の右わき腹にヒットしている。
そう、僕の肘打ち確かに炸裂したのだ。
だが…………マイクの体は、その衝撃を堪えている。
めり込まず腹筋を駆使して跳ね返して来る。
そう……相手の腹筋が異様に鍛えられているのだ。
バッ、バカな!
あり得ない腹筋!
僕が、一瞬驚いていると、マイクは当然その瞬間を逃しはしない。
僕の右肩に、マイクはえぐる様なパンチを繰り出す。
「ぐはぁぁ!」
その一撃をくらった僕は、コマの様に、回転しながら、地面へと転がり落ちる。
……マジか、こっちが離脱する前に、至近距離から左手で打ち込んで来るとは……。自分の胸の前を横切るパンチなんて力が入らないはずなのに、どんな筋肉をしているのだ……。
……それに、僕の右肩は多分脱臼している。骨は折れていないものの、暫く使い物にはならなそうだ。
ホント、最近の僕は、負け越しているな……。
……だが。
僕は相手から追撃を受けない為に直ぐ様立ち上がる。右腕はだらんと垂らしたままだが、なんとか構えをとる。
「さて、お待たせ。……第3ラウンド、始めましょうか……」
「いいねぇボーイ。勝てる見込みも無いのに立ち上がるとは……」
マイクの顔が、溶けそうな程ニヤけている。
「え~っと、この国の言葉で、ボーイみたいなのを何て云ったっけか? あぁ~、そうそう。『二度負ける事は三度負ける!』だったな」
「相変わらずと云うか、残念ながら、お頭が弱いようですね。ことわざの使い方まちがっていますよ。『仏の顔も三度まで』って、云うんですよ。そんなわけで、4度目は貴方にはありません」
「何を云っているんだい? 4度目って、次は第3ラウンドだろう? いつ第4ラウンドになったんだ?」
「……何を云っているのですか、前回、桶川の分が残っているじゃないですか」
「やれやれ、ボーイはねちっこいねぇ」
「ねちっこくて結構です!」
ザッ!
その言葉と同時に、僕は走り込んで跳躍する。そして、相手の顔面に目がけて、跳び蹴りをお見舞いする。
● ● ●
「ちっ、早い! ダッキングだ!」
マイクがスクワットの様に、膝を折りたたんで、体を沈める。
直線的な攻撃である飛び蹴りが、躱される。
……まっ、当然そう躱すでしょうよ。
相手は両手でガードをしながら体制を沈めている為、顔面への攻撃は通らない。
でも、首ががら空きですよ……。
僕は、ハードルを越える様に、相手の頭上を越えた瞬間、左足で相手の首裏、延髄に左足で蹴りを打ち込む。
グラッ。
マイクが少しバランスを崩す。
よし、効いてる。
僕は、再び構えを取ってマイクと退治する。
「ってぇなぁ、ボーイ! 別に、ギフトを置いて行かなくてもいいんだぜ」
「いぇ、只で頭上を通過しては悪いと思いましてね。通行料ですよ」
チロリっ。
僕も舌を出して、マイクと同じく不敵な笑みで返す。
「ボーイ。まだ、第3ラウンドは終わっちゃいないぜ!」
そう云いながら、マイクは一気に間合いを詰める。
右、左、右、左フック、右ボディーアッパーっと連続攻撃を繰り出す。
ラッシュの為、骨が折れる程の打撃では無いが、それでもガードしている腕には、限界が近づいて来る。
……やばい、ゴリ押しのラッシュはキツイ。
ガードが……解ける……。
「そろそろ、限界じゃないか? ボーイ?」
力押しのラッシュで、体力が削られて行く。
これ以上は、まずい!
「ここだ!」
ばきぃぃいいいん!
マイクの右ボディーアッパーで、見事にガードが上方へと吹き飛んだ。
「ボディーが、がら空きだぜ!」
がら空きのボディーに、マイクの左ボディーストレートが炸裂する。
やっ、やばい!
どふぅぅぅううううううう!!
僕は腹筋に力を込める! ……が、そのまま後方へと15メートル吹き飛ばされた。
……そして、それと同時に妖力が切れた。
タイムアップだ……。
地面に転がるセミの死骸の様に、僕は倒れた。
……徐々に、マイクの足音が近づいてくる。
あぁ、これで何度目だろう。死を覚悟したのは。
昔の僕ならこんな時、簡単に諦めていただろうな……。
これも運命と割り切って……。
……でも、今は違う……。
こういう時、必ず来てくれる人がいる。
……僕は知っている。
……僕が倒れた時、必ず抱き起こしてくれる、お姉ちゃんが居る事を!
ジャリィ!
乾いた地面を擦る音と共に、僕の顔は、何者かの影で覆われた。
「待たせたわね、マイクさん。ウチの弟が、迷惑を掛けたみたいで……」
「……ほぅ、もぉ動けるのか……。タフだな」
「いぇ、いぇ。結構効きましたよ、ジャンピング・ボディーブロー」
「……で、やっとやっと、立ち上がっているレディーは、何をしてくれるんだい?」
「……なにと云われても、大したことは出来ないわよ」
そう言葉を発すると、お姉ちゃんは、マイクに向けて親指を立てた。
そして、その親指で自分の首をかっ切るポーズを行い、そのまま親指を地面に向ける。
「……………………え〜っと……?」
お姉ちゃん……何か、決め台詞云わないんですか?
「ねぇねぇ、楠君。この後どうするんでしたっけ……」
「……えぇぇ、知りませんよ。そもそも、その動きは、誰に教えてもらったんですか?」
「えっ、柏木さんですよ」
「……やっぱりあの人でしたか」
僕は、顔を覆った。
「あ~、そぅそぅ。思い出しました」
「それは良かったです。ほら、相手さん待ってますよ。何か云ってあげて下さい」
「いいわよ! え~っと、asshole。ニコニコ」
お姉ちゃんは笑顔をマイクに向けた。
「…………お姉ちゃん……因みに、assholeって、どういう意味ですか?」
「えっ、これ? よく知らないんだよね。でも柏木さんからのアドバイスで、なんでもこう地面に親指を突きつけて、assholeって云えば、相手もニコニコになってくれるって教えてくれたんですよ」
「へ~、そうなんですか。……でも、相手さん、滅茶苦茶怖い顔していますけど……」
マイクの顔は、真っ赤に染めあがり、まるで悪魔が取り付いたかの様な形相をしている。
「ヘヘヘ……レディー。……中々、いい度胸だ。……ミンチ……いや……ペーストにしてやる! 当然、覚悟は出来てるよなぁぁぁあああ!」
マイクの形相に、お姉ちゃんが、少しひるんだ。
「……おぃおぃ……柏木ぃ、あいつ私を騙したな。帰ったら、鼻からそうめん食わせてやる!」
そんな独り言を云うと、お姉ちゃんは、大きく息を吸った。
「さて!」
お姉ちゃんも、怒りの戦闘モードへと目付きへと変わる。
もっとも、怒りの矛先は、マイクでは無く、ここには居ない柏木さんに向けてな気もするが……。




