楠の思い出
私は、金髪ボクサーに立ちはだかりながら、刀を中段に構える。
「……あー、そういえば、とりあえず、名前くらい教えてもらっても良いかしら? あなたの事をボクサーって呼ぶのも変ですしね」
「……そうだな。一応名前くらいは名乗っておこうかね。……俺の名前はマイク・リッチ。見ての通り、元ボクサーさ。……で、レディーの名前は何て云うんだい?」
「私の名前は、浅倉上乃。……貴方を地獄へ落とす者よ」
「……似たようなことを、さっきのボーイも云っていたけど、そう謂う事って云わない方がいいんじゃないのか? ……フラグとか云うんだろう?」
無駄口を叩きながらも、両者はジリジリと間合いを詰める。
自分の、ベストポジションに持って行きたいのは、お互い様だ。
「そんな事は無いわよ。言霊って日本語を知っているかしら? 口に出した事は叶うのよ」
「へぇ~……そうかい。だったら……」
ザシュッ!
マイクが勢いよく飛び出し、一瞬で間合いを詰める。
刀の間合いより近づいてしまえば、ボクシングの方が、有利にはたらく為だ。
「その意味を、俺に教えてくれ!」
ラッシュが来る。
左、右、左、ボディー。
ザッ!
私は、ボディーを後ろに飛んで避ける。
すると、気持ち、お互いの間隔が広がる。
よし……刀の間合いに入った。チャンス!
敵の喉元へ、突きの一撃を決める!
「食らぇぇえええ!」
私は、鋭い突きを打ち出した。
が……しかし、届かない。
……えっ、私が、間合いを読み間違えた?
マイクは、私の刀を拳で弾くと、再びラッシュを繰り出して来る。
私は、そのラッシュを何とか躱し、再び刀の間合いを確保する。
今度は、逃さない。
左から、首を薙ぎに行く!
ブワァァアアア!
しかし、私の刀は、再び空を割いた。
また見誤った?
……いゃ、違う。……相手は、上半身だけを瞬時に下げている。
確か、ボクシングの技よね。スウェーバックって云ったかしら……。厄介な技ね。
私達はお互いに間合いを取ると、息を整える。
「マイクって云ったかしら。その技……中々に厄介ね」
「スウェーバックか? ボーイもこの技で間合いを見誤って、俺に全く攻撃が出来ていなかったぜ」
古武術にも、剣術にも無い技だからね。
……確かに厄介だわ。
だけど、あれを何とかしないと勝てない。
バックステップとスウェーバックを合わせられると、1メートルは間合いを見誤る。
しかも、相手は下がってからのカウンターが早い。
グローブだからって、舐めてかかると、間違いなく殺されるわね。
……さて、どうしようかしら。
私は、中段に構えながら、相手に攻撃を与えられる方法を模索していた。
しかし、予想に反して、この戦いはあっけなく終結する事となる。
突如として、マイクが独り言を云い出したのだ。
「なんだ、王。念話なんてしてきやがって。えっ? 恐呼があばれてる? なんで? ……あ~~、じゃぁ、帰るよ。 石? あぁ、石は破壊しておいたよ。わかった」
なんだ……マイクのやつは、王と念話をしているのか?
鹿鬼は、そんな技まで体得しているのか……。
私が、マイクの会話を集中して訊いていると、マイクは私の方を振り返る。そして、あたかも知人に挨拶をするかの様に、右手を軽く上げる。
「レディー悪いな。ちょっと野暮用ができた。また戦ってやるからな、Goodbye!」
マイクは、その言葉だけを残すと、反転して、路地へと消えて行った。
「ちょっと、待ちなさい!」
しかし、私が追いかけた時には、既にマイクの姿は見えなくなっていた。
「……逃げられたか」
それにしても、マイクは不思議な事を話していたわね。
……恐呼があばれている?
……石を壊した?
いったい、何の事かしら。これは調べる必要がありそうね。
……とはいえ、まずは、楠君の容体が気になるから、戻らないとね。
私は、とりあえず、楠君の元へと戻る事とした。
● ● ●
「浅倉以下、3名無事に戻りました!」
「はい、鋼組のみなさん、お疲れさまでした」
指令室に着くと、三沢さんが我々を労ってくれた。
「ですが……マイクとか謂うボクサー鹿鬼を、逃がしてしまい……」
「何を云っているの、浅倉組長。桶川で2体倒して、上尾でも1体倒す。楠君も無事に帰ってこれたのだから、上出来よ」
「しかし……」
私は、マイクを取り逃がしたことを後悔していた。
「ほら、浅倉組長、元気出して。誰も傷ついてないし、バイクも無事返せた事ですしね。……そう謂えば、浅倉組長ってバイク運転で来たんですね」
すると、横から柏木さんが、会話に割って入る。
「参謀長、組長ちゃんの運転が凄いんですよ。今度是非後ろに乗って見て下さい」
「凄いって?」
「……聞きます? 実は、桶川に向かう途中、左カーブの道があったんですよ。当然組長ちゃんは左にハンドルを切りますよね。ところが、ハンドルの切り方を間違って、後輪が滑って、田んぼへ一直線に進んだんですよ。俺はもう、終わったかと思いましたよ。しかし、そこで、組長ちゃんは、何故かハンドルを逆、右に切ったんですよ。すると、バイクの態勢が戻って、スライドしながら、カーブを抜けていくんです」
「あら、よかったじゃない。田んぼに落ちなくて」
「……それだけなら、まだ良かったのですが、これに味を占めた組長ちゃんは、来るカーブ来るカーブをその方法で曲がって行くんですよ。もう、死ぬかと……」
「それは、災難だったわね……」
「ちょっと、何を云っているんですか! あれのお蔭でタイムが縮まてって、間に合ったんですよ。そんな、地獄を体験してきた見たいに話されるのは心外です!」
……しかし、この時の浅倉はまだ知らない。
後に、浅倉達の行動は『鹿鬼事案』として、報告書に纏められることとなる。……が、その報告書の一文に『浅倉少尉、二輪車ニテ国内初ノ二輪ドリフトヲ極める』との記述がなされる事を……。
私達は、雑談兼報告を終えると、各々休憩へと移った。
食事をする者、お風呂に入る者、お茶をすする者。個々に休息を満喫していた。
私も、流石に疲れたことから、お風呂で汗でも流そうと、廊下を歩いていた。ところが、私の目の前には、待ち構えていたであろう、楠君が現れた。
「組長、少しよろしいですようか」
楠君の顔は、神妙な面持ちをしていた。
待ち構えていたくらいだ、当然、何か悩み事があるのだろう。
そういえば、今朝は楠君と話している途中で、出撃になってしまったんだったけな。
考えてみれば、最後まで話が出来ていなかった……。
私は、その事を思い出したので、楠君に耳を傾ける。
「そういえば、話の途中で出撃になってしまったわね。今度は、最後まで話を聞くわ」
私は、楠君に微笑むと、一緒に中庭のベンチへと向かった。
● ● ●
「……さて、私に聞きたい事はなにかしら?」
私は、楠君に麦茶を差し出しながら、話を振る。
「……いぇ、聞きたい事は、無いのです。それよりも、まずは、お礼をさせてください」
楠君はその場に立ち上がり、私に深くお辞儀をする。
「マイクに殺されそうなところ、助けて頂きありがとうございました」
私は、首を左右に振る。
そして、手をベンチに差し向け、座る様に促す。
「楠君は、勘違いをしているわ。貴方を助けたのは、私じゃないの。……柏木さんよ」
「そうかもしれませんが……桶川まで運転して来たのは、組長じゃないですか」
「まぁ、そう謂えばそうかもしれないけど、それでも、私は自分の仕事をしただけよ」
そう……私は、当たり前のことをしただけだ。助けてあげただなんて意識は、全くなかった。
「組長、実は組長を引き留めた理由はもう1つあります」
「もう1つ?」
「えぇ。僕の事について、お話をして置かなくてはと、思ったからです」
楠君の事について?
……あぁ……あの事ね。
私の頭には、瞬時に楠君の話したい内容が思い当たる。
楠君には、なぜ、殺人衝動を有るす人にしか見えない刀が、見えるのか……。その話の事だと……。
彼は、その理由を、私に話そうとしているのね。
「ふぅ」
私は、小さく息を吐く。
そして、相当重たい話が来るのだろうと、心の帯を締め直す。
「云いたくなければ、別に話さなくていいのよ」
「いぇ、これは僕の組長であるならば、知っておくべきかと思いまして」
「……分かったわ。では、訊きましょう。……でも、無理はしないでね」
私は、楠君の目を見る。
楠君もまた、私の目をしっかりと、見つめて来る。
「……では、話します。……あっ……そういえば、組長には以前、僕の両親が、氷山銭湯は居ない事をお話したのを覚えていますか?」
「もちろん。楠君と会った初日の話よね」
「そうです。ここ氷山神社には、僕の両親は居ませんし、身寄りも居ません」
「それは、今まで一緒に暮らして来たから分かっているわ」
「そうですか。……では、なぜ僕の両親がいないのかについて、お話します」
楠君は、軽く目を閉じて、鼻から息を吸う。
「……僕は、とある小さな村に、両親と3人で暮らしていました。
幼かった僕は、その村で何があったのか、どんな暮らしをしていたのか等の、細かい記憶はありません。
ただ、僕が鮮明に覚えているのは、両親が僕を引き連れて、追いかけて来る村人から逃がしてくれた事です。
何故僕ら家族が追われていたのか、それについての記憶はありませんので、追われていた理由については不明です。
僕の記憶に残っているのは、僕たち家族が、村から走って逃げ出した所からです。
今にして見れば、幼い僕と、母親ですから、村人に追いつかれるのは時間の問題だったのでしょう。
そこで父は、僕と母を逃がすために、しんがりを努めました。
……しかし、父だけでは、襲って来る村人を、止め切る事が出来ませんでした。
そして、今度は母が、村人から僕を逃がす為に、僕を先に逃がした後、村人と共にトンネルを爆破させて生き埋めとなりました……」
「……なっ、なぜそこまでして……、村人は楠君の何を狙ったのかしら?」
しかし、楠君は首を横に振る。
「分かりません。何度もその記憶を辿ったのですが、残念ながら、覚えていないみたいです。
ただ僕は、父と母のお陰で、奇跡的に命が助かりました。
そして、途方にくれて歩いて居たところを、修行の旅に出ていた武術家に、助けられたのです。
また、この人が僕の武術の師匠に当たります」
「……そう。つまり、その人が楠君の親代わりを務め、更に武の師匠でもあると云う訳ね」
「そうです。ですから、僕は、師匠に感謝しつつも、村人を恨んでいるのです。何故あの時、両親は、殺さなくては、ならなかったのか……。僕の怨みは、村人を、全員殺すまでは、晴れる事が無いと思います」
「……成程。それが人を殺したい理由ってな訳ね。……よく分かったわ」
「……はい。ですから、僕の殺人欲求は、村人だけとなります。赤の他人を殺したいとは思いません」
「そぅ……でも……それでも、人を殺してはいけないと思うわ。私は、貴方に、人殺しの人生なんて歩んで欲しくない!」
「……でも……僕は、人を殺す力を、習得ました。……もし復讐する為で無いとするならば、師匠は、なぜ僕に人殺しの技なんて、教えたのでしょうか?」
「……そうね。私にも、師匠が、何を考えていたのかは分からないけれど、きっと昔の貴方にはそれが必要だったんじゃ無いかしら……」
「……必要?」
「そう……きっと、人を怨む事によって、絶望を顧みず、生きる糧とする。怨みは生命力だからね。きっと、絶望の淵に居た楠君を、自殺させず、生かすために取った手段なんじゃないかな? その師匠と同じ立場なら、私も、そうしたかもしれないし……」
「……では、もし、僕が復讐の気持ちを捨てたら……僕は……何を支えに、生きればいいのでしょうか?」
「……そもそも、復讐を支えとしているのであれば、村人を殺した時点で、生きる気力が無くなるって事よ。つまり、復讐と謂う気持ちでは、生きる支えが先に無くなるか、後に無くなるかの差でしかないってこと。どちらにせよ、終われば心の中は空っぽよ……」
「……そうかもしれませんが……それでは、僕は……この先、何を支えに生きればいいのでしょう? 村人を殺すことも出来ず、自殺も選べない。そんな人生になんの意味があるのでしょうか?」
楠君の目には、涙が浮かぶ。
「そうね……。今の貴方には、村人を殺す力はあるわ。その気になれば、あっという間でしょうね。……でもね、その力は、村人を殺す事も出来るけど、鬼を殺す事も出来るのよ」
私は、自分の刀をすらりと抜いた。
「楠君は、簡単に人を傷つける為の、拳を持っているわね。でも……もし、楠君の後ろに、守るべき市民がいたら貴方はどうします? 見殺しにしますか?」
「……いぇ、多分助けると思います……」
「フフフ……そう……助けるのね。つまり、楠君は市民にとっては、最高の盾となるのね」
「……最高の盾?」
「私はね、貴方の拳は、誰かを守るために使って欲しいの。……人はね、誰かを守るために立ち上がる時は、最強の盾になれるのよ」
そう……貴方を守った両親の様に……。
「……最強の盾になれる……?」
「そうよ。楠君は最強の盾になれる。……でも、盾って、立て掛ける物が無いと倒れちゃうじゃない? ……だから、私はその支えになってあげるわ。貴方が市民の盾であり続ける限り、倒れない様に、私は貴方を支える壁となる。前に、云ったでしょ。お姉ちゃんに任せなさいって」
「お姉ちゃん……」
楠君の頬を、涙がつたう。
「そっ、お姉ちゃんよ。よろしくね、私の大事な弟、清右ヱ門」
私がてを差し出すと、楠君もその手を握り返して来る。
そして、お互いに強く握手を交わす。
この時、私は、自分に組長としての重責を担った。
また、組長としての決心も生まれた。
…………この子は、私が絶対に守り抜く! っと……。




