対片桐戦
妖鬼殲滅隊埼玉支部、通称戦闘氷山。
その敷地はかなり広大であり、南北に細長い形状となっている。
北側から順に建物を列記すると、銭湯氷山、従業員宿舎棟及び食堂等談話室、中庭(地下に妖鬼殲滅隊埼玉支部指令室)、氷山神社本殿、社務所、約二キロにも及ぶ参道。概ねこの様になっている。
私は、神社では巫女として、また銭湯では清掃員として、日々この敷地を北へ南へと行ったり来たりしている。
そして今、食堂で朝食を食べ終えた私は、中庭で木刀を振っていた。
「さぁて、私の実力がどこまで片桐さんに通用するか楽しみだわ」
模擬戦闘なんて、かれこれ約一ヶ月はしていない為、私の心は宙に浮く程、高揚していた。
素振りをして、体が温まって来た頃、遂に片桐さんが現れた。彼は、手に六メートル近い木の棒を持っていると謂った出で立ちだ。
本来彼は槍術使いであるが、専ら穂先の無い棒で稽古をするのが、通常なのだろう。
「組長、おまたせしました。訓練の形式はどうしましょうか?」
彼の顔は美形であるものの、相変わらず無表情で、言葉も抑揚が無く、たんたんと話すのが特徴的だ。
「そうね。実戦形式ってので、お願いできるかしら?」
「……構いませんが……組長、怪我しないでくださいよ」
「ふぅ。……甘く見られたものね。私、これでも士官学校では敵無しだったのですよ」
「……そうですか……わかりました。では、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私たちは一礼をした後、お互いに間合いを取るため数歩下がった。
そして、微風が吹く中庭において、私と片桐さんは、約六メートルの間合いで対峙する事となった。
私は剣道で謂う所の中段に構え、片桐さんは、槍の穂先から約三メートルとほぼ中央を自然体で握っている。
……あんなに短く持って、しかも構えもせず、自然体とはね。
……どうやら、私はかなり馬鹿にされているようね。
「片桐さん、もしかして、女だからって、私を舐めているのかしら?」
「……なぜそう思うのですか?」
「槍は根本を持つことで、最大の攻撃力を発します。しかし、あなたの持っている場所は中腹辺りですよね。それでは槍の優位性を殺す持ち方だわ」
そう、戦国時代、火縄銃を除けば、戦場において一番強いとされているのは槍である。
よくある作品では、刀を持つ者が強く描かれる傾向にある。しかし、実際の戦闘ではリーチがモノを謂う。
つまり、同じ刀であった場合でも、通常の太刀より長い、野太刀等の方が有利とされているのだ。
そして、今、片桐はそのリーチを生かさない持ち方をして構えている。
つまり、浅倉としては、バカにされているとしか感じられなかったのだ。
「いいわ片桐さん。その考え方を正してあげる」
私は、細く息を吸うと、牽制がてら剣先で槍の穂先を軽く弾いた。
カツ、カツ、と乾いた音が中庭に反響し、私と片桐さんは、お互いに相手を牽制しあい隙を伺っていた。
私は、カツっと相手の槍を右から左に弾く。
すると、相手は槍の穂先を中心に戻そうと左から右に力を加える。
その瞬間、私は剣先を槍の左側に移動させて、槍の左から右へと追い風の様に力を加える。
そうなると、当然相手の穂先は中心を通り過ぎて、私から見て右側に穂先が行き過ぎる。
今だ!
相手の穂先が、私の体から右へずれた瞬間、相手の懐に飛び込むチャンスが生まれた。
私は体を左にずらし、穂先を避けながら右足を蹴りだし、突進を始める。
左足が地面に接触すると同時に、私は刀を振り上げて、更に強く左足を蹴りだす。
よし、一気に距離を詰めた。
槍は、穂先である刃帯の部分さえ切り抜けて間合いを詰めてしまえば、切り裂く事はできない。
つまり、接近してしまえば、こちらに分があるという事。
私は、交互に足を強く蹴りだした事により、槍の間合いを掻い潜って、自分の間合いに入る事が出来たのだ。
よし、一足一頭の間合いに入った! これは私の間合いだ。槍では短すぎよう。
一足一頭の間合いとは、体を前に進めながら、刀を振り下ろした時、狙った場所に刀の先端が当たる間合いの事を謂う。
刀には遠心力が働くので、当然先端に一番力が掛かる。
裏を返せば、刃の根本では腕の力のみで切る事になるので、大してダメージは通らないのだ。
一足一頭の間合いに入った私は、相手の右手首に狙いを定めて、木刀を振り下ろす。
片桐さん、おあいにく様!
……さて、もしもこの場に剣道の教官が居たとしよう。
もし、そうであったなら、きっと教官はこう述べた事だろう。
『彼女の剣速は、士官学校首席の名に恥じない、電光石火とも呼べる速さです。そうですね、どの位の速さかと云うと、素人であれば、いつ腕を切り落とされたのか分からない事でしょう。また、経験者であれば来ると分かっていても、体が追い付かない。玄人であれば、なんとか払いのける事は可能かもしれません。その位の速度はでています』
このように浅倉の剣技を絶賛したはずだ。
しかし、片桐の実力は、そのどれとも違った。
その光景は瞬きをするよりも速く、本当に一瞬の出来事だった。
カンっ!
木と木が打ち合う音を1つさせたと思った次の瞬間、浅倉の刀は地面まで振り下ろされており、そして浅倉の首筋には、槍の穂先が当てられていたのだ。
「えっ!」
浅倉の首筋からは、冷たい一筋の汗が流れ落ちる。
浅倉自身、あまりに早くて何が起きたのか理解する事が出来ていない状況だ。
敗北と呼ぶには余りに呆気なすぎて、大人と子供程の実力差がそこにはあった。
……何? 私は……今……破れたの?
早すぎて分からない。
なぜ、私の刀は地面に刺さっているの?
なぜ、片桐さんの槍は私の首に当たっているの?
私は困惑して、現状を把握することができなかった。
「……組長、これでいいですか?」
片桐さんが私に話しかけてきた事により、私は現実に引き戻された。
「いゃ、ちょっとまって……何が……起きたの……」
彼は、私の首筋から槍を外すなり柄を地面に付く。
そして、呆れ顔をしながら「はぁ~」と大きなため息をつくのだ。
「そんな事も分からないんですか? 組長、あんた弱すぎる」
「いゃ、いゃ。ちょっと待って、今整理するから」
まずい、完全に呆れられている。
あの云い様は、見捨てた云い方だ。汚名は返上しなくてはならない。
私は今の戦闘を、頭の中でもう一度スロー再生する事とした。
あの時私は、確かに、片桐さんの右手首を切りにかかった。
私の攻撃は、振り下ろすのと同時に、体は前に進む。つまり、横から見ると剣先の動線は、上から下ではなく、上から斜め下となる。
そして、あと拳1つ分の距離まで剣先が彼の右手に近づいた時、問題が起きた。
片桐さんの槍が私の刀の右側面に当たる。
場所は概ね先端から10センチ位離れた場所だろうか。
そう、そして、この後が重要だ。
槍と刀が接触した瞬間、私の刀は地面まで振り切ったのだ。
つまり、片桐さんが槍を刀に当てた事によって、振り下ろす速度が加速したと謂う事だ。
通常であればありえない。
ただ……、考えられる事は1つしかない。……これは実際に見えた訳でも無いので、憶測の粋を脱しない。
しかし、刀から受けた感触を考えると、私にはその方法しか思いつかないのだ。
「片桐さん。貴方は私の刀の側面に槍を当てる瞬間に、槍を高速で回転させましたね。とはいえ、棒が軸回転しているだけですから、傍から見れば、ただ槍を持っているだけにしか見えませんが……」
その答えを聞くなり、彼は、少しだけ微笑んだ。
「へぇ~、流石は組長さん。見えましたか?」
「……いえ。残念ながら見えはしませんでした。しかし、なにか高速で回転しているモノに、刀が触れたのと近い感触を受けたので……。そうですね。例えるならば、研磨機とか、丸ノコとかそういったものに触れた感触と云いましょうか」
「……いゃいゃ。一度受けただけで、そこまで分かれば十分だ。……まぁ、五十点ですがね」
なに! まだ何かあるの?
確かに、幾ら高速で回る物体に弾かれたとしても、それだけで、地面まで刀が振り切るとは考えにくい。
しかし、音は一度しか聞こえなかった。
……いゃ、もしかすると、一度しか聞こえない程に早い動きなのか? それとも滑らすような動きだった為、音が鳴らなかったの? ……まぁ、何れにせよ、神業である事には変わりないか。
考えが纏まった私は、もう1つの憶測を口に出した。
「片桐さん。これも見えている訳では無いから、私の憶測でしか有りませんが、片桐さんは槍を弾いた後、手首を返して、私の刀を下に押し下げた。そしてその反動を利用して、穂先を私の首筋に当てた。どうでしょう? これで百点を頂けるかしら?」
その回答を聞くなり、彼はパンパンパンと程拍手をしてくれた。
「流石は士官学校首席、分析能力に長けている様ですね。……その通りですよ。まぁ、もう少しだけ補足しますと、貴方の剣先が私の手首に届く瞬間、私は槍を立てます。大体45度くらいの角度ですかね。この時手を滑らせて、もう少し槍の先端を持ちます。そして、手首を返して刀と接触する瞬間に回転運動を加えます。すると組長の刀は下方に向けて加速します。この後槍を刀の上に乗せて軽く押し下げれば、地面まで刀は振り下ろされる。そして、その反動を利用して首を薙ぎに行ったと謂う訳です」
「……なるほど。そんなに素早い動きを一瞬でしていたとは……」
「でもまぁ、まさか一度見ただけでこれが分かるとは……いやいや、大したものです。ですが、実践では気が付いた時にはあの世ですから、意味は無いのですけどね」
そう彼は私に解説をすると、彼は冷たい顔で微笑んだ。
しかし、……彼が云う事はもっともな意見だ。
今日は、あくまで練習だから次があるが、実践では私の命は尽きていたであろう。
私の人生において、今まで数える程度しか会ったことは無いが、これが達人という存在なのだろう……。
私は、久しぶりに会った達人に対し胸の高ぶりが抑えきれず、不敵な笑みがこぼれた。
「片桐さん! もう一勝負お願いできないだろうか!?」
そうだ、私はまだこれからだ。
これしきの事では、絶対に諦めない。部下に頭を下げて強くなれるのであれば、幾らでも下げて見せよう!
私の頭なんぞ、一銭の価値も無いのだから!
私は頭を下げた後、私は彼の姿を直視した。
すると彼は、いつもと変わらない無表情ではあるものの、少しだけ口元が緩んでいる様にも見えた。