おねがい
私は朝起きると、いつもと変わらず境内の掃除に取り掛かった。
世間では三連休らしく、朝から境内には散歩客もちらほら散見された。
そう、私達が蕨で戦ってから、既に二週間近くが経過しており、現在は平穏な日常が流れていたのだ。
しかし、埼玉支部の面々はこの平穏が間もなく終わると考えていた。なぜなら、約二週間周期で鹿鬼は出現しているからだ。
つまり、そろそろ敵が現れてもおかしくない状況と謂えるのだ。
当然、その情報を私は知っている。よって、朝の掃除をするにしても、若干気を張りながらというのが、最近の精神状態だ。
ちなみに、この所私には、ルーティーンとして行っている事がある。それは、掃除に使用している竹箒に妖力を流し込むと謂った行動だ。
妖力を物体に流し込むと謂う行為は、水が一杯に入った一升瓶を、逆さにするのと同じ感覚に似ている。つまり、一度妖力を物体に流し込むと、ドバドバと地面へと流れ落ちる水の如く、途中で止める事は出来ない。
これは、妖力を使用する者であれば、誰もが経験していて、知っている。つまり妖力使いの常識と謂えよう。
もっともそんな事は、殲滅隊でも、あまりに当たり前すぎる為、誰も疑問にすら思わない。走ったらなぜ疲れるんだ? と質問しているのに近い感覚だ。
しかし、私はその考え方に疑問を持っていた。
もし、途中で妖力を止めることが出来れば、妖力の有効利用が出来るのではないかと……。
そんな訳で、手始めとして私は、密かに掃除をしながら掃除道具に妖力を流しては止めると謂った練習をしていたのだ。
最初の内は妖力を止めることは出来ず、掃除の途中で倒れる事もしばしばあったが、6日が経過した頃になると、時折止める事が出来た。
そんな私の努力は着実に効果を発揮し、十日が過ぎた頃には、一度だけではあるが、確実に妖力を止める事が出来る様になっていた。
つまり、3分間妖力を使用しながら戦える私は、もし1分で敵を倒したとするならば、倒した時点で妖力の流れを一度止める。そして、もう一体現れた時に再び妖力を流せば、また2分戦う事が出来る。つまり、妖力のロスを減らすことが出来るという訳だ。
これは画期的な方法である。もし、もっと小刻みに妖力が流せるようになった場合、インパクトの瞬間だけ流せるかもしれない。
そうすれば、1時間くらい戦闘が出来るかもしれないのだ。
1時間も戦闘が出来るなんて、なんと素敵な事なのでしょう。っとまぁ、私は、掃除をしながらそんな夢を見ていた。
もっとも、そこまで極めなくとも、妖力を流したり止めたりが容易になれば、今より長い時間戦えるのは確実だ。
つまり、長時間戦えるという事は、こちらも多くの作戦が立てられるし、優位に戦えるという事だ。
少なくとも妖力切れの心配をしなくていいのは、ありがたい事この上ない。
まだ2回程しか戦闘経験は無いが、妖力の使い方が今後の戦闘を左右する事は明らかだ。
そんな捕らぬ狸の皮算用をしながら、私は集めた枯葉を、塵取りに収めるのだった。
まっ、夢を見る事は乙女の特権だ。
● ● ●
「――朝食の準備が整いました」
片桐さんが、食堂から館内放送を通じて、各作業員が詰めている部屋へと呼び掛けた。
すると、何処から現れてくるのか、わらわらと30名程度が集まってきた。
一堂に会して食事が出来るわけでは無いので、まだ残り半分程の人数は作業中となる。
そんな中、私は食事を取りながら、改めて多くの人間が、ここでは関わっているのだなと関心をしていた。
環境整備をしている作業員。煙突砲台の整備をする機械エンジニア。巫女など神社に関わる面々と、銭湯の作業員。
これらの従業員の殆どは兼業をしており、秘密裏に軍の仕事もこなしているのだ。
全く頭が下がる一方だ。
私も巫女の仕事と、銭湯の仕事をしてはいるが、まだまだ他のメンバーに比べると、甘さが残ると痛感させられる。
自分も早く一人前になりたいと思ってはいるものの、鹿鬼との戦いにおいて、不甲斐ない戦績を収めてしまった自分が情けなくもあった。
士官学校では敵なしだった私であったが、ここに来てからは、部下に助けてられてばかりだ。
どうやら、私は井の中の蛙であったらしい。
大海を知らなかった事を知らされて、落胆しない日は無かった。
しかし、これは私の性分なのだろう。なぜか、いくら落ち込もうが、絶えず上に登ってやると謂った心の炎は、消える事なく燃え続けているのだ。
そう、私はこれしきの事では諦めない。
弱いのであれば、強くなればいい。
ただそれだけの事だ。
自分より強い人間がいるならば、何度でも稽古を付けてもらえばいい。
私は、絶対に折れてやらない!
もっとも、この心の強さを支部長である金沢は買って自分の部下に組み込んだのだが、それは浅倉の知るところでは無かった。
そして、私は朝食を食べ終えたところで、あることを決意した。
いゃ、元々決意はしていたので、今日が結構の日だと、謂うだけだ。
私は食器を片しがてら、厨房に居る片桐さんの元へと近づいた。
「ねぇ片桐さん、この後とか、時間あったりしますか?」
一瞬片桐さんは私の方をチラリと見るが、すぐに食器を洗い始めた。
しかし、口だけは私の方を向けてくれた様だ。
「後片付けが終われば、昼食の準備まで多少時間がありますよ。なにか用ですか?」
よし、空き時間がある。チャンスだ。
私は片桐さんの空き予定を聞くなり、他の予定が入る前に、時間を頂く事とした。
「片桐さん、お願いがあるのですが、この後少しだけ私と手合わせ出来ませんか?」
「……手合わせですか? 俺と模擬戦がしたいのですか?」
「模擬戦って程じゃないけれど、少しだけ手合わせしてもらえればな……と」
「そうですか……まっ、いいですけど……組長って弱いけど、俺と手合わせなんて大丈夫ですか?」
「うぐぅっ!」
流石の私も、オブラードに包まず、直接云われたのには少し応えた。
確かに、自分は弱いと思う。しかし、他人に云われるのと、自分で云うのとでは訳が違う。
少しだけ悔しくなった私は、この時云わなければ良いのにもかかわらず、つい無駄に見栄を張ってしまった。
「片桐さん。私とまだ手合わせしたこと無いでしょう? 私これでも士官学校では敵無しだったのよ。鹿鬼とは、妖力のせいで片桐さんに一本取られた感じがするけれど、これでも対人戦は強い方なのよ!」
「……ふ~ん。そうですか……それは凄いですね」
私はえっへんと胸を張って答えると、何故か片桐さんは私の胸を見つめていた。
「ちょっっ、どこ見ているのよ!」
「……ん? どこって、胸ですけど」
うわぁ、本当にオブラードに包まない人ね。
云い切ったわ、この人。
「……片桐さんって意外とそういうのに興味がある人?」
流石の私も、少し気恥ずかしくなってしまい、胸を両手で押さえて隠してしまった。
それにちょっと、顔が熱い。
自分で自分の顔を見ることは叶わないが、多分赤面しているのだろう。
改めて見ると、片桐さんはカッコイイし、そんな人に興味を持たれてしまうと、乙女としては動揺してしまうモノだ。
「かっ、片桐さんは、女性の……むっ、胸とかお好きな方な……のですか?」
あっ、つい聞いてしまった。
セクハラとか謂って、訴えられないわよね。
「ん? ……胸ですか? ……いゃ、別に組長の胸には、これっぽっちも興味はありませんが、人って無意味な自信がある時って本当に胸を張るんだなぁ~って思っただけです」
……えっ?
その言葉を聞くなり、赤面していた私の顔は、ほんのり染まった桜色ではなく、赤鬼の様に真っ赤な顔へと変貌していった。
「……ククク、いい度胸じゃない。……私の強さ、記憶から消えない程、その脳の海馬に刻み込んであげるわ!」
そして、午前十時、やる気に満ち溢れた私は、全くやる気の無さそうな片桐さんと模擬戦を始めるのだった。