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後編

〇中学館カルチャラル・ライブ・セミナー

 中学館さんのビルは、それは立派なビルディングです。神保町界隈で生活している人なら、まず知らない人はいないんじゃないかな。隣にも大手出版社のビルが並んでて、おしゃれカフェとかあって、まあ別世界なんです。

 初めて中学館ビルに入る。立派なエントランスです。警備員さんもいるし、オフィスへの方には駅の自動改札みたいなセキュリティーもある。

 今日はイベントというか、セミナーをやっているので、警備員さんの他に、受付の人が、テーブルについて立って、お客の応対をしているらしい。五人くらい、若い女性の受付さんが並んで立っている。

 他の参加者は、だいたいカップルで、受付に並んで、何かテーブルで書いている。僕らも最後尾に並ぶ。名簿に名前なんかを書かされるんだろうな。ついでにバックの中を見せて、危険物の持ち込みがないかチェックされている。

 少しずつ列が進み、僕らの番が近づいてくる。ドキドキする。カバンは持ってないから見られないだろう。拳銃なら、左脇の下で、エイメさんからもらった、というか借りた、専用のホルスターというベルトみたいなのに入れている。

 目は、ゴーグルの代わりに、度の入ってない、フチなしのメガネを借りた。クノイチちゃんの表示も簡易版で、顔だけマークです。

耳栓は、耳の穴の奥に詰めるタイプの、ワイヤレスイヤホンみたいなやつだ。クノイチちゃんからのアドバイスなんかも聞こえる。

ペアだからドキドキ、というのもあります。女子と並んで歩くなんて初めてで、しかも信濃さんだし。

 受付の女の人に「ペアでのご参加ですか?」と聞かれた。信濃さんが、セリフにかぶせるくらいの勢いで、「ハイ! ブブブ文庫、編集部、小山様の、ご紹介で参りました、毬谷の友人の! 信濃と! 貫木と申します!」と、緊張した声で言ってくれた。

 受付さんは、ちょっとびっくりした様子だったけど、書類をパラパラめくって、「ゲストの六名様ですねー」くらいのフランクさで、すっと通してくれた。羅塩院くん谷柔さんペアも問題なく通っていて、こちらにそっと親指を立てて見せた。毬谷さん桑志田くんペアは、毬谷さんだけ奥に案内され、桑志田くんは手持無沙汰でウロウロしている。中学館の出版物が展示してある、ギャラリーみたいなところへ歩いていったようだ。

 エスカレーターも、立派なものだよ。両脇が階段で、そこにも出版物が展示してあって、ここら辺までは、イベントでなくても、一般人も入れるのかな。

 ゾロゾロと列のまま歩き、案内され、四階にある、ホールのような、イベント会場までたどり付いた。ビルの中も広いのね。

「プログラムどうぞー、ペアの方は二人掛けソファーにお掛けくださいー」

 会場整理の係の人だろう、プログラム的なペーパーを配りながら参加者を誘導している。僕もお礼を言いながらプログラムを受け取る。係の人のネームプレートには「米」とある。段ボールで作った鎧みたいなのを着ている。同じような格好をした人が数人いる。

「うわ、ソファー高そー」

 二人掛け、なのには間違いない。ピンク色で、背もたれはハートマークをかたどっている。座る面は、真ん中に向かってVの字に傾斜がある。信濃さんの言うとおり、高そうだし、なんか色々、露骨です。

「さすが、一流の出版社だよね」

 適当に言ってみたものの、これに、信濃さんと、二人で座るのか? いいのか?

「早く座って座ってー」

 会場係の、さっきとは違う人に言われた。ネームプレートには「榊」とある。よく見ると、横に「ブブブ文庫」のロゴも描いてある。

「あ、はい、座ろう、貫木くん」

 信濃さんに腕を引っ張られた。確かに、ずっと立っているのも怪しまれるか。

「はい、じゃあ、……うわっ」

 ソファーの座面が傾斜しているので、二人同時に座ろうとして、二人の肩や腰がドーンとぶつかった。

「お若いお二人―、もっとくっついちゃってー」

 別の係の人が、妙な笑顔で言ってくる。この人のネームプレートは「渡部」だ。

「ちょ、ちょっと、恥ずかしい……」

 信濃さんが体をくねらせる。なんとか僕と密着しないようにもがくように。

「高校生? 若いねー、これ、ドリンク、サービスねー」

 今度は「林田」と書かれた係の人が、プラカップに入ったドリンクを差し出してくる。

「お酒、じゃないですよね」

 林田さんは、心配そうな信濃さんを上から下へとじっくりと見ながら「そんなわけないでしょー、ジンジャーエールですよー」と笑う。二人でドリンクをそれぞれ受け取ると、片手がふさがれるから、体はさらに密着してしまう。係の二人はニヤニヤしながら離れていった。

 会場内にモヤというか、スモークが焚かれているのか、薄暗いし、ムーディーな音楽も流れていて、信濃さんからはいい匂いもしてるし、ドキドキが止まりませんね、これは。

「わざとやってるのかな、はは……」

 僕は笑ってドキドキをごまかしながら、首を回して、他のペアの様子を見ようとした。

 運動部の二人、羅塩院くんと谷柔さんは、肩を組んで、健全な感じだな。いやらしい感じがしない。別にいやらしさを求めてるんじゃないけど。サッカー試合前の記念写真みたいな、清々しさですね。特におしゃべりするわけでもなく、イベントが始まるのを待ってるのかな。

 逆側のソファーには、桑志田くんが一人で座っている。まだ毬谷さんが戻ってこないのかな。ずっとほったらかしで可哀そうだね。

 なんて思ってる瞬間に、毬谷さんが、小走りで桑志田くんソファーに駆け寄ってきた。ちょっと笑っている。よかった。

「ふひひっ、待ったー?」

 毬谷さんが体ごとソファーに突っ込んで、桑志田くんの横っ腹にぶちかましていった。

「うおーっ?」

 桑志田くんの本気の焦り声が聞こえてきた。

「小山のやつー、上司バレしたみたいでー、超ウケるんだけどー」

 毬谷さんは口を手で押さえ、小声で言おうとしているようだが、めっちゃこっちまで聞こえてくるんですけどー。

「え? 俺らのこともバレた?」

 寄りかかってくる毬谷さんの体を受け止めながらも、桑志田くんが慌てる。

「ダイジョブじゃなーい? ウチらはセミナー楽しんでって、てよー。小山は連れて行かれたけどー」

 ほんとにダイジョブかな?

「……まあ、毬谷のことだから、うまいこと言いくるめたんだろ?」

 桑志田くんには、どこまでバレたか検証するだけの余裕はないようだ。毬谷さんが自分に体を預け、腕を絡めてきているのだから。

「ウチは単に、イベントに行きたいって言っただけだし。勝手にタダにした小山のことなんか知らないし」

 やっぱ女性不信が止まらないわ。


 音楽の音量が小さくなり、会場の明るさがちょっと上がった。司会席に、二人の女性が着いた。そろそろ始まるのかな?

「開会宣言!」

 二人の女性司会の内、背の低い方、ショートカットの方が、元気よく、唐突に宣言した。

「偉大なる星野編集長のご臨席を仰ぎ、ここに謹んで、中学館ブブブ文庫編集部主催、第四回、週刊ラブコメセミナー、やはり我らの実戦ラブコメはとんがっている、の開会を宣言いたしますン」

 女性二人の、背の高い方、セミロングのしっとり美人が、ねっとりした声で宣言した。とりあえず拍手した。

「本日、司会を務めさせていただきますン、ブブブ編集員の、湯浅と……」

「岩浅です! 二人合わせてダブル浅野です!」

 すべっても気にしないメンタルタフネスなんだろうね。もう四回目だから慣れてるのかも。

「すごい、高そうな服だね、あの女の人」

 僕の耳元で信濃さんが言う。くすぐったいね。服の良し悪しは分からないから、適当に、そうなんだ、くらいの返事で。

「私もあんなの着たいな、あ、右の人の方ね」

 しっとり側、湯浅さんの方の服だと。女子アナみたいな感じかしら。

「ああ、似合うよ、きっと」

 お金もおありでしょうし、とは言わなかったけど、僕の適当な反応に、信濃さんは体をもぞもぞさせ、「やだ、もう……」的なことを言った。

「編集長より、お言葉を賜ります!」

 元気な方の司会がまた唐突に言う。

「……プログラムには、中学館におけるラブコメの歴史、次に来るラブコメ、大ヒットラブコメの誕生秘話、なんかあるけど」

 僕が見るプログラムを、信濃さんが覗き込んでくる。いい匂い。

「ほんとだ、編集長あいさつ、は書いてないね」

 お言葉を賜る、とも書いてない。起立して社歌を合唱、とか言われないだけマシかな。

 司会席の奥の壁、どうやらカーテンになっていたようで、天井もすごい高いんだけど、一面がベージュのカーテンで仕切られていて、そのカーテンが、ゆっくり、天井へと引き上げられていく。

「奥にいるの? 編集長」

 普通に横から入ってくるものと待っていたので驚いた。

 カーテンが上がっていく、下の方から向こうが見えてくる。土台のようなものだ。ちょっとスケール感が分からない。

「え、でかい、ピラミッド?」

 信濃さんが驚き、僕も驚く。カーテンが半分以上、上へと畳まれて行っても、まだ全体が見えない。

 金色に輝くピラミッドが徐々に姿を現している。本物の金なのかは分からないけど、圧倒的な大きさと、ギラギラさだ。天井は高くて、五メートルくらいあるんだけど、まだピラミッドの頂上は見えない。カーテンの向こうはもっと天井が高いのかもしれない。

「あ、誰かいる」

 ピラミッドは頂上部分で平らになって、誰かが椅子に座っているらしく、その足から見えてくる。右足を高く組んでいる。玉座みたいな立派な椅子にふんぞり返っているようなイメージだ。ゴゴゴゴゴって音もしてくる。

「ずっとスタンバってたのかな」

 信濃さん指摘のように、ピラミッドを上る様子は分からなかったので、もしかしたら我々が会場入りするよりずっと前からピラミッドの上に座って待っておられたのかもしれない。

 だんだん編集長さんの全身が見えてきた。皮パンだ。赤い皮パン。青いジャケット。そして、銀髪なのかな。ピラミッドの金色が反射して見えづらいけど。

「え、かっこよすぎ」

 西洋人な顔立ちで、目つきがやたら鋭くて、そこそこの年齢だと思うけど、若々しいっていうか、たぶんすごい体も鍛えられてるだろうし、例えるなら、ジョニデとかトムクルーズとか? 右足を組んで座って、左手の人差し指をこめかみに当てて、何か考え中、って顔で。

 カーテンが上がり切っても、しばらく編集長はそのポーズのままだ。ずっとゴゴゴゴって音してる。何の音かは分からない。

『ビンビンに感じます! ラスボス級の反応です!』

クノイチちゃんだ。

「モンスターじゃなさそうだけど」

 僕は右耳のイヤホンに指を当て、信濃さんから顔を逸らし、独り言アピールで聞く。

『あのヤンエグからではありませーん。どこにいるかまでは分からないけど、たぶん、繋がってまーす』

 今日は偵察に来ただけだから、だいたいどんな奴なのかだけでも分かれば、すぐに逃げたいんだ。

「私はラブコメを極めた、長きにわたる研究の結果だ」

 独裁者の演説みたいなトーンで編集長が話し出した。

「私が開発したラブコメ発生装置、そこから発せられるラブコメハ、「ハ」は、なみ、ね。ウェーブの波。その「ラブコメ波」により、世界のあらゆるラブコメをこの手中に収めることができたのだ!」

 編集長さんは右手をクワっと開いて、ゆっくり立ち上がる。

「何を言い出した? なんだよラブコメ波って」

 桑志田くんの方からも戸惑いが聞こえる。他の参加者もザワザワし出したか。

「どうやってラブコメ波を開発したのか、ご来場の皆さんだけにお教えしよう」

 ザワついた会場がまたシンとなる。プログラムに書いてあった、大ヒットラノベ誕生秘話に続いていくのかな?

「宇宙の果てからラブコメ神を召喚することに成功したのだ!」

 いっそう会場がザワザワ言い出した。

「ラブコメって宇宙からきたの?」

クスクス信濃さんです。

「ラブコメは地の塩だ。ラブコメを財産にすれば、死さえも友とすることができる。そう使徒はおっしゃった!」

 編集長さんはピラミッドの上で叫んでいる。

「神は我に、ラブコメ波の原理を、ラブコメ発生装置の原点となった知恵を授けてくださった! このセミナーは、皆さんにラブコメのすばらしさを体験していただくために開催したのです!」

 プログラムとは全然違うことを言い出している。僕はだんだん怖くなってきた。

「ラブコメ波をたっぷり練り込んだ、このブブブ文庫によって! 私は世界をラブコメで満たす! 目指せ五億部!」

「ラノベでそんなに売れるかよ。ワンピースじゃないんだぜ」

 桑志田くんがボソッと言う。

 ピラミッドの頂上で、編集長は、青い文庫本を取り出して見せる。見覚えのある青み。

「ああ、やっぱり」

 銀華公園でのギンカンゴも、あの文庫本が関係していたに違いない。

「装着!」

 編集長は青い文庫本を縦に持って、自分の頭の上に置いた。

「はあ?」

 信濃さんも声を上げる。何を始める気なのか。

「ラブコメオーン! ブブブチェーンジ!」

 編集長さんの頭に乗った文庫本が、青いトサカのように、あるいは、青いモヒカンのように、編集長の頭部と一体化していく。

「あれ、羽根じゃね?」

 編集長さんの背中からは、青い羽根が生えてきた。羅塩院くんも指さして驚いている。

「お前らにラブコメ波を浴びせてやる!」

 とうっ! とばかりにジャンプし、編集長さんは、羽根を羽ばたかせ、空中で何回か宙返りをして、セミナー参加者最前列の目の前へと、スタっと降り立った。

「ひいっ!」

 目の前に怪人が現れたカップルさんは身構えるよ。しかし編集長さんは構わず、羽根を広げ、手でハートマークを作り(メイドカフェなどで見られるような)、腰をクイックイッとさせた。

「ラブラブコメコメ! エンドルフィーンの、オキシトシーンの、ジャブジャブ、ドーパミーン! えーい!」

 編集長さんの顔は大真面目だから、どうリアクションしたらいいか分からないよね。

「……らーぶーこーめー、……っはあぁぁぁ!!」

 最前列カップルを包み込むように、薄いピンク色の、エネルギー弾みたいなのが、編集長さんの両掌から発射される。

「……」

 別に物理的なダメージは無いようだ。ふわーっと、ピンク色の粒子が、最前列カップルに染み込んでいく。

「……ふう。まずは一発。さあ、ご両人、ラブコメを開始してください」

 頭に青い文庫本を乗せた編集長さんが、一転、笑顔になって言う。

「……もう! 何なのこの人! だいたい、こんなセミナーになんか来たくなかったんだからね! でも好き」

「へっ! 素直じゃねえなあ、ったく。愛してる」

 ラブコメ波を浴びたカップルが、何か急にイチャイチャし始めたぞ。

「あれが噂に聞く、ツンデレものだな。知ってるだろ?」

 桑志田くんが毬谷さんに教えている。毬谷さんは「えー、わかんなーい」と、両の拳を胸の前で合わせてかわいいポーズをしている。

「さあ、どんどん行きますよー! ……ラブコメぇ波―!!」

 隣のソファーのカップルにも編集長さんはラブコメ波を撃ちこんだ。

「……ずっと、ただの幼馴染だと思ってたけど、……キレイな瞳してたんだな……」

 別の種類のラブコメが開始されたようです。

「あれは、言うまでもなく、幼馴染ものだな。これは分かるだろ?」

 桑志田くんのレクチャーに、毬谷さんは「ありえなくなーい?」といった反応だった。

「はいー! ラブコメ波―!」

「もう友達やめよう」

「え? ど、どうして?」

「今日からは、恋人として会って欲しい」

「……好き」

「あれは、男女間に友情は成立するかもの、に違いない」

「いや、そもそも、カップルでイベントに来てる時点でー」

「お待たせー! ラブコメ波―!」

「こ、こんないかがわしいイベントに、教職である私を連れ出すなんて……、好き」

「女教師ものだな。セクシー動画のジャンルみたいだな」

「ガンガン雑になってくんだけどー。ウケるー」

 さて、編集長さんの他にも、動き回っているスタッフのような人影がいることに気づいた。ビデオカメラで撮影しているらしい。会場係で見た、榊、米、渡部、林田、他だろう。

「……人のラブコメをニヤニヤして鑑賞するような大人にはなりたくないな」

 正直、僕には、他人様のラブコメ模様なんて興味はないんだ。より正確に言えば、他人の幸せなんて目に入れたくもないのさ。

 信濃さんはどうかな。なんかずっと、もじもじしてる感じだけど。こんなくだらない茶番は真面目な信濃さんには苦痛だろうな。

 なんて間に、ついに僕らの隣のソファー、羅塩院くんと谷柔さんの前に、編集長さんが来た。どうしよっか、という意味で信濃さんの手を握ったら、きつく握り返してきて、そういう意味じゃないんだけど、嬉しいんだけど。

 拳銃クノイチ・バイトをいつでも取り出せるように学ランのボタンを少し開けている。ただ、ゴーグル内のクノイチちゃんはバツマークを作る。人間に向けては撃てない、と先回して言われちゃってる。

『あの、ラブコメ波とかいうやつの供給源があるはずなので、そっちに向けてなら撃ち放題でーす』

 さっきの演説で言っていたラブコメ発生装置というのが、この中学館ビルのどこかにあるのだろう。

「はいー! お若いお似合いのお二人にー!」

 早い。もう羅塩院くん谷柔さんペアに撃たれる。

「……逃げない?」

 僕が驚いたのは、二人とも、肩を組んだまま、じっと編集長を見て、ラブコメ波を浴びるのを、待っているかのような、その様子だ。

「サービス気味にー! ラブコメ波――!!」

 ピンクの波動が、編集長の手のひらから放たれた。

「耐える自信があるってこと?」

 二人の体にラブコメ波が浸透していく。どうなってしまうんだ?

「……さっきの公園といい、教室でのクラゲの化け物といい、俺たちも、けっこう頑張ったよな?」

「……うん」

「美味しいところは貫木の野郎に持っていかれちまったけどよう」

「……そんなことない」

「え?」

「……頑張ってたよ。羅塩院も」

「へへっ。谷柔だって、活躍してたじゃねえか」

「……ありがと……」

 やばい! ラブコメ始まってる?

「はーい、残り二組、高校生カップルだね、準備いいかい?」

 僕と信濃さんの前に、編集長が来た。ついに来た。

「あ、あの、後で、大丈夫です……」

 慌てて僕は手を振った。とりあえずペンディングで。

「え……」

 びっくりしたように信濃さんが僕を見る。僕の勇敢さに驚いたかな。

「ああ、ラストがいいって? じゃあ、飛ばして、お待たせ、さっきから解説してくれてたねー」

 編集長さんが僕らをスキップして、最後のカップル、毬谷さん桑志田くんペア前に行った。

「またすぐにこっち来ちゃうな、どうしようかな」

 僕は小声で信濃さんに相談しようとした。

「……私とじゃ、イヤなんだ……」

 その一言に、僕は全身が凍り付いたようになった。

「は?」

 びっくりして信濃さんを見る。悲しそうな顔をしているぞ。

「よっ、編集長! 一発、濃いいの浴びせてー!」

 毬谷さんの適当な掛け声も、僕を素通りしていく。

「ウチの小山が迷惑かけたってね、お詫びも兼ねてー、……真空ぅ、ラブコメっ、……波―――!!!」

 超必殺技みたいな名前も、桑志田くんの「うひょーー!」みたいな悲鳴も、僕を素通りしていく。

「……毬谷、俺、君のことギャルだと思って誤解してたよ」

「バカだと思ってた?」

「それは今で思ってる」

「えー、ひどーい」

「よかったらさ、俺が、頭をよくしてあげようか」

「なに偉そうにー、そんな言うなら、キスの仕方は知ってるの?」

「……なんだよ、教えてくれるってのかよ」

 ヤバいぞ! 頼みの桑志田くんまで、なすすべなくラブコメされてしまった!

「準備は整ったかな? ンフフフ」

 目の前に編集長さん、再び。

「どうしよう、信濃さん」

 僕はオロオロと信濃さんを見る。

「知らないっ!」

 プイッとソッポを向かれてしまう。信濃さんと浴びて、ラブコメ開始していいものか。お堅い委員長がデレる、みたいなパターン?

『見えましたー。羽根にコードが繋がっててー、あそこからエネルギーを供給されて、ラブコメ波を出しているだと思いまーす』

 切羽詰まっている僕の思考にクノイチちゃんが割り込んできた。

「確かに、コードのようなものを引きずっているな」

コードを辿れば、ラブコメ発生装置にたどり着け、それを撃てばいいんだ!

『そう思うなら、そうすればいいと思いまーす。保証できませんけどー』

 またドライに突き放される。

 どうする? 今ここでラブコメ波を浴びせられれば、信濃さんとのラブコメが始まってしまうかもしれない。そうすれば射撃どころでなくなる。もし、ラブコメ効果が長期間続くようなら、僕らはずっと戦闘不能の状態だ。世界がラブコメにされてしまう。そんなふざけた未来はまっぴらごめんだ。防ぐには、今、動かなくては。


 学ランの下のホルスターから、拳銃クノイチ・バイトを引き抜いた。

「へ?」

 編集長さんの目が点になる。

 僕は信濃さんの手を握り、立ち上がり、信濃さんの体を強めに引き起こす。

「え? 貫木くん?」

 戸惑う信濃さん、そんなには抵抗せず、僕に合わせてくれた。

「き、君、そんなオモチャの銃は仕舞って……、やけにリアルだけど、モデルガンかな? 未成年が持っててもいいやつ?」

 編集長さんがなだめるように言ってくる。顔が引きつっている。イケメンミドルなのにね。

 人に向けて撃てない、クノイチちゃんはずっとバツ印だ。だがそれは周りの人間には知られていない情報のはず。

「オモチャだったら、どんなに良かったか」

 天井に向けて、一発、威嚇射撃した。

「きゃーーー!!!」

「銃だーーー!!!」

「本物! 本物! 銃!」

 編集長さんはひっくり返り、周りの参加者は蜘蛛の子を散らすように、一斉に出口に殺到する。

「お、おお、落ち着いてー」

「係員の誘導に従ってー」

 司会の女性二人がオロオロとしている。

「走らないで!」

「いや、急いで!」

「犯人を刺激しないで!」

 会場係の、ブブブ文庫編集員の皆さんも一斉にパニックです。たった一発の銃弾なのに。

「貫木! 正気か!」

 羅塩院くんたちが集合した。

「あのコードをたどって、ラブコメ波の発生源を叩く」

 編集長さんが匍匐前進で遠ざかっていく、その足元にコードが伸びている。編集長さんの背中の羽根に繋がっている。

「補導じゃ済まないぞ? 受験に影響したらどうしてくれる」

 え、どうしよう。考えてなかった。桑志田くんの意見はもっともだ。

「そんなこと言ってもしょうがないよ。まずは魔王軍をやっつけて、貫木くんの契約を解除するのが先決でしょ」

 谷柔さんが擁護してくれて、嬉しかったなあ。

「でもでも、信濃っちは、親とか、大丈夫なの?」

 ああ、信濃さんは、ご両親が偉い人だから、娘の友達が事件を起こすと問題が大きいのでは? という、毬谷さんからのご指摘だ。

「確かに、僕では責任取り切れない……」

 僕の弱音を遮って、信濃さんが大きめの声で言ってきた。

「貫木くんだけに押し付けて! 私たちだけ逃げるなんてできないよ!」

 ちょっと、目がキラキラしてる。まさか。

「こうなったら、とことん付いて行くから! 例え地獄の果てでも、一緒なら怖くない! むしろ私をさらって逃げて! そしてニューヨークで司法試験に合格して!」

 大きな身振りで泣きながら、信濃さんが叫ぶ。

「いけない、ラブコメ化が始まっている、高嶺の花の駆け落ちもの、か」

 桑志田くんが冷静さを取り戻しつつ分析している。左右のソファーでのラブコメ波が波及していたのかも。僕は平気だったけど。

「そっか、いきなり貫木が撃ちだしたのも、ラブコメか」

 羅塩院くんが意外なことを言い出したぞ。

「それだ。陰キャはっちゃけ破天荒もの、だな」

 桑志田くんが腕を組んで頷く。そんなラブコメあるの? ボニーとクライドものとかの方がよくない?

「どうでもいいけど、急がないと、ほら、あれ、電話で警察、呼んでんじゃない?」

 谷柔さんが指さす方向に、見たことないスタッフが、スマホで話している。普通の男性タイプだ。

「……はい、中学館ブブブ文庫編集部の、濱田と申します……。拳銃を乱射して、出版社を襲撃、暴力で言論を弾圧しようとする卑劣な奸賊です……。高校生をたぶらかし、洗脳し、自爆テロのように……。ああっ! 女子高生たちを人質にとって、逃走しました! なんという暴挙! 悪行! まさに悪魔のごとし!」


〇中学館ビル 地下ホール

僕ら六人、床をつたうコードをたどって、廊下を走り、階段を降り、地下へと向かう。

「地下もこんなに広いのか。さすが一流の出版社はすごいなあ」

 天井は相変わらす五メートル以上ありそう。なんでこんなに天井を高くしたがるんだろう。

「それにしちゃあ、セキュリティー甘いよな」

 問題なく進んでいけている。桑志田くんのいう通り、防御壁が降りてくるなんてことはない。普通の企業ビルにそんなのは無いだろうけど。

「ドアに鍵くらいはかかってるだろう。ほら、この中だ」

 コードがドアの下の隙間から伸びていて、そのドアは羅塩院くんが力いっぱい引いても開かない。観音開きっていうのかな。

「カードキーとかいるんだろう。ここに、ピッてするような」

 ドアの横に小さなボックス的なのあって、開けると、確かにピッてするような感じの機械が入っている。

「銃でぶっ壊せば開くんじゃね?」

 羅塩院くんが僕を見るけど。

「開くわけないだろ。壊したら、ドアが開かなくなるだけだよ」

 桑志田くんの言うとおり、映画のようにはいかないだろう。

「その横の、呼出、ってボタンは?」

 谷柔さんが言う。インターホンみたいなのもボックスの中にある。

「中に人が居たら、言えば開けてもらえるんじゃね?」

 羅塩院くんが気軽に言う。そして、押す。無造作だなあ。

「……はい? どなたですか?」

 寝ぼけたような男性の声がインターホン越しに返って来た。

「あー、その声、小山さーん?」

 瞬間的にテンションを上げ、毬谷さんがグイっと前に出た。

「あ! 毬谷ちゃん!」

 ちゃん付けですか。

「えー、こんなとこでサボってるんですかー?」

「はは、上司にバレちゃってね、かいしゅ……、いや、その、未成年者とのアレが。あと、無断でモンスター生成実験が。で、反省のために掃除させられてたんだ」

 声は、いかにも寝てました、って感じだけどな。

「毬谷ちゃんこそ、なんでこんなところに?」

「なんかー、銃を持ったヤバい奴がー、暴れてるからー、避難しろって言われてー、逃げてるうちに迷子になっちゃってー」

「なんだって! それは大変だ! でも、僕がついてるからもう大丈夫だよ。僕が君を守ってあげる」

 プシューという音がしてドアが開いていく。

「……え?」

 両開きドアが開いて、小山さんの目に飛び込んでいったのは、ガタイのいい羅塩院くんと、拳銃を持った、目つきの悪い僕だったろう。

「こんちゃーっす」

 僕ら六人はズカズカと中に入る。

「え、あの、ちょ、ちょっと……」

 面食らった小山さんが何か言おうとしているが、こちらは構っていられないんだな。

「あ、小山さーん、おひさー」

 毬谷さんは歩きながら小山さんに手を振る。

「あの、毬谷ちゃん、この人たちは……」

「ラブコメ発生装置ってー、この先でいいんですかー?」

 すごい無視の仕方だ。

「そうだけど」

 言っちゃうし。

「って、部外者を入れちゃマズいよ。また怒られちゃうよ」

 小山さんはダッシュして、先頭を歩く羅塩院くんにつかみかかろうとする。

「ぎゃん!」

 その途中で、谷柔さんに足を払われ、盛大にすっ転んだ。

「さすが柔道部のエースだな」

 桑志田くんも僕も感心しちゃう。


 地下室のホールの、さらに奥。より天井が高い、開けた場所に出た。

「なんで、地下に、こんな大がかりな……」

 信濃さんを初め、みんなでポカーンと見上げている。

「何かのプラントみたいだな」

 桑志田くんがキョロキョロと分析を始めた。大小さまざまな容器とか、太いパイプ、細いパイプ、謎にシューシューいってる装置、なにか分からないドロドロした液体、などなど、いかにも化学工場、あるいはプラント、といった雰囲気です。

 ひときわ目立つのが、奥に見える青いツノだ。二本、ニョキニョキとそびえたつ形で、高さは十メートルくらいありそうな、塔みたいなインパクトなんだ。

「公園で貫木が倒したモンスターもあんなツノだったじゃねえか」

 羅塩院くんに言われて思い出す。確かにあんなツノだったかも。

「……ダイナミック、オーサム・ロマンティック、コメディ、ハイパー、オーガナイゼーション……。略してダッチャ(Da-cha)、らしい。あそこに書いてあるだろ」

 ツノ二本の根本はトラ柄の半球になっていて、でっかく文字で「ダッチャ」と、その下に小さい文字で英単語が書かれている。

「ラブコメ、は英語でロマンティック・コメディ、なんだろうけど、無理やり入れ込んでないか? なんだよオーサム・ロマンティック、って」

 Awesome、すごい、素晴らしい、じゃなかったかな。スペルに自信ない。

 二本のツノからコードが伸びていて、プラントで集まったラブコメのエネルギーを編集長さんの背中の羽根に送っているんだろう。

「とりあえず、前は無視しておいて、このプラントの、どこを破壊すればいいのかな」

 そうすれば僕と悪魔の契約も解約になるはずだ。

『……うむむぅ~』

 クノイチちゃんは難しい顔をして悩んでいるようだ。状況を分析しようとしているような。

「いいから、奴らが来る前に、バンバン撃っちゃえばいいんじゃねえの」

 羅塩院くんが銃を撃つジェスチャーをする。

「弾はあるんでしょ? 効くかどうか、まずは撃ってみるべき」

 谷柔さんも同意見のようだね。強硬派の意見です。

「闇雲に撃ちまくるのは、どうかな。跳弾とかって危ないんだろ? 時間の許す限り調査してもいいんじゃないか」

 おっと、桑志田くんから慎重論ですよ。

「あたしはツッケンに任すわ~。どっちでも~」

 まさかの白紙委任! さすがギャルの毬谷さんだ。

「え、どうするか、一人ずつ言う流れ?」

 皆に見られ、信濃さんが戸惑っている。

「ラブコメって、なんていうか、体には悪くないかもしれないけど、癖になったら困るっていうか、日常生活に支障ってほどじゃないけど……」

 なぜ、なんのためにこの装置を僕は破壊するのか、という、根源的な問いかけかな。

 信濃さんの発言を遮るかのように、ドカドカと、何人もの足音が近づいてくる。走ってくるようだ。

「ちっ、おいでなすったか」

 羅塩院くんが腕まくりをする。

「どんな相手かにもよるし、人間相手には撃てない銃なんだろ?」

 桑志田くんは冷静だ。

「ききき、君たち! 待ちたまえ! 待ってくれ!」

 先頭を切って走って来たのは編集長さんだ。他の編集員さんたちも後ろに続いている。

「……警察とかは、いなさそうだ」

 走ってくる面々を見渡して信濃さんが言う。確かに少し安心だね。

 ただ、ニュースで見るような、機動隊さんが使うような、盾、長方形の盾を、ずらりと揃えて、並べている。程よい距離で立ち止まった編集長さんをぐるりと取り囲んでいる。

『ポリカーボネートのライオットシールドですねー。ハンドガンで貫通は難しいでーす』

 人には撃たないんだけどね。どっちにしろ。

「……話し合おう」

 少しの溜めのあとで、編集長さんはゆっくり言った。メガホンで。

最前列には、盾を構えた小山さん、さらに榊さん、大米さん、渡部さん、林田さん、など、若手な編集員で固めている。編集長さんの隣には、警察に電話していた濱田さん、さらに後方に湯浅さん、岩浅さんの、女性二人が見ている。これでブブブ編集部の全員だろうか。

「君たちは魔王に騙されているんだ。早まったことをして人生を台無しにしちゃあいけない」

 エイメさんは自分では悪魔だと言っていた。魔王なのかな。違いがよく分からない。

「今ここで「ダッチャ」破壊を止めてくれたら、親にも学校にも警察にも黙っているから」

ダッチャ、は、ラブコメ発生装置のことだろう。本当に普段からそう呼んでいるとは。

「……簡単に信じちゃダメだ。大人は平気でウソをつくだろ?」

 桑志田くんが、我々の間で動揺するのをけん制した。

「ここまで準備するのにいかに大変だったか、コミック局長とか社長とかを説得して、これほどの設備を整えるのに、いくらかかったか、想像してみてほしい」

 編集長さんは泣きそうな顔になっている。苦労が偲ばれますね。

「そっちの都合なんか知らないしー」

 毬谷さんが冷たく言う。小山さんがショックを受けてる顔をした。

「確かにそうだね。こちらの都合だ。だけど、この「ダッチャ」の、ラブコメ波の平和利用についても知ってほしい」

 なんか語りだしたぞ。

「……向こうの主張を聞かないと、そして、両方の意見を聞いたうえで、自分で考えて、判断しないといけない」

 信濃さんが、ご自分に言い聞かせるように言ってる。

「ラブコメ波は、破壊の魔王を倒す、唯一の希望だ。世界をラブコメで満たすことで、破壊の魔王に対抗することができる。我々はそう確信している!」

 編集長さんはキリリとしたお顔で断言する。

「その、破壊の魔王? は、もうすでに存在しているってわけ?」

 毬谷さんが疑問を言う。僕も思った。

「……フフフ、何を言うか。その彼が握っている、その銃こそ! 破壊の魔王そのものだ!」

 僕らは一斉にびっくりする。いや、なんとなくは知ってたけど。

『バレてたかー』

 クノイチちゃんが、てへっ、みたいに笑っている。

「正確には、その拳銃「クノイチ・バイト」だけが、魔王の化身というわけではない」

 ツカツカと入ってくる小柄な人影。エイメさんだ。トラ柄のビキニのコスプレをしているが、幼児体形なので、今にもビキニがずり落ちそうで不安になる。

「この世界に存在する全ての銃、そして、すべての武器は、この私、エイメ・グレコが生み出した、破壊の魔王の恩寵なのだ!」

 エイメさんは人差し指を立てて、ビシッと頭上に突き上げた。トラ柄ビキニがずれそうだから、あまり動かないでほしい。

「ついに現れたな! 血塗られし処刑者! 汚らわしき簒奪者! 髑髏を砕く暗殺者! 夕焼けよりも赤き者! 血の雨を降らせる暴君! 破壊の魔王、エイメ!」

 すごい汗で編集長さんが叫んでいる。

「クククク……。たかが定命の分際で、我が二つ名を次々に言いまくるんじゃない」

 エイメさんはニヤリとしている。まんざらでもなさそう。

「どういうこと? この人らは魔王軍じゃないの?」

 毬谷さんは質問をするのにためらいがない。

「魔王と言えば魔王だけどな。私が破壊の魔王だとしたら、こいつらは、快楽の魔王、その配下ってとこだ」

 毬谷さんの質問のお陰でまた新たな事実が出てきた。ラブコメ云々というのは、快楽の魔王の仕業なのか。

「言いにくいのでミラジェと呼んでる。ほれ、そこにいる奴さ」

 エイメさんが指さした方、装置の物陰から顔だけ出して、すごい悔しそうな顔で見ている、小柄な人影があった。ピッチリ横分けの前髪、色黒、幼げ、ああ、公園で見た、デジャブの主だ、あれが快楽の魔王だったのか。

「ミラジェさま! なりませぬ! 魔王同士が戦えば次元が滅びますぞ!」

 編集長さんの後ろから、確か、濱田さんが言ってくる。口調からして長老的なポジションなのかな。

「そういえば教室で、なんでエイメさんが自分で戦わないんだ、って話、してたよな」

 桑志田くんがウンウンと頷く。毬谷さんはキョトンとしている。

「……ハイパーラブコメ砲、発射用意……」

 唐突に、固い決意を感じさせる、低い声で、編集長さんが言った。

「ええっ!」

 周りの編集員さんたちが色めきだつ。

「編集長! 気を確かに!」

「まだ完成していません!」

「90パーセント以上の確率で暴発します!」

「神保町が消し飛びますよ!」

「……言われなくても、知ってて号令してるから」

 ブブブ文庫編集部内でのやり取りはこちらにも聞こえてくる。どうやら思い切った行動にでるようだ。

「まずは、可能な限り強力なモンスターを生成してみましょうよ」

 小山さんが恐る恐る言っている。公園で戦ったギンカンゴみたいなやつより強いのもいるのかな。

「相手は直に魔王と契約している。悪魔の銃を持ってるってことは、少なく見積もってもグレーターデーモン級だ。エグザルテッド・ケイオス・ジェネラルくらいかもしれない。戦っても時間の無駄だ」

 編集長さんは首を振っている。僕のことを言ってるようだ。

『今のところ、エヴァーチョーズン・ケイオス・チャンピオン・オブ・エイメ・モード・インビンシブル・バイデモクラティックメソッドですけどねー。訳すなら、民主的手法で永遠に選ばれしエイメの無敵混沌王者、でしょうかー』

 何の自覚もありませんけどね。

「1パーセントでも可能性があるなら、俺はやる! これが人類を破壊から救う最後のチャンスだ!」

 編集長さんの悲壮なまでの決意に、さっきまで反対していた編集員さんたちも、さっと真顔になり、小走りで「ダッチャ」の周りのコンソールパネルなどの配置につき、なにやな操作し始めた。

「何が始まるんだ?」

 羅塩院くんが誰にともなく聞く。

「溜まったラブコメのエネルギーを、まとめて私に食らわそうとしてるんだろう。だが、まだまだエネルギーも足りないし、制御する技術も未完成のようだ」

 エイメさんは言いながら、余裕でスタスタとラブコメ発生装置の前まで歩く。当てられるもんなら当ててみろ、とでも言わんばかりだ。

「……魔王め。そこを動くなよ! 人間の誇りを見せてやる!」

 編集長さんは、床から伸びた金色の銃のような、おそらく発射スイッチをエイメさんに向けている。

「ラブコメエネルギー充填、60パーセント……」

「暴発リスク85パーセントに上昇……」

 湯浅さんらが数値を読み上げている。口頭で言うってアナログなこともしているんだな。

「あいつらは、愛だの、ラブコメだの言っているが、私に言わせれば、堕落であり、退廃だ。闘争心もなくなる。進歩もない。そして行き詰った挙句が、これだ。自己破壊」

 エイメさんは僕に笑いかける。

「しかも、この期に及んで、こいつを暴発させるらしい。意図的に。神保町が吹っ飛ぶって言ってたな。このエネルギー量を見れば、そうなるかもな。私を巻き込んで爆発、私にどれくらいダメージを与えてくれるかな? 神保町の全住人と引き換えに」

「そんな状況なんですか。それで、僕にどうしろと?」

「そこの青年! 君のことだ。どうか、止めてくれるな。今、ここで、破壊の魔王を倒すことができたら、世界中から戦争が! 紛争が! 無くなるんだ。神保町の住人の数と、世界中の戦争で失われていく命の数。どちらが多いのか、よく考えてほしい」

 どっちが多いんだろうか。神保町の人口とか知らないし。

「おいおい! 神保町の全員って、俺らも死んじまうのかよ!」

 羅塩院くんが言う。そういうことになるよね。

「そもそも、戦争が無くなるなんて保証、どこにもないだろ」

 桑志田くんも言う。いちいちもっともだね。

「ちなみに、第二次大戦の犠牲者は五千万人から八千万人くらい、神保町の人口は、平成二十七年で、三千人ちょっと」

 谷柔さんがスマホで調べてくれた。

「青年! 人はいずれ死ぬ。それならば、誰かの役に立って死んだ方が報われるというものではないか?」

「そんなー! 勝手に殺しといて? 報われたっしょって? ムリー!」

「ラブコメエネルギー充填、80パーセント……」

「暴発リスク95パーセントです……」

「え、そんな考えるとこ?」

 エイメさんが聞いてきた。心なしか、さっきまでの余裕が減っているように見える。

「どうしようか」

 僕は信濃さんを見た。

「え、えっと、死にたくはない、かな」

 至極まっとうなご意見だ。そりゃそうなるよね。

「じゃあ、多数決ってことで、戦争を無くすためなら死んでもいい、っていう人―?」

 五人とも首を横に振った。これで決定だよな。

「……こちら、ブブブ編集部は、全員が死ぬ気でいるんだけど、カウントには入れてもらえないんだね?」

「当たり前だろ!」

「勝手に死んでろー!」

 世代間の断絶でしょうか。

「それで、どうすればいいの?」

 何を、どう撃てばいいのか。

「ラブコメエネルギー充填、90パーセント……」

「そうだな。38口径マグナム悪魔弾、使用許可する! ちょっと急ぎ目で!」

『っしゃー!』

 クノイチちゃんがガッツポーズをしている。

『特別製のカートリッジ、弾薬が、胸のポケットでーす! 早く!』

 胸ポケットに指を突っ込むと、チャリチャリと手ごたえ、弾薬が入っている。五発くらいか。急いで銃に入っている方の弾薬を排出する。まだ撃ってないから焼き付いてることもない。シリンダーをスイングアウトして、ポロポロと床に落とす。もったいないが、急いでるし、後で拾えばいい。

 特別製という弾薬をリボルバーに挿入していく。銀色の見た目。スイッスイッと入っていく。全部で五発。

『マグナムなんで、リコイル、反動が、今までの二倍くらいと考えてくださーい』

 怖いことをサラッと言う。

『本来は、口径は合うけど使っちゃいけないパワーのカートリッジなんでー、これは悪魔の銃だからへっちゃらですけどー、普通のチーフスペシャルとかでマグナム撃つと大変なことになりまーす』

 やっぱりよく分からないな。

「ラブコメエネルギー充填、95パーセント……」

「ほら! そろそろ! 急ごうか!」

 エイメさんが指をクルクル回している。巻いていけというジェスチャーだろう。

「じゃあ、撃つよ」

 僕の宣言に「しまっていこう!」「落ち着いて!」「ツッケンファイト!」「跳弾に気を付けてよ」「撃って撃って貫木くん!」みたいに口々に言われた。

いつもの射撃姿勢。左足を少し前に出し、グリップは両の掌で絞り込むように前に押し出す。今回はマグナム弾で反動が強いそうだから力を入れる。

編集員さんたちも、大きな盾を装備している人もいるものの、身を挺してまで止めようとはしてこないようだ。強力な弾丸だというのは伝わっているのか。それとも、彼らも内心は死にたくないのか。

「これで最後だ、頼むぜクノイチちゃん」

 息を全部吐いて、少し吸って、止める。

『しゅー! しゅー! しゅーまだわっかー!』

 謎の掛け声で応援してくれている。

 引き金を引いたら、ものすごい銃声。手首をハンマーで叩かれたような強いリコイル。ぐねってなりそうになったのを必死で押さえつけた。上半身ごと持っていかれそうになった。

『おお、耐えた! これならデザートイーグルもいけそう!』

この射撃で銃に触るの最後のつもりだったのに。

発射の瞬間は目をつぶってしまったが、ツノは大きいし、動かないので、外しようもない。当たった場所に大穴が開いているのがハッキリ見える。ヒビが入り、ピンク色の光が漏れ出てくる。

『もう一発いってみよー! 計算上はツノ一本につきマグナム二発でいけるはずでーす』

 クノイチちゃんがパンチを繰り出している。編集員の方から「必死で貯めたラブコメ素なのに……」のような、悔し気な声がする。

 一発目の弾痕のあたり目掛けて、もう一発。今度は目もつぶらない。狙った所に当たった手ごたえがある。

「ああ、この十年のラブコメの歩みが……」

 編集長さんが言うが、僕は止める気はない。もう一本のツノへと照準を移し、ドカン、ドカン、と二連射した。正直、手首が折れそうなくらいの衝撃でした。

「折れる……、ダッチャが……、ラブコメの金字塔が……」

 編集長さんは泣くが、周りの部下たちはどこかホッとしているような。

 ラブコメエネルギーが散逸してゆく。ヒビが大きくなり、それぞれのツノが、時間差で、音を立てて崩れていく。

「片付けるの大変そうだな」

 羅塩院くんが笑った。

 物陰から、快楽の魔王ことミラジェさんが、すごい顔で睨んでいる。とても悔しそうな顔で、歯ぎしりするような。

 そのミラジェさんに向かってエイメさんがベロベロバー、ってしたんだ。口の端に指をひっかけて、横に引っ張って、舌を上下に波打たせるやつね。舌が長いね。ミラジェさんは、うっ、って泣きそうな顔に変わって、そのまま泣きながら居なくなったよ。

「ありがとう、悦楽の魔王、よいラブコメを見せてもらったよな」

 桑志田くんがしみじみと言った。


「こちらも神保町ごと吹き飛ばそうとしたことは黙ってますので、できればそちらも、学校などには言わないでいただけないでしょうか」

 信濃さんがハッキリした声で言う。

「悪魔の銃、って言っても信じてもらえないでしょう。メンタルヘルスを疑われる」

 編集長さんは自虐的な笑みを浮かべている。

「発砲事件だって騒がれちゃったけど、イベントの演出ということで、もみ消してもらおうと思ってる。どうなるかは保証はできないが、精一杯のことはするよ」

「恐れ入ります。どうか、よろしくお願いいたします」

「代わりに、といっては何だけど、またイベントがあるときにはモニターとして協力してほしい。アンチラブコメ側の意見として、ね」

 白い歯を光らせ、編集長さんはどこからか名刺を取り出し、毬谷さんへとスッと渡した。

「……交渉してたのは信濃なのに……」

 谷柔さんがポツリと言う。

「やだー! ぜったい行きますうー、あ、星野さん、っていうんだー」

 ギュン! って音がしそうなくらいの加速で毬谷さんが前に出て、編集長さんにボディタッチを始めた。その様子を、桑志田くんと、小山さんが、無表情で見ていた。


〇一階カフェ

 場所を変え、中学館ビルの一階、道路に面したカフェに僕たち六人は入った。内装もコンクリートむき出しで、おしゃれ雑誌が置いてあるようなタイプのカフェだ。みなヘトヘトに疲れているので一番近い店に入りたかった。

 僕は「中学館ブレンド」を頼んだ。コーヒーチケットを岩浅さんがこっそりくれた。社員向けのやつだ。でなければ高校生がホイホイ入れるお店ではない。コーヒーとケーキのセットで千円越えはキツい。

「ケーキまた食べるの?」

 信濃さんが呆れている。羅塩院くん、谷柔さん、そして毬谷さん。それぞれチーズケーキやショートケーキをトレイに乗せて戻って来た。

「さすがに別会計で、自分の分は出したよ」

「みんな、お金、持ってたんじゃん」

信濃さんが笑う。レストランでタカラれたからね。


「魔王、っていうのは、ミラジェ一体とは言ってない。これから次々に来ると思う。もっと凶悪な魔王が攻めてくるかもしれない。私がこの世界にいるのはバレただろうから」

 テーブルのお誕生席でエイメさんが言う。彼女もシュークリームを食べている。服装はゴスロリ系のコスプレに変わっている。

「貫木の、契約を解約するか、継続するか……」

 桑志田くんが腕を組んで天井を見上げている。

「解約したかったら、遠慮なく言ってよ」

 エイメさんはニヤリとしている。

「……射撃の腕は一流だからなあ、貫木の」

 羅塩院くんが言うが、褒めているのか、他の思惑があるのか。

「多数決で決めるのは、どう?」

 僕は笑って言ってみた。

「……、単に、数の論理だけで決めるのは、反対かな」

 信濃さんが真っすぐな目で言う。

「へ? 民主主義じゃなかったっけ?」

 毬谷さんが意外そうに言う。

「……最後はそうなるかもしれないけど、まずは、それぞれの意見を、みんなで聞いた方がいいと思う」

 強い意志を感じさせる信濃さんの眼差しに、僕も気圧されてしまった。

 いつものように、まず口火を切ってくれるのは、羅塩院くんだ。

「俺は、やっぱり、貫木に銃を持ってもらった方が安心だと思う。どんな魔王が来るのかわかんねえけど、俺らもバックアップするし、そのために、体は鍛えておこうと思うぜ。特に運動部系は、なあ?」

 水を向けられた谷柔さんが続く。

「私も、羅塩院くんと同じで、できるだけみんなで協力して、それぞれが得意分野で貢献できたらいいと思う。柔道では軽量級だけど、もっと体の大きな奴とも戦えるようになりたい」

 そして羅塩院くんを見て、頬を赤らめる。羅塩院くんも「お、おう、付き合うぜ、練習」みたいな感じになって、僕は。む? と思う。スポ根ものラブコメじゃないだろうな。

「次あたし、いい? ツッケンには悪いけどー、やっぱ、いざという時には、備えって必要じゃん? 銃とか誰でも撃てるもんじゃないしー、見てると、けっこー当てるの難しそうだしー。スマン! ツッケン!」

 毬谷さんはそう言って、僕に向かって手を合わせてペコっとして笑っている。

「悪いけど俺もそう思う。リスクは最悪の状況を想定しないといけないだろ? 貫木なら、銃を持ってるからって、悪用したり、暴走したりはしないと思う。人に向けて撃てないって仕様も信じられるなら、そんなにマイナスはないんじゃないか。維持するのにすごいお金がかかるっていうこともないだろうし。まあ、貫木の気持ち次第だけどな」

 桑志田くんも、僕をチラチラ見て、気まずそうというか、申し訳なさそうに言う。

「あ、編集長からメッセもろた。マンション買ってあげるからご飯行こうってー。行っていい?」

 毬谷さんが嫌らしい笑みで、なぜか桑志田くんに聞く。

「……俺も頑張るよ。貫木。男は甲斐性だ。ビッチを満足させられるくらいのデカい男になろう!」

 桑志田くんの目がメラメラ燃えるかのようだ。NTRモノでしょうか。それはラブコメのジャンルなのか。「誰がビッチじゃー!」とか聞こえた。

 次は信濃さんの意見だ。

「いざという時の備えは必要ではあるけれど、だからといって、誰かに押し付けるのはよくない。納得して備えてもらうには何が必要か、一人一人が考えなきゃいけないことだと思う。貫木くん。私たちにできることがあったら、何でも言ってほしい。貫木くんって、無口だし、教室で変な本ばっかり読んでるし、何を考えてるか分かんないから、私たちも、そっとしておいてほしいのかな、って距離を取っていたけど……」

 え、なに? ディスってくるの? この展開で?

「……でも、今日の貫木くんは、暴力を肯定するのはいけないと分かってはいるんだけど、平和主義に反するけど、その……。かっこよかった」

 信濃さんの顔が真っ赤になった。周りがひゅーひゅーと言う。

「理屈ぬきにして、ワイルドで、好戦的で、刺激的で! こんな気持ち、初めてです!」

 最後は大きい声で、信濃さんは両手で顔を覆ってテーブルに突っ伏した。

「なんだよ、「やんちゃヤンキー男子とまじめ女子もの」かい」

桑志田くんが言う。

おしゃれカフェの窓の縁に、ミラジェさんの顔が覗いていた。エイメさんに向けてベロベロバーとしている。あいつの仕業だな。

「くそっ! さっきぶちまけたラブコメ波の素が神保町じゅうに留まっているな!」

それでみんなラブコメ気味なのか。エイメさんはミラジェさんに向かって、さらなるベロベロを返している。

 いよいよ僕の番だ。

「なんか、多数決を取るまでもなかったね。いや、僕も、契約は継続しかないな、って思った。みんなの意見を聞いてね。そんなに嫌じゃないよ。まあ、敵が強かったりすると怖いけど、慣れもあるだろうし、銃とかについてもっと勉強してみようと思う。動画とかで。あと、もちろん、当てる練習も」

 パチパチと拍手が起こった。初めての経験かも。エイメさんもクノイチちゃんも拍手している。

「はは、それにしても、「何を考えてるか分かんない男」から「銃を持っている男」になるだけで、こんなにも扱いが変わるんだね。不思議なもんだな。それもこれも、正しい使い方をするってのが大前提なんだろうね。……この勢いで言っちゃうけど、そうだな、警察官か、可能なら、防衛大とか、入ってみたいって、今は思ってる」

 こんなことを言ってしまって、何言ってんだみたいな反応が来るかもと思ってたけど、実際には、さらに大きな拍手をもらえた。

「いよっ! 守備のかなめ!」

「武道が必修だよね、柔道もでしょ」

「ツッケン頼もしー!」

「給料もいいんだろ?」

「今から頑張って、一緒に受験勉強しなきゃ!」

 みんなが言ってくれるから、僕も調子に乗って「そうしたら、みんな僕を馬鹿にしなくなるだろ?」みたいなことを言ってしまった。

五人は一斉に「変わった人だとは思ってたけど、馬鹿にしてたわけじゃないよ」みたいなことを言って笑った。 (了)                                 

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