僕の過ごす日常
フィクションです
朝、路上でぺったんこに潰されたセミを見つけた。横断歩道の真ん中であった。
短い命を全う出来ずに可哀想だなと思った。
思うところがあり、僕はまだセミの死骸を見つめていた。脇からは僕を避けて人が流れて行く。
誰にも気に留めてもらえず、お前も悲しいな。死骸に向かい心の中で語りかける。丁度信号が点滅し始めた。
軽く手を合わせた後、僕は向こう側へ歩いた。
可哀想だ。本当に可哀想。もっと生きたかっただろうにな。
信号が赤になってしまったので、小走りに切り替える。その間も律儀に車は待ってくれていた。
僕が渡り終えると同時に、車が走り出した。僕は渡り終えたところ、歩道と車道ギリギリのところで立ち止まった。セミの死骸が気になったのだ。
けれども、その行方を見ることは叶わなかった。車の行き交いが多く、視界を遮られてしまったからだ。
とはいえ、これだけの車通りだ。もう何度も踏みつけられてしまっているだろう。
「……いいな」
それだけ言い、僕は学校へと重い足を進めた。
僕が部活に行けなくなったのは夏に入って少しした頃からであった。連日顧問の罵声を、部長として矢面に立って浴び、それでも役職だからと耐えていた。練習に何か不手際があれば、もう練習するなと怒られた。そんな時、ただ謝るだけでは解決しない。解決策を提案しないといけなかった。例え、そんなんしか考えられなかったのか、と半笑いで詰られようとも。
上手く行かない部活に、女子の部長ともぶつかることは多かった。お互いのやりたいことを一致させられずに、男女の軋みだけが間にあった。
部長として、そう思って耐えていた。崩れたきっかけは練習試合だ。その日は、他の学校に出向いてのものだった。上手くまとめられなければ、また練習が出来なくなる。挨拶も、顧問の許可が降りるような、しっかりしたものでなければならない。荷物の整頓、その他下級生の礼儀等に不備があってもいけない。不安要素しかなかった。考え、それ自体が重さを持って頭を上げるのも困難だった。そして、行きの電車で胃腸がダメになった。僕は初めて部活を欠席した。練習試合という大事な日に。
それから、僕は部活に行けなくなった。部長としての役職に自信が持てなくなった。練習試合の日の自分は何者でもなかったことに気がついてしまったのだ。そして、そんな僕を周りがどう思うのかも怖かった。一度後悔して仕舞えば、芋蔓式に今までの失敗も引き摺り出されてくる。顧問にどう声をかければよかったのか、あの時はどう対応するのが適切だったのか。失敗の歴史が、僕の部活内での立ち位置に風穴を開けた。少なくとも、僕の認識上はそうだった。
顧問は休んで良いと言ってくれたが、休んだところでどうにかなるものではなく。むしろ、休むにつれて部活における僕が分からなくなっていき、余計に足を遠のかせた。一日過ぎるごとに足の重さが増していく。時間は確かな重さがあった。後悔はぬかるみのように足を取ってくる。重い泥の中を進むような夏だった。
そんな日々が日常になり、二学期の授業が始まってからも根幹は変わらなかった。
朝。教室の喧騒がひどくなる前の時間。
人はまばら。僕が入ってもこちらを一瞥するのみ。直ぐに興味を無くしてそれぞれのやる事に戻っていく。
席に着いた。着いたところで、何をするでもないのだが。時計は七時四十分を指している。まだ朝練の時間だ。弓道場の方では今も練習しているのだろう。もしくは、校舎の方で雑巾掛けと筋トレか。雑巾掛けは、職員室や美術室など、特別な活動をする際の教室が纏められた棟で行われる。二年生の、この五組の教室の窓からは渡り廊下がはっきりと見えてしまう。向こうからもそうだろう。ズボンの中でくしゃくしゃになったイヤホンを付け、机に伏した。別に誰が見えた訳ではない。むしろ、誰かに責められた方がいっそ清々しいまである。だが、そんな誰かはいない。渡り廊下を歩く部員の影も見えていない。もしいたら、その時が怖くて僕は顔を伏せている。誰も見えない暗がりの方が、心地よかった。例え、僕が腕と机の間で作り出したちっぽけなものだとしても。
段々と人声が増えてきた。朝練終わりの人たちが戻って来たのだ。今日提出の課題についてなり話している。腕に包まれてるのでぼやけた声だけが聞こえてくる。話題に上がっている予習も、時間だけは僕にあるので既に終わっている。特にすることのない時間が続く。徐に頭を上げ、スマホの暗い画面に目を落とした。
授業中は何事もない。僕も平静に勉強できる。昼休みが近づくにつれてお腹はキュルキュルと、内側から引っ掻かれるように痛むが。
そして昼休み。女子の部長から、『今日はどう?』とLINEが来る。それを合図に、また僕の胃腸は悲鳴を上げ始める。『ごめん』と送ると、激しい悲鳴は無くなる。痛みは収まっていく。相変わらず、都合の良い胃腸だ。部活に行かないとなると、途端にがなりを止めてくる。そのくせ、何とか粘って、部活の時間内には出せるものを出し切って、その上で部活に参加しようとすると、下校時間いっぱいまで不快な痛みを与え続けるのだから性質が悪い。そして、部活に行かないと決めて、ほっとする自分がいるのにも嫌だ。部長としての自分を何だと思っているのか。部に参加しない部長なんて、何の価値があるのか。トイレの個室で僕は上体を折り曲げて俯いていた。
同級生、下級生の元気な声が遠い。偶に彼らが用を足しに入ってくると、ビクッとする。それが同じクラスの人だとなお居心地が悪い。だからこそ、あまり人の通らない所を選ぶようになった。それでいて、次の授業がある教室になるべく近い所を選んでいるのだから、自分の狡猾さが腹立たしくなる。場所を選ぶ余裕があるのなら、部長としての責務を果たせよ、と。
放課後になると、一際胃腸が痛くなる。帰りのホームルームに出ないこともままあった。今日は席に座れているが。さよならの挨拶をすれば、皆、部活へ向かっていく。憂鬱だわ、と言いながらも、結局は準備をして教室を出ていく人のなんて多いことか。本当に尊敬する。一方の僕は人が疎らになってから出て行く。そして、トイレの個室に。お腹が痛いのだろうと思う。本当かは分からないが。お腹が痛いならこうなるのが妥当だろう、という計算が働いているようなのが気に食わない。冷静な僕が客観的に見て自然な方を判断している感覚があった。ただ、お腹の疼きは確かにあるようなのだ。平常ではない。それは確かだと思いたかった。とはいえ、何が平常だったかなんて忘れてしまったのだが。
出もしないのに踏ん張って力み、それでまた少しお腹を痛くして。日が傾いてきたら、楽になった頃を見計らってトイレから出て帰路につく。最近の日常であるし、今日もそれをなぞった。
傾く日。外環の影にどっぷりと沈む道を、ふらふらと自転車を漕いで進む。暗かった。実際に見えてるより暗かった。トンネルへと入る。上に登る道もあるが、こっちの方が近い。車が行き交う、その脇を進んだ。オレンジ色をしたトンネル内だが、実際より暗く見えた。トンネルは少し曲がってるせいか出口が見えない。現状もこんなものか、と僕は思った。出口のない、真っ暗なトンネルを時間の流れに押されて否が応にも進まされている。どんどん濃くなる闇。後方には入り口の光が見えるのがまた嫌らしい。あの時もっと上手く対応していれば、という叶うはずがないIFを見せつけてくる。
前方には暗がりしかない。自分すらも曖昧になる。部長としての自分であるが、部長でなければ何者なのか。一度役職を貰って仕舞えば、それを剥がされた時に残るものはない。ただの部員になんて戻れるはずがない。周りがそう見ない。やり切るか辞めるかしか選択肢がないのは分かりきっているが、そうなった時の、自分の存在意義をどこに求めるのかが恐ろしくて、どちらも選べない。誰かが無理矢理にでも部活に引っ張りだしてくれれば。喝を入れてくれれば。そんなことを考えても仕方ないし、僕の事情を知るみんなは優しく静観してくれている。だから、時間という流れに任せてただ暗がりの方へと流されているのだ。いっそ、トラックか何かが轢いてくれないか。怪我をして、辞める理由ができれば良い。別に死んでしまっても、それはそれで仕方ない。出来れば一瞬で潰してほしいが。
続けるにも辞めるにも、ボタンを自分で押すことが出来ない。どこまでも他人任せな願望を抱きながら、僕の日常は続いていく。