第 8 章 「草原」
同じ頃、パブではクイックバード、オルカバにその妻ビオラシードが加わって噂話に花を咲かせていた。
館の女中をしているビオラシードがイレーヌの世話係だった掃除婦のメグについて話していた。
「あの娘が辞めさせられるちょっと前のことだよ。いつものように食事を持って行ったんだって。メグが行く時間には、婆様はちゃんとお茶を用意して待っていたそうだよ。なのに、その日にかぎって婆様の姿が見えない。畑の辺りを探しても見つからない。メグは村の中をうろついているうちに思いついたんだ。婆様が以前話してくれたことのある井戸にいるんじゃないかって。それでメグは、井戸がある広い草むらに入っていった。その中にあると聞いていたんだね。踏み跡を見つけて、ずんずん進んでいった。すると、コティお嬢様の姿が見えたんだって」
ビオラシードの声は噂話らしい声色になり、いかにも自分が見ていたような口振りになる。
「普段、メグはコティお嬢様には近づかない。でも、そのときは婆様のことがあるから、恐る恐る近づいていった。すると、草に隠れて見えなかったんだね。コティお嬢様は、ぽんと開けた空地に立っていた。そして、そこには井戸があり、今まさに婆様が水を汲み上げようとしていた。メグは婆様に駈け寄ろうとした。手伝うためにね。それをお嬢様が黙って鞭を上げて遮ったんだ」
コティはメグには見向きもせず、イレーヌを見つめていた。
イレーヌは地味な茶色の古ぼけた服を着ていた。紐できつく絞ったギャザーの襟ぐりから、細い首が突き出している。
力を入れるたびに、首の血管が浮き出る。小さな体にアンバランスにのっかっている伸び放題の白い髪。血の気の失せた浅黒い顔。刻まれた深い皺。
色の薄い瞳からは、どんな感情も読み取ることができない。
黒い雲が強い風に流されていく。
イレーヌの髪が乱れて顔を隠した。
イレーヌは辛そうにロープを手繰り上げ、水の入った重い桶をつかむ。
力のない痩せこけた腕。くるぶしをあらわにした足。いつもの革のサンダルを履いていない。素足だった。
よろける。桶から水がこぼれ落ちる。それでも、足元に置いた水入れの中に井戸の水を移し替える。
それはわずかな量だった。
唐突に、コティが居丈高な声を浴びせかけた。
「おまえ、今の格好が一番いい! ここの風景に似合っているわ!」
イレーヌは何も言わず、桶を井戸の縁の上に置いた。
「雨の中でもおまえを見てみたい。イレーヌ、いいこと。明日も同じ時間にここに来るのよ!」
老婆は黙ったまま、草むらの中に入っていった。
曲がった背よりはるかに高い草に隠れて、すぐに姿は見えなくなった。
コティが井戸の周りを一回りして中を覗き込んだ。メグなどそこにいないかのように一瞥もくれない。そして馬にまたがった。
メグの顔は怒りで火照り、引きつっていた。
しかし、前を通りすぎていくコティに顔色を悟られないように、黙って頭を下げ続けていることしかできなかった。
「メグはこの話を、その日のうちに私にしてくれたのさ。涙ぐんでいたよ。やさしい娘だったのさ。お屋敷を辞めたのは、いや追い出されたというべきだね、それからすぐのことだよ。理由は聞かされなかったけどね。この話を知っているのは、お屋敷の中でも多くはないよ。きっと、私とファインコルトさんだけだろうね」