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第 6 章 「老婆」

 数日に及んだ祝賀会が果てた。

 ウィルストロングが友人を見送って、館の前で佇んでいる。細い雨が音もたてずに降っていた。

「コティ姫もそのうち、ひょこり帰ってくるさ。気落ちするな」

「いや、そう見えるとしたら、君に楽しんでもらえなかったことを悔いているからだ」

「私は十分に楽しませてもらった。感謝している」

「そう言ってもらえるとうれしい。もう少し滞在を伸ばすわけにはいかないのか。君と庭園を見て廻ることを、私がどれほど楽しみにしていたか。実は、庭の中におもしろいものを用意していたのだ。君にはぜひそれを見て欲しかった」

「気持ちはうれしいが、姫の捜索の方が大切だろう。姿が見えなくなってまだ一週間。きっと大丈夫。ご自慢の庭の探索は、次回の楽しみにしておくよ」

 ウィルストロングの肩に軽く手を乗せ、握手を求めた。



「では、これにて失礼する。今後、今まで以上の君の活躍を、心から期待している」

 馬車が動き出す。

 柔らかくなった土にわだちを残し、サンザシの緑廊に消えていく。

 そして、あたりはすっかり静まりかえる。

 青みがかった大気。平面的な書割となった森の緑。

 その輪郭を、ウィルストロング伯爵の目がなぞるようにさまよった。


 連日、村人達も動員した大規模な捜索が行われたが、手がかりはなかった。

 あの日、館を出た後、コティを見かけた者がいなかったのである。幼い少女と、ひとりの男を除いて。



 村人達が普段の仕事に戻ることを許された夜、庭師ファインコルトが村のパブの扉を開くと、常連の男達が座っていた。

「フン、やっと無罪放免か。えらく振り回されたもんだ」

「まあそう言うな」と、ファインコルトはカウンターに肘をつく。


 パブといっても、村唯一のよろず屋で、店の主人であるオルカバ自慢の自家製エールを目当てに、友人達がたむろしているだけのことだ。

 店の一角に、数人が肘を乗せられる短いカウンターが設えられてあった。


 オルカバが細い腕を伸ばして棚からカップを出し、樽の栓を捻って薄茶色の液体を注ぐ。

 コティ失踪の話題はその一言で終わり、男達は老婆のことを話し始めた。


「誰か、イレーヌ婆さんを知らないか? 家にいないようなんだ」

と、郵便配達夫コトンフィールドが、やせた肩をすくめたのだった。



「婆さん宛てに、手紙が来たんだ。珍しいこともあるもんだろ。何だと思う? 暇な貴族がやってる、なんとか養老福祉基金とかいうところからだ。その封書を配達しに、久しぶりに婆さんの家まで行ったんだ」

「家はどんな様子だったのか?」

「あれ? お屋敷の調理場で働いているあんたが一番よく知ってると思ったんだがな」

 横目でクイックバードという調理人を睨む。


「ふん。で、どうだったのだ」

「ちゃんと掃除はされているようだけど、いやにがらんとして……」


「それで?」

「封書をテーブルに置いて帰ってきた。いつまでも、あんな陰気なところで待っていられないからな」

「フン」

「とはいうものの、気になって、お嬢探しの時に、ついでに見に行ってきたんだ」

「で?」

「封書がそのままなんだ。開封されていない。それだけではなくて、うまく言えないけど、部屋中のもの全てが、そのままのような気がしたんだ」



 調理人クイックバードが、館の同僚であるファインコルトにコップを掲げてみせる。

「コルト、おまえ、たまには婆さんに会っているんじゃないのか」


 ファインコルトは眉を寄せ、首をゆっくり横に振る。

 店の主人、オルカバが話に加わった。

「それにしても……」

 主人自身も、もちろんエールを口にしていた。 

「婆さんには冷たいことをしたよなあ」

 誰もたいした反応を示さなかったが、気持ちは同じだった。


「ここに引っ越すときに、無理にでも引っ張って来るべきだったんだ。婆さんに同情する者は大勢いたが、力づくでも連れてこようとする者はいなかった」

「うむ」

「婆さんが来てもらわにゃと、なんとか説得しようとしていたグラスネイクも、最後にはあきらめてしまった」

「村長も辛かったろうさ」

「まあな。頑固だからなあ、あの婆さん。で、とうとうグラスネイクは伯爵に申し入れた。覚えているだろ?」

「ああ」

「例外的に、婆さんを、このまま自分の家で住まわせて余生を送らせたいと頼むのは、村長であるグラスネイクにとっては辛い役回りだったろう」

 ファインコルトもクイックバードもコトンフィールドも、飲み屋の主人オルカバの言葉に、一様に頷いた。



「伯爵から許可は下りたが、村を仕切る村長としての統率力がほころんだように感じたろうし、伯爵に借りができたようにも感じたことだろう。あの夜、グラスネイクはお屋敷からここに直行してきた。厳しい寂しげな顔をして……」

 クイックバードが相槌を打ち、話を引き取った。


「そのときはまだ、わしらは知らなかった。伯爵様がわしらを村に近づかせないようにしようと考えているとは、思ってもみなかった。わしらは交替で婆さんの顔を見に行き、万が一のときは、身の回りの世話をすればいいと考えていた……」

「何しろ、あれだけのことをやってのけた庭園だからな。村人が思い出たっぷりに歩き回るのは気にくわないんだろうさ」

 オルカバが吐き捨てるようにいった。

「コルト、婆さんの家を明日にでも覗いてきてくれないか」



「いつから婆さんは、いなくなったのじゃ!」

「そんなこと、知らないよ。俺が言ってるのは、配達したときのままだということだぜ」

 広場に面した村長グラスネイクの家の窓から、教会のシルエットが夕焼けに浮かび上がっている。男達が集まっていた。


「おまえ達も知らないのか?」

 噛み付くグラスネイクに、ファインコルトとクイックバードが頷く。

「ああ。今朝、見にいってみたんだが……」


「婆さんは、我々と同じ村の人間じゃぞ。ところが、おまえ達ときたら、それを酒の肴にしていただけか!」

「村長、それは言いすぎだぜ。俺が言い出さなきゃ、あんただって婆さんのことなんか、気にも留めなかっただろ」

「何を言うか! わしには婆さんのことで、計画していることがあるのじゃ!」

「まあまあ。言い争っていても始まりませんよ」

 牧師のスチムが提案する。

「どうかな。もう日が暮れる。明日の朝、手の空いている者だけでも、探しに行くというのはどうですか」

「そうじゃな」

 村長は両手で顔を擦り、考えをまとめようとしていた。

「では、明朝六時から始めよう。集合場所は広場じゃ。すまんがスチム、これからわしと一緒に、伯爵様のところへ付き合ってくれ。ファインコルトもお屋敷へ帰るんじゃろ。一緒に行こう。オルカバらは手分けして、村の主だった者に知らせて廻って欲しい」


 こうして、村の男達は動き出した。

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