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第 4 章 「庭」

 ウッドスティック村の成立の経緯は定かではない。

 しかし村人の歴史的関心が及ぶ三百年は優に越えているのは確かだ。

 人口約五百。数十年間、変化はない。近郷ではそれなりに大きな規模である。

 村人の多くは牛や羊を飼い、畑を耕していた。


 家並みは一筋の丘の上に築かれていた。教会は小さいながらも尖塔をそびえさせ、街道を行き交う人々に村の存在を示していた。

 教会前の広場には、豊かな地下水を利用した噴泉が設えられ、日の光を浴びて子供達が走り回っていたし、村の婦人達がおしゃべりをしながら、教会の庭の手入れをしているのを見かけることもあった。


 四風亭が移設された翌年、パーラが死ぬ前の年。

 村人達が広場に集まっていた。



 グラスネイク村長は、スチム神父と共に教会から姿を現し、村の長老達と言葉を交わした。

 まもなく、太った体を演壇の上に運び、村としての決定を伝えることになる。

 集まった村人は、これまでもう何度も議論してきたことを、今が最後とばかりに言い争っていたが、教会の鐘が午後一時を告げたのを機に、徐々に静かになった。


「諸君! 村としての決定を伝える。最初に、結論を言おう!」

 村長の言葉に、広場は静まりかえり、噴泉の水だけが軽やかな音をたてていた。


「ウッドスティック村は、伯爵様の要請を受け入れることにした!」

 村人達の口から一斉に発せられる悲鳴と怒号。

 グラスネイクは、大きく両腕を広げた。

 禿げ上がった頭をめぐらせて、ひとりひとりの顔を見るように大きな目で眺めまわし、聴衆が理性と良識を取り戻すことを促した。


「もはや言うまい! よいな! 理由は改めて話さなくてもよいじゃろう。わしは、皆を信じておる!」

 グラスネイクは、よく通る声で聴衆に語りかけた。


「村を離れるのは悲しい。思い出も限りない。教会もこの広場も、なにより住み慣れた家も裏庭の木々も、モナエド様の像も、道端の石ころさえも、何もかも離れがたいものばかりじゃ」

 雲一つない空に、風に逆らった渡り鳥の群れが通り過ぎていく。


「そして、今まで通りに仕事ができるのか。村の財産である畑や牧場、桟橋はどうなるのか。まだわからないことも多い。皆も不安じゃろう」

 グラスネイクは言葉を切り、胸ポケットのハンカチをいじった。


「しかしじゃ! 伯爵様がご用意された新しい村を、皆もすでに見に行ったことじゃろう。で、どうじゃったか」

 ハンカチで頭の上を拭いた。


「想像以上に立派なものじゃった! どの建物も頑丈で広くて風通しも良い。そしてなにより、この村と同じようじゃ。やはりわしの家はハリー爺さんの隣じゃ。わしは、わしらの村は、あそこでの暮しに希望を持ちたいと思う!」


 すすり泣く声が聞こえた。

 グラスネイクは厳かに宣言した。



「皆で新しい村に移転する!」


 唇をかみ締めて村長を見つめる男。

 幼子を抱きしめて目を閉じる女。

 地面にしゃがみこむ老女。

 怒声を上げてこぶしを突き上げる若い男達……。


「引越しの開始は二週間後じゃ。よいか、村の者の気持が、ばらばらになってはいかん。遅れることは許さぬ。冬が来る前に、全員揃って移転を終える。よいな!」


 グラスネイクは、ひとりの老婆が、広場から出て行こうとしているのを目の隅で見た。

 大きく息を吸い込み、呼び止めたいという気持を抑えた。



 老婆の名はイレーヌ。

 村外れの粗末な小屋に住んでいた。

 水霊の巫女。

 村人達の求めに応じて、まじないを施す呪術師。


 しかし、急速に進展した産業化という時代の流れと共に、この老婆に術を頼む者も少なくなり、加えて潔癖な強情さが疎ましがられて、やがてひとり隠れるように暮らすようになっていた。


 イレーヌは移転に応じようとしなかった。


「そこまで言うのなら、グラスネイク、お前たちだけで、行くがよい。村の尊厳も、モナエドの加護も捨ててな。わしはここに残る。わしには守るものがあるのじゃ」


 そう言われて、グラスネイクは傷つき、老婆を説得することをあきらめたのだった。



 グラスネイクは気を取り直し、聴衆に実務的な事柄の説明を始めた。


「新しい畑や牧場の場所は、もう知っておろう。これをどのように割り振りするのかは、これから検討することになる」

 ひとりの男が手を挙げた。グラスネイクはそれを制して、広場に声を響かせた。


「個人的な要望は聞かぬ。すべてが完璧に公平にはいかぬ。だが、おのおのが満足できる配分はできると考えておる!」


 男がまた手を挙げて、グラスネイクに負けない大声で言った。

「俺は村長を信頼している。俺が聞きたいのは、この庭園計画がこれからどうなっていくのかということだ!」


 グラスネイクは男の顔を睨みつけた。

「伯爵様のお庭づくりの全貌については、大体のことはお聞きしておるのじゃが……。それがあまりのことで、今はうまく説明できぬ」

 再び、ハンカチで額の汗を拭った。

 もどかしさと困惑が入り混じったグラスネイクの声に、村人達はまたざわついた。



 こうしてウッドスティック村は、数百メートルほど離れた丘の斜面に移転し、村人達が引き払った村は直ちに取り壊された。

 建物だけではなく、道に敷かれた美しい陶板は剥がされ、村人達が丹精込めた庭も破壊された。


 残されたものは、老婆イレーヌの家と狭い畑、教会、広場の噴泉、村の入口にある水霊の像、井戸、そして木々に囲まれた村外れの墓地だけ。


 これ以降、ウィルストロング伯爵の庭園工事は、急ピッチで進むことになった。

 多くの人夫によって、広大な範囲の林の位置やボリュームが変更され、丘には微妙な起伏が新たに設けられた。

 窪地には、昔からそこにあったかのような池が作られ、縁には水生植物が植え込まれた。


 複雑に入り組んだ村人達の畑は牧場として生まれ変わり、家畜が自分勝手なところに行かないように、館からは見えない空堀が設けられた。

 視界を遮る森の木々は切り払われ、森と草原の境界線が明確に区画された。


 村人達が手入れを怠らなかった木の桟橋も撤去され、代わりに古風な石造りの船着場が設置された……。


 歳月が流れた。


 庭園工事は完了し、移植された木々は根付いて成長を始め、かん木や野山の草も、何度も花を咲かせ実をつけた。

 最後まで残っていた人夫や造園職人が引き上げ、牛や羊が館の近くまで迷って来てしまう事件もなくなり、風景全体としてはなじんだものとなった。


 そして、打ち捨てられた、かつてのウッドスティック村は……。


 取り壊された建物の基礎や崩された壁は、緑に飲み込まれようとしていた。

 そのさまは、まさしくウィルストロングが命名した「遺跡」となりつつあったのである。


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