第 2 章 「丘陵」
ファインコルトは建物の横手に回った。
「お帰り、暑いね」と、馬の世話をしている男が声をかけてきた。
「クソたれの暑さだ。草がやたら伸びる」
「へん! 庭の仕事は楽ちんなもんだろ。昔と違って、雑草は伸ばしておけってんだから」
「ふん。伸ばしておくんじゃなくて、伸ばし放題のように見せておけってな。倍から手間がかかる。おい、ロンを見かけなかったか」
「とっくに旦那様と出かけたぜ」
「ん? 昼からだと聞いていたんだが」
「気が変わるんだよ、すぐに」
南庭に出た。
幅の狭いテラスが、広大な芝生の内庭を突き抜けて、一直線に伸びている。
輝くような白い石でできたテラスは、庭園を真っ二つに切り取り、視線に明快な方向性を与えていた。
右には澄んだ水を湛えた池。緑の縁取りが美しい。対岸には白いあずまや「白空亭」と石敷きの広場。そこから池越しに建物を見る景は、館一番のピクチャレスクだと言われている。
テラスの左手には、果樹園を内包する疎なニレの林。そしてテラスの正面、象徴的な白い直線の先は視界が開放され、見渡す限り緑の野の風景が広がっている。
午後に置いて回るつもりで、荷車に山積みにしておいたかがり火用の鉄籠が、引き出してきたままの状態で置かれていた。
それを移動させようとしたとき、ガリーとロンが歩いてくるのが見えた。
ファインコルトはその様子に胸をなでおろした。
「騒々しい! どうしたのだ!」
怒鳴りつけられた使用人は、帽子に手をやり軽く頭を下げた。
「へえ。お嬢様が戻られないと、奥方様が……」
ウィルストロングは最後まで聞かず、くるりと背を向けると館の中に入っていく。
「グッチホルド!」
呼ばれた男が、お帰りなさいませ、とホール脇の小部屋から出てきた。
「コティがどうかしたのか!」
「はい、お勉強の時間になりましたのに、お屋敷にお戻りになりませんので。今からお探し申し上げようとしていたところです」
ウィルストロングは外に眼をやった。
明るい光の中、ガリーが歩いていく。馬の手綱を引いて、庭師の息子が従っている。
背景には、幾重にも連なるなだらかな緑の丘と、金属の破片のような鈍い光を放つ細長い水面。
緑色のカーペットの上に点々と置かれた白いフィギュアのような牛の群れ。
さらに遠く、幾筋かの菜の花畑が黄色の鮮やかな稜線を描く。その先は空だ。
丘の稜線や湖の岸辺に目を凝らす。
「どこへ行ったのだ」
「旦那様とガリー様を追っていかれたのかと……」
「なぜ、お前まで出かけようとしている」
執事は、奥様が、と口ごもった。
「コティが出かけてからまだ二時間ほどだな。そのうちに帰ってくる。放っておけばよい。使用人達を式典準備の持ち場に戻らせよ」
「かしこまりました」
いつもなら指示をすぐに実行に移す律儀な老使用人が視線を落としている。
「なにをしている」
「はい。あの、旦那様、お手に血がついております」
「ああ、けがをした」
「お手当てをしませんと」
ウィルストロングの目の下に、わずかな笑みが浮かんだ。
「遺跡でおもしろいものを見た。銀の水差しだ。ロープが結わえられていて……」
花を抱えた村の女が通りかかり、ウィルストロングは口をつぐんだが、すぐに付け加えた。
「庭園の余興を追加する。ランタンを五つばかり用意しておけ」
かしこまりました、とグッチホルドが立ち去った。
あそこは少人数で入る方が面白い、とウィルストロングはつぶやいた。