♯1
とてつもなく長い夢を見ていた気がする。
夢の中の「私」は、いわゆる「悪役令嬢」だった。どこかで見たことがあるような、ありきたりのファンタジー世界に生きる脇役のひとり。
名門バールトン家の長女、そして第一王子の婚約者。それがセレーナという女ーー夢の中の私が持っていた肩書きだった。
家庭に無関心な父と、毎夜遊びにあけくれる母。愛情をそそがれることもなく召使いに囲まれて生きてきたセレーナは、生まれ持った母譲りの性格もあり、実に傲慢な女に育った。
世話がかりのメイドを怒鳴りつけ、嫌いな食べ物が食卓に上がればシェフを解雇し、街に出れば高価な宝石を買いあさり……と、我が儘の限りを尽くす毎日。取り巻きの女たちはセレーナの顔色をうかがうばかりで、当然まともな友人などできるはずもなく、セレーナの暴走をとめるものは誰もいなかった。
そんな彼女が唯一夢中になり、尽くす相手。それが婚約者である王子その人である。
愛すべき親も友人もいないセレーナにとって、婚約者である王子こそがただひとり愛をそそぐべき人物であった。親が本人たちの知らぬところで勝手に決めた婚約者であろうとも、だ。
とにかく、セレーナは王子に夢中だった。容姿端麗、未来の王となれば夢中にならないものがいるだろうか。セレーナは王子に気に入られようと、あらゆる手段を尽くして王子にすり寄った。幸い、我が儘の限りを尽くすセレーナの本性を知ってか知らずか、王子も婚約者をむげに扱うことはなかった。
このままいけば結婚も間近。セレーナは晴れて王族の仲間入りだ。セレーナは幸せの絶頂にいた。そう、つい最近まではーー。
ーーいや、これは夢ではない。「私」の、本物の記憶だ。
「……ッ!?」
泥の中に沈んでいた意識が、弾けるように覚醒する。慌てて体を起こすと、何か硬いものが崩れ落ちて頭の上に降りそそいだ。
ぼんやりとした頭に鈍痛が走り、思わずその場でうずくまる。涙目になりながら落ちてきたものを手に取ると、それは随分と古びた本だった。
辺りを見回すと、そもそも私は本の山の上に寝転んでいたらしい。見渡す限りの書物、そのいずれもが古びており、読み込まれた痕跡が残っている。
「ここは……」
呆然としてポツリと呟くが、その問いに応えるものは誰もいなかった。ひとまず立ち上がろうとするも、不安定な足場に高いヒールが挟まっていて、私はその場でまた体勢を崩して倒れ込んだ。
桃色のドレス、履きなれない高いヒール。否応なしに視界に入ってくる自分の服装を見て、思わず私の口からため息が漏れる。
ここがどこなのか、霞がかったような頭では一向に思い出せそうにない。しかし、自分が何者なのかーーそれを私は思い出していた。
セレーナ・バールトン。その名で私はこの世界に生まれ落ちた。そして、そのことに何も疑問を抱かず、今まで生きてきた。謎の青色の光に包まれ気を失う、その時まで、ずっと。
「私、私は……」
「おい、さっきから何してるんだ」
突如目の前から声がして、私の肩は驚きに大きく跳ねた。抱え込んでいた頭を怖々と上げると、眩しい赤色が私の目を焼いた。
「起きたならさっさと帰ってくれないか。ホント、いい迷惑……」
「あっ、あのっ!!」
気を失う前に見たのと同じ、どこか不機嫌そうな少女の顔。座り込む私に手を貸すでもなく、腕を組んでそう言い放った少女は、突然大声を出した私に眉間の皺を深める。
私の胸は、もはや外にまで聞こえているのではないかと思うほどに大きく鼓動していた。目の前に立ち尽くす、異様な風貌の少女。私の記憶ーーいや、「前の私」の記憶が正しければ、この少女は……。
じわり、と頬が紅潮し、耳が熱を持つ。あきらかに気を昂らせ、目を輝かせる私に、少女はいよいよ不信感を募らせたようだった。
今にも逃げ出したそうにしている少女に、私は叫んだ。
「わっ、私を!魔女見習いにしてくださぁぁぁいっ!!」
「…………断る」
私ーー悪役令嬢、セレーナの一世一代の告白は、にべもなく切り捨てられた。