プロローグ
足元に、光が見える。ふと視線を下に落とすと、光を発する謎のマークよりも、まず自分の服装に驚いて息をのんだ。生まれてこのかた着たことのない、華美な装飾のドレス。しかも私の趣味にまったく合わない桃色。丈の長いそれのせいで足元がよく見えないが、随分と高いヒールを履いているようだ。何だこのゴテゴテなドレスは、趣味が悪い。そんなことを冷静に考えながらようやく、私の目が青色の光を発する魔法陣をとらえた。
私は今、謎の悪趣味なドレスを着て、謎の魔法陣の上に佇んでいるらしい。慌てて顔を上げると、いつからいたのだろう、目の前にはひとりの少女が仁王立ちして私を見上げていた。燃えるような赤い髪がうねるように波打って、少女の黒衣に垂れ下がっているのが見える。宵闇のような深い色の大きな瞳は真っ直ぐに私を見つめていて、長く目を合わせていると吸い込まれてしまいそうだった。私が呆然と目を瞬かせていると、少女はその表情に何を読み取ったか、得意げに腕を組んで鼻を鳴らした。
「これは魔女の契約だ。約束のとおり、お前の大切なものをいただこう。お前の大切なもの、それはーー」
刹那、世界から音が消えた。少女の口は依然動き続けているのに、鈴を鳴らすような彼女の声は私の耳にまったく届かない。何か大切なことを言っている気がするのに、まるで耳に何かを詰め込まれているようだった。焦りを募らせていると、足元の光が徐々に強くなっていって、青の光が私の目を焼く。
もはや、光は足元から立ち上るだけでなく、私の身体自体からも発せられているようだった。粒子状の光が、砂嵐のように舞い上がって私の周りを渦巻いていく。
不安だった。何もかもが分からなかった。ここはどこなのか、目の前の少女は誰なのか。ーー私は、誰だ?
昂る気持ちのままに、私は無我夢中で少女に手を伸ばした。なおも饒舌に語り続けていた少女が、縋るように差し向けられた私の手に目を丸くする。あと一歩、踏み出せば少女に手が届くのに、私の足はまるで魔法陣に縫いつけられているかのようにピクリとも動かない。
私の手は、少女の目前で虚しく空を掻いた。そのまま徐々に視界がぼやけ、抗えない脱力感に為す術もなく、私はその場で膝をついた。彼女の瞳にまたたく星のような光に見つめられながら、私の体が傾いていく。
「……おやすみ、セレーナ嬢」
最後に聞こえたのは、私の名を呼ぶ優しい声だった。
ーーそう、これは、「私」の記憶だ。私が、正しく「私」であった時の記憶。
セレーナ・バールトン。ありふれた貴族令嬢が記憶を奪われ、その代わりに奥底に眠っていた膨大な記憶を思い出した、その刹那の記憶だった。