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両親は優しかった。

父は「辺境伯閣下は立派な方だが…」と言いながらも厄介払いのような急な婚姻に怒ってくれたし、閣下の社交界での噂を知っているであろう母は目が溶けるほど泣いてくれた。

慣例的に婚約者候補とされていたが、殿下が18歳になった時点で政情的に問題がなければ私が婚約者となるはずだった。両親もそのつもりで真っ赤な目で帰宅する幼い娘を励まし、11年見守ってきたのだ。


私は婚約者候補でしかなかった。わかっている。でも、現国王陛下も先代も婚約者候補だった令嬢を妃にされた。

私だけがただの候補に過ぎなかった。何故と思ってはいけないのだろうか。この胸を、頭を埋めつくす虚しさはどこにやればいいのだろう。

この家を出るまでにひとつずつ、すべてを諦めていかなければ。




そこからの日々はとにかく慌ただしく過ぎていった。たった3週間ほどで嫁入り準備を整えねばならず、私と母は毎日走り回っていた。


今からでは既製品のドレスしか選べないがせめてデザインの好みをと言われ、「あなたはどれが好き?」と返してしまった時の侍女の顔が忘れられない。夢見るような結婚でないのに、嬉々としてウェディングドレスを選んでも仕方がないと思ったのだ。

それでも侍女は私に似合う一着を選んでくれた。「世界一お綺麗です」と言ってくれた。

だからこそ連れて行けない。きっと苦労をさせてしまうから。





※※※


辺境は遠い。

王都から馬車に乗って5日。毎日きちんと宿が手配されていたが、それでも馬車とは揺れるもので体のあちこちが痛い。

周りには護衛を付けているが、馬車の中には私と侍女しかいないので窮屈な服など着ていられないといつもよりコルセットを緩め体のラインの出ない地味なドレスで過ごした。


5日目の朝、侍女が何か言いたげにしていたがその日もそれまで同様簡素なドレスで済ませた。

昼過ぎには辺境伯閣下とお会いすることになる。

侍女は「もちろん辺境でもお嬢様にお仕えいたします」と言ってくれたが、早々に王都に帰すつもりだ。

姉のように私を大切にしてくれた侍女が好きだ。感謝している。

だから、この先は一人で行かなければ。




「ようこそおいでくださいました。

辺境伯が中でお待ちです」


馬車を降りた私達を迎えた男性は辺境軍の副官と名乗った。なるほど日に焼けた逞しい男性だ。


巨大な壁のようにそびえ立つ真っ黒な城に入る。見慣れた王城とは全く違う。辺境の城は無骨で、機能的だ。

内装にも華美な装飾はなく、質の良さはうかがえるが調度品も落ち着いたものばかりだった。

「実用的なもの」であれば私もここに置いてもらえるかもしれない。緊張で冷えた指先をぎゅっと握り込んだ。


大きな背中を追って応接室に入ると、辺境伯閣下が立ち上がって迎えてくださる。

実際はどうであれ、この場では歓迎の意を示してくれるらしい。ありがたいことだ。


「ようこそ、ローゼマリー嬢。領主のフロレンツ・ヴァルテンブルクです。」


「ローゼマリー・タウアーでございます。どうぞよろしくお願いいたします。」


「長旅でお疲れでしょう。今お茶の用意をさせていますから、そちらにお掛けください。」



穏やかに笑う閣下に少しだけ安堵した。

王族らしい美しい金髪に晴天のような蒼い瞳。逞しい体を軍服のような衣装に包んでいる。

王都の貴族とは全く違う雰囲気だ。


隣国とは長く緊張関係が続いている。

その中でこの方は辺境伯として、辺境軍司令官として、この地を治めている。

兄である国王陛下の盾として国境を守る獅子だ。


その上で、私のような厄介者を押し付けられてしまった。

王弟と言えど一臣下となったこの方に王命を覆すことはできない。例え望まぬ婚姻でも私をここに置くしかないのだ。

王都にいる間に閣下の功績や人となりは調べていたし、今日この場の私への態度を見ても誠実な方だとわかる。



「辺境伯閣下、お伝えしておきたいことがあるのですがよろしいでしょうか」


「はい、何でしょう?」


だから、最初に全て話してしまおうと思った。



「このような形で参りましたが、陛下からは辺境軍の司令官として多忙を極める閣下をお助けするようにと言われております。失礼ながら社交界での噂も存じております。閣下の私生活を侵すつもりはございません。少しでもお役に立てるよう尽くしますので、私のことは領地運営の補佐官とでも思っていただければと」


「待ってくれ、私の噂とは……?」


「……その、閣下はこの地に大切な方がいらっしゃると。その方とは結婚できない事情がおありのため、独身でおられるのだと」


「は……?」


数分前まで柔和に笑っていた閣下が切れ長の目を見開いて固まっている。

社交界では広く知られた話だが、本人は噂になっていると知らなかったのかもしれない。だからと言っていつまでも触れないわけにはいかないだろう。王都に戻れない以上、ここでの私の立場をはっきりさせておかなくては。


「……クルト、お前知っていたか」


「いえ、俺は夜会など何年も出ていませんので……ただ、あなたに女性の影など欠片もないことは知っています」


困惑した様子で答える副官に今度は私が目を見開く番だった。

閣下の噂はもう何年も前から王都で「常識」となっていた。これだけ広まっていても事実だからどこからも訂正が入らない。そう思われていた。でも、まさか。



「……ローゼマリー嬢、確かに私は27にもなって独身だが他の女性などいない。元々辺境伯を継ぐつもりだったから王子でいる間に婚約者が決まることもなかったし、ここに来てからはとにかく必死でね。先代が急に亡くなってしまったので領主の仕事を教えてくれる人がいなかったし、ここ数年は隣国との小競り合いで忙しい。社交をする余裕もなかったんだ」


苦笑する閣下はとっさに謝罪しようと腰を上げた私を制してさらに続ける。


「それに、私は君がお嫁さんに来てくれると聞いてすっかり浮かれていたんだけど……その、やっぱり年も離れているし、こんなむさくるしい男では嫌だろうか?」


眉を下げこちらを見る閣下の瞳が不安げに揺れる。

何が起こっているのかわからない。

何もかも覚悟してこの地に来たはずだった。全て諦めたと思っていた。

この先も、私の人生には恋も愛も存在しないと。なのに、こんな。



「差し出口をお許しください。フロレンツ様はこの一ヶ月ほど本当に浮かれっぱなしでローゼマリー様の到着を指折り数えて待っておられました」


「クルト!お前何を」


「黙ってくださいフロレンツ様。これを逃せばローゼマリー様のような素晴らしい奥様をお迎えすることは二度と叶わないでしょう。ここが勝負なのです。懸念を全て取り払ってしまわなくては結婚する前に愛想を尽かされますよ」


「なっ……!」


「ローゼマリー様のお部屋に置く家具もフロレンツ様がご自分でお選びになり、式についても何かご希望があれば今からでも出来る限り叶えるつもりだと仰っています。式の後改めて仕立て屋を呼ぶ予定ですが、それまでの繋ぎとして既製品のドレスを用意しています。こちらもフロレンツ様がお選びになりました」


「クルト、もういい……!」


焦ったように副官の言葉を遮り、私に向き直った閣下が呆然とする私の手を取った。

閣下の温かい手に触れて、自分の指が凍えるように冷たくなっていたことに気付く。

閣下は君に格好悪いところは見せたくなかったんだけど、ともごもご言ってから私の目を強く見据えた。


「ローゼマリー、君は幼かったから覚えていないかもしれないが、11年前私はまだ王城に住んでいた。君のこともよく見かけていたよ。

そして、エーベルハルトは会うたびに君の話をしてくれた。マリーは賢くて優しくてかわいいのだと。そんなマリーに負けないように僕も勉強すると。

数年後には城を出てしまったが、それからもエーベルハルトは会うたびに君の自慢ばかりだった」


優しく包まれていた手をぎゅっと握られる。


「羨ましかったよ。君のような子が隣にいるエーベルハルトが。君は見るたび美しく、聡明に成長していく。

王になりたいわけではないが、長雨に苦しむ領民達を励ます時、戦闘で亡くした部下を思う時、私にも君のような存在がいればと馬鹿なことを夢想した。

エーベルハルトの婚約が決まったと聞いた時、私から陛下に頼んだんだ。君が欲しいと」


「う、そ……」



か細い声が喉の奥から漏れた。

エーベルハルト殿下のことも、フロレンツ閣下のことも私は何も知らなかったのかもしれない。


「その、もちろん、領地のことは助けてくれると嬉しい。情けない話だがなかなか手が行き届かないのが現状だ。

だが、それ以上に大事なことがある。


ローゼマリー。どうか、私に君を愛させてほしい」




声を出せば嗚咽が漏れてしまいそうで、繋いだ手をぎゅっと握り返した。

私の涙腺は壊れてしまったようで、止まらない涙はどんどんドレスを濃く染めていく。

幼い頃から感情を制御するよう指導されてきた。最後に泣いたのがいつかもわからない。そう言えば殿下の婚約が決まってからも一度も泣かなかった。

今さら、止め方などわからない。



後ろからそっと差し出されたハンカチに侍女の顔を見上げれば、優しく笑うその目にも涙が浮かんでいた。


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[気になる点] 辺境伯のやり方が気持ち悪いですね 愛されもしない生涯を送るよりはマシかも知れないですが 11歳年下を兄の王に頼み込んで即手に入れようとする これが本人へのアプローチとかなら気にならなか…
[一言] 辺境伯が良い人で本当に良かった。 これから、幸せになって欲しいな。
[一言] 女の子には恋や愛が存在しないと、輝いた人生にならないのですね。 男の私には目から鱗の新知識でした。
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