前
「ローゼマリー、そなたと辺境伯フロレンツ・ヴァルテンブルクとの婚姻が決まった。彼の地は国防の要であるが、それゆえに領地運営にまで十分手が回っていない。フロレンツの側近も皆軍人だ。妃教育で身につけた知識でヴァルテンブルク領を助けてやってほしい」
「承りました」
6歳より11年、第一王子の婚約者候補として教育を受けてきた。
厳しい叱責に耐え身につけた立ち振る舞いは今日この時も全く揺らがず、胸を塞ぐ虚無感が表情に出ることもない。
幼い頃は妃教育を抜け出してやりたいことがたくさんあった。しかし、その必要がなくなった今思うことは一人になりたい、ただそれだけだった。
つい先日、第一王子と他国の姫との婚約が発表された。近年力をつけてきた相手国との関係を強化するため、何年もの準備をして成った婚約だろう。
謁見の間、陛下は一度も私の目を見なかった。つまり、そういうことだ。
私はただ飼い殺しにされていただけだった。そして教育に掛かった費用を回収するためにこの婚姻が調えられた。
姫が輿入れする前に私を既婚にし、王都から追い払う。
例え辺境で危険な目に遭ったとしても王家にとっては惜しくない命だ。殊更に我が身を嘆くつもりはない。ただ、一人になりたかった。
「マリー……」
謁見の間を出て、もう見ることはないだろうと少し足を止め中庭の薔薇を眺めていると背後から声が掛かった。
「お久しぶりでございます。エーベルハルト王子殿下」
臣下の礼を取り、頭を下げる。
視界の端に顔を歪める殿下が映ったが、これが今の私と殿下の距離だ。
「マリー……その、すまない……信じてもらえないかもしれないが、こんなことになるとは知らなかったんだ。私は、」
「殿下、ご婚約おめでとうございます。一臣下として心よりお祝い申し上げます」
私の平坦な声に殿下は顔色を無くしていたが、構わず踵を返した。本当にこれが最後なのだ、多少の不敬は見逃してもらえるだろう。
殿下と私の間に恋愛感情は無い。だが、幼馴染で、お互いに励まし合いながら厳しい教育に耐えてきた同士だった。何度も国の未来を話し合った。この人の隣に立つと思っていた。
これは政治だ。誰が悪いわけでもない。
わかっている。でも、私だって悪くない。
10年以上目の前にあった「将来」は、ある日突然消え去った。
私は最低限の準備をし、一月後には10歳年上の辺境伯に嫁ぐ。
兄弟の多い現国王陛下の年の離れた弟で、臣籍降下し前王妃様のご実家である辺境伯を継いだお方。
身分も容姿も申し分ないにも関わらず適齢期を過ぎても独身なのは領地に妾、つまり妻にできない身分の女性がいるからだと社交界で囁かれている、ろくに話したこともない相手。
王命により押し付けられた婚姻など迷惑以外の何物でもないだろう。
望んだわけでもないのに、拒絶される。私の人生はそんなことの繰り返しだ。
もう、一人になりたかった。