表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

哲学なき暴力装置

 世界は、一度破壊され、再生されなければならない。

 正義の定義が改められねばならない。

 我欲を露悪的に許容しあうキリスト教倫理から、弱者を守るために命を顧みない武人的な倫理へと。


 そのように武人的な倫理を指向することは、軍への愛好を誘う。

 しかし実際には問題がある。

 世界はかつて、東西冷戦によって定義されたからである。

 すなわち、既存の軍隊は、近代的な国民国家思想を基盤にしている。

 それは近代法を基盤にしていて、近代法は近代西洋に由来している。よってゴミである。

 近代国家の軍隊はすべて、西洋キリスト教の歴史的な個人主義に深く汚染されているのである。


 例えば、国軍の任務は国民の生命と財産を守ることだという。

 公共の正義のためならば国民の生命と財産を売却せよとは言わないのである。

 つまりこれは契約社会論に基づく利己主義でしかない。

 既存の軍隊は本質的に、良心なき暴力装置にすぎないことになる。

 義のために個人が犠牲となるべきときがあるように、義のために国が滅びるべきときもある。生命や財産などという物質的価値についてはなおさらである。よって、そのような倫理の本質的性格が加味されていない以上は、近代的な軍隊は倫理的な性質を備えているとはいえない。


 そして、近代以前を見るならば、世界には軍事政権は稀である。

 大国ではすでに官僚政治が、歴史的な国々らでも貴族政治が行われていた。

 軍事政権の稀な例は、徳川幕府の侍達だ。

 侍の精神によって世界は再建されるべきだ。

 必ずしも日本の侍を模範とする必要はないが、侍という一例に恵まれていることは、日本の一つの長所である。


 西洋の貴族は、富裕であることが貴族である証だと思っていた。

 侍は、富裕を顧みないことが武人たる証だと思っていた。

 そのような、物質的価値に対する超越的な価値観が、不公正な格差を招かないためには必要だ。

 我欲は恥辱だと認識していることが、支配階級の要件なのだ。


 現代社会の富裕層は、我欲を恥辱だと思っているだろうか?

 上から下まで誰一人、思ってはいない。

 マネーの哲学が世界を覆い、人類にはもうゴキブリしかいないのである。

 それでうまくいっていると、ゴキブリ達自身は思っているのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ