joker 's Diary
「お母さん、寂しいんやろなぁ。1人やし、可哀想やんか」
カ、チン。
コイツとは、やっぱり別れて大正解!
話の論点がズレているというか…
長いモノに巻かれ、一般的で無難な価値観ばかりに終始する、中身無しオトコ。
はじめて本格的に付き合った彼氏だったコイツと出会ったのは、ワーホリで訪れていたニュージーランド。
自転車で北島から南島まで旅行しているチャリダーだった。
クライストチャーチで出会い、ダニーデンで再会、ワナカのバックパッカーで3度目の偶然の再会。
チャリダー旅の苦労話や写真を見ながら他の街の話を聞いているうちに深夜になり、他には誰も居なくなったダイニングで
私の重く暗い身の上話も、眠い目をしながらも熱心に聞いてくれた。
恋愛に免疫のない私には、誠実で優しく、バイタリティに溢れる、とっても魅力的な人に思えた。
帰国して一度は北海道の実家に戻ったものの、いつもの如く母との諍いが絶えない日々から逃れるために、意中の彼が住む大阪で一人暮らしをはじめた。
天神橋筋商店街にあるスーパーの事務員として働いていたある日。
店の商品である竹輪を連日盗んでいたドロボー子猫ちゃんが、ついに罠にかかって事務所内の檻に入っていた。
怒った社長さんから散々蹴られたりしたので怯えて目をまん丸くしていた、そのドロボー子猫ちゃんをひと目見て「かわいい〜」と気に入って、そのまま私が飼うことになった。
社長さんから「アンタが飼う事になるんやったら、あんな事せんかったのになぁ。可哀想な事したなあ」と優しい声を掛けていただいて。
保健所行きのはずだった子猫は、連れて帰ったその日は威嚇するばかりで大変だったが、黒い油まみれでベトベトだったので苦労して何とかお風呂に入れ、
鰹節とご飯の猫まんまを食べさせた。
こちらに敵意がないと解って落ち着くまではわりとすんなり、そう時間はかからなかった。
動物病院に連れて行くと、お腹に回虫という輪ゴムサイズの小さいミミズのようなものが棲んでいたことがわかり、薬をもらってそれを全て吐き出してからは地声と思っていたダミ声が、子猫らしく高い可愛らしい声になった。
痩せ細った身体と、油の部分を削いでボロボロだった毛並みも日に日にキレイになり、やっと普通の可愛い飼い猫らしくなった。
そんなある日、法事で北海道に帰省しなければならなくなり、留守中に子猫の面倒をみてもらえないかと彼に連絡。それをキッカケに付き合うようになった。
あれから‥はや20年。
この間に授かり婚、離婚、再婚、再離婚。
18才になった娘と共に、5年ぶりの再会の日に
母の事を話したら元夫から返ってきた言葉が、冒頭の中身のない、虚しい台詞。
娘の入学式での諍いから、私はもう母とは関わりたくない!となり、2年半ほどの間、母からのメールや電話などが来ても無視し続けていた。
娘の最後の学園祭を見たいからと、母がこちらに来ると言ってきたが、私は来ても一切会うつもりも話すつもりもなかった。
しかし当日になり、母が娘と食事をすると言うので行っておいでと言っても、娘が「ママも一緒じゃなきゃイヤだ!いつまでも板挟みになっている私の気持ちも考えてよ。会って話し合いをちゃんとしてほしい!」と泣きわめき。不本意にもそうせざるを得なかった。
案の定、いつもの如く。私について否定的な、貶したり嫌な気分にさせる話ばかりしてくる母。でも何とかそれなりにその場をやり過ごし、一切会いたくないと頑なに思っていたほどでは無かったかな‥と、
距離はとりつつも、当たり障りのない表面だけの付き合いだけならこれからはしていけそうだと、雪解けしたような、少し安堵した気になっていたら…
後日、母からのメールで
「貴女は頭がおかしい、精神科で診てもらう必要があるから、今すぐ、二人とも北海道に帰って来なさい」
娘は卒業後の就職が内定しているのに。
お付き合いしている彼もこの地に居て。
娘にも「彼にも話して。ママが大変だからと。
就職先はお断りして、学校の先生に私が言うから、北海道の高校に今すぐ編入して、大学にも私が行かせてあげるし、2人の面倒は私がみるから!」
とメール。
「ママの、何がおかしいの?」と娘が返信すると、「貴女は知らなくて良い事です」と。
驚くやら呆れるやら‥でまた無視していると、私の職場の人とも話がしたいから電話番号を教えて、とか
ひと言も、そんな事は言っていないのに
「貴女も北海道に帰りたいと言っていたし」
「とてもお金に困っているようなので、振り込みます」とか…
‥オカシイのは、そっち。
執筆中の現在放送されているドラマの『リカ』を毎週娘とみている。
思い込みが激しく、何でも自分の都合の良いように解釈する、自分の思い通りに運ぶために手段を選ばない、お金でどうにかしようとする、平気で人を利用したり傷つける…
などのリカの性質は、母と本当にそっくりで、とはいえさすがに、殺人までは犯してはいないが‥
間接的に、なら。私の父の自殺は、やはり母の長年の対応の結果であると、私には思えていて。
私が幼い頃の記憶では、父と母はよく大声で喧嘩をしていて妹と私は片隅で嵐が過ぎるのを心細く待っていた。「オマエなんか、失敗だ。離婚だ離婚だ!!」とか、体も大きい父の怒声は恐ろしく、幼い私には父が悪者にしか見えていなかったが、(思春期までの子どもは何をおいても母親に対して無償の愛情をもち、誰よりも拠り所となる。切ないまでに)
後年、思春期頃に我が家の異常さに気が付いてからは当時の父の心の痛みがよくわかってきた。
その頃には鬱病などを患っていて大声で喧嘩する事はなくなっていたが、私が幼かった当時、父は明らかに元気で正常な心であった。




