その6
「さすがは『神様』だねっ!大正解だよーっ!!」
それまでの厳粛な雰囲気が嘘のようなはしゃいだ声に、目を覚ます。
人工的な夜のプラネタリウムだったあの光景は、真っ昼間のいつも通りの学校の屋上に戻っていた。
お日様も天然由来の燦々とした輝きを取り戻している。
否。
そう見えるように演出されているだけだ。
目の前の少女によって。
「と…『あのひと』の想定した通りに何一つ間違えることなく進むとはねー。えらいえらい。ご褒美になでなでしてあげるよー」
なでなで。
自分になでなでされる自分。
正直嫌いじゃない。
「と、わたしもう行かなきゃ。じゃあねー」
「待てい」
肩ぐいっ。
「どしたの?はっ、まさか『自分』に一目惚れしちゃったとかっ。そ、そんな。女神のわたしに急にそんなこといわれても。わたしには心に決めた『あのひと』が」
「そういうのいいから」
「ちぇー。ノリ悪いなー。同じわたしなのにー」
だからだよ。
自分百合で自分ヒロインの自分修羅場とか誰得だよ。
これが春名たちが言っていた「過去の同位変異体」「未来の同位変異体」というやつだろうか。同じ自分でありながらどうもこの自分とはウマが合いそうにない。
もっとも向こうの少女は人間だった自分がよほど懐かしいのかこっちの私の気持などお構いなしに、まるでアルバムの幼少期の自分を見るような慈愛に満ちた目でいまにもハグしたりキスしたりしそうなくらいのはしゃぎっぷり。
そんな無邪気にはしゃぐ自分を見ると自己嫌悪というか、自己憎悪にも似た気持がこうむくむくと。いまの私と寸分違わぬ小学生でも通用しそうな女子の体躯が目の前ではしゃいでいるのを見ると、もう、ね。
……神様、あなたが全知全能だというなら自分のミニマムサイズな体型くらい修正パッチ当てといてください。
頼むぜ、おい。
まあ、それはさておき。
「春名は無事?」
「んー?その呼び方でいいのー?愛しい我が子の名前なのにー」
「あれは緊急事態に対応した超法規的措置だから。本来この時間軸で生まれていない因果の元にもなりかねないあの子の名を、容易く口にするわけにもいかんでしょ」
「まったく、お母様らしいですわね。ご安心ください。彼女は無事に元に戻しましたわ」
天然の陽光に由来するフェンスの影形からにょろり、とヘチマの触手か何かが伸びてきたと思ったら春名に眼鏡とお嬢様とアホ毛のオプション付きの天使だった。
すちゃ、と眼鏡とドヤ顔をカッコよく決めての登場。
「こちらの世界の因果はすべて元に戻りましたから。あと為すべきことは、こちらのお母様を新たな女神様として、天使たるこのわたくしが神々の御座します天界にまでエスコートさせていただくだけ、ですわ♪」
そういって、まるで結婚式の新郎新婦のご入場よろしく神様の腕を組んで早速この場を後にしようとするうきうき気分のわくわく天使。
しかし、目の前の少女はそれと対照的に名残惜しそうに、というかまだ為すべきことがこの場に残っているとでも言いたげな上目遣いで天使をけん制。
「……もう、時間がありませんわよ、お母様」
「そんなこといわないで。お願い、ひなちゃん❤」
「そ、そんなまがい物の名でわたくしを呼ばないでと、も、もう……///」
なんだこいつら。
女神×天使百合と呼ぶべきか母×娘百合と呼ぶべきか悩ましいシチュエーション……じゃなくって。急に私の目の前でいちゃつき始めやがったぞおい。しかもこっちが気を遣ってわざわざ愛娘の名前を呼ばないでいたのに。自分たちがいちゃつく燃料となる愛のささやきのためにわざわざ混ぜ込みやがったし(憤怒)。
バカップル死すべし慈悲はない。
私がしっと仮面化するのを余所に、バカップルのいちゃいちゃ百合登山は早くも頂上へ。
「し、仕方ありませんわね。五分だけですわよ?」
「やったー。ひなちゃん、愛しているぜぃ」
ちゅ。
「ぴゃっ!?お、おかあひゃま……(失神)」
ヘブン状態に陥った天使の頭を強打しないよう、そっとコンクリート床に寝かしつける程度のささやかなやさしさを見せると、こちらに振り向きざま何の悪意も屈託も無い笑顔を見せる鬼畜神。
「ごめんね『陽菜』。聞きたいことがあったらいまのうちに聞いていいよ。推理小説とかでも中途半端に謎を残したまま終わるのが、一番腹立つだろうしね」
一番腹立てているのはお前に対してだよっ!
そんな本音をはあ~~~っ、と肺腑の奥底にまで溜まっていた澱んだ空気とともにすべて吐き出してしまうと、何でもない風を装って質問する。
「……とりあえず、人間の春名と天使になった春名をバッティングさせたのは計画通りなんだね?意図を知らない二人が争いになったのも、含めて」
「そうだねー。多分そういうことだと思うー」
いらっ。
「自分の娘が消滅しかねないリスクを冒してまですることなの、それ?」
「んー、多分そうだと思うー」
いらいらっ。
「その前にさっさと神様が出てくれば万事解決じゃないの?全知全能たる女神様がその程度の判断もつかないわけ?」
「んー、そうはいってもねー」
いらいらいらいらっ。
「そもそもいままでどこにいたのさ?あの子の無事を祈って伊勢神宮に神頼みにでもしに行ったの?それともミサイルが墜落しないよう宇宙空間で迎撃待機でもしていたの?それとも…」
だんだん苛立ちが隠せなくなってきた私に目の前の少女は顔を背けるでもなく顔を赤くして反論するでもなく、黙って人差し指を私のほうに目がけて一直線に――――
つん。
「ひゃんっ!?」
「そこだよー♪」
「ば、馬鹿なのっ!?アホなのっ!?」
ばしんっ、と猛烈な勢いで神の見えざる手を払いのける。
こいつ、【イチゴのつぼみ】に指つんしやがった!?
乙女の聖域に触れるとは、万死億殺に値する行為。
そもそも、自分に自分でセクハラしてなにが愉しいっっ!?
盲目剣士並みのブチ切れで脳の血管もブチ切れそうになった私を「うん、愉しい♪」と暗黒微笑で煽りかけるも、私のごごごご怒張する暗黒闘気に、ここは余計な時間を使う場面ではないと判断したのか、「ちがうちがう」とわざとらしく首をぶんぶん振って、
「だからー、ずーっとそこにいたんだってばー」
「そこって……え?」
見ると、彼女の指さす箇所が当初の着弾点よりも大幅に下方修正。
お腹。
まさか、これって。
「そう、『陽菜』のなかにいたんだよ、わたしは」
……………………………………………………………………はい?
彼女の発した言葉の意味を理解するのに4、5秒ほどかかった。
何それ。
なんなんだよそれ。
自分で自分を産んだって。
マリアナ海溝よりも闇深過ぎて人類の光が到底及びそうにない暗黒領域だぞ、おい。
「産んだというより、飛び出したって感じかな?」
「飛び出したあ?」
「儚い人の身でありながら超越的な神の為す奇跡を起こしたことで、『陽菜』の神性起動スイッチが発動して、それまで内に潜んでいた『神様』が実体化したってこと。まー、これもそれもすべて『あのひと』の天才的な演算力のおかげなんだけどねー。きゃー❤」
「………………」
惚気る女神によって解き明かされる衝撃の真実に私の顔面は苦虫を百匹くらい噛み潰したような女の子が決して見せちゃいけない惨状を呈しているのを自覚しつつ、私がこのちんちくりんな幼児体型にも関わらず母性だのバブみだの理不尽な魅力によってあのひなママ狂信者どもを引き寄せていたのは全部私のなかにいた女神様のせいかよ、とさらに青汁百杯飲み干したような人類史上最悪の表情筋と化す。
だが、逆に考えてみれば。
こいつがこうして私のなかから出ていった以上、これからはバブみを感じる女子高生総合ランキング一位とか殿堂入りとか頭のおかしい終身不名誉職とかからは永遠に無縁の人生を送ることができるではないか。
やった。
思わず心の中でスキップを踏んでしまう。
絶望の永久凍土に希望の光が差し込んだよう。
「さて、そろそろいいかな?」
その後も大半が「あのひと」に関するお惚気に終始した女神は、うーん、と可愛く伸びをすると、心なし名残惜しそうに訊ねる。
「他に、聞きたいことある?なければこれで質問タイムは終了だけど」
「『あのひと』って誰?」
「『あのひと』ぉ~?」
「『あのひと』だよ!」
「え~、誰それ~?」
こいつ、いままでさんざん惚気まくっていたくせに。いまになってしらばっくれる気か?
そんな私の懸念を裏付けるかのように、私の背後から音も無く現れたのはヘブン状態に陥っていたはずの天使。凄腕SPのように一分の隙も無い体勢で、彼女にささやく。
「お母様、そろそろ」
「おっと、時間だねぃ♪」
「……逃げる気?」
ぐっ、と力みが入る我が手足。
その昂ぶりを、まるで一流の按摩師のように一瞬で鎮める天使。
「そうではありません。お母様にとってあのまがい物の真名が言うべきでない禁忌の言葉であるのと同様に、『あのお方』の真名はこの世界にとって崩壊に繋がりかねない禁断の呪文。いわば人間にとって世界の消失点。ゆえに人の身たるお母様に対しては、たとえ暗号やジェスチャーの類であったとしても、お教えすることができないのです」
「そーそー。さっすがひなちゃん❤わたしの愛する娘ちゃんだねぃ❤」
「そ、そんな……///」
再びいちゃつき始める女神×天使禁断の母娘百合バカップル。
……そういう君たちはさっきからあの子の名前をぺらぺら囀っているけどな!
まあ、彼女たちにとっても、かつての自分の子供や自分自身であったことには変わりないけど。
それでも私が不満であることにも変わりない。
そんな私を宥めるように、彼女は同じ相手が片思いの相手であるかのような親密な温かさをもって、わざとぶっきら棒に私に語りかける。
「ていうかさー。『人間』にもわかっているでしょ?『あのひと』の正体が誰かなんてさー」
わかる。
薄々とかいう予感レヴェルなんかじゃなくて。
確信よりも確定よりもさらに確かな実感として。
幼なじみで。
やさしくて。
頭がよくて。
お姉ちゃんっ子で。
ちょっぴり抜けてて。
その癖、天然由来のおつむとおめめで世界の真理も何もかもずばっとお見通しのようで。
私だけを慕ってくれている。
大好きな。
「……お母様、そろそろ」
「そだねー。じゃあ陽菜、わたし行くからね」
はじめての名前呼びに一瞬対応に戸惑うが、その若干寂しげな横顔に対し、
「……こういうとき、なんて言えばいいのかわからないけど」
そういって、小さなもみじのような私の手を差し出して。
「向こうでもしっかり頑張ってね、『神様』」
「……うん♪」
心からのうれしそうな返事とともに、もう一枚の小さなもみじの手が重なって。
握手。
小さな秋みつけた。
そんなお別れの光景を感慨深げに眺める天使。
「……おそらく、わたくしたちの帰還に際し、膨大なエネルギー放出に伴う相当な衝撃音が近隣一帯に轟くはずです。ですから、お母様があのまがい物に屋上で言い寄られたのをお怒りになってフッてやった。後でそうご説明されるのがよろしいかと」
「うん。ありがとね、天使」
「……いえ。お母様、どうかこちらでもご息災で」
「じゃ、いこっかー♪」
「はいっ❤」
近所に散歩に行くくらいの軽いノリでそういって手を繋ぐなり、宇宙エレベーターのようにぐんぐん上空に吸い込まれていく女神と天使。
シュールだ。
が、それもわずかな間だった。
雲の階段の光差す特異点と思しき箇所に差し掛かるや、鼓膜を破裂させんばかりの猛烈な轟音がまるで真っ昼間の青空に突如雷鳴が轟いたように近隣一帯に鳴り響き、気づけば二人の姿は果てしない青空のどこにも視認できず、束の間のおとぎ話の時間が終わったことを理解する。
否。
人間だった頃の女神が私に送る最後のメッセージといわんばかりの天真爛漫なはしゃぎ声が愛くるしくも切なく苦しく私の脳内に木霊する。
それを一言一句聞き逃すまいとし、微かな彼女の残り香の如き残響が鳴り終わるのを確認すると、それに自分のオリジナルなぼやきを一言加えた完全版の自己紹介を陽気に口ずさんでみる。
自分らしからぬ未来の自分の言い回しに苦笑しつつ、屋上の扉に手をかけ、いつものようにぎぎ、と錆びついた重苦しい音を立てて、私は新たな未来への扉を開ける。