序章 第2話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
甘く優しい香りがした。
夕陽を背に立つしなやかなシルエットは、二畳院さくらさん。
ツインフェアリーズでメイドのバイトをしていた星ヶ丘高の同級生。
働き者で聡明で、お客さんの人気も高い彼女は、しかし学校では話したことさえない遠い存在。高嶺の花って言うのかな。静かに本を読んでいても、そこだけ光る竹のよう。まあ、僕なんかには縁もゆかりもない女の子だ。
「どうしたの、電気も点けないで締め切っちゃって」
「二畳院さんこそどうしたのさ…… ってか、ごめん。店のことで迷惑かけて」
「迷惑かけたって思ってるんなら、早く中に入れなさいよ」
「あ、ごめん」
怒ってる?
昨晩別れたときは笑顔をくれたのに……
僕は慌てて店の灯りを点けに走る。
「失礼するわね」
腰まで伸びる黒髪に、誰もを一瞬で虜にする切れ長の気丈そうな瞳。
表情ひとつ変えないで店に入ってきた彼女は学校指定のコートを脱ぐ。
「で、一平くんはどうするつもり?」
「どうする、って?」
「特捜本部でのいい話は断ってきたんでしょ」
「どうしてそれを?」
彼女は腰に手を当て、ドヤ顔で。
「その顔に油性マジックでハッキリ書いてあるわ」
「あ、あはははは…… そんな顔してたかな? って、そう言う二畳院さんは国費特待生に推薦されたんだったよね」
「あんなもの、どうでもいいわ」
「ああそうか! 君はお嬢さまだし、お金の心配はいらないんだよね」
「誰がお嬢さまよ」
「え?」
「お金なんかないわよ」
「ええっ?」
「父は失踪して行方知れず、母は体調崩して実家に帰ってる。勿論、仕送りなんて一円もないわ。自慢じゃないけどそのコートだって先輩に貰ったの」
「ええええええええええ~っ!!」
知らなかった。
いつも堂々として、どう見てもいいとこのお嬢さまにしか見えない彼女が、まさかまさか……
「でも、国費特待生は寮費も学費も心配いらないし、小遣いだってたくさん貰えるんだろ。良かったじゃないか」
「そうね、その話は断ったわ」
「は?」
「断ったわ」
「はあっ?」
「だから断ったって言ってるでしょ!」
「はあああああああ~っ? どうしてさっ?」
「そんなの決まってるじゃない、誰がっ!」
それまで人形のように淡々と語っていた彼女の端正な顔が、突然、歪んだ。
「誰があんな女の、朝風総理なんかの助けを借りるものですかっ! あの女はわたしの家族をメチャクチャにしたのよっ。あの女は鬼よ、悪魔よ! ラスボスよ! しつこく冷たく残忍にわたしたちを追い詰めた。泣いても叫んでも許しを請うても、あの女はあざ笑うだけだった。そして、わたしの父は、そしてわたしの母はっ…… 一平くんだってそうでしょっ!」
それ以上は言葉にならないのか、彼女は桜色のくちびるを震わせるだけ。
日曜日の夕暮れ前。
いつもならお客さんたちの楽しい笑い声が溢れているこの時間。
「なんか、ごめん」
「ううん、一平くんは悪くない。悪いのはあの女。ねえ、一平くん、あの女に、朝風総理に一泡吹かせてやりましょうよ」
「一泡吹かせる、って?」
彼女はその印象的な、切れ長の瞳に光を宿らせる。
「一矢報いてやるのよ、ギャフンと言わせてあげるのよ!」
「でも僕たちは高校生で、相手は日本の総理大臣だよ。蟻が象と相撲を取るようなもんだよ、町人Cが魔王に素手で突撃するようなもんだよ。きっと一方的に玉砕するだけだ。気持ちは分かるけどさ、一矢報いるなんてできっこないよ」
総理大臣・朝風明希。
『鋼の女』の異名を持ち、40歳前半と言う若さで総理の座に上り詰めた辣腕政治家。頭脳明晰で話術にも長け、女優顔負けの美貌まで与えられた彼女は老若男女問わず高い人気を誇っている。その支持率はなんと、空前絶後の92%!
そんな百戦錬磨の総理を相手にして、僕ら一介の高校生が一泡吹かせるなんて無理に決まってる。
「そうかしら?」
「そうだよ、そんな方法あるわけ無いよ!」
「じゃあ、もしあったらどうするの? わたしの言うことを何でも聞く?」
「何でも、って」
「そうね、3回まわってワンと鳴く、とか4回まわってニャーと鳴く、とか5回まわって目を回す、とか、何でもよ」
彼女は初めて楽しそうに微笑んだ。
けれど、そんな方法あるはずない。
「ああ、分かったよ。でも僕が納得すれば、だよ」
「もちろんよ」
そう言うと彼女は手に持つ真っ赤なカバンからスマホを取り出す。
「あなたも見たでしょ、昨日の朝風総理の記者会見。二次元愛禁止法に対する自作自演乙な演説」
「ああ見たよ。一般の夫婦の出生率は二次元愛を貫く夫婦の何と1万倍、ってヤツだろ」
「馬鹿げた統計よね。二次元愛を貫いたら子供が生まれるわけないわ。でも会見であの女はこの店の、メイド喫茶ツインフェアリーズの摘発についてもコメントしたでしょ」
「らしいね。腹が立ったから見てないけど」
「そうだと思ったわ」
彼女は手にしたスマホに立体動画を再生させる。
映し出されたのは前髪上げた赤毛のボブ、大きな瞳に笑みさえ浮かべカメラ目線で会見する、にっくき朝風総理の姿だった。
二次元愛禁止法、私が立案したこの法律こそが明日への光、日本の希望です。
この法律は、今日早速、たくさんの若者の未来を救いました。
違法摘発の第1号は二次元美少女アンドロイドを使い、健全な若者たちをかどわかした「メイド喫茶・ツインフェアリーズ」。このような穢れた行為を私達は断じて許してはなりません。この店の閉店はきっと我が国の新たな繁栄への記念すべき第一歩となるでしょう。
「異例よね、一国の総理がこんな小さな店について細かにコメントするなんて」
「そうだね、しかもドヤ顔で偉そうに!」
立体テレビが主流の今でもマンガやアニメから派生したコンテンツは全て二次元と呼ばれている。昔からの名残らしい。
二次元愛禁止法はその二次元、即ちマンガやアニメそのものを禁じる法律ではない。
この法律の目的は二次元との恋愛を「しない」「させない」「誓わない」だ。まあ平たく言うと、二次元コンテンツを用い、男女の恋愛(とそれに続く赤ちゃん誕生)を阻害するなって法律だ。
父の逮捕容疑、それは二次元美少女アンドロイド『晶子ちゃん』を開発し、お客さんを二次元愛へ誘惑したって罪だった。
店で大人気だった赤いツインテールの晶子ちゃん。その可愛い容姿と父が開発した画期的な性能が災いし、彼女を本気で愛するお客さんが続出したのだ。
「ねえ一平くん、まだ気が付かないかしら、あの女に軽く一矢報いる方法を。あなたにしかしかできないことよ」
「僕にしかできないこと?」
「もうっ、理数は天才のクセにこんな事もわからないのっ!」
誉められてんのか、ディスられてんのか?
「ごめん、わかんない」
「いいこと、想像してみて。もしこの店がすぐに営業を再開したら? あなたがツインフェアリーズを、その名のままで営業再開したら?」
「あっ、なるほど! その手があるんだ!」
「さすが一平くん、物分かりが早いわね。そうよ、あの女は店名まで出してツインフェアリーズの閉店は記念すべき第一歩だと全国放送でブチ上げ浮かれ喜んだのよ。その店がすぐに営業再開したら、あの女のメンツは丸つぶれ、あの高い鼻はぺしゃんこになるはずよ。わたしの財布くらいにはね」
「二畳院さんって、さりげに自虐するんだ。でもさ、そんなことしたら今度は僕が逮捕されるんじゃ」
「大丈夫よ。今回の摘発容疑は二次元美少女アンドロイドによる違法接待でしょ。普通の喫茶店なら大丈夫だわ。法に触れない限りあの女であろうと手も足も、ついでにお尻も出せないはずよ」
「いや、最後のは普通出さないって。おっさんたちは見たいかもだ……」
くう~っ
その時、僕のお腹が壮大な音を立てた。
そういや、まだ昼も喰ってなかったんだ。
「と言うわけで一平くん、あなたはこれから一生涯、わたしの言うことを何でも聞くことになったわ」
「ちょっと待った! これから一生って、そんな約束はしてな……」
「あら、何を言っているの? わたしは1回だけとか、今日だけとか、そんな制限は一切付けなかったわよ」
彼女は手にしたスマホでさっきの会話を再生する。
「じゃあ、もしあったらどうする? わたしの言うことを何でも聞く?」
きゅるきゅるきゅる(早送りの音)
「ああ、分かったよ。でも僕が納得すれば、だよ」
「ほらね、これが証拠」
「…………」
「もう一度再生する?」
「いやいいよ」
「じゃ、一平くんの負けね」
「って、ねえ頼むよ、勘弁してくれよ。一生何でもって、そりゃあんまりだよ」
「じゃあ改めて『生涯わたしの従順な肉奴隷になりなさい』って命令をしましょうか?」
「うぐぐぐ…… 二畳院さんって鬼だね、悪魔だね!」
「そうよ、わたしは鬼よ、悪魔よ。じゃあ、その悪魔さまの最初の命令よ。わたしのためにコーヒーを2杯淹れて頂戴。もちろんとびっきり美味しいヤツね」
「……分かったよ」
【お知らせ】
本作は1話1話の長さを意識せずに書いてます。
そのため、掲載の際の「1話」の区切りが少し中途半端なことがあります。
(作者都合で、だいたい一話3000字前後に揃えたいため……)
勿論、次話をお待ち戴ければちゃんとつながりますので、なにとぞご理解とご容赦を!!
作者謹白