第2章 第8話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
放課後、さくらさんの周りに野郎どもが押しかけてきた。
「ねえねえ二畳院さん、この後ヒマかな?」
「ちょっと待てよ桜井、俺が先に喋ってただろ」
「いいやオレだね。ねえ二畳院さんってば聞いてる? 明日お店にも行くからさ!」
朝の一件の所為なのか、彼女の周りが賑やかだ。
たぶん、ガードが堅い印象の彼女が僕と一緒に登校したから、他の奴らが「じゃあ俺も俺も」とやってきたのだろう。
しかし、そんな野郎ども相手に二畳院さんは。
「ごめんなさい、今日はちょっと用事があるから。じゃあ一平くん帰りましょう!」
言うなり僕の腕を取って教室を出たのだ。
「んなっ! さくらさん、そんなことしたらますます噂が……」
「あの状況から逃げるにはこれしかないでしょ! ねえお願い、わたしに利用されて」
「いやいや、ちょっと前の君だったら「わたしは年収2千万円のイケメンで、かつ100mを8秒台で走る名家の御曹司以外には興味ないの」とか言って並み居る男どもをなぎ倒してたじゃないか」
「朝の一件で、その手は通じなくなったのよ。だって一平くんはさっきの条件の何一つ備えてないもの」
「いやいや、おかげで僕には(さくらさんの下僕になった説)とか(さくらさんに貢ぎまくってる説)とか(さくらさんに身包みはがされ捨てられる説)がまことしやかに流れてるんだよ。勘弁してよ」
「あら、いいじゃないそれ。わたしはオープンハートが欲しいわ」
「鬼、悪魔っ!」
「だから言ってるでしょ、わたしは悪魔だって」
結局、ふたり並んで学校を出ると、家の近くのスーパーへと向かう。
明日からの営業に備え僕は買い出し、そしてさくらさんは夕飯の材料を買うためだ。
「おや、一平ちゃんにさくらちゃんじゃないの」
「きららさん! どうしてここにっ!」
「どうしてって買い物に決まってるじゃろ。もう、一平ちゃんったら茹でダコになって!」
「ぬなっ……」
「もしかして店の買い出し?」
「そ、そうです、そうなんです」
「ふたりすごくお似合いじゃよ。ああ、若いっていいのう。じゃ、あたしは邪魔だろうから行くとするね」
「あっ、勘違いは、ってきららさ~ん」
買い出しが終わると山と荷物を持って家に戻る。
「ああ~っ、きららさんに見られたらご近所に知れ渡っちゃうよ」
「そうかしら? 残念ながらきららさんはそんな人じゃないわよ」
そんな会話をしながら店へと戻る。
僕は買ってきた材料を所定の場所に納めていく。
「じゃあわたしは夕食の準備をするから、店の準備よろしくねっ」
「あ、ありがと。じゃ、あとで」
彼女の姿を追いながら自然と頬が緩むのを感じる僕。
何なのだろう、昨日からものすごく不思議な気分だ。
彼女と一緒の生活、それはとても楽しいことばかり。
女性と一緒の生活って、気は遣うし面倒だし、自由を束縛されることばかりだとみんな言う。あの女は、朝風総理は人口減少を食い止めるためにと二次元愛を禁止した。それ即ちリアルより二次元世界の方が楽しいってことじゃないの? そもそも結婚しない人が増えたのは、(結婚)に魅力がないからだ。パートナーへの責任、お義父さんお義母さん親戚たちとのお付き合い、お金と時間と手間だけがかかる子育て…… 好きな趣味や仕事に精出して、二次元と(きゃっきゃうふふ)を楽しんで、自由気ままな時間を過ごす、そっちの方が優雅で楽しいとみんな言う。恋愛は自由だけど、結婚は束縛、人生の終焉だと誰もが言う。
でも、さくらさんだけはきっと特別だ。
って、これこそが勘違いなのだろうか……
壁に貼られた魔法少女・彩華ちゃん(かわいい)のポスター。
二次元の彼女は可愛いし癒されるし、決して僕を裏切ったりしない。何年経っても変わったりしない。
だけど……
コンコンコン……
誰だろう、鍵はかけてないはず……
と、勝手に扉が開く。
カランカランコロン……
「お邪魔しま~すっ!」
「って、もみじさん! 何しにここへっ!」
「何しにって失礼ですねっ。言ってるじゃないですか、監視ですよっ、監視。明日からの準備がちゃんとできてるか見に来たんだよっ!」
赤いツインテを振り乱し、跳ねるように寄ってくる朝風もみじ。
「そんなに突然来られても……」
「突然来たら困るんですか? 何か悪いことでもしてるんですか?」
「そんなことないよ、ほら明日の材料を整理してるとこだよ」
「ふうむっ! じゃ、あたしも手伝うねっ」
有無を言わさずカウンターに乱入してきた彼女は買い物袋から果物なんかを取り出していく。
「なあ、何しに来たんだよ」
「だから監視ですって。今日は一平さんのお家を見学したいなって……」
んなっ!
「って、勿論タダでとは言わないよ。ほらっ!」
彼女は持ってきた大きなトートバッグを僕の前に突き出して。
「じゃじゃ~ん! 美味しそうなお肉だよっ! 晩ご飯まだでしょ? あたしが作ったげる!」
「作ったげるって、そんな急にっ!」
「ねえねえ一平くん、オリーブオイルはどこに……」
と、さくらさんの声。
やばい、完全に鉢合わせだ!
思考回路は急停止。
もう、バンジー休す……
「あらっ、どうしてさくらさんがここにいるのっ?」
「って、どうしてもみっちがここにいるのよっ!」
「もみっちって誰よ!」
「あなたの愛称よ! 今作ったわ! イヤなら(もみもみっち)に格上げして上げてもいいわよっ!」
「何よ揉み揉みっちとか、そのお下劣極まりない語感は!」
「ふんっ、わたしは育ちの悪い女ですからね! けど、もみもみっちのお母さんみたいにデベソじゃないわよ!」
「見たんかっ!!」
「ほら図星!」
「まあまあまあ……」
って、やっぱリアル女子は面倒だ!
「一平さん、どうしてこの女がここにいるのっ!」
「この女って誰よ! 名前で呼びなさいよっ!」
「あなたには言ってないよっ! ねえ一平さん、どうしてさくらっちんがここにいるのっ!」
「あら、可愛いわね、気に入ったわよ、さくらっちん」
「いちいちうるさいよっ、末尾を2回繰り返しちゃうよ、末尾っ!」
「もみもみっちに言えるものなら言ってみなさいっ!!」
「言ったわねっ、このっ、さくらっちんち……ん」
もみじさんの顔がもみじになった。
「まあまあまあまあまあ……」
閑話休題。
結局、僕らは揃って2階に上がった。
今日の夕食はさくらさんが作っていた鶏もも肉のステーキだ。
「せっかく美味しいお肉を買ってきたのにいっ!」
「仕方ないよ、もう作り始めてたんだから。この材料は明日使うからさ」
「さっきの約束忘れちゃダメだよ、明日はあたしが作るんだからねっ!」
「あら、あなたの貧相な料理で一平くんが満足するのかしら?」
「貧相って何よ、貧相って! グラム68円の鶏むね肉料理の分際で、あたしの国産ブランド牛Tボーンステーキ様に何を言うのっ!」
「料理は材料じゃないわ、腕よ、心よ、愛情よ!」
「腕も心も愛情も全部あたしの勝ちに決まってるでしょっ!」
「バカね、もみもみっち! 一平くんはわたしの料理に軍配を上げるに決まっているわ、だって彼の体の95%は優しさでできているのだから」
「八百長すなっ」
「まあまあまあまあまあまあ……」
またしても僕はふたりに割って入る。
「あのさ、もみじさん。料理ができるまでの間、ソファにでも座っててよ」
「あっ、あたし一平さんのアルバムが見たい!」
「僕のアルバム?」
「そう、幼稚園とか、小学校とか小さいときのアルバム」
「やだよ!」
「あら、それはわたしも見たいわ一平くん」
「待ってよ、さくらさんまで」
「はい、これで2対1、決定ねっ」
「……分かったよ」
結局、さくらさんが料理をしている間、もみじさんは僕の古いアルバムを見ていた。
立体映像でモニターに映された僕のアルバム、調理中のさくらさんも気になるようで、時折チラチラと覗き見る。
そうして食後もそのアルバムで盛り上がる。
「一平さんって女の子みたいっ!」
「ああ、近所のおばさんによく「一子ちゃん」って言われてたらしい」
「でも、お父さん似だと思うわ」
「お父さんも二次元大好きみたいだしね」
「ああ、イベントとかの写真も多いよね。父はリアルなんてもう懲り懲りらしいし」
「そうそう二次元厨と言ったらね、三つ葉の岡田って男子、彩華ちゃん(かわいい)の大ファンなんだって。大手商社の御曹司なんだけど家に同じフィギュアを10体以上持ってるって自慢してた。そこまで行くとさすがに引くよね」
「いや僕は引かないよ。その気持ち、分かる」
「わたしは引くわ」
食後の紅茶と僕のアルバム映像を囲んで話は盛り上がる。
「でね、その岡田君ね、さくらっちのこと知ってたわよ。この店に来たことあるんだって。すっごい美人なのに優しいって、もうべた褒めだったよ!」
「ふっ、男ってチョロいわね。特に三つ葉のボンボンは」
「確かに彼は世間知らずだけどさ。でもさ、世間知らずでも悪いやつはいないよ。温室育ちだから純情な人が多いし。三つ葉に来たら絶対楽しいよっ!」
「何度も言うけど、僕は絶対行かないからね」
「ねえさくらさん、さくらさんも三つ葉に来ない? あたしね、一平さんとさくらさん、ふたり揃って三つ葉に来られるようにしてきたんだよっ。ねえ、どうかなっ!」
もみじさんの目が輝きだした。
もしかしたらこれが今日の本題なのだろうか?
「一平さんも同じ境遇の友達がいるのに自分だけ三つ葉に、なんてイヤだったよね。でもどっちも同じ条件。学費も寮費もお小遣いも何不自由ないわよっ! しかも給付型だから返さなくってもOK。ただしちゃんと勉強はしてもらうけどっ!」
「イヤよ」
「えっ?」
「イヤよ。あなたには悪いけど、あなたの行為は(あの女)の権力によるものでしょ。冗談じゃないわ。誰があんな、朝風総理なんかの慈悲や温情に頼るものですかっ!」
さくらさんはティーカップを受け皿に戻し、もみじさんを睨みつける。
「ちょっ、ちょっと。どうしてさくらさんまで。一平さんのことは、きっと悪かったと思う。だけど、だからあたしはこうして一平さんと仲良しのさくらさんも一緒に……」
「何を言っているのよ朝風もみじ! わたしはあの女を、あなたのお母さんを絶対に許さない! いいこと、わたしの父は…… わたしの父は…… わたしの父は鳥海翔一郎よ! あなたも知っているでしょ、あなたのお母さんに政界を追われた、あの鳥海翔一郎よっ!」