第2章 第7話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌朝。
目覚ましの音にベッドを這いずりだし、洗面所へと向かう。
「おはよう一平くん」
「ふあ~っ、あっ、おはようさくらさん。もう着替えたんだ」
「朝はトーストでよかったかしら?」
「えっと…… ええっ、何これ!」
「何これって、ハムオムレツとサラダとミックスジュースだけど。朝からがっつりステーキとガーリックライスとポタージュスープがよかったかしら」
「いや、そういうことじゃなくって、どうして……」
「トーストは今から焼くわね。紅茶はミルクティーでいいかしら」
「いや、だから、朝からこんな豪華なの作ってくれて……」
「豪華って、どこが?」
「あ、材料とか料理とか、そんなんじゃなくってさ。その、さくらさんが作ってくれたってとこが……」
「ぷぷぷっ! もう、言うわね一平くん。お礼にトーストにジャムも塗っておくわね」
「先に顔洗ってくるよ」
僕は顔を洗いながら昨晩のことを思い返す。
えっと…… 昨日の夜は彼女と宿題をして、それから父の研究部屋で僕が今取り組んでいる新型アンドロイドの聖佳さん(僕好み)を紹介したら、彼女がわたしも一緒に開発するって言ってくれて。それで、寝る前に「朝は6時半に起きるのよね、いつもはパンなのかしら」って言われて…… あっ、そう言うことか!
いや、確かに僕の朝食はパンだけど。
それは買ってきた菓子パンを囓って牛乳を一杯飲んでおしまい、って、ちゃんと説明してなかったな……
「あ、さくらさん。あのさ」
「さあ、トーストも上がったわよ。いただきましょう」
「あ、うん。いただきます。それでさ、朝はいつも菓子パンと牛乳だけで済ませてるから明日からこんな……」
「ねえ一平くん。わたしの朝食よりコンビニのジャムパンと無印牛乳の方が断然美味しくって栄養があって、心がこもってるって言うのかしら」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
さくらさんの背後から黒い気炎が……
「あ、いや。さくらさんにこんなことさせちゃ悪いかなって」
「あのね一平くん、わたしはこの家の居候なのよ。家賃もビタ一文払ってない居候よ。そんな居候に遠慮なんかしないでよ! ねえ、家賃の代わりと言っちゃなんだけど、食事はわたしに作らせて。あっ、ほら冷めちゃうわよっ。それとも、わたしの料理じゃお口に合わないかしら……」
「あ、いやそんなことはないんだけどさ……」
そう言いつつオムレツを一口……
って、なんだこれ!
オムレツってこんなふわふわだったっけ!
「ごめんなさい。お口に合わなかったら謝ります」
「んぐんぐんんん……」
その長い黒髪をポニーテールにまとめた彼女が深く頭を下げる。
「んんっ…… って、美味しいよっ! こんなふわっと柔らかいオムレツって喰ったことないよ!」
「もうウソばっかり! あなたのお父さんのレシピと一緒よ」
「いや、親父のより絶対こっちが美味しいって。さくらさん最高だよ!」
「ふふっ、じゃあ決まりね。今日から買い物は学校帰りにするわね。で、月の食費は半分ずつ」
「ありがとう」
知らなかった、朝食ってこんなにドキドキして、こんなに楽しいんだ。
「お礼を言うのはこっちよ。わたしね、一平くんともっと色々お話ししたい……」
不思議な女の子だと思った。
彼女は「男なんて信じない」と言った。
確かに学校での彼女を見ていると、その言葉が分からなくもない。高嶺の花というイメージは男を寄せつけないことの裏返しだ。だけど、ツインフェアリーズでのイメージは全く違う。彼女は金のためにお客さんを利用しているって言うけど、もしそうなら、あんなに人気が出るだろうか? そして今、目の前の彼女は、その言葉とは全く正反対に見える……
一緒に家を出ると駅に向かう。
誰かに見られたら困る、なんてことは考えないのだろうか。いつものように凛として僕の隣を歩く彼女にすれ違う人は皆振り返る。綺麗だもんな。いつもあんなに特別な視線を浴びながら歩かなきゃいけないなんて、美人って大変だなと思う。そしてなぜか僕まで誇らしく感じるから不思議だ。
「ねえ、一緒に歩いて大丈夫?」
「どういうこと? まさかわたしの後ろを歩いて、階段下から見えそうで見えないスカートを覗き込んでハアハアってするつもり? だったらわたしの後ろを歩いてもいいわよ」
「しねえよ!」
「ちなみに、白よ」
「だから聞いてないって! さくらさんの中の僕ってヘンタイ扱いなの?」
「いいえ、健全な男子高校生扱いよ。だからハアハアするんでしょ?」
「だからしないって。僕よりさくらさんの方が限りなくヘンタイに近いよね」
「そんなことないわ。わたしだって一平くんのおしりを見てハアハアしてるから」
「えええええええ~っ、ホントおおおおおお~っ!」
「ふふふっ、ウソよっ。一平くんって、ホント面白いわ」
「悪かったね」
電車を降りるともう一度離れて歩くことを提案した。
一緒に住んでることがバレると色々厄介だと思ったから。
しかし彼女は。
「どうして? 偶々電車で会ったことにすればいいんじゃない? って言うか、家が近いってことにしちゃいましょうよ。どうせ見られるときは思わぬところで見られてるんだし。それとも一平くんには迷惑? もしそうなら……」
「そんなことないよ。うん、わかった。もし何か言われたときは家が近いことにしよう」
結局、僕らは仲良く並んで校門をくぐった。
「よっ、赤月! どうした二畳院さんと並んで! 朝からコクってるのか!」
同クラの吉田だ。
「なわけねえだろ!」
「じゃあどうして校内美少女ランキング断トツ1位の二畳院さんと並んでるんだ?」
「いや、通学途中に偶然会ったから」
「ひょおおおおおお~っ! 偶然会っていきなりお近づき?」
「そうよ吉田君。わたし一平くんの店でバイトしてるし仲いいの、知らなかった?」
「ひょえええ~っ! そうだったんだ! じゃ、赤月、あとで話があるからっ! 号外号外~っ!」
カバンを振り回しバタバタと駆けていく吉田。
「ねえ、一平くんって彼と仲良かったっけ?」
「ぜ~んぜん。ほとんど話もしないし。まああいつはあんなキャラだからな」
「まったく鬱陶しい男ね。ところで、さっきの(校内ナントカランキング)って、何のこと?」
「あ、知らないの? 毎年文芸部男子が主催して全校の勇士一同に極秘調査を実施してる人気投票。去年の調査でさくらさんは(美少女部門)と(一度でいいからお願いしたい部門)の2部門をぶっちぎりで独占したんだよ。惜しくも3賞独占は逃したけど」
建前上こんなランキングがあるとか、その結果とかは女子には内緒と言うことになっている。しかし実際は公然の秘密でほとんどの女子も知ってるはずだ。
「で、そのみっつめは何なの?」
「性格美人部門」
「ねえ一平くん、今日の放課後、文芸部の男子を締め上げに行くからついてきて」
「えっ、このことは一応女子には内緒なんだ。だから」
「それは即ち、わたしは女子じゃないとでも?」
「まさかさくらさまに向かってそんな恐ろしいこと言うわけ、って、いてえええええええええええ~っ!」
彼女ににらまれたと思った瞬間、手に激痛が走った。
「もう大げさなんだから」
「いやマジ痛いって、手の甲抓られたら痛いって」
「ねえ、さくらさま、って言うのはやめて。わたしってそんなに怖い?」
「うん、怖い。っていでえええええええええ~っ!」」
「まだ手をつまんだだけで捻り上げてないわよ」
「あ、ホントだ…… ところでさ、さっきのこと。ホントに文芸部には黙っていてくれない」
「どうして」
「いや、その、僕が喋ったとかバレたら、その……」
「分かってるわよ。冗談よ。ホントは全部知ってるわよ」
とまあ。
そんな、犬も喰わない会話をしながら教室に入ったものだから、その日は一日、みんなから冷やかしを受ける羽目になってしまった。