第2章 第6話
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水曜日、学校から帰るとさくらさんの引っ越しだ。
「ふうっ…… これでよし」
「ありがとう一平くん、後はわたしだけでもできるわ」
僕の家はツインフェアリーズの二階、リビングと台所以外にも部屋が4つある。
広い父の寝室と、父のアンドロイド研究部屋、それから僕の部屋と空き部屋だ。
空き部屋は僕の部屋と全く同じ構造で、ずっと鍵を掛けたまま全然使っていなかった。
そこに今、彼女の荷物を運び入れたところだ。その量、段ボール10箱くらい。ひとり暮らしってこんなものなのだろうか。
「じゃ、これ、部屋の鍵と合い鍵。神に誓って他に合い鍵はないから安心して」
「一平くんにかかったら、こんな鍵、簡単に開くんでしょ?」
「無理だよ、最新の電磁符合型の鍵だから」
「爆薬仕掛けりゃドカンと一発でしょ?」
「自分の家を爆破するバカがどこにいるんだよ」
「ここに」
「だからやらないって!」
鍵を渡すと部屋を出た。
風呂の準備を済ませ、1階に降りて戸締まりをし、また2階のリビングに戻る。
と、いつの間にやらTシャツにホットパンツという軽装のさくらさんがそこに。
「ポットはこれを使っていいのかしら」
「あ、うんそうだけど」
彼女はソファーのテーブルに一袋のポテチを置くと湯を沸かし始める。
「疲れたでしょ? それ食べていいわよ」
「えっ、いいの? ってか、いつ買ってきたの?」
「さっきの段ボールにお菓子の箱が一箱あったの」
「一箱って、あのでっかい箱に?」
「そうよ。お菓子は女の主食なのよ。切れたら禁断症状が出て悶え死んでしまうのよ。だからさっさと袋を開けてね」
さくらさんのご指示通りにポテチの袋を開ける。
パリパリポリ……
普通の塩味だ。
「じゃあお茶は僕が入れ……」
「一平くん、紅茶はどこかしら?」
「ああ、上の棚の一番右だよ。って、僕がやるよ」
「わたしが入れる紅茶はお口に合わないとでも?」
「いや、そんなんじゃないけど」
「じゃあ、わたしにやらせて」
やがて彼女はティーポットと2つのカップをトレーに載せてソファーのテーブルに運んでくる。
「ミルクティーでいいかしら」
「あ、うん」
「よかった。実はほら、カップにミルクを入れてきたの。いらないって言われたら殺そうかと思ってた」
面白そうに笑う彼女は僕のとなりに座って紅茶を注ぐ。
「一平くん、今日からお世話になります」
「あ、こちらこそ」
端正な横顔、上目遣いに僕を覗くその黒い瞳に吸い込まれそうになる。
それは誰よりも、彩華ちゃん(きれい)よりも、いや、どんな二次元よりも真っ直ぐで、人間なら誰もが持っているイヤらしさや汚らしさが微塵も感じられない。どこまでも透明で清らかで、まるで氷のようで……
「ねえ、わたしは居候なのよ。一平くんはこの家の主でしょ。もっと堂々としていていいのよ」
「あ、うん」
ほっそりと白く、だけど肉感的な彼女の太ももが艶めかしい。
「朝はいつも何時?」
「6時半かな。学校近いから8時前に出ても間に合うし」
「分かったわ」
彼女はカップを片手に一口啜る。ミルクティーの甘い香りと、花のような彼女の匂いが一体になって僕の胸を狂わせる。
「あとで一緒に宿題しましょうか。英語と数学が出てたでしょ」
「あ、そうだね。でも数学は明日学校でやるから」
「そうよね。一平くんはいつも宿題しないでくるのに、いい点取るわよね。わたしね、そんな一平くんってずるいと思うの。だから一平くんはわたしに数学を教える義務があるのよ」
「って、さくらさん成績いいじゃないの。どうして僕が……」
「わたしは毎日予習復習にいっぱい時間を割いているのよ。それなのにこの前の実力で数学と理科負けたでしょ。何かすっごく腹が立つのよ。今夜から一緒にやるわよ、勉強。これは命令よ! 一平くんはお断りも、お湯割りも、炭酸割りもできないわ!」
「まあ未成年だしな、僕たち」
ふふっ、と軽く彼女は微笑んで。
「じゃあ、まずは英語の宿題からよ」
「命令じゃ仕方ない、わかったよ。ただひとつお願いがあるんだけど……」
「お願い……?」
「ソファーじゃなくて食卓でやろう」
「どうして?」
「ここだとほら、その……」
僕の隣でそのしなやかで長い脚をむっちりと組み替えて、さらりと長い黒髪からほのかに甘い香りを漂わせ、ふにふにと柔らかな腕の感触を押しつけられたら、そんなの、そりゃもう誰だって、ってか、だからその切れ長の瞳が一番ダメなんだって! 吸い込まれるって! だから、もう、ほんとに、限界いいいいい~っ!
「あっ、一平くん、鼻血がっ! ほらっ、ティッシュ!」
いや、情けないけど、これから毎晩彼女と一緒だなんて。
血液、枯渇しそう……