異世界ファンタジーにおけるヨーロッパ風の名前の付け方
一般的な流行として、異世界転生/転移もののファンタジー物語では「中世ヨーロッパ風」の世界が想定されることが圧倒的に多いです。そしてそれゆえ、人名や地名・国名などの固有名詞にも、「ヨーロッパ風」の響きのあるカタカナの名称がつけられることが多くなるのも必然と言えましょう。
本エッセイでは、この自然で整合的な「ヨーロッパ風」の名前の付け方の指南、どんなものが「それっぽい」名前で逆にどんなものは「それっぽくない」のかの解説を目標とします。
節立ては「1.ヨーロッパ風の名前をそのまま用いてもよい」「2.アレンジは語中を一文字変える程度に留める」「3.英語は特殊なので基準にしてはいけない」「4.姓名の区切りに二重ハイフン『=』はやめよう」の四節で、これがそのまま要約になっています。
注意として、「実在するヨーロッパ人の名前を使ってもいいので、必要な人名一覧はググろう」という主張が本稿の骨子であり、具体的な例示は少数でこんな名前がいいと推薦するようなことはしていません(「異世界ファンタジーで使える名前のリスト」などというものを作っても荒唐無稽ですから)。
また、架空言語を作るアドバイスにはなっていないので、それを求めている方や自分でそれを作る気概のある方のお役には立てないでしょう。既存の言語を流用しなくとも雰囲気のあるオリジナルの名前を自力でつけられる方は、そのままそうしてくださったらよいと考えています。あらかじめご了承ください。
1.ヨーロッパ風の名前をそのまま用いてもよい
はじめに断っておきますと、話の流れからすでに想像がついているとは思いますが、私は「ヨーロッパ風」の実在する名前を異世界ファンタジーで用いることに否定的な立場ではありません。
なろうの読者の中には一定数、実在する欧米語の名前をそのまま使用することに反対する人々がいます。こうした方々はどちらかと言えばなろう内の感想欄で直接不満を言うのではなく、Twitterやブログなどでご自身の意見を発していらっしゃいます。個別の作品の名づけに不満を言っても解決しませんし、短い感想では多くの作者さんには問題点が伝わりにくいためです。
その根拠はいろいろあるでしょうが、一つの大きな原理としてあるのが歴史の違いです。つまり、「ヨーロッパ風の名前はその固有な歴史的背景、特にキリスト教的なそれを持っているので、歴史的経緯が異なる異世界で同じ名前が使われるのはおかしい」というような議論です。
一番わかりやすいのは「クリストファー(クリス、クリストフ、etc.)」や「クリスティーナ(ヌ、ネ)」のような「Christ=キリスト」のつく名前で、これは「Christ」が崇められているという背景がなければ一般的になりようがない、異世界の文脈では馬鹿げた名前だと考えられます。この例ほど露骨でなくても欧米の名前には知らず知らずキリスト教的な背景を負っているものが多く、日本人の私たちはよく知らないまま無自覚に「馬鹿げた」名前をつけてしまいかねません。
もちろんこれはこれで完全に正しい指摘でして、もしかすると今はじめてこういう議論があることを聞いて逆に納得させられてしまい、「ヨーロッパ風」の名前を使いにくくなってしまったと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし私は、こうしたことを認めた上でも、いくつかの論拠から「ヨーロッパ風」の名前をそのまま用いることを許してもいいのではないかと考えています。
第一には純粋に論理的な可能性として、意味とは関係なしにまったく同じ音が名前として使われうるということです。「クリストファー」はギリシア語の「クリストフォロス=キリストを負う者」が英語風になまった名前です。現在の英語の「オファー」や「トランスファー」などの動詞に見られる「ファー」も、同じラテン語・ギリシア語「フェロー」(古典ギリシア語では「ペロー」ですがキリスト教時代にはすでにギリシア語でも「フェロー」です)に由来し、堕天使の名前「ルシファー」もそうです。
しかし「フェロー/ペロー」という音声が「運ぶ・負う」という動詞の意味になるのはラテン語・ギリシア語として解釈するからであって、別の言語(もちろん異世界の言語でも)ではまったく違う意味になりえます。これは当然「クリスト」という音についても同じです。ギリシア語「クリストス」はヘブライ語「マーシアハ(メシア)」を訳した「油を注がれた者」という意味で、キリスト教の普及によって「救世主」ということにもなりましたが、それがなければ同じ音がまったく別の意味の単語として成立したかもしれません。
そもそも別の言語として考えるならば、「クリストファー」や「クリスティーナ」を「クリスト」と「ファー/イーナ」に切る必要すらありません。「クル・イストフ・アー」と切って異世界の言語で何か適当な意味を表すのだと設定してもよいわけです。(もちろん長く複雑な名前ほど偶然の一致の確率は下がりますが)
もっとつながりが間接的な名前ならなおさらです。「パウロ(英ポール)」「ペテロ(英ピーター、仏ピエール)」「ルカ(英ルーク/ルーカス、仏リュック)」のようなキリスト教的な名前を槍玉に挙げて、使徒・聖人に由来する名前が出るのはおかしいとする人もいますが、上に論じたような意味の恣意性に加えて、たとえ地球の言語と同じく考えても「パウロ」とは「小さき者」、「ペテロ」とは「石」、「ルカ」とは「ルカニア(古代の南イタリアの一地域)から来た者」というだけの意味で何も聖なる意味は担っていませんから、キリスト教がなくても使われておかしくはないのです。
そういうわけで私たちは大手を振ってヒロインに「マリア」と名づけることが許されます。「マリア/メアリー」(ヘブライ語でミルヤム、アラビア語ではマルヤムという名前でイーサー(イエス)の母としてコーランに現れます)という名前の由来・意味は「反抗的な」「苦い」や「愛された」「子どもを願う」などなど諸説あってはっきりしませんが、キリスト以前に「聖母」や「神の母」などの宗教的な意味をドンピシャリ表してはいないことは当然です。意味を含めても、あるいは偶然にそういう音の名前になる可能性を考えても、異世界ファンタジーに現れていけない理由はないでしょう。
もう一つ大きな理由として、「ヨーロッパ風」の名前をそのまま採用することは、言語について詳しく勉強したり設定を考えたりする労力を減じてくれるという、実際的な動機があります。
難しい話をする前に簡単な例を挙げておきますと、みなさんは「アウレリウス」という名前の王に「ジェニファー」という王妃がいて、第一王子「ヤン」、第二王子「ハンス=ゲオルグ」、王女「ファリーダ」と来たらどう思うでしょうか。どんなに無頓着な人でも「ちぐはぐ」という印象を避けられないはずです。しかし、これほど極端な例でなくても、少なからずこういう名づけが小説では行われています。
言語とは一つの有機的な体系です。それは文法についてはもちろん、音声・音韻の体系についても同じことが言えます。それゆえ、同じ家族の中ではもちろん、同じ言語を話す民族の中ではある程度一貫した特徴をもった名前がつけられます。みなさんの実感に照らしても、日本人の名前と中国人の名前とイギリス人の名前を間違えることはほとんどないとわかるでしょう。(このことから、異世界テンプレでよくある「大陸中で共通の言語を用いている」のに国ごとに名前の特徴が違うというのは不自然とわかりますが、その話は今は置いておきましょう。)
そうは言っても、物語のためにゼロから一つの(あるいはいくつもの)人工言語を作り上げて、音声的にも形態論的にも一貫した名づけを行うというのは明らかにオーバーワークで、『指輪物語』のトールキンのごとくそれに一生を費やすことにもなりかねません。ここに現実の名前を流用する利点があります。実際にある名前を用いることは、まさにそのような名前を可能にする言語が実際に自然に存在したことがあるというこれ以上ない権威付けを持ちます。
文法も音韻体系もまったくのランダムに形成しうるものではありませんから、本当に人間(ファンタジーなら亜人なども)の調音器官が発し、自然な言語変化を経て音韻体系として成立した音の組み合わせというものを作ることは一筋縄ではいきません。しかし実際に地球の歴史にある言語ならば、完全にもしくはほとんど同じ体の構造を持つ異世界の人間が話していてもある意味では自然と言えます。
(注意しなければならないのは、口や喉の構造が異なる亜人の存在で、この人たちは地球のどんな言語とも異なるまったく新しい言語を話すことも十分ありうるでしょう。しかし多くの物語では人間と異なる獣人の身体的特徴は耳と尻尾くらいで、エルフやドワーフもそう変わらないので、気にしなくてもよいでしょう。またここは逆に異世界テンプレのメリットで、世界中で同じ言語を話しているならこの問題はクリアされます。)
こうすると、名づけの際にしなければならないことは、あなたのイメージに合うモデルの国(言語)ごとに実在する名前を調べるだけでよくなります。メジャーな言語ならば日本語で検索してカタカナ表記のリストを見つけることができますから、語学の能力は必要なく、ほとんど労力はかかりません。逆にたったそれだけの手間を惜しむと「アウレリウス、ジェニファー、ヤン」をやらかしますから重々注意してください。
2.アレンジは語中を一文字変える程度に留める
前置きが長くなってしまいましたが、実際に「一貫した名づけ方」をするための実用的かつ即効的なアドバイスとしては、正直なところ前節の最後の段落で述べたように「『○○人 女性(男性) 名前』でググれ!」でほとんど終わりです。そのための正当化も前節で与えたつもりです。このことさえ徹底してもらえれば、そうそう違和感のある名づけにはならないでしょう。
とはいえ、現実の名前をそのまま用いると異世界ファンタジーっぽい雰囲気が多少減じてしまう、というのも事実です。少しだけアレンジしてみたい……、そういう気持ちがむくむくと湧き上がってくるに違いありません。
でも、ちょっと待ってください。頭ごなしにそれをダメと言うつもりはありませんが、あまり自由にやりすぎてもいけません。ここまで読んでくださった方なら理解していただけていると思いますが、言語には音声にも形態にも「その言語らしさ」というものがあるからで、下手にいじると「嘘っぽく」なってしまうからです。実感を得るには一番なじみのある日本語で考えるのがいいでしょう。
日本語を一つも知らないイギリス人のFredさん(仮)が、日本っぽい国が出てくる小説を書きたいものとします。和風の女性の名前をつけたいのでググってみると、日本人女性には「Hanako」という名前が代表的だとわかりました。でもそのまま使うと芸がないしなぁ〜、なんて考えて一文字勝手に変えてみます。自分のイニシャルからとって、「Fanako」!
はいおかしいですね。何がおかしいかというと「ファ行」というものが日本語の名前にはないからです。Fという音はヨーロッパの諸言語ではとてもありふれていますが、使わない言語もあるということです。
あるいは日本っぽい国の男の子の名前をつけようとして、最近は「ゆうま」という名前が日本で人気だとわかったとします。でも「Yuma」ってaで終わるのはなんだか女の子っぽいなぁ〜、とFredさんは思いました。男のオレはFredだから、「Yumad」! おかしいですね。日本語には基本的に子音で終わる音節(閉音節)はなく、日本語の単語は(nを除いて)子音で終わらないからです。
もうお分かりでしょうが、その言語を知らずに下手に一部をいじるとこんな奇妙なことが簡単に起こってしまいます。これだけでもいくつかの教訓がはっきりしたはずです。
まず、それぞれの言語には固有の音韻体系があるということ。日本語にはFがありません。LとRの区別がありません。中学校の英語で苦労したTHの発音もありません。子音だけでなく母音も英語とは全然違いますが、私たちがカタカナでキャラクター名をつける上ではあまり問題になりませんから脇に置きましょう(母音が五つというのはヨーロッパのほとんどの言語に比べて少ないので、適当に選んでもありえない音にはなりにくいのです)。
ですから、名前をいじるときには他の名前も参照しつつ、ちゃんとその言語にある音を選ぶことが必要です。この、どんな子音が「それっぽい」かという問題については、次の節で改めて詳しく論じます。
もう一つには、語尾をいじるのはやめたほうがよいということ。ヨーロッパの多くの言語では、aで終わるのは女性の名前っぽいという特徴があります。大学で第二外国語を学んだことがあればご存知でしょうが、フランス語・イタリア語・スペイン語・ドイツ語・ロシア語等々では人名以外にもすべての名詞に男性と女性(と中性)の区別があり、aで終わるのは原則として女性名詞という決まりがあります。男性名詞にはこれほど広く共通する特徴はありませんが、子音もしくはoで終わる単語は男性(か中性)になりやすいです(今挙げた中だとフランス語は特にわかりにくいですが)。
また、語尾を変えると特に「○○語っぽさ」が失われやすいのです。もとよりその言語らしさというのは発音とつづりの全体から醸し出されるものではありますが、強いて一番危険なところを決めるとしたら語尾でしょう。
私たちはたとえばカタカナで「カトリーヌ」という名前を見たとき、「フランス語っぽい」と感じると同時に「イタリア語っぽくはない」「ドイツ語っぽくはない」などとも直観します。イタリア人やドイツ人その他なら「カタリーナ/カテリーナ/カトリーナ」であり、カタカナで「ヌ」と表されるような音で終わる名前は原則としてイタリア語やドイツ語には存在しないからです。フランス語だけがneを「ヌ」と読み、イタリア語・ドイツ語で「ヌ」と読ませようとしたらnuと書かねばなりませんがそんな名詞はまずありません。
また「(エ)マヌエル」はヨーロッパ全域で何語ともとれそうな男性名ですが、「マヌエレ」に変えてしまうと一気にイタリア人でしかなさそうな感じが出てきて、「マヌエロ」となると今度はスペイン人っぽさが爆発します。「ラ」になると何語であっても女性としか考えられませんし、「リ」というのはちょっとどこにもいなさそうなエキゾチックな名前になります。このように母音一つで国籍も性別も違ってしまいかねないのが語尾の重要性なのです。
危険性は下がりますが、語頭もなるべくならいじらないほうがいいでしょう。身近なところでは日本語は本来ラ行と濁音が語頭に立たないという原則があります。いくつか思い浮かべてみて、それが大和言葉ではなく漢語やカタカナ語であることを確認してください。ラ行音のRがあるにもかかわらず、語頭を変えるとダメになるということです。同じように、スペイン語にはstやspで始まる単語がありません。「スペイン」というのは英語読みでスペイン語では「エスパーニャ」、英語の「ステーション」はスペイン語では「エスタスィヨン」のように、eがくっつきます。
このように、音韻としては存在するのに単語の特定の場所(語頭や語末)では存在を許されない組み合わせというのが言語にはしばしばあります。いけるだろうと思って変えてみたら思わぬところでありえない単語になってしまいうるということです。その言語をよく知っているならば止めはしませんが、いじるときにはなるべくなら語中のごまかしが利く場所、しかしやはり最小限に留めるべきでしょう。
3.英語は特殊なので基準にしてはいけない
ここまでで、どうしても名前をアレンジしたいなら他の名前とも見比べつつ語中で一文字だけ変える(または削るか付け足す)程度に留めるのが望ましい、ということがはっきりしました。それは母音でも子音でも構いませんが、あくまで「ヨーロッパ風」の名前を徹底しようとするなら、決して英語の感覚を基準に考えてはいけないということを口を酸っぱくして言っておきます。
私たち日本人が生まれて初めて触れる外国語は、ほとんどの場合英語です。義務教育で習うのも英語ですし、多くの場合はそれ以前から街中やテレビ、日常生活などで英語そのものや英語由来のカタカナ語に触れることでしょう。そしてヨーロッパの多くの言語も英語と同じアルファベット(ラテン文字・ローマ字)で書かれることから、似たような発音をするのだと単純に考えてしまいがちです。
とんでもない。英語はヨーロッパの言語の中では、図抜けて異常なつづり方を持ち、発音(音韻体系)もすべてが類型論的に一般的な音というわけではなく、私たちが英語で当たり前と考えているスペリングや発音が実は他の言語ではとても珍しいという場合があります。
つまり、一番楽だからと英語で人名や地名を名づけたり、英語にある発音だからヨーロッパのどこにでもあるだろうと考えたりすると、想定外に「それっぽくない」名前になりうるということです。私たちの世界で珍しいということは、私たち人類の多くが歴史上それを言語に使ってこなかったということで、構造上同じ異世界の人類でも同じことが言えます。
英語の難しい発音と聞いて思い浮かべるものは人それぞれでしょうが、thの音は代表的なものの一つでしょう。しかしこれは世界的にはかなり珍しい音です。英語以外には(スペインの)スペイン語・アイスランド語・(現代)ギリシャ語・アルバニア語・アラビア語などいくつかの言語にしかなく、フランス語にもイタリア語にも(中南米の)スペイン語にも(古典)ギリシャ語にもポルトガル語にもルーマニア語にもドイツ語にもオランダ語にもデンマーク語にもスウェーデン語にもノルウェー語にもロシア語にもポーランド語にもチェコ語・スロバキア語にもセルビア語・クロアチア語にもブルガリア語・マケドニア語にもリトアニア語にもラトビア語にもエストニア語にもフィンランド語にもハンガリー語にもトルコ語にもアルメニア語にもアイルランド語にもバスク語にもありません。もちろん日本語にも中国語にも朝鮮語にもモンゴル語にもタイ語にもベトナム語にもペルシア語にもthにあたる発音はありません。
もう一つ珍しいものと言えば、whiteやwhenなどのwhの音です。正確にはアメリカ英語とニュージーランド英語の一部の話者の特徴で、イギリス英語ではただのwの音と同じです。これはth以上に珍しい音で、前段落で挙げた英語以外のどの言語(スペイン語、ギリシャ語なども含めて)にもありません(中国語の一方言とも言える台湾語と、特定の条件においてスロベニア語やイタリア語トスカーナ方言で異音として現れるようです)。これだけ珍しい音ですから、異世界でもたとえば「ホワイト」などという名前が出てくると「おっ」と思うことになります。きっと異世界人にも発音が難しいことでしょう。
さらに、これは意外でしょうが、日本人には難しい英語のRの音も大変に珍しい音声です(音韻的にLとRの区別があること自体はありふれた特徴で、本節末で再論します)。方言にもよりますが、英語のRは後部歯茎接近音(イギリス容認発音、アメリカの大部分の方言)またはそり舌接近音(アメリカの若干の方言など)と呼ばれる音です。後者はまだしも前者はwhにも輪をかけて稀な音で、私はこの音を持つ言語を他に学んだことがありません(調べるとアフリカのイボ語(イグボ語)などわずかに例があるようです)。ちなみにRの文字で表される最も一般的な音は歯茎ふるえ音で、上で挙げたうちフランス語とドイツ語は違いますがそれ以外の世界中多くの言語のRはこれです。
難しいということはありませんが、Jの音にも一定の注意が必要です。英語のjustやjob、JohnなどのJ、あるいはGeorgeなどのGも同じですが、破擦音と言ってフランス語のGeorgesのGとは違います。イタリア語のGはこれですが、それ以外、つまりドイツ語やオランダ語、スペイン語やロシア語も含めて必ずしも存在する音ではありません。(ただしそれらの言語にも外来語としてはあるので難しい発音ではないのでしょう。日本語から入ったJudo(柔道)は多くの言語でそのまま読まれます)
Jは本来Iと同じ文字で、英語と同じアルファベットを使う言語の中ではJと書いたらジャ行ではなくヤ行で読むもののほうがずっと多いのです(ラテン語に始まり、ドイツ語・オランダ語・デンマーク語・スウェーデン語・ノルウェー語・アイスランド語・ポーランド語・チェコ語・クロアチア語・リトアニア語・ラトビア語・エストニア語・フィンランド語・ハンガリー語・アルバニア語etc.)。英語が破擦音で発音するのは、ヤ行音を発音するとき舌が口の上のほうに近づきすぎてジャ行のようになるという変化が中世にラテン語から古フランス語になる頃に起こり、古フランス語の影響を受けた英語がこの発音を残しているからだそうです(現代のフランス語ではすでに変わってしまいましたが)。
ヤ行で読まない例外でも、フランス語・ポルトガル語・ルーマニア語そしてトルコ語ではJを摩擦音のジャ行[ʒ]で読みますから、外来語を除いて一般的にJを破擦音[dʒ]と読む決まりを持つのは列挙した言語の中で英語だけです。(あとはローマ字に直した場合のアラビア語。ただしすでに述べたようにイタリア語ではGを[dʒ]と読むほか、トルコ語ではC、アルバニア語ではXhをそう読みます)
このように、英語は決してヨーロッパの言語の中で代表的な性質を持つものではありません。文法の比較については今は詳しく触れませんが(名詞の性がないこと、代名詞youに親称「おまえ」と敬称「あなた」の区別も単複の区別もないこと、疑問文を作るのにわざわざ助動詞doを使うこと、動詞の人称変化が「三単現」以外まったくないこと、現在進行形があることなどは、ヨーロッパのほとんどの言語にない英語の「奇妙な」点です)、アルファベットの読み方とその発音の種類に話を限定しても、ヨーロッパどころか世界的にも珍しい特徴がいくつかあることがおわかりになったでしょう。この意味で英語は「標準的」な言語ではありません。
英語の特異な点としてもう一つ、つづりと二重母音についても一言しておきましょう。英語ではnameと書いてナーメではなくネイムと読み、timeと書いてはティーメではなくタイムと読みます。慣れてしまえばそんなものかと思いがちですが、これはかなり異常なことです。nameと書いたらイタリア人やドイツ人なら素直にローマ字通りナーメと読みますし、フランス人でもナームです。aと書いたらア(ー)と読むのが常識で、エイなんて読むのは英語くらいです。eはエ(ー)、iはイ(ー)が当たり前です。
実は英語でも元々は、nameはナーメ、mateはマーテなどと読んでいました。ナーがネーになって最終的にネイへの変化が完了したのはなんと19世紀のことです。中世にはnameはナーメ、timeはティーメ、footはフォートなどととても素直に書いた通りに読んでいたのです。この変化を大母音推移と言います。つまり、中世の英語にはエイやアイという二重母音はありません。
二重母音や母音連続も、言語によって許されているかどうかが変わります。実際、エイという音はたとえばドイツ語の標準音にはありません(ドイツ語ではeiと書いたらアイと読みます。Einsteinには二つeiが入っています)。母音字の連続した字面は欧米人にとってなかなか読み方が難しいようで、ローマ字で書いた日本人の名前が正しく読まれないのも多くはこのためです。
テンプレ展開の一つとして「異世界転移した主人公が本名の日本人名を名乗るが正しく発音してもらえない」というのがあります。「トオル」と言っているのに「トール」にされるというような展開です(『アブソ』はなろうでも異世界でもありませんが)。しかしこれはおかしな話で、日本語の「トオル」はわざとゆっくり発音するのでもない限り普通に伸ばして「トール」と発音しますから、アクセントは変でも発音自体は間違いようがありません。「ケイタ」も発音上は「ケータ」です。母音の長短(正確には「日本人の耳には長短の区別に聞こえるもの」)は多くの言語にありますから、決して難しくはありません。
本当にもっともらしい展開は発音を聞いて真似できないというのではなく、ローマ字でTooruやKeitaと書いたものを欧米人(特に英語話者)に黙って見せたら「トゥーリュ」や「キータ/カイタ」などと妙な読み方をされたという形になるでしょう。「赤池情報量規準」で世界的に有名な赤池先生がAkaikeという名前をどうしても正しく読んでもらえないという笑い話をどこかで聞いたことがあります。
異世界でもきっと同じことで、もし異世界の言語がローマ字と同じような文字を使い母音連続の少ない言語であれば、ギルドなどで記名した時に名前をどう読むか困惑される、という展開が本当らしいと思います。
ところで、日本語では区別しないLとRの音を英語では区別しますが、この区別はヨーロッパ全域で一般的です。世界的に見てもむしろ区別する言語のほうが多いくらいで、たとえば私たちは漢字を使うので中国語も日本語に似ていると想像しがちですが、その中国語ですらLとRはちゃんと区別します(英語のRと同じ音というわけではありませんが。また朝鮮語では区別しません)。
中世ヨーロッパ風ファンタジーの人名ではラリルレロが多すぎるという話(苦情?)をたまに聞きますが、LとRを区別しない日本語のカタカナで書くと単純に言ってラ行音の頻度が倍になるわけですから、仕方がない面もあると言えるでしょう。というより、現実にありうるヨーロッパの名前を使っていればこそラ行が増えてしまうとすら言えます。
ただそう言った批判の本旨は「ラ行が多すぎると登場人物を区別しにくくて混乱するので避けるべき」ということにあるので、私の反論はこれに答えていることにはなりませんが、本稿で主張するように整合的な名づけのための実践的な方策としてヨーロッパの実際の人名をそのまま踏襲しつつも、なるべくラ行音が増えすぎないようには注意する(アレンジする際にラ行音の箇所を減らすように変える)くらいが落とし所になるでしょうか。
4.姓名の区切りに二重ハイフン「=」はやめよう
話のつながりとしては唐突になりますが、末筆ながら、私には「なろう」で公開されている小説を読んでいてずっと気にかかっていたことがありました。それは人名のファーストネームとファミリーネームの間に「=」の記号を使う人が多いことで、これに対して出版されている普通の小説(主に翻訳作品)やそれ以外の書籍に出てくる欧米人名は基本的に中点「・」で区切られています。
この記号はイコールではなく二重ハイフン(ダブルハイフン)と呼ばれるもので、正しくは「=」ではなく「゠」を使います。と言ってもそこを問題視したいわけではなく、「゠」を表示できない環境もあるので、本稿でも「=」で代用させていただきます。
もとよりこれは日本語本来の表記法にある伝統的な記号ではないので、完全に使い方の約束事が決まっているというわけではないようです。いくつか校正や日本語表記法に関する本を参照してみると、姓名の区切りは基本的には中点「・」ですが子ども向けの本では二重ハイフンを使うこともあるとわかりました。
しかし出版されている翻訳作品の著者名表記や登場人物名などを見てみると、実際の傾向としては「姓名の区切りは中点で、姓または名のどちらかが二語以上にわたるときは二重ハイフンで結ぶ」という原則が守られているように見えます。
カタカナ表記に二重ハイフンを含む名前の実例としては、哲学者ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)、『星の王子さま』の作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)、ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(Gabriel García Márquez)などがいます。
原語表記と比べると、ルソーは名前Jean-Jacquesが、貴族のサン=テグジュペリは家名Saint-Exupéryがハイフンで結ばれていることがわかります。ガルシア=マルケスはスペイン語の命名法で、元々ハイフンはありませんが父方の姓ガルシアと母方の姓マルケスが並んだものであり、やはり姓名の区切りではなく姓の内部のつながりを二重ハイフンで示しています。
また、原つづりにハイフンがない単一名・単一姓の人名は、中点だけで書かれていることが普通です。小説でもそうでなくてもいいので、書店などで翻訳書や外国人名の出てくる本を見てみてください。こうした実例に鑑みれば、二重ハイフン「=」には中点「・」とは違う用法・意味があり、姓名の区切りに二重ハイフン「=」を使うのは間違いと結論してもいいでしょう。