龍
初めての投稿。昔に部紙に乗せたことのある作品。
見たことがある人は見なかったことにして下さい。
何の特徴もない普通の町に、一人の旅行好きな少年が歩いていた。
田舎、でも、家よりも田畑が多いほど田舎ではない。生活に困らない程の距離にスーパーマーケットもあるし、それなりには車も多い。そんなとても普通な町だった。
少年も、旅行好きを名乗るからには色々なところに行ったことがあるということで、こんな町はごまんとみてきたので、町を周って半日もした頃には、
「はぁ、詰らない町だ。詰らなさに押しつぶされて圧死してしまいそうだ。
こんな所なんて世界中にいくつもあるのだから、一個にまとめるか一個を残してソレ以外は潰れてしまえばいいのだ」
と、町中を歩きながら大声で独り言を言ってしまうぐらいには退屈してしまっていた。
「だがしかし、詰らない町にもきっと何かある筈だ。そうでなければ人は住むことができないだろうし」 少年はこんな平凡的な町をごまんとみてきたからこそ、何の変哲もない町にも、何か他とは違う特徴がある事を知っているのだ。退屈の中で、人がまともに生活をしていけないことを知っているのだ。
「こういう時は現地民に聞くのが一番だよね。よし、次にここを通った人に聞いてみよう」
そういうがはやいか、車ばかりで歩行者の少ない通りを走って行ったのだった。
「それなら、この町には龍の銅像がある。」
老人は、突然話しかけてきた少年に対して、しばらく考えた後に、苦々しそうな顔をしてそう答えた。
「銅像ですか。
……何か普通と違うところでもあるのですか」
少年は、老人の苦々しい表情に気付きながらも、少しでも情報を得ようと会話を続けた。
今まで、3人に聞いて1人にはそんなものないと言われ、2人には無視されたのだ。初めてきちんと答えてくれた人を無駄にするわけにはいかない、というわけだ。
「いや、ただの銅像だ。
だが、この町の人に話を聞けば……、もしかすると君にとっては面白い話が聞けるかもしれん」
「そうですか。それは、貴方が私に話すわけにはいかないのでしょうか」
少年の少し咎めるような口ぶりに老人の眉間の皺がより濃くなり、目がより細くなる。
しばらくの静寂の後、根負けしたのは少年の方だった。
「……別の人に聞くことにします」
「そうしてくれ、銅像は役所の近くにある。所員に話を聞くのが一番確実な方法だろう」
「そうします」
少年は老人に市役所の方向を聞き、元来た道を引き返さなければいけないことを知って面倒臭そうな顔をしながら走って行った。
旅人がその場を去った後、老人は前を向いて、
「…………」
しばらく立ち止まり、同じ道を進んでいった。
「こちらが、我が町の観光名所……と言っていいのでしょうか。
とにかく、もっとも有名なところですね。はい」
「奥歯にものが挟まったかのような話し方をしますね。
これをもっと近くで見ることはできないのですか?」
少年は、まるで、本物の龍が入っているかのように周りに厳重に柵の張り巡らされている龍の銅像を指さしながら聞いた。
「そんな、冗談じゃありませんよ。そんなことをすればこの町に悪影響が及びます。」
「ほう、悪影響……ですか。」
「はい、悪影響です。」
「それは、どういう」
少年の説明を促す声に所員は少し戸惑いを見せた。
しかし、すぐに姿勢をただすと、親の仇を見るような眼を龍に向けた。
「こいつがいるせいで、この町に悪人が生まれるのです」
「つまり、どういうことでしょう」
「単純な話じゃないですか、ここの住民は皆善人ばかりです。
ですが、時々空き巣や泥棒……ひどい時には殺人や強盗なんていう犯罪が起きます。
おかしいと思いますよね、住んでいる人は皆善人なのに、犯罪が起こる。その謎を解明するために私たちの先祖は長年研究を重ねてきました。
そして、……ほんの五十年ほど前のことです。とある青年が古くからここにたっているこの龍の銅像が全ての悪事の元凶だということを発見しました。
ですから私たちはこのように銅像を囲い、出来るだけ市民から遠ざけているのです」
それでも、犯罪は起きますが……。所員は唇を噛み締めながら、恨めしそうに言った。
「そうですか、この龍の銅像が悪事の元凶ですか。
…………この町の先月の事故・事件数教えてもらっても?」
「事故は✕件、事件は✕件ですね」
それは、この規模の町にすると極一般的な数。
少年が反応しないのを見て、所員はこう付け加えた。
「この町には善人しかいませんから、0件が正しいはずなのです。これは異常なのです」
「……」
少年は、首をかしげたままだったが、このまま話を続けていてもどうせ理解できることはないだろうということは理解していた。
「では、何故銅像を壊さないのですか」
所員は下を向いた。
「……無理ですよ、そんなことをすれば何が起こるかわかりません」
その言葉は、自らを犠牲にしてあの憎き悪の権化を倒す勇気を持てない自分を責めたものだった。
「……」
この場所は、役所の裏であるうえに、先程所員の話したようなこともあって、人気がない。
それで余計に等間隔に植えられた木々のざわめきが大きく感じられた。
「良い考えがあります」緩慢に顔を上げ、
「私が、あの銅像を壊して見せましょう」
大袈裟な素振りで銅像を指さす。
「なぁに、私は余所者です。龍の影響を受けないかもしれない」
そしてそこから、芝居がかった素振りで肩をすくめて見せ、
「それに、いつまでもこの状況に甘んじ続けるというのもいかがなものか」
ゆっくりと首を横に振った。
「私一人の犠牲で、この町の人たちが救われるのなら」
胸に手をあてて、
「私は、喜んで、犠牲になりましょう」
口角を少しずつ上げ、
「さぁ、貴方が、選んでください」
少年は、所員の目の底を覗き込む。
「私か、貴方たちかを」
ひと際大きな風が吹き、たくさんの葉が少年に、所員に、龍に降りかかる。
疑うことなく、何の一切の不純物もなく、
この耳が痛くなるほど静かな空間が、少年の言葉に、染め上げられていく。
「うちの若者をいじめるのはそこまでにしてやってくれんか」
「町長」
ミシリ、と木の枝を踏み折る音が、少年の侵略を邪魔した。
「あれ、先程の」
きょとんと眼を丸くしている少年からは、先刻まで付きまとっていた嫌な雰囲気が感じられない。
そのことに表情を緩める町長は
「業務に戻りなさい。この少年の案内は私がしよう」と何の疑問も持てない所員に向けて、吐いた。
「町長だったのですね、先程はどうも」
「いやいや、町長としてこの町の良いところを紹介しただけだ」
「これが、良いところですか」
「あぁ、面白かったろう?」
「はい。大変興味深い話ですね。是非、おじいさんからも詳しい話を聞きたいです。」
「貴方が、この話を作った張本人なのでしょう?」
「どこで気付いたのか、教えてくれ」
「教えられるほどの事じゃありませんよ、雰囲気だとか、話しぶりだとか……。
まあ、直感のようなものですね」
私の直感、良く当たるんです。
少年のあっけらかんとした態度に、老人は苦笑した。
「直感なぞで当てられていては、私はここまで嘘を吐きとおせなかったろうな」
「あの龍が悪の元凶なんて、良く思いつきましたね。嫌味でなく。」
「嫌味にしか聞こえんわい……、
わしもそう思うが。皆もよくこんな荒唐無稽な話を信じたものだ」
今度は少年が苦笑する番だった。
「あなたが言っては駄目でしょう。
……さて、詳しく話して下さい。五十年も黙ったままでいたのは、辛かったでしょう」
風がやんだ。
「……何の面白みもない、ただの青年の現実逃避だよ。
ある日、青年の知り合いが罪を犯してね、それを受け入れられなかった青年が昔からこの町にあった龍 の銅像と結び付けて咄嗟に作ったほら話が、いつの間にか現実味を持って人々に広まっていた。
ただ、それだけなのさ。」
木の間を、老人の言葉が通って行く。
「それだけだった、筈なのに」
老人の後悔が通って行く。
「青年は、老人になっても、その話を引きずってゆかなければいけなくなってしまった。
こんなにおかしな話があるだろうか。」
老人の自嘲が通って行く。
「もし今、皆に真実を伝えたとして」
「それを受け入れられる人はこの町にいるのか?」
「あ、あの、おにいさん」
少年が車に荷物を積んでいると突然、誰かに服をひっぱられ、反射的に下を向いた。
「お、……誰」
犯人は、5,6歳の男の子だった。
この町の住民であるだろう男の子が急に話しかけてきたことに、少年は少なからず困惑した。
こういう閉鎖的な町の人と言うのは、余所者を受け入れにくい。
しかも、子供というのは、本能的にあやしい人物を避ける習性がある。
「えっと、父さんからおにいさんのことを聞いて……」
「お父さん……、あぁ。もしかしてお父さんって役所で働いている」
「た、ぶんそうだと思います」
「あー、……なるほど」
どことなく目元が似ている気がして、納得する。
父親の知り合いとなれば、話しかけるかもしれない。
父親にあまりいい印象は持たれていないだろうが。
「すみません、邪魔をして……」
「いいよ、どうせ荷物なんてほとんどないし。どうしたの」
「え……と、あの、龍のことは知ってますよね、檻の中の……」
「君のお父さんに案内してもらったよ。龍がどうしたのだい?」
間違いなく父親の方が知っているだろう龍の銅像について、昨日初めてここに来た自分に聞くことに少年は疑問を覚えた。
「え、えっと、お父さんもお母さんも……この町の大人たちは皆あの龍は悪いものなのだって言います」
「そうだね」
どうやら、あの老人の話は、世代を超えるものになっているようだ。
「それで、それって……正しいことなのですか、龍は悪い奴なんですか」
「…………」
「お父さんも、お母さんも、変なことを言うなって、僕を叱ります。でも僕……」
「…………もしさ、龍の銅像は悪いものだ、って。俺が言ったとしたら、君は信じる?」
「う……。信じない、と思います。たぶん……」
「だよな。なら、俺に聞く必要ないじゃないか。
自分の中で答えが出ているものを、他人に聞いて、鵜呑みできるほど俺らは馬鹿にはなれない。だろう?」
檻の網目を通って、一枚の葉が、龍の銅像の上に降ってゆく。
表と裏を交互に魅せながら、ひらひら、ひらひら。
そして、龍の鼻先にとまる。
しかしそれは、風も吹いていないのに、すぐに落ちてしまった。
その様子はまるで、龍自身の意思が働いたようで…………