ポンコツ女神様の迷走
僕は夢を見ていた。
そう表現するしかない世界に、僕は居た。
目に見える範囲は、これでもかというぐらいの白。純白。
そのなにもない白世界に浮遊している僕の目の前に、突然、まるでインクを垂らしたように今度は黄金に輝いている荘厳な扉が下部のほうからゆっくり、ゆっくりと作られていく。
しかし、そんな光景を前にしてもなぜだか僕の心は恐ろしさを覚えるぐらいに冷静だった。まるで、本能的に黄金の扉が虚無の空間から構成されても可笑しくないと感じているような気さえする。
そこで僕は考える。こんな不思議な光景を目の前にしても可笑しいと思わなくなる、そんなシチュエーションはなにがあるかと。
まず、思いつくのは先に述べたように夢であるということ。それなら、いきなりなんにもない場所から金色の扉が出現しても、それが夢であると本能が自然にわかっているから、この落ち着いた心拍状態にも納得できる。出来るんだが、どうも違うと、直感が激しく主張している。
そうなると、もう可能性はひとつしかない。いや、もっと真剣に知恵熱が出るぐらいまで考えに考えればあるのかもしれないけど、僕にはそれを見つけられないんだ。だから、僕はこの可能性が一番あってると判断する。
それは・・・・・・人間が必ず、人種や性別、国籍や社会階層に関係なく唯一平等に訪れる生命活動の停止。そう、死んだということ。
でも、仮にそれが正解であったとしても、僕には大きな疑問が残る。
それはどういったことで命を落としてしまったのか、という根本的かつ解明必須の問題。
そもそもの話だけど、僕にはその時の記憶はないし、事故にあった場合に残る感覚もない。いや、死んでるんだから当たり前なのかも知れないけどさ。
記憶も無ければ、死んだ原因すら分からない。はっきり言って、お手上げだよ。この状況に陥った場合の対処法とか乗ってるサイトとか書籍とか見とけば良かった。
そんな見当違いのことで後悔していると、さっきと作られていた黄金の扉が開き、まばゆくありながらもどこか優しさを与えてくれるような光の後ろから、長身の美しい女性が表れて、僕の方を見て優雅なほほえみを浮かべた。
「初めまして、あれ? え・・・・・と・・・・・・う・・・・・・ん?」
僕に話しかけてきたその女性は初めは勢いが良かったものの、次の言葉を発せようとした時に困ったように顔を歪ませて、首を右に左に動かしている。表情から察するに、どうやらなにかをど忘れした感じだ。
仕方ない。ここは僕が助けてあげよう。
「あの・・・・・・どうかしたんですか?」
僕がそう声をかけると、未だに首を傾げていた女性はビクリと肩を震わせて、なにかをごまかそうとしている声で応えた。
「あ、いえ、べ、別に。決して担当の方の名前を忘れたとかそんなことはなくでですね、ええ、ありませんとも。たぶん」
・・・・・・あぁ、なるほど。僕の名前を忘れてしまったから恥ずかしくて考えていたと。ふむ、なるほどなるほど。
まぁ、確かに僕が彼女と同じ状況に置かれたら、今みたいになんとか思いだそうと悩むだろうな。それにちらりと聞こえた情報だと、彼女はなんのかは不明だけど僕の担当らしいし、その責任感も相まってるだろう。
そこまで頑張ってくれたなら僕は別に名前を、担当者の方に、忘れられていようが、全然、微塵も気にしない。
僕が心の中で葛藤していると、彼女はなにを勘違いしたのか急に泣き出しそうな顔になる。
突然の彼女の変化に、僕は慰めの言葉を慌ててかける。
「ど、どうしたの? なんでそんなに泣きそうになってるの? もしかして名前を忘れていたことに対して僕が怒ってると思ってる? それなら気にしないで、僕は気にしてないからさ」
本当はかなり気にしていたけど、そこまで申し訳なく感じてましてや涙を目尻にためている彼女を見て、僕は今回のことはなしにしようと決める。
これで彼女も元気になってくれるだろうと僕って優男じゃないかと自画自賛していると、そんな僕の判断通りに彼女の顔はよくなっていったのだ
けど、なぜだかその顔色は笑顔を昇華して怒りへと変化した。
「どうして嘘を付くんですか? どうして本当の気持ちを言ってくれないんですか?」
彼女の声ははっきりとした怒気を帯びていた。そして、僕のことを責めていた。糾弾していた。
僕は内心戸惑いながらも、なんとか声を出した。
「なんのこと? さっきも言ったけど、僕は君に名前をわすれられていたことに関しては気にしてないよ。だって、名前を忘れることぐらいは誰にでもあることだし。それに担当とはいえ、僕と君は今初めてあったわけだし。緊張で忘れちゃうことは仕方がないよ」
「そうですか。あくまでも、あなたはそう言い貫くおつもりなのですか」
「あくまでもなにも、僕は正直なことをそのまま言ってるだけだよ」
まぁ、彼女が気の毒に思えて、かなり優しくしてはいるけど、本当は。
「「まぁ、彼女が気の毒に思えて、かなり優しくはしているけど。本当は」って心って考えましたよね? 違いますか? 違わないはずです」
「!?」
瞳に怒りを宿して問いかけてくる彼女を前にして、僕は未だかつて感じたことのない驚きに目を見張った。
そんな僕の反応に確証を得たようで、彼女はさらに語気を強めて問いかけてくる。なんだか、裁判の被告人になったような気分だ。
「どうやら正解だったようですね。いえ、本当は確かめる前に分かっていたことですが、こうしてあなたの反応を見たことでさらに伝わってきました。建前と本音というものを人間はあらゆる場面で使い分けていることが」
「き、君はいったい何者なんだ? もしかしなくても、あれなのか」
「あれとはなんですか? そんなぼかしたような言い方では答えようにも答えられません。それにもう分かっていますよね? 私が曖昧な言葉や気持ちが嫌いだということは。もしかしてわかっていないんですか?」
「いや。分かるよ。もうこれ以上はないってくらいにひしひしと伝わってくるよ」
僕が恐怖心に押されるようにして言葉を返すと、彼女は我が意を得たりとばかりに機嫌が良さそうにニッコリと微笑んだ。怖い、すごく怖い。
「それなら良かったです。それでは、思考の余地もないくらいにはっきりと具体的に言ってください。そうすれば、私は答えましょう。あなたにはそれを知る権利があるのですから」
なんだか、随分と重々しい言葉が出てきたもんだ。まさか、権利なんて言葉を使うような場面に出会うことになろうとは。
しかし、どうやら僕の予想は当たっていたようだ。彼女の声からもそんな雰囲気が匂ってくるし、なによりも、心の中を寸分違わず読んでみせられては、その可能性を考えざるを得ないだろう。
そう、彼女は僕たちの世界で言うところの超常存在。その名は。
「君は神様なんだろう? いや、女性だから女神様か」
僕の確認の声に、彼女は気味が悪いくらいの笑顔を浮かべた。
「そうです。よく分かりましたね、下層の民。私はこの世界を統べる、あなたの世界での定義に合わせれば、神です。よろしくお願いしますね・・・・え・・・と」
手を大きく広げて偉大さを表現しようと頑張っていたのだが、どうもこの女神様はドジというか、天然らしくまた同じところで悩んでいた。なんだか、現実世界であこがれていた存在がこんなにも抜けていたんだと思うとわずかな残念感が芽生えてきた・・・・・あぁ。まずい。
そこで自分も同じことを繰り返していると気づいたが、時すでに遅し。
おそるおそる彼女の方に視線を向けてみれば、やはりそこには顔を真っ赤に染め上げて心なしか頬を膨らませていた。おぉ、なんかかわいいかも。
「あ、あなたはなにを言っているのですか? わたしに向かってそんなに軽々しく可愛いだなんて言うのですか。いえ、別に嬉しくはないとはいいませんよ、はい。ただですね、ビックリしたというか。それに突然でしたし、こうして好意を向けられるのは初めてだったから・・・・・・」
「あの・・・・・女神様? もしもし」
「そうやってはっきりと最初から言えばいいじゃないですか。なんでそうしなかったのか、とても疑問ですね。もしかしてそういう性癖でもあるんですか? それなら再考の必要がありますね。やはりこれから連れ添っていくパートナーになるのだとすれば、よく考えなければ・・・・・・」
「ちょい待てえ!!」
話が飛躍しすぎだろう!? なんでそうなるんだよ!?
僕の絶叫が届いたのか、ようやく女神様はそれなりの反応を示してくれた。
「はい? なんですか、いきなりそんな大声を出したりして。私は今、あなたとの将来を真剣に―――!?」
なにやらとんでもないことをぺらぺら喋っていた女神様は、僕に迷惑そうな顔を向けて、僕があからさまに戸惑っている表情をしているのを見て、我に返ったようだ。
「まぁ、とにかく落ち着いてよ。まずはごめん。いくら女神様が綺麗でもあんな簡単に言うべきじゃなかったね。いや、でも綺麗だと思っている気持ちには偽りはないから。そこは信じてくれないかな?」
自分の先ほど言動を思い返して悶絶している女神様に、僕は今度は本当のことを隠すことなく伝えた。
そうすれば、女神様はちゃんと分かってくれると思ったから。それはある意味で確信で、またある意味ではただの願望でしかないけど、僕は前者を信じることにしたのだ。
果たして、女神様はゆっくりとその真っ赤な林檎みたいに染まった顔でこちらを揺れる瞳で見つめてくる。そんな女神様は、なんというか、色っぽくて、僕の心臓はドクンと震える。それは収まるどころか、どんどん脈打つ回数と速度は速くなっていく。
その正体を僕はうっすらと知っている。
これは、一目惚れというやつではないだろうか?
これはそう、恋だ。でも、こんな色っぽいところに惚れただけで目の前にいる女神様を好きになるんだろうか。いや、そんなことはあるはずがない
。
なんだかんだ言って、僕は女神様の言い方が悪いけど、おっちょちょいで、どこか抜けてて、少し不完全な部分がすきなんだと思う。そして何よりも、決して自分の感情を隠して相手に気遣って話さない姿勢が好きなんだ。
でも、この恋は最初から失敗が決まっている恋。人と神。絶対に交合うことの出来ない地位の差。
だから、女神様に聞こえるように、せめて心の中でつぶやいていたんだよ? 聞いてたよね? 心の中だけは二人だけの世界で、しがらみもなく言える場所だから。
「というわけです」
「・・・・・・そ、そこまで言ったからには責任を取ってもらいますから。よろしいですね?」
「いやいやいや、だからそれは無理だと・・・・・・」
「私はいいですねと聞いているのです。はい、か、いいえ、以外の返答は受け付けません」
真剣な表情で女神様は僕の目をじっと見つめる。その目には、あらがえない吸引力のような力を感じた。ごまかすことは、逃げることは許さないと。
それを見て、僕は内なる自分と対話する。
内なる自分は迷うことなく、はいと答えるべきだと主張してくる。それに対して外なる自分はやはり生命体としての地位を考えるとつりあわないから難しいんじゃないかと難色を示した。
そこで、内なる自分は平然とした態度で、こう言った。
_愛に、地位もなにもかも関係ないだろう。大事なのは、それを背負うっていう覚悟を持つことだ、と。
だから相手が女神様だろうがなんだろうが関係ないんだと、まったくもって身勝手な持論も甚だしいが、それが僕に決断を促した。
僕の、答えは。
「はい」
ただひとことだけ、そう呟く。
「それならこれからよろしくお願いします」
女神様も顔を真っ赤にさせながらもはっきりと承諾の返事をくれる。
「ところで、今更なんですが。あなたの名前はなんと言うんですか?」
「そうでしたね。そういえば、僕の名前を忘れてるんでしたね、女神様は」
「・・・・・・そ、それはその、本当にごめんなさい」
「気にしないで。僕の名前は、秋空 優斗。じゃあ、次は女神様の名前を教えてくないかな?」
「名前ですか・・・・・そうですね。私は他の生命体と比べれば上位存在で、下界との接点はシステムで最小限の恩恵の付与だけでしたので、名前というものはないんです。ですから、ゆ、優斗がつけてください、名前を」
「なんて無理難題をさらりと突きつけてくるのかな・・・・・・」
「いや、なのですか?」
うわぁ、なんかすごく悲しそうな表情になってるんだけど・・・・・・。
ここはやるしかないか。
「じゃあ、マリアなんてのはどうかな?」
女神様、聖人、美しい女性で脳内検索をかけたら出てきたのがこれだった。
すると、女神様改め、マリアは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「いいですね、マリア。気に入りました」
「そう。それは良かったよ。マ、マリア」
「はい。優斗」
やばい。すごく照れくさい。
この気まずい空気をどうにかしようと再び脳内検索をかけると、はたとあることを思い出した。
「そういえばさ、マリア。一番初めになんかの担当で来たみたいなこと言ってたけど、あれってなんのことのなの?」
「そうですね・・・・あれ?ちょっと待ってください・・・・・・今思い出しますから・・・・・・あれあれ?」
首を傾げて必死に思い出そうともがいているマリアを横目に、僕はこの幸せをかみしめていた。
やはり、この抜けているところは可愛いな。
そんなことを夢のような世界で思ったのであった。
そう、夢のような世界で。