反重力病
最近、変な病気が流行りだした。起きているときに、ぴょんぴょんと飛び跳ねる奇病なんだそうな。ついた名前が「飛び跳ね病」「ぴょんぴょん病」「反重力病」というそうな。
飛び跳ね病とぴょんぴょん病はわかるけど、反重力病ってなんだよ。反重力の要素なんてひとかけらもないじゃないか。つけた人のセンスを疑う名前だなんて笑ってしまった。
そう思っていたのは先日までのこと。私もこの奇病に感染してしまったようだ。
病気が流行しているとは聞いていても、正直な話、壮大なドッキリなんじゃないかなどと思っていたのだが、朝、目が覚めた瞬間に体が、ぴょんっ、と浮かび上がったのだ。
一瞬のことだったので夢かと思ったが、五分もしないうちにまたしても、ぴょんっ、と体が飛び跳ねた。
しゃっくりだろうか。けいれんなのかもしれない。そんな現実逃避をしているとまたしても、ぴょんっと飛び跳ねて流石に夢ではないことを自覚した。
私は、慌ててパソコンを立ち上げてこの病気について調べることにした。
この病気は発見されてからおおよそ十日ほどしか経っていない全く新しい奇病で治療法は無いらしい。病気の症状は起きている間に決まった感覚で飛び跳ねること。初期症状では一時間に二十回ほど飛び跳ねるものの、一週間を経過すると一時間に一回ほどになる。その代り、飛び跳ねる高さが二メートルほどになるようだ。
冗談じゃない。二メートルの高さに飛び上って無事に着地をするなんて無理な芸当だ。ただでさえ腹の突き出たこの体、何とか着地しても膝がいかれてしまう。
治療法はないといっても、症状を遅らせることはできないのだろうか? そう思って調べても、これといった方法は見つからない。
効き目があったと紹介されているものといえば、米のとぎ汁で乳酸菌を発酵させて飲めば治るとか、飛び跳ねる生き物を食べて治療をしようなどと、蛙やカンガルーの肉の紹介をしている怪しげなものばかりだ。こんなことで治るなら苦労はしない。
あれから一週間がたった。病気は治っていない。
あの後、蛙とカンガルーの肉を食べたし、色んな療法を試してみたけど効果はまるでありゃしない。やっぱりインチキなんじゃないか。
感染者はどんどん広まっていて、国内の感染者も人口の半分に達したらしい。少しだけ外に出てみると、あっちでぴょんぴょん、こっちでぴょんぴょんと飛び跳ねている。
人に感染するだけかと思ったら動物にも感染するみたいで、猫がぴょんぴょんと飛び跳ねていた。もしかして、蛙やカンガルーは感染しないのかもしれないな、などと思った。
そうこうしているうちに、飛び跳ねる時間がやってきた。現在の時間間隔は一時間に一回、高さは二メートルだ。
床に敷いた布団の上にテーブルを設置している。テーブルは床にしっかりと固定してクッションでくるんである。そして、布団に入る。ヘルメットを装着して首筋を傷めないように両手で固定して亀のように丸まり、その時が来るのを待つ。
その瞬間が来ると体がそのまま真上に持ち上げられる。持ち上げられるというと衝撃がなさそうだが、実際には真上に発射されるようなものだ。
発射された体は固定したテーブルにぶつかり天井に叩きつけられるのを防ぐ。それにしても痛い。布団とクッションの力で抑えているといっても限界がある。他の人たちはどうやって耐えているのだろうか。後で調べてみよう。
さて、今日は買い物に出かけようと思う。タイムリミットは五十分に合わせる。外出中に飛び跳ねる事態は防ぎたい。最悪、何かにしっかりとしがみついていれば、飛んでいく事態だけは避けられるとしてもだ。
スーパーまでの道のりを歩く。路上に赤いシミのようなものが所々にある。大方、誰がが落っこちてきた名残だ。あるいは落ちてきた動物の痕跡だ。この光景にもすっかり慣れてしまった。
最近はめっきりと歩いている人を見かけなくなった。みんな、家に引きこもっている。買い物は感染していない人が配達してくれるから、それで済ませているらしい。みんなが感染したらどうするつもりなのだろうかなどと考える。
スーパーに着くと自転車に乗っていた人が自転車ごと飛んでいった。よくあることなので、私は無視して入店した。
買うものは消化の良い食料品だ。一時間ごとに飛び跳ねるせいで重いものはあまり食べたくないのだ。病状が悪化すると時間間隔が長くなるので普通の食品も食べたくなるかもしれない。
買い物が終わったので店を出る。時間に余裕があるので歩いて帰宅する。
帰宅したら布団に入って待機。五分ほどでテーブルに叩きつけられる。相変わらず痛い。
調べ物をするためにパソコンに向かう。治療方法の進捗具合を調べるが期待した成果は上がっていないようだ。症状を遅らせる方法についてはいうまでもない。例のカンガルーの人も感染したらしいので、カンガルー肉をお勧めしておいた。
初期感染者の治療記録に嫌な記述を見つける。シートベルト状の固定具を使用していた患者の体がちぎれたような記述があるのだ。二週間目の症状がそんなレベルならテーブルを固定しただけではどうしようもない気がするのだが……
感染から二週間が経過した。まだ死んでいない。
現在の症状は十二時間に一回になった。高さはわからない。他人の記録を調べた限りでは百メートル未満らしい。らしい、というのは個人差の揺れ幅が大きいからだ。
テーブルは何とか役に立っている。役に立っているが、設置場所は押入れの中だ。
押入れの下に布団を引いてテーブルを押し込む。テーブルと押入れの間にクッションを詰める。押入れの上にいろんなものを詰めて体が叩きつけられた際の衝撃を吸収する。なんとかなっているけど体の節々はとても痛い。
日課となった調べ物をする。治療方法などに進捗なし。カンガルーの人に蛙肉を勧める。効果があるといいな。
初期感染者の記録を読む。飛び跳ねじゃなくて打ち上げと書かれている。誤植かと思ったら違うようだ。三週間が経過すると七十二時間に一回の速度に低下する。飛び跳ね―― 打ち上げ高さは推定四千メートル。
頭が真っ白になる。心が絶望に染まる。死にたくなる。
そこで、ふと、気が付いた。
これってパラシュートさえあれば、逆に何とかなるじゃないか?
記録を読み進めていく。同じことを考えてパラシュート持たせてみたケースが見つかる。どうやら、実験した患者は無事だったようだ。動画も公開されている。
空気の薄さやぶっつけ本番でパラシュートを開かなきゃいけないってことを考えると成功率は高くないのだろうけれど、生き残れる目があるなら努力をするのが人間だ。人類なんだ、と心に火が付いた。
私は頑張ってみようと思う。
感染してから五週間ほどが経過した。奇跡的に私は生き残っている。
あの後、国がパラシュートの貸し出しと教育をやってくれた。助かる方法があるならバックアップは惜しまないらしい。
当日は、私と同じ時期に感染したであろう人たちと一緒だ。今までは一人で耐えてきたけど、これなら頑張れそうだ。
時間が迫ってくる。周りの人たちが打ち上げられる。着地地点は風に流されるから降りてくるところは良く見えないけれど、パラシュートが開くのが見える。
やった! 成功だ! そんな声が上がる。
仲間たちの成功に気を良くしていると、不意に放り投げられたような感覚に陥る。
気が付けば、空中を飛んでいた。
一瞬、混乱する。打ち上げられたんだ。わかっていたことじゃないか。落ち着くんだ。そんなことを考えるていると少しずつ冷静になる。
高度計を見て見ると四千メートルまであと少しだ。個人差があるとしても、そろそろ、落下が始まるだろう。そんなことを考えていると、突如、体が空中に数秒間、停止する。どういうことだろう。加速が止まったからって重力があるんだし、こんなに長く止まっていられ―― 落下が始まる。
正直な話、ここから先は混乱していて、あまり覚えていない。
上昇中になんとか落ち着けたけれど、下降中に怖くなってしまって、気が付いたら着地していた。降り立った後に他の人たちと成功を抱き合って喜んだりしたのは覚えている。
二回目の時はそこそこ覚えている。初回の打ち上げのことを体が覚えているのだろう。体が勝手に動いてなんなくと着地した。
三回目は冷静に観察しながら着地できた。これなら、運が悪くなければ大丈夫だろうなんて考えてた。
四回目はかなり余裕だった。五回目もそうだった。これなら、六回目も成功するだろうって思ってた。
明日は打ち上げなので早目に寝る予定だが調べ物をする。打ち上げ間隔のことだ。初期感染者のペースは七十二時間に一回のペースのままらしい。流石に三日に一度は辛い。週一回くらいにならないだろうかと思う。もちろん、パラシュートが使える高さじゃないと困る。こればかりは人がどうにかできることじゃないけど、どうにかなってほしい。
三か月後
高度は七千メートルを超えても加速は止まらない。止まることはない。
上昇速度は緩まずに空の彼方を目指して駆けあがっていく。宇宙空間まで飛ばされるのは確定済みだ。先に打ち上げられた人はみんな飛んでいったのに、私だけが避けられようもない。
そういえば、病名は「反重力病」で正式に決まったようだ。
細かいことはよくわからないが、高度四千メートルで一時停止していたのは反重力症状の結果だったらしい。
高度は五万メートルを超えた。地球の丸みがよくわかる。
打ち上げ前に貰った睡眠薬を飲む。説明は睡眠薬だったけれど、別の薬なんじゃないかと思っている。
即効性の薬だからだろうか、すぐに眠くなってくる。
母なる地球に見守られて眠りにつくなんて詩的じゃないかと私は思った。