自由気ままな彼女
前作で出てきた沙英と夕輝の話になります。続きとして楽しんでもらえると嬉しいです。
「んぁ〜…だりぃ」
青く澄んだ空を眺めながら、俺はそう呟いた。今は8月、夏休みの真っ只中だ。それなのに剣道部である俺は重い剣道服を着て、暑くて風通しの悪い武道場の近くに座っている。
今、他の部員は休み時間を終えて、練習に戻っている頃だろう。でも俺はあんな暑苦しい場所に戻る気力がなかった。
「ずっと休憩って事でサボっちまおうかな…でも梅ちゃんにしばかれるしなぁ〜…」
梅ちゃんとは剣道部顧問の女性の先生だ。いつもハキハキしていて他の男性の先生より男らしいと俺は思っている。そして怖い。何と言っても怖い。
はー、早く帰りてぇ……
「なにやってるの〜?」
「ーーーーっ?!!」
うだうだとしていると、いきなり声をかけられてびっくりする。ばっと振り向くと同じ剣道部の女子、桐谷沙英がいた。
「…なんだよ」
「いやぁ、休憩後から姿が見えないなーっと思ってね〜。ちょうどあたしも疲れてたし、探すついでにサボろうかと思って〜」
そしたらこんなに近くにいたからがっかりしたよ〜と、特にがっかりしたそぶりも見せずに沙英は続けた。そして沙英は剣道着をよいしょと持ち上げると、俺の隣に座った。
「…はぁ、探しに来たんじゃないのかよ」
「いやぁ、ね〜。探して連れ戻す気だったんだけどめんどくさくなったから辞めた〜」
とんだ奴だ。普通、先生に頼まれたもので、自分がやると言ったものははきちんと最後までやるだろ。しかも沙英は確かクラス委員の副委員長と、女子剣道部の次期部長だった…はず。
俺はわざとらしいため息をついて沙英を見た。沙英はというと、ぼんやりと遠くのほうを眺めてはボケーっとしていて、なにを考えているのかさえわからない。
そもそもなんでこんな奴がーーーー
「こらー!!!夕輝!って沙英!!なんでミイラ取りがミイラになってるんだっ!!!」
「やばっ」
俺はびくりと跳ねて後ろを見る。
嫌な予感がする……
そこには俺が想像した通り梅ちゃんがいた。そしてビクビクしている俺とは打って変わって沙英は表情一つ変えずに飄々としている。なんでこんなに平気なんだよ…
「んげ、梅ちゃんもう来たの〜??」
「"んげ"じゃないよ…ったく。あんたら来ないと部活にならないだろ。はよ戻れ!」
「は〜いよっと」
「え、あ…」
間の抜けた返事をして沙英が立ち上がる。俺も慌てて立ち上がった。
「こら、夕輝はあたしの特別メニューがあるから待て」
「えぇー」
先に道場に戻る沙英に付いて行こうとしたら、梅ちゃんに呼び止められる。
チッ、逃げられなかったか……
☆ ☆ ☆
「ふっ…ふっ……」
梅ちゃんから俺へ課されたメニューは、梅ちゃんの気が済むまで素振りという結構ハードで終わりの見えないメニューだった。こんなことになったのは俺が悪いけど、これは結構クる……
他のメニューをこなしていた部員が休憩に入ってから、俺はやっと素振りから解放された。武道場の隅で汗を拭こうとタオルを探す。が、タオルが無かった。
「忘れちったか……」
「え、遠藤先輩……!」
「ん?どうした」
そこに女子剣道部の1年生がやって来て、俺にタオルを差し出してきた。
なにが言いたいかわからない俺は後輩の顔をじいっと見つめる。後輩の方は顔を赤くしたり白くしたりと、暫くころころ顔色を変えていたかと思うと、突然思い切ったようにこう言った。
「わたし、タオル多く持って来ちゃったので、よかったら使ってください!!」
ずいっと目の前にタオルが差し出される。
えっと…受け取っていいのか……??
受け取るか迷っていると、後輩は床にタオルを置いて、逃げるようにみんなの元に戻っていった。
残されたのは女の子らしい薄いピンクのタオルと、呆然とする俺だけ。
……使うか。
☆ ☆ ☆
夕方になってやっと練習も終わり、部員はそれぞれが先生の合図と共に散り散りになる。俺もお疲れ様でしたとひとこと言ってから家への道を急ぐ。
と、その時後ろに手を引かれ、よろめいた。なんだ?
バッと後ろを向くと、沙英が黙って立ってこちらを見ていた。
「な、なんだよ…」
「なに帰ろうとしてるのさ〜。今日の部活終わりに剣道部部長は職員室に集合って先生言ってたじゃんか〜」
「あ、そうだったっけ?」
早く行くぞ~、と急かしてくる沙英を見ながら、俺はそんな用事あったっけかと首を傾げた。沙英はそんな俺の態度が気に食わなかったのか、こちらを見ては僅かにむっすーとした顔をする。
「わかったわかった、行くから」
そう言って俺は職員室の方向へと歩き出した。
☆ ☆ ☆
「んー、あー、今日お前らを呼んだのは、次の部長を任命する為だ。つっちゃー分かるだろうけど、先輩も引退したし、次の部長はお前らって事で決定な!異論は認めないからっていう事で解散!!」
職員室に着いて、早々に言われた言葉がこれだった。説教か何かだと思っていた俺はびっくりしてツッコミを忘れる。そんな俺とは対照的に、沙英はそんなもんだろうなーと予想していたようで、さっきからピクリとも変わらない涼し気な顔をしている。
そして何も言わない俺らを見て何を勘違いしたのか、梅ちゃんは満足気にうんうんと頷くと、早く帰れーと俺らを廊下に出し、帰っていった。
「え、ちょっ、まっ!なんで俺なんかが部長に?!?!」
「ツッコミ遅すぎ~、梅ちゃんもういないし」
やっと状況を把握し、慌てだした俺を見て沙英は笑った。
「しかも部長って…俺は部長ってガラじゃないだろ…」
「いいんじゃな~い?だって今日だって1年生のピュアで可愛い女の子からタオル借りられるくらいだし~、それなりにみんなとコミュとってるし~」
まぁよくサボってるけどね~と沙英はけたけた笑う。そういう問題なのか…っていうか
「待て!なんでお前がそのこと知ってるんだよ…」
「え~、みんな知ってるよ~。見てて面白いし、バレバレだし~」
何のことだかさっぱりわからないが、沙英は楽しそうに笑っている。
「んじゃ~、あたしは帰るよ~。ばいば~い」
「お、おう。じゃあな」
自分のペースで話を進めて、人を置いて帰る沙英。流れでじゃあなと言ったはいいものの、なんだかスッキリとしない…というか
「俺マジで部長になったのかよ?!?!」
俺の声は人のいなくなった廊下に反響した。
☆ ☆ ☆
部室の前に立つ。今日は部長になってから初めての部活だ。すうっと息を吸って、ゆっくりと吐く。そして勢い良くパンッと頬を打つと、よしっと言って俺は部室に足を踏み入れた。
っていうのは理想の俺で、本当の俺はというとーーーー
「部長さ〜ん。なに地面に這いつくばってんのさ〜」
「むり…部長とか…むりだから…」
沙英にげしげしと蹴られながら、部室の前で倒れていた。
「てかなんでお前がこんな時間にいるんだよ」
「ん〜、部長になった誰かさんが緊張して部活の一時間前に部室に来て倒れてないかなって思って〜」
「クッ…」
完全に俺の事だ…
気だるそうな顔からは一見何も見えるところはないが、コイツ絶対に楽しんでる。そう俺は確信した。
「てかそれで大丈夫なの〜?今週末新人戦あるけど〜」
「正直に言います。無理そう…」
「素直でよろしいっていうか〜、そ〜ゆ〜とこ奈央ちゃんに似てるよね〜」
「は?!!奈央と俺なんかを一緒にするなよ!!」
「チョロすぎなとことか似てるけど〜」
奈央は俺の友達で、喧嘩が強くて気も強い女の子だ。夏休みに入る前に、何故か肩くらいまで付きそうな長さのクルクルしていた髪の毛が真っ直ぐに近くなっていたり、全然喧嘩しなくなったり、メイクが薄くなったりしていたが。それでも俺の憧れであり、そして沙英の親友だったはず…
「お前よく親友のことそう言えるよな」
「これがあたしの愛情ってやつなのさ〜」
よくわからねぇ。
そもそも俺が沙英を認識し始めたのは、奈央とよく一緒にいるからだった。昼休み、移動教室、放課後…奈央に近づく度に沙英が近くにいた。おかげで顔見知りの仲というか、知り合いというか、なんとも言えない曖昧な関係になっていた。あの時は思っていなかったが、まさか部活まで一緒になるとは…
そんなことをしていると、段々と部室棟の廊下が騒がしくなってきた。ほかの部の人が来たのか、そう思って身体を起こす。
「…頑張るか」
「頑張って〜」
他人事みたいに沙英が応援してくる。まぁ他人事だから仕方が無いのだが、何故か俺は虚しさを覚えた。
☆ ☆ ☆
「つーことで、部長はあたしの独断と偏見で沙英と夕輝に決まったからな。質問、いちゃもん、ドラえもんとかがある奴は後であたしのとこまで来い。以上!」
梅ちゃんの発表にみんながどよめく。そりゃそうだろう、いつもサボってばかりいる俺が部長になるんだからな。みんなが俺を見てなんであいつがと指をさしている気がしてならなくて、俺は下を向いて唇を噛んだ。
そういえば奈央に初めて会ったのは、ボコられてた俺を奈央が助けてくれた時だっけ?それから「女に助けられたヤツ」としてこんなふうに後ろ指をさされて…強くなったって無駄だって思ってしまっていた俺を、奈央はばっかじゃないのと笑い飛ばしてくれた。だから俺は奈央に付いて行っているんだ。
でもこれは、奈央に関係しない話、俺だけの問題だ。正直に言って心が折れそうだった。
そんな俺を気にせずに練習は開始される。みんなからの視線は、練習中終始槍のように鋭く尖って俺を貫いていた。
次の日、今日も大会前の剣道部は練習だった。だから俺はみんなよりも早く来て1人で素振りをした。ただ黙々と、ひたすらに竹刀を振るう。自分の行動が悪いのは分かっていた。だからせめて今までサボってた分だけでも頑張りたい、そう思ってのことだった。
その次の日も、またその次の日も俺はみんなより先に来て素振りをしていた。
そして迎えた大会当日。俺は、緊張したときに使う『心臓が飛び出そう』という言葉がぴったりな状況に置かれていた。
大会で結果を残さなければ、部長として…すべてはその思いだった。
結果はーーーーー
☆ ☆ ☆
夕日が輝く体育館を背にして梅ちゃんは、みんなに顧問挨拶をしていた。
「みんな今日はよくやったな。特に夕輝、いつもサボってばっかだったからあたしはお前があそこまでできるって知らなかったよ。結果は惨敗だったけど、みんな的にもよかったんじゃないかってことで、この後市の祭りもあるし、早めに解散するぞ!」
祭りでハメ外すなよ!と部員たちに言いながら、梅ちゃんはウキウキとした足取りで帰って行った。梅ちゃん絶対祭り楽しみにしてるだろ…
梅ちゃんも帰り、みんなが動き出す。俺もみんなと同じように帰る支度をする。と、そこで沙英がこんな事を言い出した。
「あ〜、今日はみんな頑張ったし〜、夏祭り部活で行こ〜よ〜。絶対楽しいって〜」
いきなり沙英が放った言葉に、女子部員の1部が賛成の意を示す。なんでいきなり…というか沙英ってそういうのはやらないタイプだと思っていた。しかも俺は夏祭りに行かない予定だったというか…
「あ、俺は…」
「じゃ〜行く人も多いし〜、カレカノ持ち以外はみんな強制参加ってことで決定〜。一旦家に帰ってから6時に駅東口前集合ってことで〜」
俺が行かないと言おうとした瞬間、沙英はそう言い切り、みんなが見ていないところで俺を見ながらニヤリと笑った。こいつ、俺が行かない予定だったって知ってる確信犯だったか…
家に帰り、シャワーで汗を流しながら俺は悩んだ。行くべきか、行かないべきか。なんだかんだでみんな行くと言っているし、俺だけ行かないのもなんだか癪に感じる。
やっぱり行かなきゃか…?そう思って俺はバスルームから出て下着を着て、私服に着替えようとタンスを開く。と、そこには俺の見慣れない薄いピンクのタオルが入っていた。
「なんでこんなところに…」
俺はそう呟いてから、女子1年生の部員に借りたことを思い出す。そうだ、返していなかった。慌ててカバンの中にタオルを入れ、着替える。もしかして沙英はこれを知っていてみんなで祭りに行こうと言い出したのか…俺はそう思ったけれど、沙英に限ってそれは無いとかぶりを振った。
☆ ☆ ☆
祭りに来て早々、俺はタオルを貸してくれた女の子にずっとつかず離れずの位置でくっつかれていた。タオルを返した後からこの調子で、正直暑いというか、ウザイ。そして沙英以外の周りの剣道部員が見守るような生暖かい目で見てくるのが嫌だった。
「え、遠藤先輩!」
「ん、何?」
「楽しいですね」
「そうか?」
この状況で楽しいとは思えなくて、俺はそう返す。今更ながら、祭りなんて来なければよかったと後悔し始める。すると、そんな俺たちの状況に業を煮やしたのか、部員の1人がかき氷みんなで食べようよと言い出し、みんなでかき氷を食べることになった。
売店の並ぶ道から外れた並木の前で、みんながはしゃぎながらかき氷を食べている。それを見ながら俺はぼうっと暗くなってきた空を見ていた。かき氷を食べる気にならなかった俺は、みんなから1歩外れたところで待っている。
とそこにタオルを貸してくれた部員の子が、かき氷を持って駆け寄ってくる。何かと思えば、かき氷が美味しいから先輩も1口どうですかということだった。目の前にかき氷の乗ったスプーンが差し出される。
これは…間接キスになるのでは?そう思って後ろへ1歩下がり、後輩から距離を取るようにして拒絶の意を示す。すると、強い力で後ろへ手を引かれて違う方へ連れていかれる。俺を引っ張っていたのは他ではない沙英だった。
「沙英?」
「…!!なんでもな〜い」
沙英に声をかけると、沙英は自分でも驚いたと言いたげな顔をしてからパッと手を離した。そして逃げるように顔を背け、トイレに行ってくるね〜と言って走り出した。
「え、ちょい逃げるなよ!」
慌てて沙英を追いかける。残された部員は何が起きたのかわからないと言いたげな顔で、ただ呆然としていた。
☆ ☆ ☆
「っはぁ…はぁ……」
あたりもすっかりと暗くなり、花火が始まりそうな時間になってきた。俺は途中の人ごみで沙英を見失い、必死になって会場内を走り回っていた。
なんで自分がこんなにも沙英の事を追いかけているのか、そんなことはわからなかったが必死に探す。こんなに探しても居ないのなら、帰ろうとしているのかもしれない、駅にいるのかもしれない、そう思った俺は駅の方へ走り出した。やっと見つけた沙英は、駅前のロータリーの中にあるベンチに座っていた。
「はぁ…沙英…やっと見つけた…」
「なんで来たのさ〜」
「なんでって…わかんねぇけど…」
そう言って沙英の顔を見た俺は驚く。沙英は目の端を赤くし、泣いていた。
「え?!なんで泣いてるの?!!」
「…泣いてないし〜」
「泣いてる。絶対泣いてる」
「泣いてない〜、バカ」
首をフルフルと振りながら、沙英は俺にそう言ってくる。そういえばなんで沙英に逃げられたのだろうか…
「じゃあ、沙英はなんで逃げたの?」
「わからないの〜?やっぱりバカなの〜?」
沙英はいつもよりテンションが低いというか、イライラしている気がする。でもそんなことを言われても…
「そんなこと言われても…わからねぇよ…なぁ……?」
そう俺は沙英に言って、理由を聞こうとする。俺は沙英じゃないんだから、沙英の思っていること全部なんてわからない。
「わからなくていいの!わからないことを無理に知る必要なんてないから!!」
沙英が突き放すように俺に言う。なんでそこまで言うのかがわからなかった。俺が黙って沙英のことを見ていると、沙英はボロボロと大粒の涙を流し始めた。俺は沙英が落ち着くまでと思い、沙英の隣に腰をかける。
「バカ…バカ…人の気持ちなんて一つも知らなくてみんなみんな自分だけ幸せになろうとして……あんたはあんたでただのバカならよかったのに…嫌いなタイプだったのに…」
そう言いながら沙英は立ち上がる。そして沙英は俺の目の前に立つと、顔を近づけてそっと触れるだけのキスをした。
沙英はいきなり過ぎて目が点になる俺から唇を離し、俺の耳元で
「バカ、あんたが好きになっちゃったんだよ」
と囁いた。沙英はスッと顔を離し、俺に向かって笑った。ちょうど花火の打ち上げが始まった時で、とても綺麗な笑顔だった。