優等生な君と
オレンジ色の夕日が差し込む教室、蒸し暑さを運んでくる風。放課後の教室は昼間の騒々しさと違ってどこか異世界のように感じられると私は思った。
目の前には校則をきっちりと守った長さの黒髪、真面目そうな黒縁メガネの男子、私の幼馴染のあいつの顔があった。
まばたきするのも忘れてじっと見つめていると、修一が顔を上げた。いきなりのことでバチっと目が合う。
「なに?俺の話ちゃんと聞いてる??」
修一が呆れ顔で私に言った。私はゴクリと唾を飲み込んで
「ねぇ修一、今二人きりだよ…」
と言って上目遣いで修一の顔を見た。が、修一の方はというと、真顔になったかと思うと教科書の角で私の頭にチョップをかましてきた。
「痛ったぁ〜?!!!」
「今年こそ留年になりたいの??え??先生が頑張って課題出して、それで2年生になれたのにさ。今くらいから頑張らないと学年上がれないよ?3年生に上がって、それで俺らと一緒に卒業したくないわけ??」
にこやかな笑顔で修一は私を見る。だけども目が笑ってない…正直怖い。
教科書の角で叩かれた頭はジンジン痛むし、勉強は嫌いだし、もう最悪だよ…
「このxを両辺に移項して…って移項が分かるか??まぁいいか。とりあえずこのxをこっちに動かして計算するんだ」
「むーりー、わからないー、おうちに帰りたいですー」
私の目の前に座って説明を続ける修一に私はぶー垂れた。本来の私なら椅子でも蹴ってそさくさと帰るところだが、こいつ相手にはそうもいかない。
「あのな、こっちだってお前の面倒を見るのは不本意なんだよ。分かるか?修ちゃん、うちの奈央をよろしくおねがいするよっておばさんにも言われたし、千葉さんの成績が危なくてこのままじゃ3年生になれないよーって先生に頼まれて、渋々承諾したんだからさ」
「へいへいへいへーい。嫌ならやらなきゃいいじゃんか。ほらほら、お互いやりたくないわけだしやらないほうが…めりっと??があるじゃん」
「おー、よくメリットがわかったな」
「全然気持ちがこもってない!」
私の反論も聞かず、修一は私の頭をガシガシ撫でる。痛い、痛いってば。
その時、キーンコーンカーンコーンと間抜けなチャイムの音が鳴った。
「んじゃ、帰るか」
「あ…うん」
あれほどまで痛い、帰りたいと言っていたのに、あいつの手が私の頭から離れると少し寂しさを感じる。
2人歩く帰り道、隣にいる修一をちらりと見る。
こんなことになったのも全部あの事のせいだ。
薄暗くなってきた夕焼け空を仰いで私はため息をついた。
☆ ☆ ☆
「んじゃ、7ならべに負けた奈央には罰ゲームを〜」
「えっ?!罰ゲームとか聞いてないんだけど」
「だって今決めたし、最初から罰ゲーム有りとか言ったら奈央、本気出すじゃん。あたしの勝ち目なくなるし、そんなゲーム楽しくないじゃん??」
そう言って沙英は机にぐでーっと寝転んだ。これは確か3日前の…そう、月曜日の昼休みの時の事だった。
「はぁ?沙英この前はゲームは正々堂々やるんだって言ってたじゃん」
「気分だよ〜、気分。あの時は正々堂々やろうとする心の底からみなぎる正義の炎であたしの心は燃えてたの〜」
うりうり〜と机に頭をグリグリこすりつける沙英を見ながら、そうだこいつはそういう奴だったと半分呆れが混じった目で見る。
優等生そうな外見をしているが、規則違反ギリギリの長さのスカート。肩につくかつかないかの長さの髪の毛は活発さも滲み出していて、どこか清涼感のある、私とは真逆な印象を与えるこの女子生徒は、私の親友である沙英だった。
「ということで、罰ゲームを発表しま〜す」
「げ、マジでやるの?」
「マジもマジ。やるって言ったらやりますよ〜」
沙英はえっへんと胸を張って、キリッとした表情になった。
こうなった時の沙英は嫌な予感しかしない。
「では〜、奈央への罰ゲームは…だらららららららららだんっ!1週間で修一を落とせ〜っです」
大仰な造作とは真逆に、沙英の声は気怠げだった。
でも、それよりも私がツッコミたかったのは罰ゲームの内容だった。勢いで窓際に座って本を読んでいる修一を見る。
「げっ、なんでそんなのやらなきゃなんだし」
「異論は認めない、やりなさい。ま〜、できたらスタバのキャラメル何でも奢るよ」
「はぁ?安すぎるでしょ。しかもキャラメル限定とか…」
「あ〜、自分が勝てる自信がないからケチつけるの〜??奈央たん、やっぱチキンなんだぁ〜。ははははっ」
沙英のその言葉に私は何故かカチンときた。バンッと机を叩き、宣言した。
「いいよ、やってやろうじゃん。そんな言葉もう言わせないから」
☆ ☆ ☆
オレンジと群青色の混ざった空を見上げながらこの間のことを思い出した私は、今更あんなこと言うんじゃなかったという後悔が押し寄せて来ていた。
私は修一の隣を歩きながら、これまでの3日間を振り返る。
1日目、幼馴染でお互い性格をほとんど知っているのに、キャラチェンして大人しくなってみた。巻いていた髪の毛も巻かないようにして、濃かった化粧も薄くし、喧嘩を売られても買わないように我慢した。修一とクラスが同じ、授業中も修一がいるからと思って黙って授業を聞いていると、クラスメイトはざわつき、先生には「この前まで授業なんてまともに聞いていたこともなかったのに、いきなり真剣に取り組み出してどうしたんだっ?!?!保健室に行って来なさい!!」と心配された。更に、友達(?)でもある夕輝は、昼休みにわざわざ私の教室まで来た。そして大きな声で「なっ…奈央っ?!?!どどどどドウシタノッ?!?!」と片言で言った後にブンブンと私の肩を掴んで揺さぶってきた。でも修一はそんな私を気にも止めず、黙々と予習をしていた。 キャラチェン計画、失敗。
2日目、1日目のキャラチェンにプラスして、お菓子を作って持って行ってみた。作ったクッキーは少し焦げてしまったけど、初めてにしては上出来だと思った。ドキドキしながら修一に渡すと、私のクッキーを一瞥して「焦げてる」と言って、それで受け取ってくれた。沙英にも渡したところ、沙英はひとこと「苦い」と言って顔を顰めた。それから家に帰ってから沙英とLINEのやり取りをしていると、修一から1通のメールが入ってきた。「焦げてて少し苦かった。今度はちゃんと焦がすなよ。 修一 」これには自分がドキッとしたけれど、修一は実は女子から手作りのお菓子を貰うことに慣れているのかもしれない。そう思うと複雑な気持ちになった。 女子力アピール、失敗(?)
そして3日目の今日ーーーーー
「…ぉ……ぁお…奈央!!」
「…へ??」
ぼけーっとしていたら、いつの間にか家に着いていたらしい。修一が私の目の前で、手をひらひらと振っていた。
「…じゃあね」
「またな。あ、今日説明したところ、家でもやっておけよ…って言ってもどうせやらないんだろうけどさ」
そう言って修一は帰って行った。修一がだんだん遠くなる。修一の家は私の家の道路を挟んだ真向かいだからそんなに距離が遠いわけでもないけれど、なんだか遠い存在に見えて仕方がなかった。
3日前からずっと、何をやっても修一の事ばかりを考えていた。
1日目は、どうすれば修一を落とせるかを。2日目は、どうやったら修一が美味しいと言ってくれるクッキーを作るかを。そして3日目の今は、修一に撫でられた頭の感覚、声、後ろ姿を。
だっと階段を駆け上がり、いつもは落ち着く部屋に入った。でも、私の心はなんだかふわふわして、心地がいいようなむず痒いような、そんな感覚のままでいた。
思えばこの三日間、修一の事を意識すればするほどこの感じはひどくなっていった気がした。気がつけば修一の事を考えていて、無意識に修一の行動を目で追っていて。他の女の子にも、男の子にも優しくて、ガリ勉というワケでもないのに頭が良くて、気の利いた面白い話ができて、とても人気だという事が分かった。
その上、自分の変化についても分かった事があった。修一が女の子に優しくする度、他の女の子が修一の話をする度、他の女の子が修一にベタベタする度、私の胸の中が熱くドロドロとしたもので満たされていく気がして、妙にムカムカした。
なんで私以外の女の子ばかり見るの??
なんで私以外の女の子に優しくするの??
なんで私以外が修一の事を知ったように話すの??
修一の事で私の頭の中が支配されていく。あー、もう!こんな筈じゃなかったのに…
私はこの心情を理解していた。いくら馬鹿でもこれくらいは分かる。
この感情は、私は、修一への恋に落ちてしまったんだ。
ミイラ取りがカップラーメンになる…だっけ??修一を落とそうとしていた私は、修一が好きになった。もしかしたら実は好きになったのはもっと前からかもしれない。でも今この感情に気づけた、それだけで胸がいっぱいになった。
私は携帯を取り出し、沙英にLINEを送った。
『私、カップラーメンになった』
直ぐに既読が付いて、返事が来た。
『ごめん何言ってるかわかんない』
☆ ☆ ☆
髪型、OK。服装、OK。薄メイク、OK。すうっと深呼吸をして、胸の高鳴りを抑え込む。鏡に映る私はメイクのせいだけではなく、いつもと違って見えた。
あの後、電話でカップラーメンを説明したら笑われた。笑いすぎで、沙英の頭がおかしくなったんじゃないのかと私が疑うほどに沙英は笑った。カップラーメンは、本当は『ミイラ取りがミイラになる』だったらしい。
そして、笑った後に沙英はこう言った。
『気付くの遅すぎ、待ちくたびれた〜。告白は??いつするの???てゆうかするの??』
私はニヤリと笑って沙英に告げた。
『そんなの私だからもう決まってる。思い立ったが大凶、明日告白するんだ』
『馬鹿。大吉、ね〜』
とまあ思い立ったはいいものの、本当に真面目に緊張する。
初めて夜中に家をこっそり抜け出した時よりも、初めて校則を破った時よりも、初めて授業をサボった時よりも、ずっとずっとドキドキして、妙に高揚感があって、居心地がいいような悪いようなふわふわした感覚で。
恋ってこんな感じになるんだと、今更ながらにまた思った。
「奈央〜〜〜!!早く学校行かないと遅刻するよ〜〜〜〜!!!」
「はぁい、今行くから」
「いってらっしゃい」
お母さんがいつもは来ない玄関まで来て、ニヤニヤと手を振る。
「ーーーーっあー、もううるさいっ!」
「何も言ってないわよ〜」
「顔がうるさいのっ!」
いってきますと言って家を出る。いつも登校している道ですら違うものに見えてきて、私の心を煽っていく。
学校に着く。沙英の元に行っておはようと挨拶をすると、沙英はニヤリと笑ってそれに応じた。そしておもむろにある方向、修一の席を指差すと
「応援してる」
とだけ言って私の背中をドンッと押した。沙英の応援が心強かった。
その後の授業は、緊張して全く耳に入らなかった。いや、いつもは寝てて結局聞いてないんだけどね。
そして、いつの間にか放課後になっていた。
放課後はいつも通り、修一との勉強会ーーーーー
でも、今日は告白するんだ。はぁ……緊張するなぁ。私、こんなキャラじゃないのに。
「ねぇ、奈央、聞いてんの??やらないなら俺帰るよ?」
深呼吸、落ち着いてキッと前を見る。すると修一が溜息をついて帰ろうとしているところだった。
「まっ…待って!」
修一の腕をばっと掴んで止める。修一の驚いた目が私を見た。
「わ、私、修一の事が好きだから!!」
私は慌てていて、それに怖くて、多分声なんて震えていたんだろう。
そんな私に修一はふっと笑って言った。
「だからってなんだよ」
「…付き合ってください?」
「疑問系は可笑しいだろ」
「じゃあ…付き合って」
「やだ」
「え……」
フラフラとおぼつかない足取りになり、その場にへたりと座り込んだ。なんで…
「…そんな」
「馬鹿、俺の方が好きだから。だから俺から言うよ。奈央俺と付き合ってください」
「へ??」
いきなりの展開に頭がついていかなくなる。何が起きたの?
状況を整理している私に修一が近づき、頬をそっと撫でる。
「ほら、泣くなよ奈央」
「え、だって…」
いつの間にか泣いていたらしく、私の目からは大粒の涙がぽろぽろと溢れていた。そして、その雫をそっと撫でて拭く修一の手は、温かかった。
私が泣き止むのを待っていてくれたのか、修一はずっと私の頭を撫でてくれた。泣き止んで赤く腫れた目で外を見ると、藍色とオレンジの混ざった空が窓を飾っていた。
「帰ろうか」
「うん」
スッと修一から差し出された手を私は握り、立ち上がった。
まだまだ夏はこれからーーーーーーーーーー