第六話:いかにもボクが然木だが?
ごく平凡な三階建てのアパート『出笛荘』。そこから自転車を飛ばすこと数分。
住宅街を抜けるとすぐに二車線の道路が見える。そこを渡ってしばらく、大きくもなければ小さくもない河川に沿って再び数分走ると……。
その先に、涼介が通う学舎『公立星凪高等学校』が建立している。
偏差値は同県の中でも中堅クラスで、生徒数もごく一般的。よく言えば癖のない、悪く言えばなんの特徴もない公立高校である。
「おお~、これが学校! 大きい!」
めいりは両手を胸の前で組み、いつもは眠そうなその目を大きく見開いてキラキラと輝かせていた。ちなみに彼女は登校中、ずっと自転車の荷台の上に座っていた。まるで重力を感じなかったので体力の消耗は普段となんら変わらずに済んだ。
「え、めいりって学校通ってなかったのか?」
「うん。お姉ちゃんに色々教えてもらってたけれど」
「へえ、そうなのか……」
まあ、色々事情があるのかな。わざわざ聞くのも野暮だと思い、涼介はそのまま昇降口に入る。
「あれ、いないな……」
いつも校舎に入ってすぐ、ビシバシと感じる気配。
それが今日はやってこない。来た道を振り返って壁際や教室の扉あたりを見回してみる。何もない。
「ん? 涼介どしたの?」
「ああいや、なんでもない」
「まさか、可愛い女の子に見られてるかもってありもしない妄想してたの?」
「人を自意識過剰のナルシストみたいに言うんじゃないよ!」
ただ、めいりの言ったことは“当たらずも遠からず”といったところだった。
今年の初夏あたりから、涼介はとある生徒に後をつけ回されているのだ。それがどうしてか、今日はいないらしい。
何があったかは知らないけどまぁ、いないに越したことはない。涼介は気苦労が減った様子で安堵の息を吐いた。
特にトラブルもなく二年Cクラスの教室に到着。
廊下側の一番うしろにある自分の席につく。教室に入ってすぐに座れるのがいい。近いし、クラスメイトと必要以上に交わらずに済む。なので気が楽だ。涼介はこのポジションをわりと気に入っていた。
そもそも、挨拶以上の話を彼に振ってくる生徒はほとんどいないのだが……。
「おや? 誰も涼介の方に来ないね」
隣にいためいりが自然な疑問を口に出す。めいりの容姿は教室内でかなり浮いているが、こちらを見る人間は誰もいない。登校中も思ったが、どうやら他の人には彼女は見えないらしい。
「ん、まあな」
「もしかして、涼介ってぼっ――」
「違う」
「――ち?」
被せ気味に即否定。
涼介は小さい頃から人見知りで、他人と馴染むのが苦手だった。この十七年間を通しても友達は少ない。
おまけに、思春期特有の成長イベント“声変わり”の恩恵を受け、低く、通りの悪い声と化した。そのせいで余計に他人とのコミュニケーションが面倒くさ……困難となっていたのだった。
でも、涼介はそれで良かった。あまり大勢とつるむのは好きではないし、なにより一人の方が平穏のんびりと過ごせる。
「僕は好きでこうしてるんだよ」
「涼介……」
「ん?」
「ぼっちは本人の捉え方でなく、状況証拠のみで成り立つのよ?」
「う、うるさいっ!」
めいりの至極真っ当な言葉に思わず叫んでしまい、クラスメイトたちの驚いた視線を浴びてうずくまるハメとなった。
(うう……気をつけないと僕まで変なやつ認定されてしまう……)
とはいえそんな涼介も、一応はクラスメイトと簡単な挨拶はするし、軽い雑談程度ならやぶさかではないと思っている。いくら人見知りで声通りの悪い涼介といえど、人との関わりを遮断するほど尖っていないのだ。
ただ、他のクラスメイトを寄せつけない決定的かつ致命的な理由が彼にはあった。
もうすぐ来る。
涼介にはそんな予感があった。
あと五秒といったところか。心の中でカウントを始める。
五、
四……、
三……、
二……、
一。
「ゼロ……」
何も起こらない。
だが、その数瞬後……
「柳瀬、さっそくだが昨日の化学室で起こったアルコールランプの異変についての……」
「待て待て待て! いきなり話し出すのはやめろっていつも言ってるだろっ!?」
あまりにもさっそく過ぎだ。時間差でかかる呼び声、そのまま連発されるノイズ。それにアルコールランプの異変てなんだ。
いつのまにか涼介の机のすぐ左側に、一人の少女が立っていた。涼介もよく見知った顔だ。
然木笑海――。
涼介のクラスメイトにして、教室内で唯一のよく話す相手である。
短く切り揃えられた真っ黒な髪はまるで少年のようだが、怜悧な顔立ちは年頃の少女そのもの。一六〇センチほどの細身、そのくせ、出ているところはちゃんとその存在を主張している。
一見冷酷じみたやや切れ長の瞳。そんな目とは反対に性格はひょうきん……涼介はそう認識している。
「むむ、たしかにそんなことを言われていた気もする」
「もう一年半ほど言い続けてるんだけども……」
涼介はこの高校に入学してまもなく、この然木笑海と出会った。
『はじめまして』
『これからよろしくっ』
彼女が初めて発した言葉。それは、そんな未来への希望に満ちた挨拶。
……ではなく、
『この高校の女子トイレには、花子さんがいると思うか?』
……だった。
奇妙な噂、都市伝説、学校の怪談に七不思議……彼女はそういった話が大好きなのだ。
以来、涼介はなぜか彼女につきまとわれるようになった。
当初はニコニコと相づちをうっていた涼介だったが、さすがに同じことが数日も続くと疲れる。それでも相手は口撃の手を緩めない。なのでやんわりと断る。スルーされる。
それが半年以上続くと、さすがに怒る。しょぼんとされる。何かにとり憑かれたのではと思うほどに落胆する彼女を見て、謝る。同じ日の放課後、ケロッとした顔で怪談話を浴びせてくる。もうすでに怒り耐性がついている。でも怒る。ツッコミと認識される。ツッコむ。話す。ツッコむ――以下ループ。
――そんな風にして、二人はいつしか常に一緒にいるようになっていた。
クラスメイトたちは密かに、彼らのことを『廊下際漫才部』と呼んでいるが、当の二人はその事実を知らない。
「まあ、親友であるお前の頼みだ。少しばかり口を閉ざそう……、やっぱり無理だ」
「おい」
親友が聞いて呆れた。ところで、一年半ものあいだ変な話を喋り続けてくるだけの相手を親友というのだろうか。
「あ……ダメ……」
すると突然、笑海はそんなことを呟きながら、お腹を両手で押さえ前屈みになった。
「も、漏れる……」
「は、はぁっ!? いきなり何言ってんだっ!? トイレ行ってこい!」
「ん? 口から言葉が漏れると言ってるんだ。なぜトイレなんだ? 新手のイジメが開始されるのか?」
「まぎらわしいなオイぃぃっ!」
笑海は髪型だけでなく、言動もやや少年らしい。
「うぅ~、漏れる~、噂話が口から漏れるよ~ぅ」
禁断症状でも起こしたようにうめく。彼女は少々風変わりな少女なのだ。
本当はこのまま無視したい涼介。だが今日はこっちから聞きたいことがある。
仕方なく譲歩することにした。
「わかったよ、後で話聞くから。でも今日は、僕から然木に聞きたいことがあるんだ」
「……ん? お前の方から話をするなんて珍しいな。いつもはボクがことごとく話す機会を潰しているというのに」
「自覚していたっ!?」
意外とずる賢い女だった。
「まあ、柳瀬の話とやらもかなり興味深い。さっそく話してくれ」
「あ、ああ……」
そうして涼介は、昨晩からの出来事をできるだけ詳細に説明していった。