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ツきゆく君との過ごしかた!  作者: はなうた
第五章:ツたえる。
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第四十一話:わたし、めいりさん。



「ん……あ、あれ……」


 真殊が目を開くと、そこは星凪高校の中庭だった。


 ベンチから上体を起こして周りを見渡してみる。日はすっかり西に傾き、オレンジ色が真殊の視界全体を優しく染め上げていた。


「私……どうしたんだろ」


 たしか、眠る人たちを保健室まで運んで、柳瀬先輩とここで一休みしてて。

 然木先輩に飲み物を頂いて……。


「……そうだ、先輩たちは」


 思い出してすぐさま隣を見やる。だが、さっきまでそこに座っていたはずの涼介の姿はなく。

 立ち上がって周囲を見渡しても、近くには誰一人いない。


「あれ……せ、先輩? どこですかぁ……? せせ、せんぱぁーい……」


 おずおずと涼介を呼ぶも、鼓膜に響くのは自分の頼りない声ばかり。

 加速度的に心細くなっていく。


 そこでふと、真殊は違和感に気づいた。


 短く刈られた芝生。

 校舎の、少し古ぼけたコンクリートと規則的に並ぶガラス窓。

 いつもとなんら変わらない中庭の風景だけがそこにある。


 だが、まるで造られた模型のように、その風景は一向に動く気配を見せないのだ。


 風がない。

 音もない。

 空を舞う鳥たちも、その羽を広げたまま夕焼け空をバックにピタリと停止している。


「え……ど、どど、どういうことなの……?」


 真殊はおののきながら、胸の前で両手を握り数歩後じる。


「ひぇっ!?」


 すると突然、ブレザーの中で何かが震えだした。

 一瞬肩を跳ね上げて驚いたが、ケータイの着信だと気づいて少し安堵の息を吐く。


「誰だろう……」


 ディスプレイに浮かぶのは、十一桁の番号……登録されていない人からの着信だ。

 真殊は慌てて受話口に耳を押し当てた。

 少し不思議に思ったが、とにかく今は誰でもいい。今はただこの恐怖を紛らわせたかった。


「も、もしもし?」

『……わたし、めいりさん。今校門の前にいるの』

「へ?」


 ブツッと、通話が途切れる。

 真殊はしばしポカンとなったあと、徐々にカタカタと、小刻みに震えだした。

 受話器から流れたのは、女の子の澄んだ声音。そしてそのフレーズも、どこかで聞いたことのあるものだ。


「……め、めめ……」


 ――メリーさんの、電話。


 怖いものが大の苦手な真殊でも、有名なその話くらいは知っていた。

 何度も電話が来て、最終的にすぐうしろまで来る、あの……。


「ひ、ひぃぃぃ……!」


 思わず、持っていたケータイの電源ボタンを連打し、そのあと両手で強く握りしめる。

 声もろくに出せず、代わりに奥歯がガチガチと鳴りひびく。


「せせ、せんぱ……せんぱいぃぃ……!」


 軽くパニックになりながらも、キョロキョロと涼介の姿を探す。

 ついさっきまでは近くにいたはずなのに、どこに行ったのか。

 もしかして……すでにメリーさんから電話があって、すでに彼女に……。


「そ、そんな…………ぎゃっ!?」


 すると再びケータイに着信が入る。さっきと同じ番号。

 真殊は目に涙を浮かべながらも、絶対出まいと必死にケータイを抱きしめる。


『わたし、めいりさん……』

「なななな……!」


 だが、通話状態にしていないはずなのに流れだす音声。

 真殊はいよいよワケがわからなくなりケータイを放りだしその場でうずくまる。


『……今中庭の入口にいるの』

「いや……いやだぁ……」


 感情の起伏が窺えないその声を聞きつつ、真殊はついに泣きだしてしまう。

 顔は恐怖でぐしゃぐしゃに歪み、涙はボロボロと頬を伝う。

 それでも女の子の声は、まるで脳内に直接語りかけるようにまっすぐ流れ込んでくる。頭の中にこびりつく。


 どうして。

 どうして私が狙われなければいけないのか。

 そして先輩も……。


「先輩ぃ……助けてぇぇ……。お父さん、お母さん~……っ」


 頭の中に必死に涼介の顔を思い浮かべる。あの球技大会の日からずっと追い続けてきた先輩の姿。

 続けて、自分の中の思いつく限りの、大事な人たちの名を呪文のように何度も唱える。


「先輩……先輩……お母さん……メイリちゃん……」


 そこで、真殊の体の震えが止まった。


 ん……あれ?

 メイリちゃん……?


 何か…………変だぞ?


 頭の中に、突如大きなクエスチョンマークが浮かび上がる。

 今まで真殊を支配していた恐怖を吹き飛ばすほどの違和感。

 その違和感を確かめるため、真殊はもう一度、その名を唱えた。


「メイリ……ちゃん?」


 すとんと、真殊の胸の奥で何かが落ちる音がする。

 同時に、みたび聞こえる女の子の声。


「わたし、めいりさん」

「……え?」

「今、あなたのうしろにいるのよ? ……お姉ちゃん」


 そして柔らかな感触が背中越しに伝わってくる。白い糸のような髪が、真殊の幼い頬にかかる。

 懐かしい匂いと温もりが、うずくまる真殊に覆い被さるように抱きついてきた。


 一瞬、息がとまるかと思った。

 でもかろうじて、真殊はもう一度、その名前を呼んでみた。


「め……メイリちゃん?」

「うん、そうよ」

「ど、どうして……」


 いきなりの出来事に、真殊は言葉を詰まらせる。

 真殊の胸元で組まれる細い手。

 人の手だけど……違う。

 真殊にはなんとなくわかる。

 そのきめ細やかな白は、いつも真殊が羨みながらも愛おしくて仕方なかった……彼女の手だ。


「メ……メイリ……ちゃん、メイリちゃん……」


 いっそう震える声で、その名を確かめるように、何度も呟く。


「お姉ちゃん、ごめんね。わたし、勝手にお外に出て。お姉ちゃんを悲しませて……ごめんね」


 どうしてここにいるのか、とか。

 なんで人の形をしてて、人の言葉を話しているの? とか。


 真殊の中から疑問が浮かび上がってくる。同時に、今まで溜め込んでいた思いが一気に体の中を駆け巡り、濁流のように押し寄せてくる。


 どうしてあの日、勝手に外に出ちゃったの?

 あなたの変わり果てた姿を見て、辛くて悲しくて、寂しくて、次に会ったらいっぱい叱ってやるって、何度も思ったんだよ?

 頼りないお姉ちゃんで、そのせいであなたに痛い思いさせちゃって、ごめんって謝りたいって、今も思ってるんだよ?

 でも、結局は会えなくて。庭にある石の塊を見つめる以外には何もできなくて。それでもずっと会いたくて……。

 あなたがいなくなったことが、いまだに夢のように思えて……。


 でも、そんな疑問や怒りや悲しみは、背中越しに伝わる温もりが全て洗い流してしまう。

 メイリの抱擁を通じて、全てが伝わり、そして伝わってくる。


「お姉ちゃんの気持ち、受け取ったわ。ごめんね……ありがとう」

「メイリちゃん……っ、メイリちゃん……っ」


 ぐずった子どものように泣きだす真殊。その様子を見て、めいりはふっとほくそ笑む。


「お姉ちゃん……怖がりで泣き虫なの、変わってないね」

「……っ。だって……」

「人間が泣くのって、悲しい時だけだと思ってた。お姉ちゃんはいっつもそうだったから」


 事故に遭う前の日の夜。

 お姉ちゃんの眠る布団に潜り込んで、脇に頭をすり寄せた。

 あれが、めいりが最後に感じたお姉ちゃんの温もり。

 でも今、こうしてもう一度感じることができる。

 それがこれ以上なく、たまらなく嬉しい。


「でも、今はわかるわ。嬉しい時でも……人間って泣くんだね……」


 そして、めいりは泣いていた。

 お姉ちゃんと同じように、涙で濡れた顔を精一杯、ぐしゃぐしゃに歪めて。


 青藍の瞳はゆるゆると揺れ、映しだす真殊のうしろ姿がみるみる滲んでいく。

 真殊のブレザーその背中部分に、一粒二粒と雫が落ちる。


「お姉ちゃんにもう一度会えて、嬉しい……」

「メイリちゃん……っ、私も、私も会いたかったよぅ……」


 言葉にしようと思えば、まだまだこれだけじゃ足りない。

 でも、言葉がなくても伝わる思いは、互いの中にしっかり行き届き、二人の心は満たされた。

 だから、これ以上はいらない。


 今はただ、震える手を取り合って、再会を果たした姉妹は喜びの涙を流し続けた。






 二人以外誰も存在しない世界で、真殊とめいりはベンチに腰を下ろす。

 手を繋いだまま、黙って夕日のオレンジ色に頬を染める。


 めいりの首元では、ペールブルーのチョーカーが揺れている。いつかあの大通りのカフェで買ったおそろいのアクセサリー。

 それを見て、ああ、やっぱりメイリちゃんなんだと、真殊は改めて実感した。


「メイリちゃんと会えたのって……柳瀬先輩のおかげなんだね」


 しばらくして、真殊は口を開いた。

 はじめは不思議に思っていたことも、めいり越しに全て伝わった今では納得できる。


「うん。涼介も然木ちゃんも。あの人たちがいなかったら、こうしてお姉ちゃんと再会できなかったかもしれない……」

「みんな、いい人たちばかりだね」

「うん。わたしたち姉妹は幸運なのよ。……でも、そもそもちゃんとお姉ちゃんにとり憑いてれば、こんな苦労しなかったんだけれどね」


 笑うめいり。

 それは、お気に入りのソファで幸せそうにゴロゴロしてた時とおんなじ……柔らかな表情だった。


 柔らかくて、ふわふわと幻想的で、儚げで……。

 そして彼女の体から透けて見える背景が、ほんの少しずつその姿を鮮明にしていく。


「……って、めいりちゃんっ!? ど、どうしたのっ!?」

「うん?」

「か、体っ! 透けてきてるよっ!?」


 慌てる真殊につられて、めいりは表情を変えずに自分の体を見下ろす。

 そして納得したようにボソリと呟いた。


「……伝えたいことは、全部伝えられたから」

「そ、そんな……」


 やっと落ち着いた真殊の心が再びオロオロとざわめく。


「てことは、めいりちゃん……もう、消えちゃうの?」

「お姉ちゃん……」


 めいりはベンチから腰を浮かせ、怯える真殊の正面に膝をつく。

 そして繋いだままの手、その上にそっと空いていた方の手を重ねる。


「お姉ちゃん。わたしは、お姉ちゃんに飼ってもらえて、お姉ちゃんの妹になれて嬉しかったわ」

「わ……私もだよぅ……。メイリちゃんがいなかったら、私はずっと家に引きこもったままだった……」


 小さなペットショップで出会ったあの日から、二人は幸せを与え合って生きてきた。

 一人は前を向く勇気を。

 一匹は孤独をかき消す温かさを。

 お互いに貰ったものは、会えなかった期間もずっと心の中で生き続けていた。


「わたしはしばらく、お姉ちゃんの前から姿を消すけれど……今のお姉ちゃんだったら、安心」


 めいりの肩あたりからポツポツと、光の粒が舞い上がりはじめる。

 それに比例するように、めいりの輪郭がさらにぼやけていく。


「それに、あなたの側には涼介がいるわ。彼がお姉ちゃんを守ってくれる……」

「メイリちゃん……!」

「お姉ちゃんも、涼介のこと助けてあげてね。あの人はぼっちだから」

「う、うん……っ、私にできることならなんだってするよ! 約束!」


 その言葉を聞いて、めいりは目を細めた。


「……あ、それと」


 そして思い出したように声を出す。


「わたし、プレゼントを持ってきていたの。お姉ちゃんの膝の上に置いておくからね」

「……え? プレゼント?」

「うん。わたしがお姉ちゃんに直接渡せる、最後のありがとうの気持ち……」

「め、メイリちゃん……っ。ありがとう……今まで一緒にいてくれて、ありが、とう……」

「泣かないで、お姉ちゃん。遠くにいっても、わたしはずっとあなたの近くにいるのよ?」


 ――じゃあ、またね。お姉ちゃん。


 そう言って、少女の形をした白猫の霊は光の粒となり、夕暮れの世界に溶け込んでいった。


「メイリちゃん……メイリちゃん……」


 最愛の妹が消えゆく様を見届けて、真殊はしばらく嗚咽を漏らしていたが、やがて落ち着いて袖で涙を拭う。


「ありがとう、メイリちゃん。私、あなたと出会えてとっても幸せ」


 そしてまっすぐな思いを彼女が溶けていった空へ吐き出した。

 前を向いて、オレンジ色を見上げて、まだ脳裏にいるメイリに向かって、感謝の思いを――






「ん……あ、あれ……」


 真殊が目を開くと、そこは星凪高校の中庭だった。


 西の空に浮かぶ夕日に、オレンジ色に染まる芝生や校舎の建物。そして活気をなくした出店たち。

 つい今まで見ていた景色とほぼ同じ。

 でも、ここが現実だとすぐにわかった。


 ひんやりした風が真殊のおさげを揺らす。

 遠くから町の生活音が聞こえる。

 それに空の上、真殊の視界に鳥たちが急ぐように横切っていくのが映った。


「う~ん……」


 そして何より……隣には先輩がいた。

 まだしっかり眠りについているようで、ときおり唸りながらもぞもぞと動めいている。


「さっきのは……夢?」


 今でも真殊の脳裏にはさっきの情景が、少女の姿をしたメイリの姿が浮かび上がってくる。

 最愛の妹は、自分を散々おどかし、泣かせて……謝って、ありがとうって言ってくれた。

 そして最後に……


「……ううん。あれは夢じゃない」


 真殊はベンチに再び背中を預けて微笑みを零す。

 その膝には、これまで感じたことのない種類の重みがあった。


「ふふっ。でも、これはさすがにないよ~。メイリちゃん」


 膝元の重み……その正体と目が合う。


 青黒くて、丸くて、カッチカチに固まった……


 ……冷凍マグロ。

 そのあどけない目と。


 その側面には紙が貼られており、


『わたし、めいりさん。今もこれからも、あなたの心の中にいるの』

「……もう、メイリちゃんってば」


 その文字を見て呆れた表情を浮かべながら、またひとつ温かい気持ちが真殊の頬を流れた。

 すぐさま袖で目元を拭い、真殊は勢いよく息を吐き出す。


「私……これからも頑張って生きていくから。そばで見ててね。めいりちゃん」


 そして隣。

 いまだ眠りにつく、自分とメイリちゃんを再び引き合わせてくれた恩人。

 安らかに寝息を立てる涼介を眺めながら、真殊は再び前を向いて歩いていくことを誓うのだった。



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