第三十九話:目論む少女
一年の教室が並ぶ二階から中庭までは、そう遠くない。
ものの数十秒で、涼介たちは現場に辿り着いた。
小走りでお好み焼き店を目指しながら、数人の先生や生徒たちとすれ違う。
彼らに抱えられるのは、ぐったりと力ない生徒たち。意識を失っているようだが、なるほど陽菜先生の言う通り。皆が皆、穏やかに寝息を立てている。
たしかに異常事態ではあるが、鬼気迫るといった様子ではなさそうだった。
「でも、アイツは……」
今の時間だと、笑海はちょうどお好み焼きを焼いている真っ只中のはず。
鉄板の前に立っているはずなのだ。
もし、その場で突然眠ってしまったら……。
「いやいや……! 何考えてんだ!」
嫌な想像を払いのけ、涼介は足を速める。
しばらくして『2-C お好み焼き!』の看板が見えてきた。
そこから先。出店へと向かう道は、他の場所よりもひときわ生徒たちでごった返している。
少し前、同じクラスの実行委員男子ともすれ違った。盛大ないびきをかいて、二人の生徒に肩を持たれて引きずられていった。
これまでの様子からして、無事な生徒、謎の眠りに落ちる生徒は半々くらいの割合らしい。
「ぜぇ、ぜぇ……、けっこう大勢ですね……っ」
少し遅れてやってきた真殊も、息せき切りながらに驚いている。
涼介は乱れた息そのままに、その人混みをかき分け前に進んだ。
「然木!」
まだ出店の全貌は見えない。
四方から体を押されながらも、もう一度クラスメイトの名前を叫ぶ。
「然木!」
「……ん? おお、柳瀬か」
「然木っ!?」
すると、捜していた少年のような少女は意外にあっさりと発見される。
笑海はまだ出店の中にいた。
「然木……無事だったか…………あれ?」
笑海は頭を水玉模様のバンダナでしめ、クマさんエプロンを身につけ、鉄板の前で小手を握っている。
その姿にこれといって辛そうだとか眠そうだとか、そう気配はない。
「然木……お前、何やってんだ?」
「んん? ちょっと待ってくれ。今集中しているのだ……。ほれっ、ほれっ」
笑海は、鉄板の上でジュウジュウ音を立てるお好み焼きを華麗にひっくり返す。
なかなか器用な小手さばき。
そのまま、黄色味を帯びた生地はお好みソースとマヨネーズ……そして仕上げのカツオ節と青のりによって、あっというまに彩られていった。
「よし……上出来だ」
一仕事終えた様子で、額の汗を拭う笑海。
(じゅるり……)
「わぁぁ……、美味しそうです……」
「お前、料理上手いって本当だったんだな……って、そうじゃないよ!」
思わず感想を零す涼介たちだったが、すぐに現状を思い返し、魅惑のソースの香りを振り払う。
「然木! 今は呑気にお好み焼いてる場合じゃないぞ! 周りを見てみろ!」
「ん?」
涼介の声に、お好みをパックに移す途中の笑海は周りを見渡す。
「おおっ、これは……」
そして、ようやく周りの事態を認識したとでもいうように、驚きの声を漏らした。
「大騒ぎじゃないか」
「今さら気づいたのかよ……。いったいどれだけ集中してたんだ」
涼介はがっくりと嘆息する。隣で真殊も苦い笑みを浮かべた。
「いやいや、今の今まで焼くことに集中して気づかなかった。……でも、どうやら成功のようだ」
「え? ……成功って?」
得意げな顔で腕を組む笑海に、涼介は再び嫌な予感を覚える。
「ふふ……聞いて驚け? ボクが今焼いているのはまさしく、食べた人を安眠の国に誘う然木オリジナル……名付けて『お好眠焼き』なのだっ」
「な……」
「「「なんだってぇぇぇぇっ!?」」」
笑海の爆弾発言。
涼介も真殊も、めいりも。
そして近くで聞いていた他の生徒たちも、皆一様に仰天した。
「本当は心地よくまどろむ程度の予定だったのだが……そこは少し誤算だった」
「いやいや、そこは大して問題じゃねーよ! なんだその反則的食べ物は!」
まさか、コイツが今回の事件の犯人だったとは……。
とすると、今まで見てきた眠る生徒たちは、みんなこのお好み焼きを食べた人間ってことか。
「ところで柳瀬。お前、ボクが無事とかどうとか言っていたな? もしかして、ボクのことを心配してくれてたのかな?」
「うるせぇ! 人がせっかく心配してきたってのに、なんだこの仕打ちは!」
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃないか……。ご、ごめんよ柳瀬……。お詫びにこのお好眠焼きをあげるよ」
「いらねぇよっ!! それより今から寝てるヤツら運ぶから、手伝え!」
「わ、わかったよぅ……怒るなよぅ……」
ひとしきり笑海に文句をぶつけたあと、涼介は片っ端から眠り生徒たちを運びはじめた――
「まあ、みんな危険なことにならなくてよかったよ」
「目覚めた人たち、むしろスッキリした様子でしたねぇ……」
保健室ではちらほら、目を覚ます生徒たちもいた。彼らは皆一様に、活き活きとした表情でノビをしていた。
……あのお好眠焼きには、相当なリラックス効果があるようだ。
そして騒動も一段落した今、涼介たちは空いたベンチに身を預けている。
時刻は午後四時。
太陽も少しずつ傾きはじめ、柔らかい西からの光が、すっかり落ち着きを取り戻した中庭に降り注いでいる。
「柳瀬、朽咲嬢。お疲れさまだ」
「おう」
「あ、どうもすみません……」
自販機に飲み物を買いにいっていた笑海が戻ってくる。
「いやはや。ちょっと実験のつもりが、ちょっと度が過ぎたようだ。……すまん」
事態の大きさに、さすがに罪の意識を感じたのだろう。生徒を運ぶ時からもう何度目かになる謝罪の言葉だ。
「まあ、もう過ぎたことだから……。でも、もうこんな変なことすんなよ?」
「ああもちろんだ。二度はない」
どんと、わりかしある胸を叩く笑海。
そのまま涼介の隣、真殊とは反対の所に腰かけた。
すっかり喉が渇いていた涼介と真殊。二人はほぼ同時に紙コップに口をつける。
ホットカフェオレ。
ほんのりと甘いミルクの香りが疲れた体に染み渡るようだ。
「それに、本番前の確認もしっかりできたからな。ボクも満足だ」
「ああ……ん? 確認?」
笑海の言う意味が理解できず、涼介は首を傾げた。
笑海は変わらぬ無表情で正面を向いたまま。
自分の飲み物は買ってこなかったのか、膝元で組まれた両手には何も持たれていない。
「なんだ確認って……。それに本ば……? ん……、あ、れ……?」
(涼介?)
涼介は聞き返そうとするが、なぜか突然、視界がボヤけはじめる。
それと同時に、体が強烈な浮遊感に包まれる。
ベンチに腰かけているのに、どこかフワフワと宙に浮いているような感覚がする。
(涼介? どうしたの?)
「ど、どうしたん……だろ……」
意識を保とうとするも、ゆらゆらと揺れる景色は止まらない。
めいりの声も、近くなはずなのにはるか遠くから聞こえてくるようだ。
「うにゃ……せ、せんぱ……うぅ~ん……」
かろうじて捉えた真殊の姿。彼女はすでに体をベンチの上に横たえていて、何やら寝言めいた声を発している。
「うむ。今回は量の調整もばっちりだ」
聞き慣れた飄々とした声音が、頭上から降ってくる。
いつしか涼介も、その体をベンチに横たえてしまっていた。
そして前に投げ出された手から零れ落ちる紙コップ。
まだ残っていたコーヒー、その茶色い液体が芝生の地面に染み込んでいく。
「……然、木……?」
朦朧とした意識をなんとか奮い立たせ、隣で平気な顔のクラスメイトに手を伸ばす。
笑海は頼りなく伸びるその手を、両手で包み込む。
「む、そういえば、柳瀬まで眠らせる必要はなかったな……すまん」
「お、おい……ま、さか……お前……」
然木……こいつ……。
――一服盛りやがった……。
「う……僕はまだ……やることがあ……るのに……。ここ、で……眠るわけに、は…………」
必死で意識を繋ぎとめようとするも、その努力虚しく、涼介は深い眠りの闇へと飲み込まれてしまった。
「涼介、涼介、……お姉ちゃん」
めいりは懸命に涼介と真殊の肩を揺するも、全く反応がない。
「あなた……これはどういうことなの?」
立ち上がりその様子を眺めている短髪の少女を、めいりは見上げる。
「……うむ。時間もピッタリだな」
ブレザーのポケットから取り出した懐中時計を見つめ、笑海は淡々と紡ぐ。
「まどろみの世界、夕暮れの刻……。これで準備は整った。ようやく時間だぞぅ……白猫の少女」
「あなた、やっぱり……」
夕日の橙まで吸い込みそうなほど黒い、笑海の瞳。
その切れ長の双眸はたしかに、めいりの白い姿を映しだしていた。




