第三十六話:ほの暗い部屋の片隅で
ノルマのビラを配り終えると、時刻は午後一時前。そろそろ約束の時間だ。
涼介たちはその足で一年Aクラスへと向かった。
「ここも人が多いね」
呼び込みに走る生徒、各教室の催し物にキャッキャと興奮する生徒。一年の階の廊下も他と同様、生徒たちの喧騒で賑わっている。
ただ、その一番果てに位置するAクラスだけは、一風変わった雰囲気を醸し出していた。
その場所だけポッカリと別次元にあるような、薄暗くおどろおどろしい装い。
「やあ朽咲さん」
「あ、せ、先輩こんにちは。もうそんなお時間ですか?」
涼介が来た頃には、真殊はちょうど受付席に座っていた。
こちらにぺこりと挨拶する彼女には、相変わらずめいりは視えているような素振りはない。
「朽咲さんの先輩がいらしたわ……。やややっぱり、きょ、今日は先輩と一緒に回るんだねっ?」
「うん、まぁ……。て、なんでみっちゃんが動揺してるの……?」
その隣にはすっかり顔見知りの三つ編み少女の姿も。あだ名までみっちゃんというらしい。
そして未だ涼介と真殊の仲を勘違いしたままである。
彼女の興味津々な眼差しに気まずくなって、教室の方へ視界を巡らす。
「それにしても……」
一年Aクラスの教室は今、真っ黒で統一されている。中の様子もカーテンにて閉ざされて見ることができない。
壁には発泡スチロールや厚紙で作られたドクロの飾り。
女性の髪をイメージしてだろうか……ところどころ毛糸の束が垂れ下げられている。
細部までくまなく、見事な気味悪さが演出されていた。
そして、受付係らしい二人の衣装も特殊だ。
二人とも黒いローブを身にまとい、頭には大きなとんがり帽子を被っている。
ファンタジーゲームなどでよく見かける“黒魔道士”のようなコスチュームだ。
真殊も三つ編み少女も小柄で、まるでハロウィンの日に仮装する子どものようで微笑ましい。
「前来た時にも思ってたんだけど、やっぱりこのクラスはオバケ屋敷なんだなぁ……」
「あ……いえ、ちょっと違うんですよ」
真殊は涼介に、一枚のパンフレットを手渡してくれる。
「『占いの館』……?」
「そうなんです。占いをしてもらえて、おまけにオバケ屋敷の雰囲気も楽しめるようになってて」
「なるほど……、一度で二度楽しめるんだな」
全部下ノ怪さんの案なんですけど、と苦笑いの真殊。
でもたしかに、外側から見ただけでもそこいらの下手なオバケ屋敷よりもよほど雰囲気が出ている。
「ねぇねぇ朽咲さん。せっかくだし、お二人で入ってくれば?」
「えっ?」
すると突然、三つ編み少女からの提案。
「で、でも……」
「もう休憩時間だし、遠慮することないよ? それに男女二人でオバケ屋敷って……ねぇ? 先輩もどうぞどうぞ。お代は結構なので」
「う、う~ん……」
見かけによらずオッサン思考で、涼介たちに入館を勧めてくる。それに反して悩む涼介と真殊。二人はほぼ同じことを考えていた。
そう、この館の主人……下ノ怪ヤサコの存在がすごく不安なのである。
「ひぇぇ~!」「怖かったぁ……。それにあの占いの子も雰囲気あったねぇ……」「たしか霊能者下ノ怪ヨシコの娘らしいよ」「ええっ、てか霊能者というよりあの子が霊そのものって感じだったよね……」
すると出口から続々と生徒たちの声。
不安はよりいっそう確固たるものとなった。
「だ、大丈夫よ朽咲さん……。二人の愛の絆で下ノ怪さんをやっつけちゃって!」
「いやなんか趣旨が変わってるんだけどっ!?」
「それに君露骨に愛って言っちゃってるし!」
二人で盛大にツッコむも、彼女の好意を無下にするのもなんだか悪い。
「じゃあ、せっかくだし……入ってみようか」
「は、はいぃ……」
「うんっ、じゃあこれ、占いチケット二枚。健闘を祈ってますから、生きて帰ってきてくださいねっ」
「生死に関わるのっ!?」
ここぞで断り切れない二人。皮肉なところで息ピッタリであった。
結局、中に入ることにした涼介たち。
壁は怪しい緑色のライトに照らされ、床にはところどころ血しぶきのような模様が塗られている。
教室内部も外に勝るとも劣らず、恐怖を演出した装飾がなされている。
そして時々「わー!」「きゃー!」といった生徒たちの悲鳴……。
「……本格的だ」
壁にかけられたドクロの模型に触れて、思わずそんな感想が漏れる。
「我がクラスの出し物ながら……怖いです……」
作ってる時は必死だったので思わなかったのに、と零す真殊。
心なしか体を涼介の方へ寄せており、障害物にいちいち過敏に肩をビクつかせている。
(お姉ちゃんは怖がりだから……フォローしてあげてね)
ぼそりとめいりが耳打ちしてくる。
(そういえばそうだったな……。よし、わかった)
涼介はめいりの頼みのとおり、すぐ隣で震える真殊の小さな手をとった。
「えっ!?」
「……あ」
突然の出来事に真殊はこれ以上なく驚いた。
その反応を見て涼介も冷静になり、そして焦った。
いくら真殊を安心させようといっても、声をかけたりすればいいだけで何も手を繋がなくてもよかったんじゃないか……。今さらながらにそう思う。
「いや、その、僕もちょっと怖くて……。こうしててほしいかな~、なんてさ……あはは」
「あ、あばば……そそうですよねっ……! 怖いですもんね!」
無理矢理な理由づけにも関わらずなんとか納得してもらえた。……というか真殊も相当動揺しているからだろう。
意識すればするほど逆に緊張してしまうので、涼介は必死に気を逸らそうと周りを見渡し、
……そして目の前の人体模型と目が合った。
「「ぎゃあっ!?」」
二人同時に叫び、後じさる。
「あ、これ……生物準備室の模型です。こないだ下ノ怪さんが弄ってました……」
「え、てことはこの人体模型……」
(トっつぁん……)
ペンキか何かでモノトーンにされた人体模型トシだった。
どこか不満げに顔を歪めているのが、むしろこの場の雰囲気に一役買っている。
(……ああ、いつぞやの坊主じゃねーか)
(え、この声は……トシさん?)
トシの思念が、涼介の脳内に流れ込んでくる。
(昼間なのに、なんでトシさんの声が……?)
長らくめいりの依り代として過ごしてきた影響で、涼介は知らず人外と意思疎通する力を育んでいたのだった。
(見てくれよこのシケた白黒……。あの霊能者気取りの嬢ちゃんにやられたんだ)
(それは、災難でしたね……)
(まぁ今日はめでてぇ祭りの日だし、オレを見て喜んでくれるガキ共もいるから、悪いばかりじゃねぇんだけどな。それよりも……)
そしてギギギ……とトシの視線はすぐ左隣にスライドする。
(こいつと同じ配置は勘弁してほしかったんだよ……)
そこには、いつもは中庭でせっせと薪を背負う“三宮銀三郎像”が置かれていた。
(あら失礼しちゃうわよ。アタシだってもっといい男の隣だったら、素敵なサービスしたげるのにぃ……)
そして、銀三郎はオネエだった。




