第三話:緊急座談会
「ふぅ、ふぅ……」
所変わらず。
涼介と少女めいりは部屋の真ん中、正方形のこたつテーブルに向かい合わせに腰を下ろしている。テーブルの上にはお茶入り湯飲みが二つ、ゆらゆらと湯気を立てていた。
(もう、お婿にいけない……)
涼介は少女の方を直視できずにいる。不可抗力とはいえ、あの事故は羞恥の極みだった。ちなみに今はちゃんと寝間着を身につけている。
めいりはその小さな両手で湯飲みを包みこみ、結構な時間ふぅふぅと息を吹きかけていた。そしてようやく満足のいく熱さになったのか、ちびちびと中身を啜りはじめる。
(死ぬほど恥ずかしかったけど……まあ、いつまでも凹んでられないか)
なってしまったことは今更どうにもできない。減るもんじゃなし。
ようやく過去の失態を清算し、涼介も湯飲みに口をつける。
しばらくして、めいりが湯飲みをそっと置いた。
「ふう……、けっこうなお粗末でした」
「ぐはっ!?」
思わず吐茶する。咄嗟に横を向いたのでめいりに被害は及ばなかった。
「げほ、げほっ! そ、そこは『お手前』っていうんだよ……」
「ああ、そうでした。ごめんなさい」
謝ってくるめいり。だが、その幼顔には心なしか小悪魔的な笑みが浮かんでいた。
(この子……まさかワザと?)
もしかすると……この少女は“変なやつ”なのかもしれない。
それなら、さっき一瞬でも彼女を天使だと思ったことを撤回しなければなるまい。
涼介はだんだん不安になってきた。
「大丈夫。他意はないから。それに、あなたのは一般的にも……まあ、うん。えっと…………ねぇ?」
「無理にフォローしようとしなくて大丈夫だから! うん! もう掘り返さないでくれるかな!?」
少女は悪魔だった。
涼介の心のHPが一気に削られる。このままでは本当に削れ死んでしまいそうだった。
なので無理矢理本題に戻ることにした。
「結局さ、君は何者なの?」
「ああ、うん……」
めいりもその空気を察したのか、静かに姿勢を正す。
「わたし、この世に実体を持たない存在……ようは“幽霊”というやつなの」
「やっぱり、そうなのか」
涼介は諦めたように呟く。
そう言われてもまだ半信半疑ではあるし、さっきも散々歪曲して結論を出そうとしていた。
でもやはり、それが一番自然な答えのように思えた。
「でもさ、仮にめいりちゃんが幽霊だとして……」
「呼び捨てでいいよ。そして間違いなく幽霊なの。今日車に轢かれたばかりのデキタテ」
「ああ~……」
図らずも死因を聞いてしまい、なんともいえない気持ちになってしまう。
「臓物引きずりだして肉片もそこらじゅう飛び散らしたばかりのデキタテ」
「げげぇ……」
一瞬嫌な情景を思い起こしそうになったが、必死に頭を振ってイメージを追い出す。
酷く頭痛がした。
なおも信用されていないと思ったのか、めいりは尋ねてくる。
「まだ信じられない?」
「いや、別にめいりのこと疑うわけじゃないんだけどさ。僕自身幽霊を見たことがないもんで、どうにも……」
実際、今まで変なやつは何人も見てきたが、さすがに幽霊を見る機会は一度もなかった。
頭では理解できていても心の奥底では信じ切れていない……そんな気持ちだった。
「ふむむ……なら、証拠を見せた方がいいよね」
「証拠?」
「うん。幽霊のわたしにできて、生身のあなたができないこと」
そう言って、めいりは目を閉じる。
涼介は疑問に思ったが、すぐにその瞳は開かれ、
「――っ?」
何かが頬を掠めた。
反射的に振り向くと、うしろの壁に直径一センチほどの小さな穴が二つ、横並びにあいていた。
そこから白い煙の柱が立ちのぼる。
「な……なんだこれ?」
「めいりのレーザービーム」
「何それ!?」
「見えなかった? じゃあもっかい……びっ――」
「――ひぃっ!?」
閃光が涼介の真横を通過していく。
めいりの双眸からは、たしかに青い光線が出ていた。
それはクロス張りのコンクリート壁をいとも容易く貫き、やがて収束していく。
涼介はぞっとした。
あんなの喰らったらひとたまりもない。
「てか、危ないよそれ!」
「わたしが幽霊だってわかった?」
どちらかといえばミュータントとかそういう類だと思った。
「あ~ぁ、壁に穴が……て、これ貫通してそうだけど、隣の部屋までは届いてないんだよな……?」
「言われてみれば、壁の向こう側で不思議な手応えがあったような」
「え!? まさか明日になって、隣人さんが物言わぬ骸として発見されたりしないよな……?」
「……」
「そこで目を泳がすんじゃねぇ!」
「ジョークジョーク。ノルウェリアンジョーク。大丈夫、生き物に当たった感じはなかったから」
ノルウェリアンジョークってなんだよ。やっぱり外国人だったか。
だが日本語ぺらぺら。
なるほど、謎の多い少女だった。
(まあ、隣の部屋の兄ちゃんも悪運強そうな人だし大丈夫だろう……多分)
涼介は前向きに検討した。
「めいりが幽霊だってことは一応わかった。それと、君は“メリーさん”ではないんだよな? あの都市伝説の」
「うん、ただやり方を真似ただけ。一度捨てられただけで持ち主恨んで殺すようなゲズい真似はしない」
「ひ、酷い言い草だぁ……」
たしかに正論ではあったが。
「でも、真似たっていうならなんで目の前に現れたんだ?」
「いいえ、うしろに現れたよ。……あなたの約四万キロうしろに」
「まさかの外周計算っ!? だから僕に背を向けてたのか!」
まさに地球規模の“うしろにいるの”だった。涼介はつい感心して唸ってしまった。
「アイツとの格の違いを見せつけてやりたくて舞台をフルに活かした。反省はしていない」
「いや別に犯罪とかじゃないし、いいんだけど……。じゃあ途中の酒屋さんとか飛ばしたのもスピード重視だったとか?」
「……う、うん」
再びせわしなく泳ぐ碧眼。どうやら面倒だっただけのようだ。
そして、一連のやりとりで涼介は確信する。
めいりは“かなり変なやつ”である、と。
「でも……その工夫も全て水の泡なの。さっきも言ったけど、ターゲットはあなたじゃないから。あなたに……あなたにさえ出会わなければ……」
やや俯きがちにめいりが呟く。声音もどこかしら悲壮なものに変わっていた。
「そっか、僕でごめん…………て謝るとでも?」
「いいの、わかってくれれば――、……ふふ、まさか先手を打たれるとは」
「いや、おかしいから。色々と」
実際、涼介も巻き込まれた側なので謝る必要は全くない。
だがそれ以上に、めいりの上目遣いが妙にあざとかったのだ。出会ってすぐの涼介ですら、これは何か企んでいると勘づいた。
なので意地でも謝罪の言葉を封印したのだった。
「まあ、茶番はここまでにして。そろそろわたしは本来のターゲットの元に向かうの」
「あ、ああ、うん。今度は間違えないようにな」
毒気を抜かれたような涼介の言葉に頷いて、めいりは音もなく立ち上がる。そしてそのまま玄関の方へと歩いていく。涼介もその後を追った。
まるで重さを感じさせない動き。やっぱりこの子は幽霊なんだと、涼介は不思議と納得してしまった。
(てか、帰りは玄関からなんだな……。最後までわけわからんやつだ)
「お茶もありがとう」
「ああ……いいよ」
玄関までの短い道のりで、軽く言葉を交わし合う。
「短い時間だったけど楽しかった。あなたみたいな人初めて会った」
「えっ? そ、そうか?」
少し照れる涼介。
「うん。いきなり素っ裸で現れる人なんて初めて見た」
「うおい! それはもういいよ! それにいきなり現れたのはそっちだ!」
一瞬にして悪夢が甦る。
まさか最後の最後まで引っぱられるとは思ってもみなかった。
一つ文句を言ってやろうかと思ったが……その口を無理矢理閉ざす。
ドアを引きながら振り返るめいり。
その幼顔に、壊れそうなほど優しい笑みが浮かんでいたから――
それはさきほどの小悪魔な表情とは正反対に、無垢で、純真で、美しい表情だった。それが自分自身に向けられ、涼介はなんだかむず痒くなる。
なんだ。そんな優しい顔もできるんだ。
言動はややおかしな部分があったけど、こうして微笑む顔は年相応に可愛らしい。
そういえば歳も聞かなかったなと、ふと思う。
そしてこれから彼女がどこに向かって何をするのか。目的を果たしてその後どうなるのか。
何一つ聞かなかった。
正確にいえば、聞けなかったのだ。
めいりにはめいりのやるべきことがあるはず。それは会って間もない……見ず知らずの自分が無闇に踏み込むことじゃない。
それに、目的を果たした幽霊の行く末……それはある程度予想できる。できてしまう。
限定された結末を背負う彼女に、“これから”の質問をするなど涼介にはできなかった。
ただ……もっと別の形で会えてれば、仲良くなれたのかもしれないな……。
このあどけない笑顔を見た後では、そう思わずにはいられなかった。
「では、涼介も元気でね」
「ああ」
軽く最後の挨拶をし、めいりは玄関を抜けた。そのまま通路を、階段のある方へと歩いていく。
やや小走り気味に、それでも足音が聞こえてくるでもなく、ただ静かにその姿を小さくしていく。
……だが、それは唐突に訪れた。
「べぶっ!」
めいりは急にアヒルの鳴き声のような変な声を出し、そのまま後方に軽くふっとぶ。
「ぎゃんっ」
「め、めいりっ!?」
涼介は慌てて尻もちをつく彼女の方へ駆け寄った。めいりはひぃひぃとうめき、足をバタバタさせながら両手で顔を押さえている。
「ど、どうしたんだ!?」
「にゃ、にゃんかにぶつかった……」
小さな手の隙間から見えた鼻は真っ赤だった。
たしかに何かにぶつけたようだ。
「でも……何に?」
「んんと、壁?」
「いや、壁は横にしかないんだけど……」
何が起こったのかさっぱりわからなかった。二人は混乱に陥る。
そのままぼんやりと見上げた上空では、上弦の月が不気味な色を湛えていた。