第三十話:一緒にカエル?
真殊の家にお見舞いに行ってから二日後の……月曜日の放課後である。
この日も二年の階に真殊の気配はなかった。
あの日は結局、リビングで告白まがいの宣言を散々まくし立て、「じゃ、お大事にね!」とだけ言い残して、逃げるように朽咲家を後にした。
あの一件、真殊はどう思っているのか。
それは当たり前ながらわからない。
ただ、今日ここに姿を表さないという事実に涼介は淡い危機感を抱いていた。
「今日もお姉ちゃんの教室に行くしかないね」
「そ、そうだな。このままじゃ不安過ぎる」
正直なところ、あの時何を口走ったのか涼介自身もあまり覚えていなかった。
でも、ものすごく恥ずかしいことを言ったという記憶は無意識として涼介の顔を火照らせる。
「それにしても、あの時の涼介は男前だったわ。お姉ちゃんもすごく照れてた」
過去に思いを馳せるようにめいりが目を細める。
ここ二日ほどの彼女の口癖である。
そして同時に大きな誤解を真殊に与えている感が否めない。
「う~ん、まずは謝って、それからちゃんと誤解を解かないと……」
「わたしはそのままでいいと思うけど……」
ということで今、涼介たちは一年Aクラスの教室前まで足を運んでいた。
黒く塗装された段ボールや木材。ドクロのような形をした発砲スチロールの物体。その他もろもろが教室内に広がっている。
窓の隙間から見えただけだが、文化祭の催し物の準備中……そんな気配がうかがえた。
「いらっしゃい……ヒキガエル先輩」
「いつのまにか僕自身がヒキガエルにっ!?」
そしてここに来てさっそく、一番会いたくない人間に出くわしてしまっていた。
このクラスで……いや、おそらくこの学校でもかなり有名な少女……下ノ怪優子さんである。今日も今日とて、どす黒い前髪から覗く紫色の瞳が怖い。
涼介はつい、彼女のクラスメイトの三つ編み少女が近くいないか、必死に探してしまう。だが残念なことに今回はいないらしい。
そして隣のめいりも、怖がらせようとしているのか、はたまた単なる威嚇行為なのか……。白く長い髪を全力で逆立てて「しゃー! しゃー!」と唸り声をあげている。
その勇ましい姿は……なるほど、化け猫っぽかった。ちなみに目の前のオカルト少女が気づく気配は全くない。
「今日は……お守りをお買い上げで?」
「いや、お守りはいいんだけど……それより、朽咲さんってまだいるかな?」
「お守りがないと……あなた……死んじゃうわよっ!?」
「わっ! び、ビックリした……」
ボソボソ声から大声にいきなりのシフトチェンジ。ものすごく心臓に悪い。
「お守りないと、あなたダメよっ!? 一週間後には『ゲロゲロ、グワッグワッ』しか言えなくなるわよっ!?」
「君……本格的に僕をカエルにしたいんだね……」
「あ……せ、先輩……」
ヤサコの奇言奇行にドン引きしていると、不意に後ろから聞き覚えのある呟き声。
「涼介、お姉ちゃんよ」
「あ……、朽咲さん」
「こ、ここ……こんにちは……」
涼介たちがここに訪ねてきた目的の少女その人だった。
「え、えっと……きょ、今日は……い、いいお天気……ですね!」
「えっ? ……あ、ああ、そうだね」
やはりいつもの緊張気味の声。
でも、ちゃんとこうして向き合ってくれた。しかも今回は真殊の方から話題を振ってきてくれた。
ほんの少しの前進。だが、ついさっきまで逃げられていると思っていた涼介は心底ホッとした。
なので、窓の外に見える青一つない曇り空は気にしないことにした。
ところで……。真殊は今、文化祭の準備中だったのだろう。
えんじ色のジャージを肘のあたりまでまくり上げて、その小さな右手には黒く汚れた刷毛が握られている。
……そういえばヤサコもジャージ姿である。彼女の場合、中身があまりに特徴的過ぎて服装など全く意識の外だった。
(涼介、何かお話した方がいいよ)
(うん、そうだな)
前みたいに沈黙を弄ぶのも嫌だ。
今回は早めに話題を振ってみる。
「あの……今日、一緒に帰ろうかと思って来たんだけど……」
そして、今日一緒に帰る提案をしてみた。
「いっ、一緒にですかっ……!?」
真殊は頭の両サイドのおさげを跳ね上げ目を見開く。
「わわっ! 今は手を振り回しちゃダメだからねっ!?」
「あ……! す、すみませんん……」
ギリギリセーフ。もう少しで黒いしぶきが飛び交うところだった。
(涼介……まさか、ワザとじゃないよね?)
(え? 今の話題おかしかったか?)
(涼介……あなた、ホンマもんやでぇ……)
(は?)
なぜか感嘆した表情のめいり。彼女の言っていることが理解できない。何がおかしいって言うんだ。
「あ、あの……その……お、お誘いは嬉しいのですけど……今日は、この通りで……」
教室入り口近くにあった缶に刷毛立てかけ、戻ってきた真殊はおずおずと口を開く。
自分のジャージ姿を涼介に見せるように、そっと両手を左右に広げた。
それを見た涼介はハッとなった。
十一月の頭に行われる文化祭。
その日が近づいているせいか、ここ最近の星凪高校はいつも以上に賑わっている。
実行委員の生徒や各部活動所属の生徒、帰宅部の子たちも放課後居残ってそれぞれの準備を進めている。
言うまでもなく、目の前の真殊だってその一人なのだ。
「なので……すみません……!」
「あ……いやっ、僕こそごめんっ。こんな忙しい時期に……。全然周りが見えてなかったよっ」
ぺこりと頭を下げる真殊に、慌ててフォローをいれる。
なんてバカな提案をしたんだ僕は……!
文化祭前だし、真殊の格好を見ればすぐわかるじゃないか……!
やはりちょっと気が動転していたらしい。めいりが言ってたのはこのことだったのかと、涼介は猛省した。……やや論点は違ったけれど。
そしてふと、
(あれ? じゃあ……なんで僕は暇なんだ?)
そのへんが非常に気にかかった。
二年Cクラスも同じように準備をしているはずなのに。
でも、よくよく思い返してみれば、涼介のクラスではあまりそういう“忙しい空気”みたいなものは感じられない。少なくとも、目の前の一年生のクラスよりは呑気な雰囲気なはずだった。
「あれ、おかしいな。なんでだろう……」
「けけ……けけけけ」
そんな疑問も、突如聞こえたおぞましい声に遮られる。
そういえば……いたっけ。
涼介は彼女がずっといたことを失念してしまっていた。視界に入らなければわからないほどの気配のなさ……つくづく人間離れした少女である。
「話は聞きました……。じゃあ、今回は安産祈願でよろし?」
「「なっ!?」」
涼介と真殊、二人して素っ頓狂な声をあげる。
「ちょ、今の話からなんでそんな結論にっ!?」
「見たところ縁結びはすでに終了……じゃあ次は安産でしょ。アンザンスタン?」
“アンダースタン?”と“安産”を掛けたのだろうが、この場の空気が二、三度下がっただけだった。
ただ黙り込む涼介と真殊……そしてめいり。
言った本人も恥ずかしかったのか、髪の下から見える頬がやや赤らんでいた。
「ごほん……それにしても、朽咲さんもやるわね。年上の彼氏を捕まえるなんて」
「いっ! いやっ! これは! 違くて! いやっ! 違くて!」
たしかに違うのだが、あまりに全力の否定に涼介はちょっとショックだった。
でも今は勝手に傷心してる場合じゃない。
このまま冷やかされ続けると、きっと真殊は……
「そして将来……朽咲さんは、卵をいくつも産むのねっ!? ヒキガエル先輩との子を!」
「ちょっと下ノ怪さん!? 朽咲さんもカエルネタに引き込むのはどうかと先輩は思うよっ!?」
「ち……ち……」
ヤサコを必死に止めようとした涼介だったが、真殊の顔はみるみるうちに温度を上げていく。
そして何やら小さい声でうめいていた。
マズい。このパターンは……。
そう思った時には、
「ち、ちがうのぉぉぉぉ~!!」
真殊は頭から汽笛のような煙を吹き上げながら、涼介とヤサコのあいだを抜けて走り出さんとしていた。
「まっ、待って! 朽咲さん!」
「ひぇっ!?」
だが先に真殊のこの行動を予感した涼介。
咄嗟に、ほぼ無意識のうちに真殊の腕を掴んでいた。
「ぶぶっ!」
「うっ!?」
けっこうな全力疾走をする予定だった真殊だが、その小柄な躯体はいとも簡単に引き戻され、涼介の胸元に顔を埋めることとなった。
女の子とはいえ……いや、女の子だろうが男の子だろうが……ヘディングを鳩尾に入れられるのは、痛い。涼介はたまらず肺から息を吹き出した。
「すす……すみません……!」
「い、いや……こっちこそ……手、痛くなかったかい……?」
何とか気合いで見せる心配り。
涙で滲んだ視界で真殊を捉え、ニコッと爽やかに微笑んでみせる。
「あ、それ……」
そこでふと、ある物に目が留まった。
胸元で両手をたたんだまま固まる真殊……その細い手首に飾られた、ペールブルーのブレスレットだ。
「え? え?」
その視線に気づいた真殊も、不思議そうに涼介とブレスレットを交互に見やった。




