第二十八話:テンパる真殊
「……」
「……」
涼介は朽咲家のリビングに招かれ、ソファに腰かけていた。
テーブルを挟んだ正面には着ぐるみ姿の真殊。何が何やらわからないといった表情で俯いている。
時おり、ぴょこぴょこと動く茶色い“耳”が、彼女が硬くなっているのを表しているようだった。
めいりはそんな彼女のすぐ隣でゴロゴロと寝そべり、久々の“我が家”の感触を楽しんでいる。心配したよりも姉が元気そうだったことに安心して、すっかり気が緩んだらしい。
(く……、あの堕天使め……)
今の涼介は、かつてないほどに保健室の天使を恨んでいた。
その発端はつい数分前。
涼介と陽菜先生が朽咲家の玄関前に辿り着いた時だった――
「じゃあ、これが朽咲さんのクラスのプリント……。あと、今日の分のノートのコピーね」
「え? は、はぁ……」
急に鞄を漁りだしたと思えば、そんな物を手渡してくる。
「んじゃ、後はごゆっくりね~」
「は、はぁ……じゃねぇっ! なんで帰ろうとしてるんですか先生っ!?」
陽菜は真殊に渡すべき書類を涼介に預け、即刻この場を立ち去ろうとしていたのだった。
涼介にツッコミを入れられると、やたら意味深な笑顔で、
「ええ~。だって先生、若いお二人の邪魔なんて野暮なことしたくないもん~」
「いやいやだから、僕と朽咲さんはそんな関係ではけしてなくてですね……」
盛大に勘違いの方向へ進んでいた。
「まあ、それはともかく、私はこれから帰ってやることがあるのよ! 急用ができたのよ!」
「急すぎる! ここに来るまでのあいだそんな出来事なかったはずですよねっ……って、ちょ、本当に帰るんですかっ!?」
「うん、ごめんね柳瀬! あとは任せた!」
そしてそのままコンパクトな軽自動車は遠く町中へと消えていった。
「さぁてさて~。まずはレンタルして~、おつまみ買って~、あ、その前に中華屋でお昼食べよ」
去り際、車の窓からダダ漏れていたその言葉を、涼介は生涯忘れないと誓った――
――そうして、涼介は単身真殊のお見舞いに来ているのだった。
(まあ、朽咲さんが心配だったのもあるけど……どうすればいいのか……)
まず、知り合いだと言えるかすら微妙な二人。こうして向かい合わせでいることにすごく違和感がある。
しかも場所はそんな相手の自宅だ。涼介は何をどうすればいいのかわからなくなっていた。
(涼介涼介、とりあえず何かお話しましょ?)
黙って固まる二人を見かねてか、涼介の隣に戻ってきためいりが促してくる。
(そ、そうだな……。まずはゆっくり場を和ませていこう)
すっかり聞き慣れためいりの声に、若干緊張を解く涼介。そのままの調子を保ちつつ、おずおずと真殊に話しかけた。
「あ、あの……」
「はっ、はひっ!」
目の前の着ぐるみ少女が跳ねる。
「ぐ、具合はどうかな?」
「あ、あばば……! だだだじょびだす!」
「へ?」
「だでで……だじょぶ……ぃでし!」
何を言っているのか、さっぱりわからない。
(大丈夫なんだって)
(あ……なるほど)
真殊の不可解な言語をめいりが翻訳してくれた。
(でも、よくわかったな?)
(お姉ちゃんの言いたいことなら、わかるのよ)
ブイっと嬉しそうにチョキをつくるめいり。本当にお姉ちゃんっこなんだなと、改めて思う。
でも、本当に大丈夫なのか心配になるほど真殊の頬はぷくぷくと赤く染まっていた。
「……」
「……」
(……会話止まってるよ?)
(はっ!)
自分ではかなり話したつもりでいた涼介だったが、めいりの言葉に我に返る。
言われてみれば、たった一言ずつしかやりとりしてないじゃないか……。
他人との会話ってこんなにハードなものだったのかと、涼介は戦慄した。
「あ、あの……」
「はっ、はひぃっ!」
気をとりなおして、もう一度会話を試みる。
良い話題はないものかと考えていると、目の前の着ぐるみがなおも跳ねるのを見た。
「そ、そのさ」
「は、はいっ……」
「その……、か、可愛い服だね」
「……へ?」
「その……タヌキかな? 耳がぴこぴこしてさ」
涼介は、真殊の服を褒めることにした……というより、純粋に可愛らしい服だったので、自然とその言葉が口を出たのだ。
真殊の着る……着ぐるみ。
おそらくタヌキをモチーフにしているのだろう。もふもふの、茶色と白の生地。三角耳と、しましまの大きなシッポまでついている。
真殊の動きに合わせてそれらがいちいち動くのが、なんともいえず微笑ましい。
「……」
「あれ?」
すると、無表情の真殊が突然、音もなく立ち上がった。
そしてサッと右向け右。
「ひ……ひ……」
「ひ?」
「ひひっ、ひええぇぇぇぇー……」
――ドタドタドタタッ!
そのまま奇怪な音を出したかと思うと、悲鳴とともにドタドタと廊下の奥へと走り去ってしまった。
「……あれ、お姉ちゃんが寝る時にいつも着てる服」
静まり返ったリビングでめいりが呟く。
「ああ、パジャマだったのか」
「ごめんなさいね。あの様子だと、きっとパジャマ姿だったこと忘れてたのよ~」
代わりにリビングに入ってきた真殊のお母さんが、真殊の謎の行動の真意を説明してくれた。
「あの子、ドジなところあるから。さっきも「なんで先輩がぁぁ!?」って大慌てだったしね、ふふふ」
「そ、そうなんですか……。なんか、突然お邪魔して申し訳ないです」
「あらら、いいのよ気にしなくて~。だって、好きな子が学校休んでちゃ心配で仕方ないものね。その気持ち、よくわかるわよ~」
「は、はぁ……ん? 好き?」
思わず朽咲母の顔を見上げると、意味ありげな笑顔。このシチュエーションを心から楽しんでいるような、そんな悪戯な表情だ。それにこの目を細める仕草。どこか見覚えのあるような……。
「ああ……」
すぐに思い当たる。
自分のすぐ側にいる少女のそれだった。この悪戯心全開の表情はお母さん譲りだったのか。
「まさか真殊に彼氏さんがいただなんてね~」と笑うお母さん。
その誤解をどう解こうかと悩んでいると、廊下からのドアが静かに開き、水色のパーカー姿の少女が姿を見せた。
……その顔に、おかちめんこのお面をつけて。
涼介とめいりはあんぐりと口を開けた。




