幕間:動くココロ
その日から、真殊は頑張った。
いや、これまでも彼女なりに頑張ってきたつもりではあるのだが、それ以上に頑張る日々を過ごした。
「あ……あの、プリントどうぞです!」
「えっ!? ああ、ありがと朽咲さん……え、でもなんで敬語……?」
クラスの友達にも積極的に話しかけたりした。プリントなども元気に後ろへ配る。
……渡された側の三つ編み少女は、その剣幕に戸惑ったりもしたけれど。
「朽咲さん……その印つけたところは、真っ黒に塗ってね……」
「は、はいっ!」
「いい返事……、背後霊はあまりよろしくないけど、ね。けけけけけけけけけ」
「……」
十一月の上旬に行われる『星凪高校文化祭』、その準備にも積極的に参加した。帰宅部なこともあって、ここ数日は放課後も残って裏方作業に精を出している。
……いつも指示をくれるクラスメイトは、時々すごく怖かったりもしたけれど。
「……」
「……ん?」
「……はわわっ!」
「ああ、またあの子か」
そして、『気になる先輩とお近づきになる作戦』も一日も欠かさず実行していた。おかげで、初めは緊張したけれど、今では二年生の階に来るのもすっかり慣れた。
……先輩の数メートル以内になると途端に緊張してしまい、結局それ以上近づけないでいるのだけれど。
「先輩も気づいてそうだし……これじゃただのストーカーだよぅ……」
たびたび思ってはいるのだが、それでも真殊はめげずに頑張った。……頑張ろうとしていた。
そうして、真殊の生活はあの日から慌ただしく過ぎていった。
自分の力でちゃんと生きていけるように。
メイリちゃんが見てて安心できるような、しっかりしたお姉ちゃんになれるように。
頑張って頑張って、そして……
「えふっ、えふっ……」
真殊は体調を崩した。
「朽咲さん、大丈夫? もう少しで家に着くから、もうちょっと辛抱してね」
「す……すみませ……えふえふっ……ずず」
本日の授業は早退、今は保健の日向先生の車で家に送ってもらっているところ。
これまでの頑張りが無理となって真殊の小さな体に積み重なっていたのだが、決定打は前日。寒い校舎で一晩中いたせいだ――
あの日の放課後。文化祭の準備も一段落した帰り道。
「先生さよなら!」
「さよならー」
談笑するクラスメイトたちの数歩後ろをひょこひょこと歩いていると、前方の子たちが誰かに挨拶しているのを聞いた。
小柄な女の先生……日向陽菜先生だ。
そして……
(あ)
先生の隣にいた、一人の男子生徒。辺りはもう薄暗くて顔はわかりづらかったけど、毎日彼を追い続けていた真殊にとって、それが誰なのかすぐにわかった。
(せ、先輩だ……)
まさか、こんなところで会うなんて……。でも、なんで日向先生と一緒にいるんだろう?
そんなことを思っているうちに、二人は昇降口の方へと消えていく。
「あれ、朽咲さん? 忘れ物?」
「う……うんっ。ちょっと……。先に、行ってて」
「そっかぁ……。じゃ、お先にね。……でねでね、今日の教頭の化粧がこれまた酷くてさ~……」
「ええ~っ、それはヤバイよねぇ~! きゃははは」
談笑を再開したクラスメイトの声を背に、真殊は校舎の中へと向かった。
なぜ、この時に先輩たちの後を追おうとしたのか……今となっては真殊自身にもわからない。
ここ数ヶ月間ずっとあの人を追いかけてきたものだから、彼女の体は自然に習慣通りの追跡を開始してしまったのかもしれない。
ともかく、そのまま一晩中一睡もせず、廊下や階段付近……はたまた女子トイレの入口から先輩たちの様子をうかがった。
初めての、真夜中の校舎。ちょっと歩いただけでも音が響く。
おどろおどろしい雰囲気が怖くてたまらない。
そんな恐怖による緊張と、眠気。連日の疲れの蓄積も相まって、翌朝ついに真殊の体は音を上げたのだった――
(何、してんだろう……)
結局先生に見つかって、先輩と間近で会って、それでも何も言えずにテンパって。
(私……なんにも進歩してないじゃない……)
昔と何一つ変わってやしないと、真殊は自己嫌悪に陥る。
「えっと、ここを右……あ、ここは一通なんだねぇ。朽咲さん、ちょっと遠回りだけど大通りの方を通ってくわね」
「あ……はい」
陽菜が大通りの方へ車を走らせる。普段通学に通る道ではないが、車で朽咲家のある団地へ行くには唯一のルートだった。
しばらく進むと差しかかる、大きめな交差点。その左向こうにはメイリを預かってくれていたあのカフェがある。
あの日、メイリの亡骸を引き取った日。
あそこの店員さんが横断歩道で倒れるメイリを見つけて、安全な場所に移してくれたそうだ。
ずっと元の場所で放置されていたら、メイリちゃんはもっと酷い姿になっていたかもしれない。
母は一度訪れたそうだが、真殊はあれから全然、あのお店には行っていない。今度ちゃんとお礼を言いにいかなくちゃ……。
赤信号。車は横断歩道の手前で停まる。
前に見える白黒の道の上は、何もなかったかのように綺麗になっていた。
「メイリちゃんがいなくなって、もう何日も経つもんね……」
でも、あの白い毛並み、柔らかな感触は、真殊のココロの中にずっと残ったまま、今日まで色褪せることはない。
今でも、家に帰ると真っ先にリビングのソファを見てしまう。
階段を下りる時もつい、そこによくいた妹を踏まないように避けるような仕草をしてしまう。
そしてはっと気づいて、そこにはもう誰もいないことを再確認して、また寂しくなる。
――ぶわり。
つい感傷におぼれて、胸がいっぱいになってしまった。
思わず、瞳から涙がぶわりと溢れ出す。
「く、朽咲さんっ!? 大丈夫っ? 辛い?」
「ひ……だ、大丈夫です……これは違くて」
「も、もうすぐお家だからねっ。頑張って……!」
日向先生に変な心配かけちゃった。
いろいろと気が滅入っていた真殊。
変な誤解を与えてしまったおかげで、まるで追い打ちを喰らったかのように、もう少しだけ落ち込むのだった――
――次の日も、大事を取って学校を休んだ。
といっても体調はほぼ快復していて、昨日のだるさや気持ち悪さもなくなっていた。そして真殊は直前まで登校する気だった。
だがお母さんに強く止められ、今もベッドでぼんやりと時間をやり過ごしているのだった。
「あ~あ、学校休んじゃったな」
入学の日から皆勤。それがちょっぴり誇りだったので少し残念だった。まあ、昨日の早退ですでにストップしてしまったのだけれど。
でも、このままじゃダメ。月曜からはまた頑張って行かなくちゃいけない。
「今日は寝て、しっかり治そう……」
決めて、真殊は寝間着についたフードを被りなおす。そして掛け布団を体に被せた。
「真殊ちゃん? 起きてる?」
すると部屋の外から控えめな声。お母さんがドア越しに自分の名前を呼んでいた。
「起きてるよ-。もう辛くもないし平気-」
掛けたばかりの布団を再び押し上げ、真殊は身を起こす。
同時に、お母さんがドアを開けて部屋の中に入ってきた。
「どうしたの?」
「今ね、高校の保健の先生がお家に来てくださってね」
保健の……日向先生? なんでまた……
「あ……」
思い当たる節がいとも簡単に見つかる。
もしかして、昨日いきなり泣いちゃったから。
それで心配して、今日も様子見に来てくれたのかな……。
もしそうなら、自分のドジさはなんて一級品なんだ。真殊はずずんと沈んだ。
「あと、生徒さんも一人来てくれていたわよ。それがね、ふふふ……」
「な、何……?」
お母さんは目をいやらしく細めて意味深に笑う。これは何かよからぬことを考えた時に出るお母さんの癖。
「なんと、男の子! ネクタイの色も真殊ちゃんと違うから、きっと二年生か三年生なのねー」
「えっ……」
男の子?
その子が、私のお見舞いに?
いやいや、だって、私、男の子の知り合いなんてほとんどいない……。
一方的に知っている人は一人いるけど、今のところ全然進展してないしこないだなんてなんだかひどいこと言っちゃったような……って、あれ? 何考えてたっけ私……。
「ふふふ……あんた、いつのまにあんな良い子と仲良くなったのよ~」とからかい口調のお母さんを軽くスルーしながら、真殊はどんどん混乱の渦に飲み込まれていくのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。これにて第四章は終了です。
第五章はおそらく最終章の予定です。もう少々お付き合いいただければ嬉しいです。




