第二十七話:陽菜の策略
「ふふ、ヒキガエルだって。あの娘にはいずれ、本物の幽霊の恐ろしさを教えてあげないとね」
「そういえばわりと根に持つ性格だったよな、めいりって……」
さっきの下ノ怪さんの言動は、意外とめいりの癪に障っていたようだった。
一年Aクラスの教室を出て、涼介たちはそのまま昇降口に向かって歩いている。かたや唸りながら、かたやムスッとした表情で。
「さて、これからどうしようか……」
真殊がいないとなると、学校に長居する理由もない。
このまま来週まで、真殊が学校に来るのを待つ以外には方法はなさそうだった。
「お姉ちゃんが学校休むなんて、今まで一度もなかったのに……」
「そうなのか?」
「うん。辛そうな時もマスクして行ってた」
どうやらめいりのお姉ちゃんは真面目な性格らしい。そんな子が学校に来ないとなると、よほど調子がよくないのか。
あるいは、何かやむにやまれぬ事情があるのだろうか……。
「あれ? 柳瀬くんじゃない」
「え?」
ふと名を呼ばれる。聞き覚えのある、女性の声。
「あ、陽菜先生」
振り返ると、陽菜先生がちょうど保健室から出てくるところだった。
宿直騒動以来、約二日ぶりの再会である。
「奇遇ね。今から帰り?」
「あ、はい。今日はもう、これといって用事もないですし」
「そっかそっか」
柔らかい微笑みを浮かべながら頷く陽菜先生。
やはり昼間は全くボロを見せない。これぞまさに、“目に見えぬ化粧"というものなんじゃないだろうか……などと、どうでもいいことをつい考えてしまった。
「……あ、そうだよ」
すると陽菜先生はふいに言葉を漏らした。その何か閃いたようなフレーズに軽いデジャブ。
たしか、つい最近も聞いたような……。
「――はっ!」
はたと気づく。
……も、すでに遅かった。
「柳瀬くん! 顔、真っ青じゃない! このままじゃいけないわ! さ、保健室に入りましょう!」
「しまった! 遅かったかぁ……!」
そう、あの宿直の日にもあった“始まりの合図”だった。
だが涼介が気づいた時にはすでに、片腕をがっちりと掴まれたしまった後。
そのまま、涼介は強制的に保健室の奥へとご案内されてしまうのだった――
「てかさぁー、なんで生徒は半日なのに、私らは丸一日学校にいなきゃいけないのよって。そう思わない?」
ごそごそと救急箱を探りながら、陽菜先生(素ver.)は学校の制度にもの申す。
「言いたいことはまぁ、なんとなくわかります……」
涼介、めいり、陽菜の他には誰もいない保健室。
涼介は、陽菜に勧められた丸椅子に腰掛けていた。めいりは部屋の端にある体重計の上でなんとか針を動かそうと四苦八苦している。
「でもですね……先生」
「ん? どしたの?」
楽しそうに涼介の方に向き直った陽菜。その手には伸び縮みする四角形の布が一枚、存在していた。
「……これは、なんですか?」
静かに右腕を前に掲げる涼介。そこには陽菜が持つのと同じ……冷湿布。
涼介が入室してすぐ、なぜか手の甲に貼られたものだった。
陽菜は「えっへへ」と、悪戯っこのような笑顔で、
「前に言ったでしょ? 今度保健室に来たら、通常の三倍湿布貼ったげるって」
「あれガチだったのっ!? 僕どこも悪くないですから! というか今回も無理矢理連れてこられただけですよねっ!?」
「まあまあそう遠慮せずにぃ~。ほれほれ、次はどこがいい? 顔? それとも、顔?」
「顔ばっかじゃねぇか! 嫌ですよ! てかいったい何枚貼るつもりなのっ!?」
抗議しながら手の甲の湿布をペリペリ剥がす。そもそも一枚目を貼られる前にツッコむべきだったのだが、なにせ突然の状況に脳がついていけなかったのだ。
陽菜先生は養護教諭という立場上、保健室に一人でいる時間が多いらしい。今日もその例に違わず、一人で退屈な時間を過ごしていたそうだ。
そこでたまたま、知り合いである涼介に出会う。「これはしめた!」と、陽菜は内心で喜んだ。
つまるところ、涼介は陽菜の暇つぶしの話し相手に仕立てあげられたのである。
「というか、何も用がないなら帰りますよ?」
「あ、そうそう。こないだ宿直中にいた女の子いるでしょ? 朽咲さんっていうんだけど」
「話題変えやがった……。って、え? 朽咲さん?」
陽菜のマイペースっぷりに呆れる涼介だったが、ついさっきまで追っていた名が飛び出し、思わず湿布を剥がす手を止めてしまう。
「朽咲さんがどうしたんですかっ?」
「あれ、柳瀬もあの子と知り合いだったの?」
「えっ? ……あ、あぁ……まぁ、そんなとこです」
もちろん真殊とはまともに話したことすらないが、適当にごまかしておく。
しばらく陽菜先生は「へぇ~、そっかぁ~、そうだったのかぁ~。なるほどねぇ~、んふふ」と意味深な呟きを発していたが、無視。どんな勘違いしてんだ、とも思ったがあまり知りたくもなかった。
「まぁそれはともかく……その朽咲さん、昨日のお昼頃に調子崩しちゃってさ。そのまま早退して、私が家まで送ってってあげたのよ」
「そ、そうだったんですか……」
思わぬ場所で、さきほど一年の教室で聞いた話と繋がる。陽菜先生はここ最近の真殊の経緯を知っていたのだった。
……なら最初からこの人に話を聞けばよかった、と涼介はほんの少し落ち込んだ。
「見たところ風邪の症状だったんだけど、今日もお休みしてるみたい……で……」
そこで、急に停止する陽菜先生。
「ん? どうしたんですか?」
悪戯したり停止したり忙しい人だなと思いつつ、涼介は問いかける。
だが返事は案外すぐに返ってきた。
「……あ、そうだよ」
「またそれですかっ!」
陽菜の地獄ワード再びだった。
さすがにウンザリする涼介。今日は半日授業のはずが、すでに一日分以上に疲れた気分である。
「柳瀬! 私たちはこれから、朽咲さんのお見舞いに行く!」
「な、なぜそういうことになるんだっ……!」
叫びのとおり、なぜそうなるのか涼介にはさっぱり理解できない。
「朽咲さん、昨日もすごく辛そうでね。きっと今も、ベッドの上で苦しんでるに違いないわ……。だから、どうしても様子を見に行ってあげたくて……」
やや神妙な面持ちで話す陽菜。
その姿は生徒を思う保健の先生そのものだが、絶対芝居だと涼介は思った。
そう思わせるほどには、目の前の天使は“堕”であることを、涼介はよく知っている。
「お姉ちゃん……そんなに辛いのかな……」
だが、思わぬところから心配の声があがる。
めいりが零す、今にも消えてしまいそうな声。
心底姉を憂いている……。そのことが痛いほど伝わってきて、涼介の胸を打った。
「う……」
いまだ腑に落ちない涼介ではあったが、めいりは今すぐにでも姉の容態を確かめたい様子。
そんな表情を見ると、
「……じ、じゃあ、様子見に行きましょうか」
どうしてもこういう結論に至るのだった。
「お、話がわかるね柳瀬~。じゃあ、早速先生方に伝えてくるからね~!」
涼介の了承を受けると、陽菜は目にも留まらぬスピードで保健室から出ていった。
「……早い。しかも、どこかウキウキしてたのは気のせいか……?」
「ごめんね、涼介」
珍しくしおらしく、申し訳なさそうに謝ってくるめいり。
さすがに怒るなんてことはできない。そもそも怒る理由なんてなかった。
「謝ることないさ。大事な人を心配するのは、誰だって同じだ」
そうしてこの日、あれよあれよと真殊に会う運びとなった。
「まあでも、今回は純粋にお姉ちゃんのお見舞いだな」
「うん、そうだね」
自分の平穏を取り戻すため。
……なんて、ずっとそう思ってやってきたけれど。
今となってはただ純粋に、めいりのために動いてやりたい。
未練を晴らすという目的ももちろん大事だけど、今はまず、めいりの目の前の心配事を解消してやりたい。
そんなふうに思う涼介だった。




