第二話:思わぬ事態
通話状態のケータイを片手に持ったまま、声を失う。
そしてすぐ目の前。
背を向けて立つ少女を視界に入れ、涼介は固まっていた。
涼介よりも頭二つ分ほど低い背丈。腰付近まで流れる真っ白な髪。そして飾り気の少ない……その髪と同じくらい白いワンピースが、少女の華奢な身体を包んでいた。
うしろを向いているのでさすがに顔まで見えない。
それでも彼女をとりまく空気は涼介の目を奪うほどには異質で、幻想的だった。
この女の子が、さっきの電話の主なんだろうか。
というか、いきなり現れたよな……?
そもそも、酒屋さんとかタバコ屋さんとか家の前とか……色々すっとばしてないだろうか?
混乱しつつも色々と思っているうち、ふいにケータイを手から滑らせ、フローリングに落としてしまう。
ゴツ、と重みのある音がする。
どうやら手のひらが汗ばんできていたようだ。
床の上で静かに光るディスプレイを見つめながら、涼介は先程の電話の主の言葉を思い返した。
『わたし、めいりさん。今、あなたのうしろにいるの』
涼介はごくりと息を呑み、もう一度正面を仰ぐ。
そこにはやっぱり、変わらず綺麗な少女のうしろ姿がある。透明の糸のような髪がクーラーの緩やかな風に揺れていた。
やっぱり、この少女はあの“メリーさん”なのだろうか。
……いや、まだそう決まったわけじゃない。
この少女はたしかにここにいる。立っている。さっきの電話とのタイミングもまるで図ったかのようだった。
でも、それだけで『彼女=メリーさん』と決めつけるのは早計だ。
現に彼女は、その手にケータイらしきものは持っていない。細くて、陶磁のように真っ白な手がそこにあるだけだ。
それに“うしろにいる”って言いながら目の前にいるし……。
それでも、もし仮に彼女が『自分がメリーさんだ』と言い張ったとしても、まだおかしな点がある。
さっきも思ったが、彼女は自分を“めいりさん”と名乗っているのだ。いかにも偽者臭がするのだ。
涼介はいつも以上に脳をフル回転させた。
ただでさえ今日は疲れているのだ。これ以上面倒事が起こる前に、さっさと円満に済ませてゆっくりしたい。本音はそこだった。
……まあでも、あまり焦り過ぎてもいいことはないだろう。
気持ちを落ち着かせて、もう一度少女の背中を見る。簡単に折れてしまいそうなほど華奢な背中だ。
その真っ白な髪、外国の娘なのか。ロシアとかその辺だろうか。
もしかして、海外旅行にでも来たのだろうか。しかも初めての旅行……。浮かれすぎて、一人はしゃいでしまったのではないだろうか。そしてそのまま町を探検しているうち、間違えてここ……他人の家に上がり込んでしまった。
……ありえる。
さっきまでの恐怖心はもはや微塵もない。論理がややおかしな方向へ進んでいたのを自身でも感じていたが、その辺はあえて気にしないでおく。
根拠がどうこう事実がどうこうではなく、ポジティブかどうか。
涼介にとってはそれが全てだった。簡潔にいえば現実逃避ともいう。
とはいっても、このままでいるのもな……。何か話しかけてみるか。
涼介は目前、いまだ背を向けて佇む迷子の外国っ娘を丁重におもてなしせんと、さっそく接触を試みる。
「ハ、ハロー……」
ちなみに彼の英語の成績は芳しくない。そもそも自分でロシアだとかなんとか思っていたことすら忘れてしまっていた。
「……あら?」
だが果たして、その第一声を聞いてか、目の前の白髪少女はこの場で初めてとなる声を発した。涼介は驚くと同時にホッと安堵の息を吐く。
やがてゆったりした動きで振り返った少女、彼女と視線を合わせた途端――
「……!」
――涼介の心臓が跳ねた。
まるで一瞬にして磔にされたかのようだった。
サラサラと揺れる髪に包まれた顔は幼く小さく、肌は髪にも負けないほどに白い。かすかに丸みのある頬には薄く朱が差し、紅を塗ったように赤い唇は薄く結ばれている。
まるで天使のような娘だと思った。
可愛らしいという意味でもそうだが、どこか現実離れしているという意味合いの方が勝っている。
涼介は言葉を失いしばし少女に見とれてしまったが、何とか声を絞り出す。
「……えっと」
「誰?」
「え?」
「あなた、誰?」
やっと声が出たかと思えば、涼介の言葉を遮るように少女が問いかけてくる。
全く抑揚のない、見た目以上には大人びていて、それでいて透き通った声音。
ただし日本語だった。
涼介が立てた“はしゃぐ外国っ娘説”はものの数十秒で崩れ去った。
切り揃えられた前髪のすぐ下、深い海の底を思わせる蒼い双眸が涼介を見据える。
その可憐さに思わず後じさるも、時間が経つにつれて違和感のようなものが湧き上がってきた。
「おかしいわ……わたし、間違えたの?」
そして何やら呪文のようにブツブツと呟く少女。
それでもその姿勢は変わらないまま。彼女の視線はいまだに涼介を捉えて放さない。
この子は、さっきから何を言ってるんだろう……。というか……なぜ、ジト目?
その少女は振り返ってからずっと、ジトっと、延々と。
涼介の方を白眼視していたのだった。
ただ見られているだけのはずなのに「じとー」という幻聴まで聞こえてきそうな、それほどの目力がある。
「あなた、誰なの? じとー……」
「えっ? えっと、その……口に出てますよ?」
その視線になぜか罪悪感のようなものが刺激され、涼介はついツッコんでしまった。
「どうやら、お互いにとって悲しい事態になってるみたいね……」
しばらく経って、少女が突然口を開いた。
ジト目は変わらない。きっと元々こんな目つきなんだろうな、と涼介もなんとなく理解した。
「少なくとも、わたしはここに来る予定じゃなかったのよ」
「そ、そうなんだ……」
少女の正体は全くわからないままだが、ともかく自分には用がない。
そのことを知って、涼介はホッとしたような、ちょっと切ないような気持ちになった。
「あなたもビックリした?」
「え? あ、ああ、ちょっと……いや、かなりかな」
「うん。縮み上がってるもの」
「あ、あはは……正直、今日で人生が終わっちまうのかと思ったよ」
そうは答えてみたものの、涼介はすでに“外国っ娘説”だけでなく“メリーさん疑惑”も捨て去ってしまっている。いきなりの少女の登場には驚きはしたが、彼女に対する恐怖はそれほどでもなかった。
ただ、涼介は他人……とくに初対面の人との会話があまり得意ではない。それをわざわざ説明するのも億劫に感じてしまい、ここは彼女に合わせることにした。
「わたしの名前は“めいり”。あなたは?」
「あ……と、僕は柳瀬涼介。このアパートで一人暮らししてるんだ」
ちなみに涼介はこのアパートの二階……“201号室”に身を置いている。
そしてこの出笛荘……いかにも曰くつきっぽいネーミングだが、単にこの町の名前が『出笛町』なだけで、この建物自体はごく普通のアパートメントである。
実際に出てきちゃったのは目の前の少女、めいりが初めてだった。
「ところで……君はどうしてここに?」
「話せば長くなるの。その前に、まずはこの場を整えましょう?」
「ん?」
「まずは、その“ぱおーん”を仕舞いましょう?」
「え? ぱお? ……あっ」
そして、ようやく気づいた。
少女めいりの視線が実は涼介の顔ではなく、もう少し下方に向けられているということに……。
涼介はすっかり忘れていた。
風呂から上がってタオルで水気を取ったあと、そのままクーラーの風で涼んでいたことを。
そしてそこに、さっきの電話がかかってきた。つい今まで目の前の少女のことで頭がいっぱいになり、自分の身だしなみを失念してしまっていた。
気楽な一人暮らし。
そのあまりの開放感によって身についた秘密の習慣。
“裸族化”である。
その、誰にも知られなかったであろう事実がこの日、思わぬ形で白日の下にさらされることとなった。
「ぎ、ぎゃぁぁぁあっ!?」
そして涼介は、前方を押さえながらその場にうずくまり、都市伝説(に似た事態)に遭遇してもあげなかった悲鳴をあげた。
※2014.9.25 文章を一部変更しました。ストーリー展開に変更はありません。