幕間:思い出と幸せはおそろいで
お姉ちゃんは物静かで、じっとしていると本当にお人形のよう。
でも本当は優しくて、笑うと可愛らしくて、たまにおっちょこちょい。女の子らしいものが好きで、オバケとか怖いものが大の苦手。
ふいに大人びたと思えば、すぐ子供のような反応を見せる……なかなか楽しいお姉ちゃん。
少なくともメイリにとってはそんな印象だった。
――あの日。
初めてお姉ちゃんの笑顔を見た日以来、メイリはお姉ちゃんと一緒にいる時間が増えた。それこそ毎日、ほとんどの時間はお姉ちゃんと一緒。
お父さんとお母さんはよく外に出かけるけれど、お姉ちゃんは一日のほとんど家の中にいる。長いあいだ、自分の部屋のテーブルに向かって難しそうな本を開いていた。
その合間には、色んな話をしてくれる。
楽しいことやおかしなこと。他にも、自分の知らなかったことを沢山。
メイリも興味津々で聞き、色んな知識を身につけていった。
そしていつしか、メイリは自ら率先して新しいことを知りたがるようになっていた。
そうして多くのことを知る時間は、メイリとって夢のように楽しいひとときだった。
まったりゆったりと流れる日常。
「な、何よこれ……! ちょっと、お母さーんっ」
そんな数ヶ月を過ごしたのちの、ある日のこと。
うららかな春の朝日差し込むリビングで、お姉ちゃんは何やら顔を赤らめながら慌てていた。
「んー? どうしたのよ、そんなにうろたえて」
「こ、これって、お母さんのよね? なんでこんないかがわしい本読んでるのっ?」
お姉ちゃんが指さすは、リビングのテーブルの上にある本。開きっぱなしの雑誌。女性週刊誌のようだ。窓からの風に吹かれ、ピラピラと数ページ間を行ったり来たりと忙しい。
「ああ、それね。ちょっと興味本位で買ってみたんだけど、思ったよりハードだったのよね、うふふ。よかったらあなたにあげるわ」
「うふふじゃないから。こんなのいらないよ……」
のんきなテンポで話すお母さんに容赦なくツッコむも、お姉ちゃんの視線は知らず雑誌の内容に一直線。やはりお姉ちゃんもお年頃。好奇心が理性を追い越す時もあるようだ。
「う……ベッドヤクザて。こんな情報知っててどうすんのよ……」
「あなたが社会に出た時にいい男選びの参考になるかもよ?」
「い、嫌だ、そんな「淡い恋心」とか「ときめき」とか皆無なの……」
訝しげにも雑誌をパラパラめくり、やがて再びテーブルに返却。偶然開いていたページの内容を、メイリはちらりと見た。
『いつもは優しいカレ……夜は野獣になっちゃった!? そんなベッドヤクザを見分ける方法』
メイリはまたひとつ物知りになった。
「でもほんと、最近明るくなったわねぇ……」
メイリがいかがわしいインプットに勤しんでいると、ふいに聞こえたお母さんの呟き。
なんだろう。と顔を上げると、お母さんはお姉ちゃんに一つの提案をしていた。
「ねえ、久しぶりにさ。お母さんと出かけてみない? 今日は、そうね……メイリちゃんも一緒に!」
「え……?」
メイリとお姉ちゃんは同時に首を傾げ、笑顔のお母さんを見つめた。
「ちょっとお話聞いてくるから、待っててね」
二人がポカンとしてるあいだに連れてこられたのは、とあるカフェだった。
お母さんがお店の人と話をしているうしろで、メイリはお姉ちゃんの腕の中。
お姉ちゃんのメイリを抱く手はいつもよりぎこちなくて、ほんの少し震えている。
……そんな様子を気にしながらも、メイリはその空間を見回さずにはいられなかった。首と目があちらこちらへキョロキョロ動く。
明るくて落ち着きのある店内。少し苦そうな豆の香りと、甘くて香ばしいお菓子の匂いが入り交じっている。
入ってすぐはフローリングだが、奥には少し広めなスペースがあって、そっちはカーペットが敷いてある。そのさらに奥、置かれたソファの上や足元にはやたら興味をそそる丸い物体、フサフサした物体が転がっている。
「お待たせ。せっかくだしあっちに行く?」
お母さんの声に、メイリは目を輝かせ、お姉ちゃんもおずおずと頷いた。
「へぇ、キレイな子ですね」
カーペットの敷かれたスペースの上。
メイリがさっそくフサフサの物体と格闘していると、若い店員さんがお姉ちゃんに話しかけていた。
「あ……は、はいぃ……」
返事をするお姉ちゃん。その声は硬く、すぐ側にいるメイリでさえ聞き取れない大きさだった。
でも、お店の雰囲気か、優しい店員さんのおかげか……時間が経つにつれてお姉ちゃんの強張りも解けてくる。メイリが物体に飽きた頃には笑顔も咲いていた。
お菓子に夢中で話の内容は聞いていなかったが、メイリはその笑顔を見られただけで、なぜかホッとしたような気持ちになる。
その後、吹っ切れたように再び“フサフサ”と戦っているうち、あっというまに時間は過ぎていった。
「ありがとうございましたー。また来てね」
「はい。こちらこそ、楽しかったです。また来ます」
帰り際。和気あいあいと手を振り合ってお店を出ると、夕焼け模様が町の上空に広がっていた。
なかなかにいいお店だった。落ち着けてマッタリできた。そして“フサフサ”もやっつけてやった。
今度は丸い物体と勝負しようと、メイリは密かに次回の計画を練る。
「お母さん」
「ん~?」
「今日はありがとう、すごく楽しかったっ」
「そう、うふふ。よかったわぁ」
お姉ちゃんの一言に声を弾ませるお母さん。
夕焼けを反射してか、お母さんの瞳はゆったりと優しく揺れている。
「メイリちゃんも、また来ようね」
頭を撫でてくれるお姉ちゃんに、頷いて返す。
そうして三人それぞれ、満たされた気分を胸に家路を辿った。
「メイリちゃん。ちょっとこれ着けてみてくれない?」
家に帰るとすぐ、お姉ちゃんは何やら細長いものを袋から取り出してみせた。
どうやらさっきのお店で買ったものらしい。白みがかった青色のそれを、そっとメイリの首元にあてがう。
「あ、可愛い! 似合うと思ってたんだよ、うんうん」
首輪だと思った。
でもお姉ちゃん曰くそれは“ちょーかー”というものらしい。
着けて最初はくすぐったかった。けれど、しばらくするとだんだん首に馴染んできて、日が沈んだ頃にはもうすっかり慣れた。むしろ着けていて不思議な安心感がある。
「私のはブレスレットだけど、おそろいだよ。ほら」
そうして見せてくれたお姉ちゃんの左手首には、メイリと同じ水色の輪っか。
「これですぐ、私とあなたは姉妹だってわかるよね?」
ニッコリと笑うお姉ちゃんは、家を出る前に比べて明らかに何かを吹っ切っていた。
少しだけ寂しいような、そんな予感めいたものがあったけど、その時は自分を姉妹だと言ってくれたことの方が、心を占める割合としては大きかった。
――わたしたちは、ずっと繋がっているんだ。
上手く言葉にできないけれど……。
もしかしたら、今も感じるこの安心は、そういうことなのかもしれない。
きっとそう。
そう思うと、嬉しくて仕方がなかった。
「私と出会ってくれて、ありがとうね。メイリちゃん」
出会った瞬間のような憂いの表情は、もうお姉ちゃんにはない。
代わりに満面の笑みで頭を撫でてくれる。
――わたしも、ありがとう。あなたと一緒にいられて、幸せ。
そんな気持ちを伝えるように、
「にゃあ」
メイリはそっと一言、声を出した。




