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シュールナンセンス掌編集

ストレンジ・アイズ

作者: 藍上央理

「ストレンジ・アイズ」



 まばたきするたびに彼は移動してしまう。彼は瞳をサングラスの下に隠し、まばたきを他人に見せまいとする。

 まばたきがある地点と地点を結ぶ接触点ならば、彼はどこへ行こうというのだろうか。彼に寝たふりなどできないし、または目を伏せることもできない。その行為に始終悩まされるけれど、今のところは自分をコントロールしていけている。

 彼はアメリカンコーヒーを大きなマグに注ぎ、ブラックで飲み干す。グリーンイグアナがクリームチーズを切り分け、バーテンダーのふりをする。たまに熱帯夜が続き、彼は店を出る。塵の混じる砂漠の風が、彼の目を痛め付け、彼は目をしばたいた。

 香港の下町に突っ立って、彼は再び歩き始める。夜の香港はアジアの宝石のように輝き、雑踏が彼を飲み尽くす。彼はシュミレーションする。彼の背中を追いかけ、人込みの中から彼自身を見分けようとする。特徴のないポロシャツはくすんだカラシ色で、古ぼけて褪せたジーンズをはいている。サングラスは闇よりも深く、彼の瞳は見えない。

 タールのきついたばこを唇にはさみ、彼はたばこに火を点ける。煙が目にしみて、彼はまばたきする。

 車のクラクション。

 ブレーキの音が彼をよけ、彼は知らない街に突っ立っている。車のライトが、夜に沈む猫の瞳のように光を吸い寄せ、白々と空間でうねり、消えて行く。

 彼は街をさまよう。夜明けまではまだ遠い。バーの店先にフェイクファーのコートに身を包む娼婦が立っている。

「どこへ行くの?」

「さぁ、わからないな」

「ホテルに行きましょうよ、何でもするわ」

「どこのホテル?」

 彼は娼婦に連れられて、寂れたホテルの一室へ入り込む。シャワーもついてない室内でフェイクファーのコートを広げると、女の体はサバンナのように荒れて乾いていた。彼はサングラスごしの風景に、ため息をついた。

「サングラス取って」

 女の手がサングラスに伸び、ベッドに落ちた。彼はサングラスを拾いあげ、女を見つめる。

 ストレンジ・アイズ。彼の瞳が女を捕らえ、叫び、消し飛んだ。

 何もなく、何かが起こった。彼はサングラスをかけ、目をつぶった。

 白い虎が黒いタキシードを決め込んで、彼に声をかけた。

「よぉ、景気はいいかい?」

「さぁね……」

 言葉少なめに彼は答え、パーティ会場へと入って行く。

 フラミンゴのボーイが、客のチケットを確かめている。彼はポロシャツの胸ポケットから紙切れを取り出し、ボーイに渡した。

「ラフなスタイルですね」

 フラミンゴは器用に笑い、チケットを受け取った。

 ダンス会場は、色鮮やかなドレスを着た擬人化したメスたちでひしめき、地味目なタキシードのオスたちは控えめにたたずんでいる。彼は女装するクジャクを見つけた。そして、虹色のマントヒヒも。人間は彼一人だが、違和感はなかった。ふいに肩に手を置かれ、彼が振り向くと、スマートなチーターがニヤリと笑い、彼にパートナーを申し出た。

「女性を選びたまえ」

 彼が言うと、チーターは口の端に葉巻を加えて答えた。

「だれを選ぼうと俺の勝手だ」

 音楽はジャズに変わり、スローなメドレーに彼は耳を傾けた。彼の手を取るのはチーターの前足で、磨きをかけマニキュアをした爪が、ライトにチカチカときらめいている。チーターは彼に二人きりになろうと言い出した。彼はサングラスに手をかけたが、思い止どまる。首を振り、「そういう趣味はないんだ」と素直に断った。チーターは残念そうに彼から離れ、コブハクチョウのボーイから酒を受け取り、飲み干した。

 彼は会場をゆっくりと漂い、人気に揉まれるのを楽しんだ。夜はますます更けて行き、ホールに様々な吐息が漏れている。新月は闇に隠れ、真っ暗い夜道をひっそりとカップルが連れ立って行く。

「朝になってもかまわないわ」

 ふと気付くと、隣に黒猫がたたずんでいた。目は青いダイヤモンドに輝き、微笑むと白銀色の牙がかいま見えた。ゴールドの首飾りが彼女の首からゆったりと垂れている。

「24Kよ、あたしの財産なの」

 子供のような甘え声で彼女は語り、シャンペンのグラスを彼に差し向けた。彼はそれを受け取り、グラスに唇を当て、発泡する甘いシャンペンを味わった。トパーズ色の液体の向こうの彼女は不思議なオーラを発し、とても魅力的だった。

「キスしてもいい?」

 ざらつく舌が彼の唇を丹念になめ、最後に自分の口の回りをなめた。「クセなの」と彼女は言った。サングラスの中の彼女の毛皮に三日月が映り、右肩から左肩へと月は満ちていった。彼はうっとりとそれを眺め、少し辛口のキスを彼女と楽しんだ。

 目を閉じると、すべてに幕が垂れ、ファンファーレが響いた。

 目の前にはグリーンイグアナのバーテンダーが、不器用な手付きでカクテルをシェイクしている。

「新しいカクテル。あんたの目みたいに変わっているのさ」

 グリーンイグアナは垂れ下がったあごの皮膚をククッと引き吊らせて笑う。

「僕はずっといた?」

「いいや、半分消えてたよ」

 バーのドアが音を立てて開き、夜明けがやって来た。

 彼女はきらめく雲を従え、朱く燃えていた。

 カウンターは逃げ腰に彼女を迎え入れ、夜明けはけだるげにいつものブルーハワイを頼んだ。

「色が好きなの」

「新しいカクテルを試さないかい?」

 グリーンイグアナはまぶしげに彼女を見た。

「ストレンジ・アイズと言うのさ」

 カクテルグラスの底にオリーブが二つ沈み、彼女はそれを少しだけかじった。

「彼にちなんだのね」

 察しのいい夜明けは彼に流し目を送った。彼はサングラスの下でそのパワーをつかみ取り、用心してウィンクは返さず、じっと彼女を見つめた。夜明けは明るく判別できない顔に笑みを浮かべ、クスクスと笑った。

「あなたとの恋はトラブルに満ちてるんじゃないかしら?」

「たとえば?」

「木星に流星がぶつかって噴煙を上げたり……耳に聞こえない音で窓ガラスが割れたり……あり得ないけれど、イブがリンゴを食べなかったり……」

「そんなことはないさ……けれど、確かにトラブル続きで僕にもままならない」

「だけどあなたはいつも夜明けにはここにいて、宵の明星とどこかへ連れ立って行ってしまったりしないわ」

「あの子は少し気取り過ぎてるのさ」

「あたしも気取ってるわよ」

「気取り方が違う。君は歩いているときに自分を意識して振り返って見たりはしない。大切な言葉を交わしあうときに最後までそれを聞いていない。お酒を飲むとき周りにそれを意識させない」

「それが気取ってるってことよ」

 夜明けは彼の言葉を遮り、そばに寄って来た。

 彼の唇には黒猫との辛いキスの感触が残っていたが、夜明けの熱い愛撫には心底参ってしまった。

「あなたの瞳が見たいわ……」

「どんなことが起きても知らないよ」

「いいわ……どうせ夕焼けになるだけだから」と言って、夜明けは彼のサングラスを外した。


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